いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
この話飛ばしても平気なようにします。
重厚な木製の扉が背後で閉ざされ、カチャリと鍵が落ちる音が鼓膜を打った瞬間だった。
暗い部屋の中、クレマンティーヌの身体は、逃げ場のないほどの強い力で壁へと押し付けられていた。
「んっ……ぁ、マヤ……っ!?」
抗議の声を上げる隙すら与えられなかった。
降ってくるような、いや、貪り食うような深く荒々しい口付け。普段の彼が見せる余裕のある甘いそれとは全く違う、獣のような飢餓感に満ちたキスだった。唇が破れそうなほど強く吸われ、舌が口腔の奥の奥まで蹂躙し尽くす。
息ができない。頭の芯がジンジンと痺れ、酸素を失った脳が真っ白に染まっていく。
防衛線での死闘を終え、割り当てられた王都の屋敷の寝室へ帰還した直後のことだった。
道中、マヤは普段通りに振る舞ってはいたものの、どこか口数が少なく、その深紅の瞳の奥には微かに燻るような「熱」が宿っているのをクレマンティーヌは感じ取っていた。砦でバザーたちに向けたあの底知れぬ怒り、世界を押し潰すような黒い殺意。それがまだ、彼の奥底で暴れ回っているのだと。
「あっ、ちょっ、待っ……服、破ける……ッ!」
彼女の制止も虚しく、真紅のチャイナドレスはいとも容易く肌から剥ぎ取られ、床へと滑り落ちた。
有無を言わさぬ力でベッドへと押し倒される。シーツに背中が沈み込んだ直後、マヤの熱く、大きく、そしてひどく切羽詰まったような体温が、彼女の全身に重くのしかかってきた。
「マヤ……あんた、どうし……ひあっ♡」
問いかけは、甘く甲高い嬌声に塗り潰された。
首筋から鎖骨、そして豊かな双眸へと、一切の躊躇いもなく熱い吐息と唇が這い回る。指先が柔らかな肉を捏ね上げ、彼女の最も敏感な中心へと、容赦なく、それでいて正確に侵入してくる。
「あ、あぁっ……! 嘘、いつもより、激し……っ、だめ、そんなとこ……ッ!」
普段の彼も十分に激しく、彼女を幾度も絶頂へと連れ去っていくが、今夜は根本的に何かが違った。
優しく愛でるような余裕がない。ただひたすらに彼女の奥底へ、自身の存在を刻み込み、物理的にも精神的にも彼女という存在で自分を満たそうとする、切実なまでの「渇き」と「本能」。
下着を引き裂くように脱がされ、何の準備も前戯すらも不十分なまま、最も熱く硬い質量が、一息に彼女の最奥へと突き入れられた。
「あァアアッ!! マ、ヤッ……あ、あ、ああああっ!!」
雷に打たれたように背中が反り上がり、足先の指がシーツを掻き毟る。
痛い。激しい。だが、それ以上に――恐ろしいほどの快楽と、自分を求める彼の切実な熱情が、クレマンティーヌの思考を完全に焼き切った。
「クレマンティーヌ……ッ、クレマンティーヌ……!」
何度も、何度も、呪文のように彼女の名を呼びながら、マヤは狂ったような速度と深さで腰を打ち付けた。肉と肉が激しくぶつかり合う卑猥な水音が、静かな寝室に絶え間なく響き渡る。
彼自身も極限の快楽と本能に呑み込まれながら、それでもなお、すがるように彼女の身体を抱きしめている。そのあまりにも不器用で、暴力的なまでの愛情に、クレマンティーヌは涙を流しながら彼を強く抱き返し、ただされるがままに快楽の波へと溺れていった。
――それから、どれほどの時間が経っただろうか。
窓の外が白み始める頃。
限界をとうに超えるまで求め合ったクレマンティーヌの身体は、完全に力が入らなくなっていた。
乱れたベッドのシーツには無数の汗が染み込み、彼女の白く美しい太ももや下腹部からは、彼の残した熱い白濁がとめどなく垂れ流れている。だが、それを拭う気力すらなく、彼女は荒い息を吐きながら、隣で同じように横たわるマヤの広い胸に顔を埋めていた。
「……はぁ、はぁ……っ。バカ……殺す気か……」
掠れた声で悪態をつくが、マヤはただ彼女の汗ばんだ髪を、愛おしそうにゆっくりと撫でるだけだった。
熱は幾分か引いたものの、彼の瞳にはまだどこか遠くを見るような、静かな哀愁が漂っている。
砦での戦いの最中、そして帰路、そして今夜の異常なほどの激しさ。クレマンティーヌは、ベッドから動けないまま、マヤの顔を見上げて小さく尋ねた。
「……あの時、どうしたの? あんたが強いのは知ってるけど、あんなのはじめてだよ。……なんで、あそこで自分で殺さなかったのさ」
物理的な強さのことではない。彼が内に抱え込み、そして無理やり押し殺したあの得体の知れない気配のことだ。
マヤは彼女の問いに、撫でていた手を止め、深く息を吐き出した。
「……すまないな。お前には言ってなかったことがある」
天井を見つめたまま、マヤはぽつりぽつりと、自らの血に流れる呪われた宿業を語り始めた。
「俺の一族はよ……周りから敵意や恐怖、絶望みたいな『負の感情』を向けられると、心の中の鬼が歯止めを失って暴走しちまうんだ。圧倒的な火力で敵を捻り潰せば、人は俺を恐れる。恐れを向けられれば、人はもう心からの笑顔を出せねぇ。その負の感情が多ければ多いほど、俺は『修羅』へと蝕まれていく」
クレマンティーヌは息を呑んだ。
あの時砦で感じた、すべてを押し潰すような黒いプレッシャー。
「あそこで俺が手を出して暴れちまったら、レメディオスたち聖騎士団も俺を恐れ、その恐怖が俺を修羅に引き摺り落とす。だから俺は……極力、人の前で圧倒的な力は見せたくないんだ。前にお前にナイフを投げさせて団長さんを説得した時、わざわざ人払いをしたのもそのせいだ」
「……ッ、だからあんた、いつも肝心なところは一歩引いて……」
マヤは静かに頷き、彼女の頬をそっと親指で撫でた。
「俺の故郷にな、『泣いた赤鬼』っていう童話があるんだ。人間と仲良くしたい赤鬼のために、親友の青鬼が悪役を買って出て、そのまま赤鬼の前から永遠に姿を消しちまうっていう……残された赤鬼が、青鬼の手紙を読んで泣く話だ」
「……なんだい、その胸糞悪い悲しい話」
「俺は、その青鬼みたいな業を持ってる。圧倒的な力を見せれば人は俺を恐れる。だから、俺を受け入れて、俺のそばで笑ってくれる『赤鬼』――つまり、お前という『正妻』がいないと、俺はただの修羅に堕ちて、世界から消えちまうんだよ」
その声は、普段の飄々とした彼からは想像もつかないほど、弱く、そして切実だった。
「お前の笑顔があれば、俺は人で在る場所で止まれる。……俺にとって、お前は絶対の命綱なんだ」
「マヤ……」
「それとな……一夫多妻の話は、初めてだったな。俺の一族は、愛する者の『笑顔』があればあるほど幸福に満たされて、種の保存を優先する生存本能が強制的に働くんだよ。……だから、よ。お前が俺に笑顔を向けてくれればくれるほど、夜はこうして、歯止めが効かなくなるくらい、狂ったように求めたくなっちまうんだ」
自分が彼の「命綱」であり、今夜の狂ったような獣の振る舞いが、すべて自分への絶対的な愛と幸福感によるものだった。それを知らされ、クレマンティーヌは唖然として彼を見つめることしかできなかった。
「俺の一族はな、二つに分かれたんだ。一つは俺たち。もう一つは、『修羅』を是として、凌辱、略奪、なんでもありの狂った連中だ。まさに、今日お前が首を刎ねた亜人と同じようにな。そいつらを、俺は……俺の手で、全員皆殺しにした」
静かな寝室に、その事実だけが重く響き渡る。
「過去にもな、俺は自分の力と引き換えに修羅と化して、そのまま世界から消えちまったことがある。……だから、お前の手は汚れてなんかいないって言ったことあるだろ? 俺の手の方が、ずっと真っ黒に汚れてるからよ。俺は、いつまた消えちまうか分からない業を抱えてるんだ」
マヤの顔は、どうしようもないほどの孤独と自己嫌悪に満ちていた。
童話の細かい内容は分からない。けれど、クレマンティーヌには今の言葉で十分に伝わった。目の前の男が、すべてを独りで背負い込み、いざとなれば誰かのために悪役になって「消えてしまう」危うさを持っていることだけは。
「……そっか。そういう理由があったんだ」
身動きすら取れないはずのクレマンティーヌが、震える手を伸ばし、マヤの頬を両手でバシンッ! と強く挟み込んだ。
「私も色々あったけどさ……あんた、バカじゃなかったんだね。ずっとそんなの、一人で背負ってたのか」
彼女の三白眼には、哀れみや恐れなど微塵もなかった。あるのは、かつて自分を深い闇から救い出してくれたこの不器用な男への、どうしようもないほどの愛おしさだけだ。
「でもね! 手の汚れは、あんたも汚れてないから! 同族だろうがなんだろうが、あんたは笑顔を守るためにやったんだろ? なら、あんたの手は綺麗だよ。私が保証してやる。……それに、今こんな体勢で、私をドロドロに溶かしといて、自分の手が汚いとかふざけんなよ! そこはバカだよ、ほんと」
「クレマンティーヌ……お前……」
「それと、一夫多妻だか生存本能だか知らないけど、いいんじゃない、この世界じゃ強い奴なら当たり前だよ。それに……」
クレマンティーヌは、潤んだ瞳で真っ直ぐにマヤを見つめ返した。
「童話だか何だか知らないけど、一番の『赤鬼』は私だからな! どんなに恐ろしい力を持っていようが、私は絶対にあんたを恐れない。青鬼になってどこかに消えようとしたら、私が絶対に止めてやる。……愛してるよ、マヤ」
何の迷いもなく言い放たれた全肯定の言葉。
自分が殺し尽くした修羅の業すらも、人から向けられる恐怖すらも、彼女は「一番の赤鬼は私だから」と笑って受け入れてみせた。
そのあまりにも強大で温かい彼女の心に、マヤは目頭が熱くなるのを止められなかった。
「……あほか。お前、ほんとに……ッ」
感極まったマヤが、涙を誤魔化すように再び彼女の上に覆い被さろうとする。彼女の太ももの間で、彼の熱が再び硬く、大きく膨張し始めているのがはっきりと分かった。
「ちょっ、バカ! あほか! まー待って! こんな体勢だけど、少し聞いて……っ!」
慌ててマヤの胸板を両手で押しとどめ、クレマンティーヌは彼のごつごつとした背中に腕を回し、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……私も、お前と出会った時さ、いらだってたろ? あれさ、人類を守る『漆黒聖典』っていう組織にいながら、同族を暗殺してばかりの矛盾に、私自身が壊れかけてたんだよ」
マヤの体温を肌で感じながら、彼女は過去の自分を振り返る。
「自分が人を殺してる時、どんな顔をしてたかなんて、もう覚えちゃいない。今日の亜人みたいに笑ってたのかもしれない。……マヤが、私に色んなものを捨てさせてくれた。無理して化け物のフリをする必要なんてないって……一緒に居ることで、安心を得られたんだ」
クレマンティーヌは、胸に埋まったマヤの頭を、愛おしそうに撫でた。
「お前、初めて会った時、本当に変態だと思ったぞ。……でも、あの時から、お前も事情があったんだな。今聞いて、あの時お前が『人の温もりがほしい』って泣きそうだったのが、痛いほど分かるよ」
同族を殺し、修羅の業を抱えた彼が、どれほど孤独だったか。
「マヤに抱かれて、その温もりを感じるとすごくいい。マヤが私の『笑顔』にこだわるのも分かる。……私も、マヤの笑顔が好きだからさ」
静かな寝室に、風の音だけが優しく流れる。
互いの最も深い傷と記憶を、互いの体温で溶かし合い、全肯定する。
マヤは彼女の首筋から顔を上げ、潤んだ深紅の瞳で、ベッドに沈む真紅の戦乙女を見つめた。
「……ありがとう、クレマンティーヌ。本当に、愛してる。……お前がいないと、俺はダメなんだ」
素直すぎるほどの愛の言葉。
それに、クレマンティーヌは頬を真っ赤に染めながら、不敵に、そしてこの上なく幸せそうに笑った。
「……それ、前にも言った。本当だったんだな。……なんか、うん。悪くない」
彼女は自ら腕を伸ばし、マヤの首に絡みついた。
そして、彼を自分の方へと強く引き寄せる。
「私も、いないとやだ。……愛してる」
クレマンティーヌが上を向き、自らマヤの唇を塞いだ。
それは、先ほどの獣のような飢餓感に満ちたキスとは違う。互いの魂を確かめ合い、慈しみ合うような、どこまでも深く、甘く、優しい口付けだった。
夜はまだ明けない。
重なり合う二つの影は、過去のすべての罪と悲しみを溶かし合うように、再び熱く、濃厚に蕩け合っていった。