いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
数日後。
王都の一角に構築されたローブル聖王国の野営陣地は、相変わらず他者を寄せ付けない異様なほどの威圧感を放っていた。整然と並ぶ純白の天幕と、一切の隙を見せずに巡回する重武装の聖騎士たち。
その最も奥、ひときわ巨大な天幕の前に、リ・エスティーゼ王国の使節が到着した。
第二王子ザナック、第三王女ラナー、その後ろに控える純白の鎧を着た従者クライム。そして、王国が誇る最高戦力、アダマンタイト級冒険者『青の薔薇』の面々である。
リーダーのラキュースをはじめ、筋骨隆々の戦士ガガーラン、双子の忍者ティアとティナ、そして仮面で顔を隠した小柄な魔法詠唱者イビルアイ。彼女たちは療養中とはいえ、周囲の聖騎士たちに引けを取らない歴戦の気配を漂わせていた。
天幕の入り口を塞ぐように直立していたネイア・バラハが、一行の姿を認め、静かに口を開いた。
「……ラナー王女殿下、ザナック殿下、そして青の薔薇の皆様。ようこそお越しくださいました」
恭しく、しかし温度を感じさせない声。
ザナックが代表して頷き、一歩前へ出ようとしたその時、ネイアの鋭い三白眼が一行の後方――クライムへと向けられた。
「申し訳ございませんが、そちらの従者の方は外でお待ちいただけますでしょうか」
ピタリと、一行の足が止まる。
険しい顔をしたガガーランが、巨大な戦鎚(ウォーピック)を背負った肩をすくめて前に出た。
「お、おいおい……」
ガガーランは呆れたような、あるいは挑発するような笑みを浮かべる。
「ラナー王女の従者にまで、それを言うのかよ。すげーな、お嬢ちゃん!」
一国の王族の直属の護衛を、外に置いていけという要求。それは見方によっては強烈な無礼にあたる。
だが、ネイアは全く動じなかった。彼女はガガーランの巨体を見上げることなく、ただ静かに前を見据えたまま沈黙を貫く。
「…………」
その張り詰めた空気を、天幕の奥から聞こえてきた極めて軽い足音がぶち壊した。
「おいおいはこっちだろ」
分厚い布がめくられ、ラフな出で立ちの赤髪の青年――マヤが、欠伸を噛み殺しながら姿を現した。
「――なっ!?」
小柄なイビルアイが、咄嗟にマントを翻して警戒の姿勢をとる。気配もなく突如現れた謎の男に、青の薔薇の面々が一斉に視線を鋭くした。
しかしマヤは、殺気を向けられていることなど気にも留めず、イビルアイの顔を真っ直ぐに指差した。
「お前こそなんだ、その仮面」
「…………」
イビルアイの肩がピクリと跳ねる。
「うおっ、いたのかよ!?」
「ネイアの目は最高にいい目だぜ?」
驚くガガーランを他所に、マヤはネイアの隣に並び立ち、呆れたように肩をすくめた。
「お前こそ、おいおいだよ。まったく」
「貴様……!」
イビルアイが低い声で唸るが、マヤは言葉を続ける。
「うちの聖女様の護衛が外で待機してるんだ」
マヤは顎で、周囲を囲む屈強な聖騎士たちを指し示した。
「そっちの従者が誰の従者なのかは知らないけど、こっちは筋を通してるんだぞ?」
「……まあ、筋は通ってるな」
ガガーランが、あっさりと矛を収めた。
言われてみればその通りだ。聖王国の最高権力者の代理である聖女の護衛たちは、天幕の外で待機している。ならば、王国の王女の護衛だけが中に入るのは、戦力的な均衡(バランス)としておかしい。マヤの指摘は、外交的にも護衛の観点からも完全な正論だった。
イビルアイも反論の言葉を見つけられず、沈黙する。
「ネイア、よく言ったぞ!」
マヤが急に破顔し、隣のネイアを褒め称えた。
「えっ?」
「偉いぞ!」
突然の称賛に戸惑うネイアの頭に、マヤの大きな手が乗る。
「お前は聖女を守る盾でもあり、剣だからな!」
「……って、お前、射手だったな! はははは!」
マヤは自分で言った言葉に自分でツッコミを入れ、ネイアの頭をぽんぽんと無造作に撫でた。
「…………」
「ほら、胸張れ胸!」
撫で回されるネイアは、されるがままになりながらも、その凶悪な三白眼をわずかに泳がせていた。
その頃、分厚い天幕の内側。
豪奢な椅子に座り、外のやり取りを静かに聞いていたクレマンティーヌは、完璧な聖女の微笑みを貼り付けたまま、内心で盛大なツッコミを入れていた。
(うんうん、そうだね――ってなるか、ぼけ!!)
(おまえがおかしいんだよ!!)
謁見の場で見せた底知れない威圧感はどこへやら、ただの気さくな近所の兄ちゃんのような態度で他国の王族や英雄たちに絡む夫に、クレマンティーヌは頭を抱えそうになっていた。
(……まあ、「筋を通してる」ってところだけは納得だけど)
(外にマスクの奴がいるって……あれ、イビルアイか)
クレマンティーヌは紅茶のカップに口をつけながら、そっと息を吐き出した。
一方、天幕の外。
王国の第三王女ラナーは、完璧な淑女の笑みを浮かべながらも、その黄金色の瞳の奥で凄まじい混乱を起こしていた。
「…………」
(……なんなの、この人)
昨日、謁見の場に立っていたあの男と同一人物とは思えない。
昨日は一切の欲望を見せず、不気味なほどの静寂を保っていたというのに、今日の彼は部下をからかい、適当な冗談を言って笑っている。
人間としての行動原理が、全く一貫していない。ラナーの天才的な頭脳が導き出すプロファイリングを、この男は存在そのものでへし折ってくる。
(昨日とは……まるで違う)
そして、第二王子ザナックの胃の腑は、全く別の理由で削られていた。
「…………」
(やはり……)
ザナックは、冷や汗を流しながらマヤの振る舞いを観察していた。
突然現れ、完全な正論でこちらの手を縛り、直後にふざけた態度で場を和ませる。あのガガーランやイビルアイの警戒すら、見事に肩透かしを食らわせて無力化してしまった。
(昨日のあれも、何かの策略だったのか?)
ザナックが警戒を限界まで引き上げていると、マヤが再び口を開いた。
「まぁーなんだ」
マヤは首の後ろを掻きながら、ザナックたちに向き直る。
「従者は従者同士で外。なんせ、そっちには最強のアダマンタイト様が、王子と姫様についてるんだろ? こっちは聖女一名に俺だけだ」
マヤは天幕の中と、青の薔薇の面々を交互に指差した。
「過剰にもほどがあるだろ?」
「こっちが呼んだ手前はあるけど、そこはすまないな。込み入った話ってことで」
(込み入った話だと!?)
ザナックの心臓が跳ねた。
やはり、ただの復興支援の相談ではないのだ。王国の中枢に食い込むための、極秘の要求が突きつけられるに違いない。
ザナックは深く息を吸い込み、覚悟を決めたように頷いた。
「……わかった。そちらの言い分ももっともだ」
「良いな? ラナー」
「ええ。わかりました」
ラナーが優雅に微笑み、後ろに立つ従者を振り返る。
「そういうことでよろしいですね、クライム」
「はっ」
純白の鎧を着たクライムが、力強く一礼した。
そのやり取りを見ていたマヤが、ふと目を丸くした。
「え?」
「お姫様の……男の従者?」
マヤは、クライムとラナーを交互に見て、感心したように声を上げた。
「へぇー。色々あるんだね」
「可愛い顔のお姫様なのに、男の従者か~」
「ふーん」
(何かを知っているのか!?)
ザナックの背筋に、氷を当てられたような悪寒が走った。
ただの偶然か? いや、そんなはずはない。王族の姫に、どこの馬の骨とも知れない平民の男が専属の護衛としてついている異常性。そして、その裏にあるラナーの狂気。
この男は、王国が隠しているその最も歪な部分を、初見で正確に抉り出してきたのではないか。
「ま、まあ……そういうわけだ」
ザナックは必死に動揺を隠し、話題を断ち切るように言った。
「そろそろ、中へ入ってもいいか?」
すると、これまで黙っていた青の薔薇のリーダー、ラキュースが一歩前へ出た。彼女は貴族としての礼儀作法を崩さず、しかし毅然とした態度でマヤを見る。
「こちらは構いませんが……」
「少々、不敬な感じもいたしますが」
いくら聖王国の使節とはいえ、一国の王子や王女に対する口の利き方としてはあまりにも軽すぎる。
ラキュースの静かな抗議に対し、マヤは両手を振って笑った。
「おいおい、不敬とかなしなし」
「ね? 怖いこと言わない。仲良くいこうよ」
緊張感を微塵も感じさせない言葉。
「その……なんだ」
「名前だな」
マヤは姿勢を正し、自分の胸をポンと叩いた。
「俺はマヤっていうんだよ」
「そっちのお嬢さんたちも、よければ名前を教えてくれない?」
ラキュースは微かに目を細め、やがて短く答えた。
「……私は青の薔薇のラキュースよ」
「ガガーランだ」
「ティア」
「ティナよ」
順に名乗るメンバーたち。しかし、最後の一人だけが押し黙っていた。
「…………」
「ん?」
マヤが覗き込むように視線を向けると、仮面の魔法詠唱者は忌々しそうに、吐き捨てるように言った。
「……イビルアイ」
「おお、よろしくな」
マヤは満足そうに頷き、そして非常に丁寧な動作で、深く頭を下げた。
「それはそれは、ありがとうございます」
(…………)
(あれ?)
その光景を見ていたザナックの思考が、再び不気味な違和感に捉えられた。
(王子である私や、ラナーの名にはほとんど関心を示さなかった)
(なのに、青の薔薇には自ら名前を尋ねた……?)
外交の場において、名乗りとは権力の確認である。
だがこの男は、王族である自分たちを完全に無視し、王国の武力である『青の薔薇』にだけ直接接触を図った。
ただの礼儀知らずか? 違う。直前にクライムの存在を指摘したあの鋭さを持つ男が、無意味な行動をとるはずがない。
(何かの策略か?)
ザナックの胃痛が、また一つ重い段階へと進んだ。
当のマヤ本人が、「今から死んだときの話聞く相手だから、名前くらい知っとかないとな」程度にしか考えていないことなど、知る由もない。
「じゃ、入ろうぜ」
マヤはくるりと背を向け、天幕の奥に向かって声をかけた。
「クレマン、もういいか?」
「ええ。どうぞ」
天幕の内側から、透き通るような美しい聖女の声が響く。
「よし」
マヤは入り口の布を持ち上げ、振り返った。
「じゃあ、改めてよろしくな」
「ええ」
ラキュースが短く応じる。
ラナーは微笑みを崩さず、沈黙した。
ザナックは冷や汗を拭い、沈黙した。
クライムは主の安全を願い、沈黙した。
それぞれの思惑と、壮絶なまでの勘違いを抱えたまま――一行は、ようやく聖王国の天幕へと足を踏み入れた。