いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
王都の目抜き通りは、かつてないほどの活気と笑顔に満ち溢れていた。
東部の亜人を完全に平定し、国家の憂いが消え去った聖王国。その経済の中心である市場には、復興と平和を謳歌する民衆たちの明るい声が響き渡っている。
そんな喧騒の中を、マヤとクレマンティーヌは肩を並べて歩いていた。
誰も血を流さず、誰の命も狙われない、完全なるオフ。かつては暗殺者として影の中だけを歩いてきたクレマンティーヌにとって、こうして白昼堂々と、ただの女として買い食いをしながら市場を歩くなど、想像すらしたことのない時間だった。
ふと、クレマンティーヌの足がとある露店の前で止まった。
そこは、庶民向けのささやかな装飾品を扱う宝石商の屋台だった。彼女の視線の先には、何の魔法的付与も施されていない、ごくごくシンプルな二つのゴールドリングが並んでいる。
「……ん? 欲しいのか?」
「えっ? あ、いや……違う! 別に欲しかったわけじゃなくて、ただ、その……」
珍しく図星を突かれたように慌てるクレマンティーヌ。彼女の纏う『傾城傾国』からすれば、まるで釣り合わない安物だ。しかし、彼女が「指輪」というものにどんな憧れを抱いていたのか、マヤには痛いほど分かっていた。
「親父さん、これ、ペアでもらうわ。サイズ合わせてくれるか?」
「へっ? あ、はいよ! 聖女様と旦那様に買っていただけるなんて光栄です!」
マヤは事もなげに硬貨を弾き、呆然としているクレマンティーヌの左手を取った。
そして、その薬指に、夕日のように輝く小さな金の指輪をそっと嵌める。
「……今まで、買い忘れてたっていうか、タイミングがなくてよ」
マヤが照れくさそうに頭を掻きながら、自分自身の左手にも同じ指輪を嵌めた。
その不器用で、けれど何よりも温かい愛情の証明に、クレマンティーヌは顔を真っ赤にして俯き、目尻に浮かんだ涙を必死に誤魔化すように彼の腕にギュッと抱きついた。
「……バカ。遅いんだよ、ほんと……」
***
その数時間後。王城の最上階に設けられた白亜のテラス。
そこには、極上の茶菓子を囲みながら優雅な午後を過ごす、聖王女カルカ、神官長ケラルト、聖騎士団長レメディオス、そして従者として控えるネイアの姿があった。
「お待たせー。いやあ、王都の市場もすっかり活気を取り戻したな」
マヤとクレマンティーヌが合流し、テラスの椅子に腰掛ける。
その時、目ざといカルカが、クレマンティーヌの左手でキラリと光る真新しい指輪に気づき、パァッと顔を輝かせた。
「まあ! クレマンティーヌ様、その指輪……!」
「えっ、あ、これ? その、さっき市場でこいつが急に買ってきて……」
「素晴らしいですわ! 質素でありながら、お二人の絆を示す何よりの証。お羨ましい限りです!」
カルカが自分のことのように喜び、レメディオスも「おお、ついに形にされたか!」と我が事のように膝を打つ。ネイアに至っては、感動のあまり拝むように両手を合わせている。
平和で温かいお披露目の時間。
だが、マヤが不意にクレマンティーヌの左手を取ったことで、その「新世界の常識」は木端微塵に粉砕されることになる。
「ん? なんだよ、急に手なんか握って」
少し警戒するクレマンティーヌに、マヤは「ちょっと待ってろ」と告げた。
次の瞬間、マヤの右手が淡い緑色の光に包み込まれ、それがクレマンティーヌの指輪へとスッと吸い込まれていった。ほんの数秒の出来事である。
「ほいよ」
「……え? なにこれ、お前なにしたんだよ!?」
「何って? 俺さ、治癒魔法みたいなの使えるんだわ。だから、それをこの指輪に込めた。怪我の自動回復(HPリジェネ)と、少しだけ守護っぽいバフが出るよ? もっとすごいのもできるけど、お前怒るだろ? だから、これくらいならいいかなって……」
マヤの軽い口調に、クレマンティーヌは青ざめて立ち上がった。
「いいかなじゃないよ!! お前、自分が何したか分かってないだろ!? 魔法付与(エンチャント)を無詠唱で、しかも永続効果で!? お前、この指輪が今いくらになったと思ってんだ!!」
「え? そうなの?」
唖然とするマヤ。だが、それ以上に凄まじい反応を示したのは、この世界の魔法の常識を熟知しているカルカとケラルトだった。
「ちょ、ちょっと待ってください……ッ!」
ガタンッ! と、ケラルトが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、ワナワナと震えながらクレマンティーヌの指輪を凝視した。
「今……ただの装飾品の指輪に、無詠唱で魔法を付与したのですか!? しかも、永続的な高位治癒と守護を……!?」
「そんなこと、帝国首席魔導師ですら不可能ですわ! いえ、それ以前にこれは……第七位階魔法にすら匹敵する神の御業……!!」
新世界において、魔法のスクロール一本ですら庶民には手の届かない高価な代物である。永続効果を持つ高位のマジックアイテムともなれば、国宝に指定されてもおかしくない。それを、この男は息を吐くようにやってのけたのだ。
だが、クレマンティーヌは頭を抱えながらも、ふと冷静に分析した。
「……いや待てよ。HP回復が第六位階クラスで、守護が第五位階クラス……なんだこの指輪は!・・・でも・・ありがとう。」
そんな大騒ぎの中、一部始終をキラキラした目で見ていたレメディオスが、自身の腰に提げた四大聖剣の一つ『サファルリシア』を鞘ごとテーブルにドンッと置いた。
「マヤ殿!! もしや、私のこの聖剣にもそのような奇跡の付与ができるのだろうか!?」
「姉様!? 軽々しく国宝を差し出さないでください!」
「ん? ああ、聖剣ね。激戦続きでだいぶ刃こぼれしてガタきてたよな。いいぜ、もうちょい属性強化してやろうか」
マヤは国宝を無造作に受け取ると、鞘から少しだけ抜いて刃を見つめ、首を傾げた。
「なあ、これ何がいいんだ? ただのアンデッド特効と、抜いたら無駄にピカピカ光るだけか? 他の国にはもっとすげぇ剣とかないの?」
「有名なものとしては、隣国リ・エスティーゼ王国の戦士長が持つ国宝『レイザーエッジ』があります」
と、ケラルトが震える声で解説する。「いかなる魔法的な防御や耐性も無視して、必ず対象を切り裂くという理外の剣ですわ」
「へぇ、防御突破か。面白いな」
マヤはニヤリと笑うと、指先をトントンと聖剣の柄に叩きつけた。
「よし、じゃあ元の『切れ味アップ』と『アンデッド特効』はそのままで、そのレイザーエッジクラスの『防御突破』を足そう。あと、お前すぐ突っ込むから攻撃するたびに傷が治る『体力回復』と、どれだけ無茶しても折れない『絶対不壊』もつけとくな」
「な、ななな……」
「体力回復に不壊、さらに防御突破の聖剣……!? そ、そんな神話級の武器が……!」
カルカとケラルトが過呼吸を起こしかける。
しかし、マヤの無自覚な暴走は止まらなかった。
「うーん、でも聖剣って見た目のインパクト足りねぇよな。よし、抜いた瞬間に『漆黒のモヤ』がバァーッと溢れ出て、触れたものを黒い炎で燃やし尽くすとかどうだ? かっこよくね?」
「それ完全に『魔剣』だろうがバカ!!!」
すかさず、クレマンティーヌの容赦ない鉄拳がマヤの頭に炸裂する。
「いってぇ! なんだよ、黒いモヤかっこいいだろ!」
「中二病か! なんで聖剣から漆黒のオーラが出るんだよ! 相手よりお前が悪役に見えるだろ! 国宝を呪いの装備にする気か!!」
「ちぇっ。黒いモヤ、出したかったのによ……。分かったよ、じゃあ妥協して、抜いたら前より三倍くらい神々しく光るようにしとくわ」
そう言って、マヤが聖剣に淡い光を流し込む。数秒後。
「へい、一丁上がり。名付けて『聖剣サファルリシア2号』だ」
「「「2号!?」」」
カルカ、ケラルト、クレマンティーヌの声が見事にハモった。
「国宝の聖剣になんて安易な名前を……!」とケラルトが頭を抱えるが、当の持ち主であるレメディオスは、柄を握りしめてウンウンと深く頷いていた。
「なるほど! 1の次は2! 非常に分かりやすくて素晴らしい名前だ、マヤ殿!!」
「そこ納得すんのかよこの脳筋団長は!!」
クレマンティーヌの鋭いツッコミがテラスに響き渡る。
かくして、防御無視・アンデッド特効・体力吸収・絶対不壊を備え、抜刀すると無駄に眩しく光るという、新世界のバランスを単機で崩壊させる神話級武装『サファルリシア2号』が、爆笑と混沌の中でひっそりと誕生したのだった。
***
その日の深夜。
祝宴と騒動を終え、月の光だけが差し込む静かな寝室。
分厚い布団の中で、クレマンティーヌはマヤの広い胸に抱かれながら、左手の薬指で淡く、そして温かく光る指輪を愛おしそうに見つめていた。
「……やっぱり、お前はデタラメだ」
「悪かったよ。でも、どうしてもお前にお揃いの指輪、俺の力で守れるようにしたかったんだよ」
マヤの真っ直ぐな言葉。昼間の凱旋パレードでもそうだったが、この男は、圧倒的な力を持つくせに、こうした純粋な愛情や感謝を伝える時だけ、ひどく不器用で初心な顔をする。
クレマンティーヌは、マヤの赤い瞳をじっと見つめた。
暗闇の中、ただ無言で彼の魂の奥を覗き込むように。
「……な、なんだよ」
「…………」
「おい、クレマン。そんなじっと見んなって」
照れ隠しで目を逸らすマヤの顔を見て、クレマンティーヌは底抜けに明るく、この世界で一番幸せな女の笑顔を咲かせた。
「やっぱりだ。お前、私には絶対勝てないな」
「うるせぇ。……お前が可愛すぎるのが悪いんだろ」
クレマンティーヌは自ら布団の中に潜り込み、マヤの首に腕を絡ませて、その唇に甘く口付けた。
「愛してるよ、まぁ〜や?」
「……俺もだ。愛してる、クレマン」
誰の脅威にも怯えることのない極上の平和。左手で光る温かい指輪の感触を確かめ合いながら、二人は深い幸福の眠りへと落ちていった。