いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
吹き抜ける初夏の風が、王城の最上階に設けられた白亜のテラスを心地よく通り抜けていく。
眼下に広がる聖王国の王都は、亜人討伐の完全なる平定から数週間が経過した今もなお、復興と平和を謳歌する活気に満ち溢れていた。誰の命も脅かされることのない、穏やかな日常。
そんな極上の平和を象徴するかのように、テラスには優雅なティータイムの設えが用意されていた。
「……というわけで、隣国の王都リ・エスティーゼが、とんでもない事態に見舞われたらしい」
瀟洒な白いテーブルを囲む聖王国首脳陣――聖王女カルカ、神官長ケラルト、聖騎士団長レメディオス、そして従者のネイアを前に、真紅のチャイナドレスを纏ったクレマンティーヌが、手元の羊皮紙をパラリと捲りながら報告を告げた。
かつては暗殺者として闇に生きた彼女だが、今や聖王国における『聖女』としての絶対的なカリスマだけでなく、諜報網の構築という裏の顔においても、その卓越した手腕を振るっていた。
「『ヤルダバオト』と名乗る強大な悪魔の軍勢が突如として王都に現れ、炎の壁で都市を分断。瞬く間に街を火の海に変えたそうだ。最終的には、アダマンタイト級冒険者の『青の薔薇』と、突如として現れた漆黒の戦士『モモン』なる人物の活躍によって悪魔は撤退したそうだが……王都の被害は甚大らしいね」
クレマンティーヌの報告に、テラスの空気が微かに張り詰めた。
レメディオスが眉間に深い皺を寄せ、テーブルに置かれたティーカップを強く見つめる。
「なんと恐ろしい……。悪魔の軍勢だと!? それがもし、この聖王国に向かっていたとしたら……。我が国も対岸の火事として済ませるわけにはいかない。すぐに長城の警備をさらに強化し、未知の悪魔に対する対抗策を練らねば!」
「落ち着きなさい、姉様。悪魔はすでに退けられたのです。それに……」
ケラルトが静かに姉を制し、カルカへと視線を向ける。カルカは、不安を感じさせない、どこまでも穏やかで美しい微笑みを浮かべていた。
「そうですね。隣国の惨状には深く胸を痛めますし、支援の準備も進めるべきでしょう。ですが……今の我が国には、決して揺るがない絶対の守りがありますから」
カルカの視線は、クレマンティーヌと、その隣で退屈そうにお茶請けのクッキーをかじっている赤髪の青年――マヤへと向けられていた。
彼らがいる限り、亜人だろうが悪魔だろうが、この国が脅かされることは絶対にない。その絶対的な信頼が、聖王国の首脳陣から一切の恐怖を拭い去っていた。
そんな重苦しいはずの会議の空気を読んでいるのかいないのか、当のマヤはクッキーの欠片を口元から払いながら、報告書の「ある一点」にだけ強い興味を示して身を乗り出した。
「なぁなぁ、それよりさ。さっきの報告書の最後のとこ。その『青の薔薇』って冒険者のメンバーが、悪魔との戦いで2名死亡したけど、蘇生魔法で生き返ったって書いてなかったか?」
「ええ、そのようですが……?」
「……えっ、この世界って死んでも蘇生できんの!? マジでかー!」
素っ頓狂な声を上げるマヤ。そのあまりにも軽い反応に、ケラルトが訝しげに目を細めた。
「……はい? ええ、第五位階魔法『死者復活(レイズ・デッド)』ですね。私も使えますが……対象の生命力を著しく消費し、場合によっては蘇生に耐えきれずに灰と化してしまうこともある、莫大な代償と奇跡を伴う御業ですわ。……それがどうかされましたか?」
「あー、なるほど。生命力の消費か。やっぱりそれなりのリスクはあるんだな。そりゃそうか」
マヤは一人でウンウンと深く頷きながら、納得したように紅茶を啜った。
彼の頭をよぎっていたのは、かつて自身が身を置いていた世界の記憶だ。死者を蘇らせる『穢土転生』には生きた人間の贄が必要であり、『輪廻天生』は術者自身の命と引き換えになる。命を弄ぶ術には、必ず重すぎる代償が伴うのが世界の理だ。
「俺の知ってる蘇生術なんてさ、術者自身の命と引き換えだったり、誰かを生贄にしなきゃならなかったり、ロクなもんじゃなかったからさ。魔法で生命力を減らすだけで生き返れるなら、ノーリスクみたいなもんじゃん。なんだ、案外便利にできてんだな」
「「「…………」」」
生命力を著しく削り、場合によっては灰になるという新世界の常識を「ノーリスクみたいなもん」と笑い飛ばすマヤに、カルカやレメディオスは言葉を失った。
さらにマヤは、悪びれる様子もなくとんでもないことを口走り始める。
「じゃあ今度から、誰か死んでもチャチャッと注文する感じでケラルトにお願いしていい? まあ、俺も自分の命も削らずにノーリスクで完全蘇生させるくらいならできるけどさ。この前やろうとしたら、クレマンが『常識壊れるからやめろ』って怒るからよー。お前らが普通にできるなら、俺がやらなくても安心だなーって!」
まるで「今度、出前頼んでいい?」とでも言うような、命の価値観がバグり散らかした軽口。
カルカとケラルトは、「ノーリスクで完全蘇生」という神の領域すら超越したワードに白目を剥きかけ、持っていたティーカップをカタカタと震わせた。
だが、それ以上に素早い反応を見せた者がいた。
「……お前なぁ……」
ピキキキキッ、と。
クレマンティーヌのこめかみに、見事な青筋が浮かび上がった。
「バカヤロウがッ!!」
ズゴォォォォンッ!!
次の瞬間、真紅のチャイナドレスが宙を舞い、美しい放物線を描いたクレマンティーヌの容赦ない踵落としが、座っていたマヤの脳天にクリーンヒットした。
「あべっ!?」
「お前そこなの!? 隣国が滅びかけたって話の裏で、どんだけ常識外れなこと言ってんだ! 命の価値観がぶっ壊れてんだよお前は!!」
「いってぇ! なんだよ急に! 魔法の理屈に感心してやっただけじゃねぇか!」
頭を押さえてしゃがみ込むマヤの襟首を掴み、クレマンティーヌがガクガクと激しく揺さぶる。
「第一な! 死地を乗り越えてきた連中の蘇生を『チャチャッと注文』とか言うな! お前のその『えっマジで?』の基準がそもそもおかしいんだよバカ!」
「えー、でもさぁ。一回死んで生き返るってどんな感じなんだろうな? ちょっと興味あるわ。今度その『青の薔薇』って奴らに会いに行って、『死んで生き返るのってどんな気分?』って話聞いてみようぜ。魔法の感想としてさ」
まったく懲りていない、果てしなく無神経な提案。
クレマンティーヌは絶望的な表情で天を仰ぎ、そのままマヤの首をプロレス技のように締め上げ始めた。
「デ・リ・カ・シ・ー・が・な・い!! インタビュー感覚で他国の英雄に失礼なこと聞きに行くなバカ! カルカ、こいつ絶対隣国に出すなよ! 無自覚に最悪の外交問題起こすからな!」
「あいたたた! わかった、わかったって! 行かねぇよ! 降参、降参!」
ジタバタと暴れる規格外の夫と、彼を完璧に制圧する聖女様。
その、あまりにも日常的で平和すぎるドタバタ劇に、毒気を抜かれたカルカたちは、顔を見合わせてクスリと吹き出した。
「ふふっ……あははは! 本当に、マヤ殿とクレマンティーヌ様は仲がおよろしいですね」
「ええ。隣国には災厄が降りかかったというのに、我が国がこうして笑っていられるのは、間違いなくお二人のおかげですわ」
ケラルトも、呆れながらも温かい目で二人を見守っている。
外の世界では、国を揺るがす未曾有の災厄と陰謀が渦巻いている。だが、その嵐がこの箱庭に届くことはない。ここにあるのは、一人の規格外の男と、彼に寄り添う真紅の戦乙女が守り抜いた、呆れるほどに平和で、騒がしくて、極上の――笑顔の絶えない日常だけだった。
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だが、光が強ければ強いほど、世界に落ちる闇もまた、深く濃いものとなる。
聖王国の空が青く澄み渡っていたその頃。世界の裏側――絶対的な絶望を孕んだ深淵の底で、それは静かに胎動を始めていた。
ナザリック地下大墳墓、第十階層。
陽の光など一片も届かない、静寂と絶対の忠誠に支配された広大な『玉座の間』。
王都での大規模な作戦――『ゲヘナ』を完璧な形で終え、この地下墳墓の絶対的支配者であるアインズ・ウール・ゴウンは、世界級アイテムである『王座』に深々と腰を下ろしていた。
純白の骸骨の顔。豪華絢爛な漆黒のローブ。
その御前には、ナザリックの最高戦力たちが一堂に会し、身動き一つせず深く頭を垂れている。
階層守護者統括、アルベド。
第七階層守護者にして、今回の作戦の立案・実行者たる大悪魔、デミウルゴス。
第一から第三階層を統べる吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールン。
第五階層の凍河の支配者、コキュートス。
第六階層を守護する双子のダークエルフ、アウラとマーレ。
そして彼らの後方には、鋼の執事セバス・ティアンを筆頭に、ユリ、ルプスレギナ、ナーベラル、シズ、ソリュシャン、エントマら『プレアデス』の戦闘メイドたちが、冷徹な殺意と絶対の忠誠を秘めて整列していた。
張り詰めた空気の中、アインズがゆっくりと立ち上がる。
その動き一つで、空間そのものが震え上がるような、圧倒的な死の気配が玉座の間に満ちた。
「機は熟した」
深淵の底から響くような、重く、絶対的な支配者の声が下される。
平伏する守護者たちの肩が、歓喜と畏敬に微かに震えた。
「王都における布石は、デミウルゴスの働きにより完璧に完了した。これにより、我らがナザリックの名と力は、この未知なる世界に確かな楔として打ち込まれた」
アインズは、玉座の階段から階下の配下たちを冷厳に見下ろした。
内心では(や、やっと胃の痛い計画が終わった……デミウルゴス、本当に丸投げしてすまなかった……)と凡人としての安堵を抱いていたが、その態度には一片の隙も、迷いもない。
彼は今や、誰が見ても疑いようのない『絶対の覇王』としての威厳を完全に身に纏っていた。
「アルベド、デミウルゴスをはじめとする守護者たち。そしてセバス、プレアデスよ。これより我々は、さらなる段階へと進む」
アインズは右手をゆっくりと高く掲げ、闇に閉ざされた世界の果てを掴み取るように、その骨の指を力強く握りしめた。
「この世界に、我ら『アインズ・ウール・ゴウン』の絶対なる力を、永遠の恐怖と畏敬と共に刻み込むのだ。――これから、本格的に動くぞ」
「「「御意!! 至高なる御方のために!!」」」
全NPCが、狂信的な熱を帯びた声で一斉に呼応した。
悪魔が、吸血鬼が、魔獣が。世界を滅ぼすに足る神話級の怪物たちが、たった一人の主のためにその身を捧げ、大地に額を擦りつける。
その荘厳で恐ろしく、そしてどこまでも美しい光景を見下ろしながら。
死の王の漆黒の眼窩の奥底で。
世界を呑み込む果てしない野望を示すように、真紅の光のモヤが、鋭く、禍々しく――キラーン、と怪しく輝いた。
決して交わるはずのない二つの規格外。
片や、笑顔と平穏を守り抜いた無自覚な神鬼。
片や、絶望と狂信を率いて世界を蹂躙せんとする不死者の王。
彼らの歩む道が、いつか同じ盤面で交差する日が来るのか。それはまだ、誰も知らない。
(第一部 完)