いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第20話:練度の向上

東部防衛線におけるあの大規模な亜人襲撃から、およそ三ヶ月の月日が流れていた。

かつては絶え間ない緊張と恐怖に支配され、兵士たちの顔から生気が失われていた長城の砦は、今や見違えるような活気に満ちていた。

 

「左翼、展開が遅い! 盾の隙間を埋めろ!」

「後衛、射線の確保よし! いつでもいけます!」

 

快晴の空の下、砦に併設された練兵場には、気合に満ちた号令と武具がぶつかり合う乾いた音が響き渡っている。

聖騎士団は、もはや「悪を憎み、無謀な突撃を繰り返す狂信の集団」ではなかった。マヤが叩き込んだ生存優先の戦術と、幾度もの実戦を経て練り上げられた連携。そして何より、仲間を守るという揺るぎない誇りが、彼らの動きを極めて合理的で洗練されたものへと昇華させていた。

 

その練兵場の中心で、ひときわ激しい土煙を上げている一角があった。

 

「あっはははは! なんだよなんだよ、そんなにノロくて私に当たると思ってんのかぁ!?」

 

真紅のチャイナドレスを翻し、残像すら置き去りにする速度で練兵場を駆け回っているのは、クレマンティーヌだった。

両手に直剣とナイフを構えた彼女は、まるで羽虫でも弄ぶかのような軽薄な笑い声を上げながら、正面から迫る刃を紙一重で躱し、同時に背後からの狙撃をナイフの柄で軽々と弾き落としていた。

 

「くっ……! ネイア、下がりすぎだ! 私が踏み込むタイミングで牽制を入れろ!」

「はい、団長ッ!」

 

クレマンティーヌを二対一で包囲しているのは、レメディオスとネイア・バラハの二人である。

かつてのレメディオスであれば、クレマンティーヌの挑発にまんまと乗り、怒りに任せて聖剣を振り回していただろう。だが今の彼女は、驚くほど冷静だった。大盾を構えてクレマンティーヌの死角を限定し、自らが壁となることで、後衛のネイアに完璧な射線を提供している。

 

ヒュッ、と鋭い風切り音が鳴る。

ネイアの放った矢が、クレマンティーヌが回避するであろう未来位置を正確に捉えて飛来した。

 

「おっとぉ?」

 

クレマンティーヌは空中で身体を捻り、スレスレでその矢を躱す。

だが、ネイアの攻撃は一の矢では終わらない。彼女が着地する瞬間の硬直を狙い、すでに二の矢、三の矢が放たれていた。バザーから譲り受けたマジックアイテム『亀の甲羅』を身に纏ったネイアは、防御への不安が消えたことで、完全に攻撃と観測に思考を特化させていた。その三白眼は、戦場を俯瞰する鷹のように鋭く研ぎ澄まされている。

 

「へぇ……ッ!」

 

クレマンティーヌは舌打ちをし、直剣を高速で振るって矢を叩き落とす。

そのわずかな隙を、レメディオスが見逃すはずもなかった。

 

「シィッ!」

 

踏み込みと共に放たれた、聖剣の重い一撃。

 

「甘いんだよ!! どぉしてそこでタメを作るかなぁ! バカなの!?」

 

しかし、英雄領域の戦乙女はさらにその上を行く。

クレマンティーヌはレメディオスの剣をナイフで受け流すや否や、がら空きになった彼女の胸当てに、靴の裏を強烈に叩き込んだ。

 

「がはっ……!」

 

吹き飛ばされるレメディオス。そこにすかさずネイアのカバーの矢が飛ぶが、クレマンティーヌはすでに疾風のように間合いを外し、退避していた。

 

「はい、そこまでー! あーあ、つまんない。レメディオス、お前盾の使い方分かってんのかぁ? ネイアがせっかくいい矢ぁ撃ってんのに、お前の踏み込みが鈍いから台無しなんだよ!」

 

模擬戦の終了を宣言するなり、クレマンティーヌは二人に容赦ないダメ出しを浴びせた。

人を嘲るような間延びした口調。元・漆黒聖典の第九席次としての、冷酷でサディスティックな『戦闘狂』の顔が完全に表に出ている。

 

土を払って立ち上がったレメディオスは、以前のように激昂して反論することはなかった。彼女は軽く息を吐き、自らの剣と盾の構えを静かに見直す。

 

「……申し訳ない、ネイア。私の踏み込みが甘かった。聖剣の一撃の重さに気を取られ、お前が作ってくれた隙を無駄にしたな」

「い、いえ! 私の方こそ、もっと早く次弾を装填できていれば……!」

 

自身の非を的確に分析し、素直に部下へ詫びるレメディオス。その姿は、感情に振り回されていたかつての彼女とは別人のような、真の指揮官としての貫禄を備え始めていた。

クレマンティーヌは呆れたように肩をすくめたが、その三白眼の奥には、わずかながらも確かな評価の色が浮かんでいた。

 

「……ま、三ヶ月前に比べたら、ずいぶんと『マシ』になったじゃない。二人とも、少しは自分の役割ってやつが分かってきたみたいだねぇ。特にネイア。あんたの二発目、なかなか嫌らしい軌道だったよ」

 

ぶっきらぼうで、上から目線の言葉。

だが、それが彼女なりの不器用な賞賛であることを、二人はすでに理解していた。ネイアはパァッと顔を輝かせ、騎士としての最上級の敬礼で応える。

 

「あ、ありがとうございますッ! クレマンティーヌ様!」

「様って呼ぶなむず痒い! あーもう、汗かいた。戻るぞ」

 

照れ隠しのように手をヒラヒラと振りながら、クレマンティーヌは練兵場に特設された、豪奢な日除けの天幕へと歩いていく。

そこは、王都から視察に訪れた聖王女カルカと、神官長ケラルトのための専用の観覧席だった。上質な椅子に腰掛ける二人の傍らで、マヤだけは天幕の支柱に気怠げに寄りかかっている。

 

「マァヤァー。終わったよー」

 

先ほどまでの冷酷な教官の顔はどこへやら。

天幕に入った瞬間、クレマンティーヌの声は砂糖を煮詰めたように甘く、デレデレのものへと変貌した。彼女は一切の躊躇いなくマヤの隣へ寄り添い、その太い腕にギュッと抱きつく。

 

「お疲れさん。よく動いてたな」

「んふふ〜。マヤが見てるから頑張っちゃった。ね、喉渇いた。水」

「はいはい」

 

マヤが手渡した革の水袋を、クレマンティーヌは嬉しそうに両手で受け取って口に運ぶ。

そのあまりにも極端なギャップを見つめながら、ケラルトは細い指を口元に当て、深い思案の表情を浮かべていた。

 

「(……恐ろしいものです。あのお強い聖女様が、ただ一人の男のためにここまで牙を抜かれるとは。ですが……)」

 

ケラルトの視線は、クレマンティーヌから、練兵場で互いの動きを笑い合いながら確認し合う聖騎士たちへと移った。

 

「(……今の彼女は、我が国の騎士たちにとってまごうことなき『戦乙女』であり『聖女』。そして騎士団の連携も、姉様が冷静な判断力を手に入れたことで、かつてない高みに到達している。この戦力があれば……長年の懸案だった亜人の残党狩り、いや、完全なる東部平定すらも確実に成し遂げられる)」

 

冷徹に盤面を計算する妹の横で、カルカはただ純粋な感動に胸を打たれ、ふわりと温かい微笑みを浮かべていた。

 

「マヤ殿。貴方は、本当にすごいお方ですね」

 

カルカは王女としての威厳を保ちつつも、その声には偽りのない深い感謝が滲んでいた。

 

「以前の騎士団は、正義のために死ぬことを誇りとしていました。ですが今の彼らは、仲間と共に生き抜き、そして守り抜くために戦っている。あんなにも明るく、頼もしい彼らの顔を見たのは……私が王に即位して以来、初めてのことかもしれません」

 

カルカの視線の先では、休憩に入った聖騎士たちが、互いの水筒を回し飲みしながら快活な笑い声を上げていた。死の恐怖に怯えていた頃の暗い空気は、もう微塵も残っていない。

 

マヤは天幕の柱に寄りかかったまま、気怠げに頭を掻いた。

 

「あいつ、戦闘に関してだけは前の性格が抜けきってねぇんだわ。口も態度も悪くて勘弁な。……でもまぁ、殺し合いの技術を教えるのに、綺麗事並べても仕方ねぇだろ?」

 

マヤは腕に抱きついているクレマンティーヌの赤い髪を、ぽんぽんと乱暴に撫でた。

 

「別に俺は、感謝されるような大層なことはしてねぇよ。俺はただ、こいつや、お前らみたいな連中が……変な顔して泣くより、馬鹿みたいに笑ってる方がマシだと思ってるだけだ。そのために必要な準備をさせただけのことさ」

 

その飄々とした、それでいてどこか遠くの世界の悲しみを知っているような優しい赤い瞳。

カルカは静かに立ち上がり、マヤと、彼に寄り添うクレマンティーヌに向けて深く頭を下げた。一国の女王としてはあり得ない、最大級の労いの礼であった。

 

「その準備が、我が国を救ってくれたのです。……本当に、ありがとうございます」

 

初夏の爽やかな風が、天幕を揺らす。

鉄壁の要塞と化した東部防衛線。彼らの練度は今や頂点に達し、長きにわたる亜人との戦いは、いよいよ次なる段階――完全なる討伐作戦へと移ろうとしていた。

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