いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第二部 第3話:謁見(前編)

リ・エスティーゼ王国の王城、謁見の間。

第一王子バルブロの引き起こした一触即発の空気を第二王子ザナックが間一髪で収め、場には再び、外交という名の静かで重苦しい緊張感が張り詰めていた。

 

「――以上が、我がローブル聖王国より持参いたしました、王都復興支援のための第一次物資目録となります」

 

クレマンティーヌが、手にした最上級の羊皮紙を恭しく広げ、朗々とした声で読み上げた。

その内容は、謁見の間に並ぶ王国の重鎮たちの耳を疑わせるに十分すぎるものだった。

 

数万の民を数ヶ月は養えるであろう膨大な量の小麦と保存食。

負傷者の治療に不可欠な、聖王国の神官たちが精製した高品質な治癒ポーションの数々。

さらに、焼け落ちた家屋を再建するための莫大な建築資材と、それを指揮する技術者たちの派遣。

 

読み上げが進むにつれ、ずらりと並んだ貴族たちの間から、ざわめきとも感嘆ともつかないどよめきが漏れ始めた。

玉座に座る国王ランポッサⅢ世は、その疲労に満ちた顔に深い驚きと安堵を浮かべ、震える声で口を開いた。

 

「おお……なんと、なんと慈悲深い。聖王国もまた、長きにわたる亜人の脅威に晒されていたと聞く。それにも関わらず、これほどまでの支援を我が国に賜るとは……。女王カルカ殿の寛大なる御心に、王国を代表して深く、深く感謝申し上げる」

「勿体なきお言葉。我が国が平和を取り戻せたのは、ひとえに手を取り合うことの尊さを知ったからです。隣国の危機を前に、見過ごすことなどできましょうか」

 

クレマンティーヌは、完璧な聖女の微笑みを浮かべて一礼した。

そのやり取りは、傍目には美しき隣国愛と人道支援の象徴のように映るだろう。現に、ランポッサⅢ世の目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。

 

だが、第二王子ザナックの胃の腑は、安堵どころか、さらに冷たい鉛を呑み込んだように重くなっていた。

 

(……おかしい。条件が、良すぎる)

 

ザナックは丸っこい身体に似合わぬ鋭い視線を、わずかに伏せながら思考を巡らせていた。

これほどの大規模な支援を無償に近い形で提供するなど、国家間の力学としてあり得ない。王国がこれを受け取れば、聖王国に対して莫大な「借り」を作ることになる。

いずれ関税の撤廃を求めてくるのか。あるいは、王国の領土の一部を割譲させるための布石か。最悪の場合、王国を経済的に属国化するための第一歩――。

 

(女王カルカは、そこまで覇道を進むような性格ではなかったはずだ。ならば、誰がこの絵を描いた……?)

 

ザナックの視線が、クレマンティーヌを通り越し、その後ろへ向かう。

そこには、王の御前であるにも関わらず、一切の礼をとらず、ただ退屈そうに天井の装飾を眺めている赤髪の青年が立っていた。

 

(あの男……。先ほどから一言も発していない。だが、この異常な支援内容が読み上げられても、一切驚く素振りを見せない)

 

ザナックの中で、パズルのピースが勝手に、そして最悪の形で組み上がっていく。

「動く必要がないから動かない」絶対的な強者の振る舞い。

この膨大な支援物資すら、彼にとっては盤上の歩兵を一つ動かした程度の認識に過ぎないのではないか。

もしや、彼こそが聖王国を裏で操る真の支配者であり、この支援も王国を呑み込むための彼自身の謀略なのではないか。

 

ザナックが極限まで警戒レベルを引き上げた、まさにその時だった。

 

「――それでは、細かな受け渡しにつきましては、後ほど実務の者たちと――」

「あ、そうだ王様。ちょっと聞きたいんだけど」

 

謁見が穏便に終了しようとしたその空気を、信じられないほど軽い声がぶち壊した。

 

ピリッ、と。

謁見の間の空気が一瞬にして凍りついた。

 

声の主は、赤髪の青年――マヤだった。

彼は片手を軽く上げ、まるで近所の気のいいおっさんに道を尋ねるかのような気軽さで、玉座のランポッサⅢ世に向かって言葉を投げかけたのだ。

 

あまりの不敬。そして、場違いなまでの軽薄さ。

ガゼフ・ストロノーフが反射的に剣の柄に手をかけかけ、貴族たちが息を呑む。

だが、ザナックだけは違った。

 

(……来た!!)

 

ザナックは思わず姿勢を正し、全身の毛穴から冷や汗が噴き出すのを感じた。

ついにこの底知れぬ男が自ら口を開いた。この見返りのない手厚い支援の裏にある、本当の「要求(本題)」が提示されるのだ。

 

クレマンティーヌの背中が、ビクッと硬直したのをザナックは見逃さなかった。

(……嫌な予感しかしない!!)と内心で頭を抱え、完璧な聖女スマイルの裏で血の涙を流しているクレマンティーヌの姿を、ザナックは「ついに主が動いたか」という緊張感として解釈してしまう。

 

王国の重鎮全員が固唾を飲んで見守る中、マヤは悪びれる様子もなく、ただ純粋な瞳で尋ねた。

 

「『青の薔薇』って奴ら、今どこにいんの? ちょーっと話聞きたいことがあってさ」

 

沈黙。

圧倒的な、沈黙だった。

 

ザナックの脳内で、警鐘が狂ったように鳴り響いた。

 

(…………青の薔薇だと!?)

 

一瞬で何十もの思考が駆け巡る。

ゲヘナの騒動において、悪魔ヤルダバオトと死闘を繰り広げたアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』。彼女たちは今や、王国における最強の武力であり、民衆の希望の象徴だ。

だが、その戦いの代償として二名が死亡し、蘇生魔法によって生き返ったものの、著しい生命力の低下により現在は療養を余儀なくされている。

 

(その青の薔薇の現在地を、なぜ聖王国が直接確認しようとする?)

 

ザナックの目が、マヤを射抜くように見つめる。

 

(王国の最高戦力がどれほど疲弊しているか、直接その目で確かめるためか?

いや、あるいは……王国に見切りをつけさせ、彼女たちを聖王国へ引き抜くための直接交渉(ヘッドハンティング)か!?

もし今、青の薔薇を失えば、王国の武威は完全に地に堕ちる!)

 

ザナックは、マヤの顔を見た。

そこに陰湿な企みや、獰猛な野心はない。ただ「本当に聞きたいだけ」というような、子供のように無垢で、何も考えていないような顔。

 

だからこそ、ザナックは背筋が凍った。

 

(……いや。まさか、最初からそこ(青の薔薇)を狙っていたのか?)

これほどの莫大な支援物資は、青の薔薇を差し出させるための、あるいは彼女たちと接触するための単なる「入場料」に過ぎないのではないか。

そう深読みしたザナックは、父王が口を開くよりも早く、震えそうになる声を必死に抑え込んで問い返した。

 

「……青の薔薇に、何かご用がおありでしょうか。使者殿」

「ん?」

 

マヤはザナックへ視線を向け、こともなげに答える。

 

「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」

「(やはり……!)」

「死んだときって、どんな感じだったのかなって」

 

――ザナックの思考が、完全に停止した。

 

何を言われたのか、一瞬理解できなかった。

青の薔薇の戦力を探るためでも、引き抜くためでもない。

「死んだときの感覚を聞きたい」?

 

数秒のフリーズの後、ザナックの優秀すぎる政治的思考が、その言葉の裏にある「真意」を再構築し始めた。

 

(……な、なんという残酷な男だ……!!)

 

ザナックの顔が、恐怖で蒼白に染まる。

死線を彷徨い、文字通り命を落とした者たちに向かって、その死の恐怖と痛みをわざわざ語らせる。

それはつまり、「我々がその気になれば、貴様らなどいつでも殺せる(再び死を味わわせられる)のだぞ」という、暗黙にして最悪の恫喝ではないか!

 

あるいは、死のトラウマを抉ることで、彼女たちの精神的な脆さを推し量るための高度な心理的揺さぶりか。

どちらにせよ、まともな人間の発想ではない。この男は、人の心を弄ぶことを何とも思っていない本物の怪物だ。ザナックは確信した。

 

一方、その言葉を聞いたクレマンティーヌの心中は、全く別の意味で阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 

(アアアアアこいつまた言い出した!!! だからあれほどデリカシーがないって言ったのに!! なんで外交のド真ん中でそれ聞くの!! 馬鹿なの!?)

 

顔面は引きつりそうになるのを必死の聖女スマイルで固定しつつ、クレマンティーヌは脳細胞をフル回転させた。

このままでは、マヤが「命の価値観がバグったイカレ野郎」だと思われてしまう(事実そうだが)。なんとしても、外交的なオブラートに包まねばならない。

 

王国陣営が戦慄に凍りつく中、クレマンティーヌは優雅に一歩前へ出た。

 

「……皆様、どうかご容赦くださいませ」

 

鈴を転がすような、凛とした声。

 

「彼は、未知の高度な魔法体系や、生命の神秘について、少々……ええ、極めて熱心な『学術的探求心』を持っておりまして。高位の蘇生魔法を身をもって体験されたという英雄の方々から、その奇跡の御業について、どうしても貴重な見識を伺いたいと、常々申しているのです」

 

クレマンティーヌは胸に手を当て、慈愛に満ちた瞳でザナックたちを見つめた。

(頼むから! これで誤魔化されてくれ!! そしてお前はもう二度と口を開くなバカマヤ!!)

 

その必死のフォローを聞いたザナックは、僅かに目を見張った。

 

(……なるほど。学術的探求心、か)

 

ザナックは深く息を吐き出した。

表向きは、聖王国における魔法研究の権威という名目を用意していたわけか。

だが、その目は騙されんぞ。これほど威圧感のある男が、ただの学者であるはずがない。この美しい聖女は、主の恐るべき真意を隠すために、必死に柔らかなベールを被せたのだ。

 

「……承知いたしました。聖女殿の寛大なる支援への返礼として、無下にはできません。青の薔薇のリーダー、ラキュース殿に面会が可能か、打診してみましょう」

 

ザナックが恭しく頭を下げる。

マヤは「おお、マジで? サンキュー、話のわかる奴だな!」と屈託なく笑った。

その無邪気すぎる笑顔すら、ザナックには「己の思惑通りに進んだことを喜ぶ悪魔の微笑み」にしか見えなかった。

 

「では、本日の謁見はこれまでといたす。使節団の皆様には、城内に最上級の客室を用意してある。長旅の疲れを癒やされよ」

 

ランポッサⅢ世の言葉をもって、謁見の場は締めくくられた。

恭しく一礼するクレマンティーヌとネイア。そして、最後まで頭を下げず、ただニコニコと機嫌よく手を振りながら退室していく赤髪の青年。

 

重厚な扉が閉ざされ、使節団の姿が見えなくなった瞬間。

ザナックは、それまで張り詰めていた糸が切れたように、深々と大きなため息をついた。周囲の貴族たちも、得体の知れない重圧から解放され、どっと疲労感を露わにしている。

 

「……父上。聖王国は、とんでもないものを連れてきましたな」

「うむ……」

 

莫大な支援と、底の知れない赤髪の男。

王国は今、自国の存亡に関わる未知の台風の目に巻き込まれつつあることを、ザナックは肌で感じていた。

 

そして――。

疲労に包まれる謁見の間で、ただ一人。

 

玉座の端に立つ第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフだけは、閉ざされた重厚な扉から、じっと視線を外さないでいた。

 

彼女の顔には、いつもの愛らしい、完璧な淑女の微笑みが貼り付いている。

だが、その黄金色の瞳の奥に、光はない。

 

権力欲でもなく、支配欲でもなく、悪意ですらない。

あの赤髪の男が放った「死んだときって、どんな感じだったのかな」という言葉の裏側に、彼女が唯一理解できるパラメーターである『人間の欲望』が、何一つとして見当たらなかったのだ。

 

(――――)

 

人間の欲を暴き、すべてを盤上の駒として操ってきた彼女の演算領域が、音を立てて軋んでいた。

ラナーは薄く笑みを貼り付けたまま一切の言葉を発することなく、閉ざされた重厚な扉を、ただじっと、昏い瞳で見つめ続けていた。

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