いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
第二部 第1話:死の探求者と、大仰なる復興支援団
吹き抜ける初夏の風が、ローブル聖王国の王城、その最上階に設けられた白亜のテラスを心地よく通り抜けていく。
眼下に広がる王都の街並みは、亜人討伐の完全なる平定から数週間が経過した今もなお、復興と平和を謳歌する活気に満ち溢れていた。市場からは人々の笑い声が絶えず、城壁の警備に立つ兵士たちの顔にも、かつてのような死の恐怖に怯える暗い影はない。
誰の命も理不尽に奪われることのない、穏やかで絶対的な日常。
そんな極上の平和を象徴するかのように、テラスには優雅なティータイムの設えが用意されていた。
「……というわけで、隣国の王都リ・エスティーゼが、とんでもない事態に見舞われたらしい」
瀟洒な白いテーブルを囲む聖王国の首脳陣――聖王女カルカ、神官長ケラルト、そして護衛として控える従者のネイア・バラハを前に、真紅のチャイナドレスを纏ったクレマンティーヌが、手元の羊皮紙をパラリと捲って報告を告げた。
かつては暗殺者として闇に生きた彼女だが、今や聖王国における『聖女』としての絶対的なカリスマだけでなく、諜報網の構築という裏の顔においても、その卓越した手腕を振るっていた。
「『ヤルダバオト』と名乗る強大な悪魔の軍勢が突如として王都に現れ、炎の壁で都市を分断。瞬く間に街を火の海に変えたそうだ。最終的には、アダマンタイト級冒険者の『青の薔薇』と、突如として現れた漆黒の戦士『モモン』なる人物の活躍によって悪魔は撤退したそうだが……王都の被害は甚大らしいね」
クレマンティーヌの報告に、テラスの空気が微かに張り詰めた。
「なんと恐ろしい……。悪魔の軍勢ですか」
カルカが眉をひそめ、胸元で両手を組む。
「隣国の惨状には深く胸を痛めます。幸い、我が国はこれ以上ないほどに安定していますから、すぐにでも支援の準備を進めるべきでしょう」
カルカの視線は、クレマンティーヌと、その隣で退屈そうにお茶請けのクッキーをかじっている赤髪の青年――マヤへと向けられていた。
彼らがいる限り、亜人だろうが悪魔だろうが、この国が脅かされることは絶対にない。その絶対的な信頼が、聖王国の首脳陣から一切の恐怖を拭い去っていた。
そんな重苦しいはずの会議の空気を読んでいるのかいないのか、当のマヤはクッキーの欠片を口元から払いながら、報告書の「ある一点」にだけ強い興味を示して身を乗り出した。
「なぁなぁ、それよりさ。さっきの報告書の最後のとこ。その『青の薔薇』って冒険者のメンバーが、悪魔との戦いで二名死亡したけど、蘇生魔法で生き返ったって書いてなかったか?」
「ええ、そのようですが……?」
「……えっ、この世界って死んでも蘇生できんの!? マジでかー!」
素っ頓狂な声を上げるマヤ。そのあまりにも軽い反応に、ケラルトが訝しげに目を細めた。
「……はい? ええ、第五位階魔法『死者復活(レイズ・デッド)』ですね。私も使えますが……対象の生命力を著しく消費し、場合によっては蘇生に耐えきれずに灰と化してしまうこともある、莫大な代償と奇跡を伴う御業ですわ」
「あー、なるほど。生命力の消費か。やっぱりそれなりのリスクはあるんだな。そりゃそうか」
マヤは一人でウンウンと深く頷きながら、納得したように紅茶を啜った。
彼の頭をよぎっていたのは、かつて自身が身を置いていた世界の記憶だ。
死者を蘇らせる術。
彼が知る限り、それらはすべて重すぎる代償を伴う禁忌だった。生きた人間の肉体を贄として死者の魂を縛り付ける外法や、術者自身の命と引き換えに魂を呼び戻す神の御業。
一度失われた命を取り戻すということは、世界の理に対する重大な反逆であり、命を弄ぶ術には必ず絶望的なリスクが伴う。
だが、この世界の蘇生はどうだ。
魔法で生命力を減らすだけで生き返れる。誰かを犠牲にするわけでも、術者が死ぬわけでもない。
「へー……死んだのに蘇生されると、そんな感じなんだ」
マヤの口から、無意識にそんな呟きが漏れた。
彼の目は、悪魔の脅威でも、隣国の危機でもなく、ただ純粋な『疑問』に向いていた。
そもそも、死ぬってなんだ?
死んで蘇ったとして、それは死ぬ前と全く同じ人間だと言えるのか?
魂というものは、一度肉体を離れても、魔法というシステムで引っ張られれば一寸の狂いもなく元の鞘に収まるものなのか?
「じゃあさ。その生き返った奴らって、本当に『本人』なのかな」
「マヤ殿……?」
「いや、一回死んで生き返るってどんな感じなんだろうなと思ってさ。ちょっと興味あるわ。今度その『青の薔薇』って奴らに会いに行って、『死んで生き返るのってどんな気分? 魂ズレたりしてない?』って話聞いてみようぜ」
マヤは、ごく自然な思いつきとして、そんな提案を口にした。
悪気は一切ない。純粋な哲学的疑問であり、彼なりの死生観に基づく観察欲求だった。
だが、その言葉が落ちた瞬間。
「……お前なぁ……」
ピキキキキッ、と。
クレマンティーヌのこめかみに、見事な青筋が浮かび上がった。
「バカヤロウがッ!!」
ズゴォォォォンッ!!
真紅のチャイナドレスが宙を舞い、美しい放物線を描いたクレマンティーヌの容赦ない踵落としが、座っていたマヤの脳天にクリーンヒットした。
「あべっ!?」
「お前そこなの!? 隣国が滅びかけたって話の裏で、どんだけ常識外れなこと言ってんだ! 命の価値観がぶっ壊れてんだよお前は!!」
「いってぇ! なんだよ急に! ただ話を聞きに行くだけじゃねぇか!」
頭を押さえてしゃがみ込むマヤの襟首を掴み、クレマンティーヌがガクガクと激しく揺さぶる。
「あのな! 蘇生されてきて、死の恐怖をやっと受け入れようとしてる連中に向かって『死んだ気分どうだった?』なんて聞く馬鹿がどこにいる!!」
「えー、でも気になるじゃん。俺の世界じゃそんな簡単じゃなかったし」
「いつもそれ!! ここに来る時、そういうデリカシーない発言は無しって言っただろ!!」
ジタバタと暴れる規格外の青年と、彼を完璧に締め上げる聖女。
相変わらずの光景に、ネイアは「さ、流石はクレマンティーヌ様……あの御方を物理で制圧できるなんて」と的外れな尊敬の眼差しを向けている。
「わかった、わかったって! じゃあ別に王国まで大勢で行かなくてもいいよ。俺が一人でパッと行って、サッと聞いてくるからさ」
「は……?」
「怪我してる奴らをわざわざこっちに呼ぶより、俺が行った方が早くて楽じゃん。ちょっと隣の国まで行ってくるわ」
立ち上がって服の埃を払うマヤの言葉に、クレマンティーヌは今度こそ絶望的な表情で天を仰いだ。
「……勝手に行くな!!」
「なんでだよ」
「お前、世間から自分がどう見えてるかわかってんのか!? 悪魔の襲撃直後で警戒度MAXになってる隣国の王都に、どこの馬の骨ともわからない怪しい赤髪の男が勝手に入り込んで『死んだ気分どうだった?』なんて聞いて回ってみろ! 一発で悪魔の残党かテロリスト扱いされて捕まるだろ!」
「えぇー……ただの世間話のつもりなのに」
不満そうに唇を尖らせるマヤに対し、クレマンティーヌは頭を抱えた。
こいつは本当に、世間の常識というものを一切理解していない。彼女やカルカたち「いつものメンバー」は、マヤの底知れなさをなんとなく肌で感じているが、外の世界の人間からすれば、マヤはどう見てもただの「呑気な旅人A」でしかないのだ。
「ダメだ、絶対にお前を一人でウロウロさせるわけにはいかない……。無自覚に最悪の外交問題を起こして、捕まる未来しか見えない」
「じゃあどうすんだよ。俺、どうしても気になるんだけど」
引き下がる様子のないマヤを見て、テーブルで静観していたカルカが、ふふっと優しく微笑んだ。
「でしたら、正式な使節団として赴けばよろしいのではありませんか?」
「カルカ様?」
「マヤ殿がおっしゃる通り、傷ついた隣国の方々を我が国に呼びつけるのは酷というもの。であれば、我が国から正式に『王都復興のための物資支援およびお見舞い』という名目で特使を派遣するのです。それであれば、マヤ殿が王都に入っても何ら不自然ではありませんし、王国側も歓迎してくれるはずですわ」
カルカの提案に、ケラルトも深く頷いた。
「素晴らしいお考えです、姉様。現在の我が国の余力をもってすれば、大規模な食糧やポーションの支援も十分可能です。聖女クレマンティーヌ様を特使の代表とし、マヤ殿にはその護衛として同行していただく。これならば、国家間の礼儀も通せます」
トントン拍子に進んでいく国家プロジェクト級の決定。
マヤは目を瞬かせ、頭を掻いた。
「いや、俺はただ青の薔薇って奴らに会って話聞きたいだけなんだけど……。なんかめっちゃ大ごとになってない?」
「お前が最初に言い出したんだろバカ!!」
クレマンティーヌの鋭いツッコミが、王城のテラスにこだました。
数日後。
ローブル聖王国の王都の正門前には、大量の小麦や保存食、医療用ポーションを積み込んだ数十台にも及ぶ豪奢な馬車列がズラリと並んでいた。
馬車には聖王国の国章がデカデカと掲げられ、完全武装した聖騎士たちが護衛として周囲を固めている。
「……なぁ。俺、ただちょっと隣の町まで行ってくる感覚だったんだけど」
先頭の最も豪華な馬車の中。
最高級のクッションに身を沈めたマヤが、窓の外に続く大行列を見ながら呆れたように呟いた。
「諦めろ。カルカたちがお前の暴走を公式行事に仕立て上げた結果だ」
向かいの席で、腕を組んだクレマンティーヌが深くため息をつく。
彼女の服装は、聖王国の聖女となった今でも変わらない――真紅のチャイナドレスだった。約一年前、彼女がスレイン法国から持ち出した最高至宝にして、世界級アイテム『傾城傾国』。
本来であれば厳重に封印されるべき神の遺物だが、彼女はこれを「いつもの服」として平然と身に纏っている。
『その服、なんか人の精神を弄るような嫌な気配がするから、その能力は絶対使うなよ。服として着るだけならいいけど』
マヤからそう言われているからだ。
神の遺物だと理解してはいるが、マヤの「呪うことのできるアイテムだろ? 能力使うなよ」という軽い認識に従い、彼女はただの丈夫な服としてこれを着続けている。もちろん、万が一にもその洗脳能力を使う気など微塵もない。
「はぁ……まさかこんな形で王国に行くことになるとはね。いいかマヤ、私たちはあくまで『復興支援団』だ。私の従者として連れてきてやったネイアも外で護衛してくれてるんだ。青の薔薇に会っても、いきなり失礼なこと聞くんじゃないぞ」
「わかってるって。……あー、でも王国かぁ」
マヤは馬車の窓枠に肘を突き、遠く流れる景色をぼんやりと見つめた。
青の薔薇。蘇生魔法。そして、悪魔を退けたという漆黒の戦士モモン。
「どんな奴らなんだろうな。ちょっと楽しみになってきた」
マヤの気楽な声と共に、長大な復興支援団の車列は、傷跡生々しい隣国リ・エスティーゼの王都に向けて、ゆっくりと歩みを進めていった。