いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第二部 第7話

 

 

分厚い布をくぐり抜けた先は、野営の天幕という言葉から想像されるものとは完全に別次元の空間だった。

足元には足首まで沈み込むような豪奢な深紅の絨毯が敷き詰められ、天井からは淡く温かな光を放つ魔法の照明が吊るされている。壁際には見事な細工が施された調度品が並び、王城の一室と見紛うほどの品格と静謐さが漂っていた。

 

その空間の中央。上等な革張りの椅子に、聖王国が誇る聖女クレマンティーヌが腰を下ろしていた。

彼女は真紅のドレスの裾を優雅に整え、完璧な慈愛の微笑みを浮かべて、入ってきた一行を迎え入れた。

 

「まずは、来てくださりありがとうございます。王子殿下に姫様、そして、青の薔薇の皆様。聖王国において、この者の――」

 

クレマンティーヌが、隣に立つマヤを紹介しようと鈴を転がすような声を発した、まさにその時だった。

 

「でさ。死んだって聞いたんだけどさ、どんな感じだったんだ?」

 

その場の空気を一切読まない、あまりにも軽すぎる声が、聖女の言葉を完全に遮った。

 

「それと、蘇生されたって聞いた。それもどういう感じ? その時の気持ちが知りたいんだよ」

 

しん、と。

豪奢な天幕の中の時間が、凍りついたように止まった。

 

(くそくそ、このクソ旦那やりやがった! あれほど言ったのに!!)

 

クレマンティーヌの完璧な笑顔が、ほんの一瞬だけ引きつる。膝の上で組まれた美しい両手が、ドレスの生地をギリッと強く握りしめた。

 

(……へ?)

 

ザナックも、青の薔薇の面々も、一瞬何が起きたのか理解できず、呆けたような顔でマヤを見た。

 

「んー、なんだ。死について知りたいんだよ」

 

マヤが頭を掻きながら、悪びれもせずに言葉を続ける。

その瞬間、凍りついていた空気が一気に沸騰した。

 

「お前は私達をバカにしているのか! さっきといい、なんだ貴様は!!」

 

仮面を被った魔法詠唱者、イビルアイが激昂の声を上げた。小柄な身体から、目に見えるほどの濃密な魔力が立ち上る。

 

「はっ、来てみたらこれかい。まったく、これだから童貞って感じではないな、お前さんは」

 

巨大な戦鎚を背負ったガガーランが、太い腕を組んで忌々しそうに鼻を鳴らした。その目には明らかな敵意が宿っている。

 

「ふざけないでいただきたい!」

 

リーダーであるラキュースが、毅然とした声で前に出た。彼女の美しい顔は、屈辱と静かな怒りに染まっている。

「私達はあの惨劇から仲間を失い、そして蘇生できたのです! それを、そのような理由で聞くなんて……信じられません」

 

青の薔薇の怒気に満ちた抗議。

しかし、その横で、第二王子ザナックの思考は全く別の方向へと急加速していた。

 

(何を言っているんだ、こいつは。まさか! いつでも殺せるぞという恫喝か?)

 

ザナックの額に脂汗が浮かぶ。

ただの無礼な男が、聖女の隣に立てるはずがない。この発言には必ず、王国の弱みを抉る強烈な毒が仕込まれているはずだ。

 

その横で、第三王女ラナーは完璧な微笑みを貼り付けたまま、ただ無言でマヤを見つめていた。

 

「まーよ、こっちは一度死んだ身だ。ふざけてんのか、てめぇ!」

「……」

 

ガガーランの怒声の横で、忍者の片割れであるティアが、静かにマヤの顔を観察している。

 

「本当、ふざけすぎじゃない? なんなわけ?」

 

もう一人の忍者ティナが、苛立ちを隠さずに手裏剣の柄に指をかけた。

今にも戦闘が始まりかねない一触即発の空気の中で、マヤはただ困ったように眉を下げた。

 

「んー、ふざけてないんだけどな……。本当に知りたいんだよ。死んで生き返るなんてのはよ。とんでもなくやばいだろ?」

「どういうこと? 死んでも必ず生き返るわけではないのよ!」

 

ラキュースが語気を強める。

「灰になるかもしれない。そして、強さも変わる大変な目に合うの。それをあなたは……!」

「へぇー、灰になる。これは完全な死ってことでいいのかな? 強さが変わるってどういうこと? それが大変なの? 生き返るのに? そこがわからない」

 

マヤは、ラキュースの言葉にさらに食いついた。その瞳には、純粋な疑問だけが浮かんでいる。

 

「お前、本当におちょくってるだろ!! アダマンタイトが死んだってよ!」

「そういう事じゃないと思う」

 

激高するガガーランを、ティアが静かな声で制した。

「なんとなくだけど……私も死んだ身だけどさ」

 

ティアの視線は、マヤの真っ直ぐな瞳を捉えて離さない。

 

「じゃあなんだっていうんだよ! どう聞いてもふざけてるだろ? バカにしてる。初めからな! 見下していたんだろ!?」

 

イビルアイが仮面の奥から鋭い声を飛ばす。

 

(なんなんだ、本当に……読めない……)

 

ザナックは胃の痛みに耐えながら、必死に場の空気を分析していた。

ふと視線を横に向けると、聖女クレマンティーヌは椅子に座ったまま、深く俯いている。

 

(はっ! まさか、死について何か聖女ができたり、何かあるのか!?)

(……待て)

(聖女殿は、先ほどから一言も口を挟まない)

(あの男の問いを止めようともせず、ただ俯いている……)

(まさか――聖王国には、我々の知らない蘇生の秘密があるのではないか? だからこそ、この男は死者の経験を知りたがっている……?)

(いや、それだけではない。あの男自身が……死と蘇生について、何かを知っているのか?)

 

政治的な駆け引きと、未知の魔法への警戒。ザナックの思考はとめどなく膨れ上がっていく。

 

(……違う)

 

ラナーだけが、ザナックとは別の何かを感じ取っていた。

だが、それが何なのかは、彼女の天才的な頭脳をもってしても処理しきれない。

 

「見下してもないさ。敬意を払ってるからこそ、聞いてるんだよ」

 

マヤの低く落ち着いた声が、天幕の中に響いた。

 

(では、なぜ?)

 

ラナーの瞳が、僅かに揺れる。

 

「その蘇生ってやつさ、灰になるか生きるかっていう感じなんだろ? それ自体が凄い事だっていってるんだよ」

 

マヤは青の薔薇の面々を真っ直ぐに見据えた。

 

「アダマンタイトですら、蘇生可能か、灰になるかの決断をして蘇生できたんだろ? まずは、そこに敬意を。そして、疑問があるわけだよ。つまり、死んでどうだった? ということだよ。死んで生き返った。お前は本物なのか? ということ」

 

空気が、一瞬にして変わった。

激怒していたガガーランも、イビルアイも、ラキュースも、言葉を失った。

魂が別物になっていないか。生き返った自分は、本当に死ぬ前の自分と同じ存在なのか。それは、蘇生という奇跡が孕む、最も根源的で恐ろしい問いだった。

 

(…………)

 

ラナーは、ただ見つめる。

 

「お前は何を言ってるんだ? それがふざけてると――」

「待て……イビルアイ」

「待って、イビルアイ」

 

再び噛み付こうとしたイビルアイを、ガガーランとティアが同時に止めた。

ラキュースは、蘇生させた当事者として、絶句したままマヤを見つめている。

 

「ありがとう。二人とも、二人が蘇生から戻ったってことでいいんだよな?」

「ああ。そうだ」

 

ガガーランの短い肯定。

マヤはふっと表情を和らげ、ゆっくりと口を開いた。

 

「まずな。俺は笑顔が好きなんだわ。その笑顔が失われるのが、心底いやになる」

 

(笑顔?)

 

ラナーの首が、微かに傾く。

ザナックは無言で息を呑んだ。

 

「誰だって、愛する物を失えば笑顔がなくなる。そうだろ? だけど、二人が蘇生をされたという事実がある。生き返って笑顔が戻った。では、その二人は本物か? たぶん、本物なのだろう。だが、俺は何か引っかかった。だから聞いた」

 

マヤの視線が、隣で俯くクレマンティーヌへと向けられる。

 

「聖王国はいまでこそ、笑顔があふれて、いつもお茶ばかり飲んでる俺だ。だがよ。聖女様が、頑張って頑張って血反吐吐いて、やっと掴んだ幸せの笑顔だ」

 

マヤの声には、嘘偽りのない、底知れぬ重みがあった。

 

「そして、『退治してきます』って言ったやつが戻ってこなかったり、救いにいったはずが、ほんの数分だ、その数分で敵の腹に入ったやつもいた。……そんなのを、永遠に見てきた」

 

天幕の空気が、さらに一段深く沈み込んだ。

マヤの言葉の端々に滲む、気の遠くなるような喪失の記憶。彼がどれほどの死線を、どれほどの別れを経験してきたのか。その一端が、重圧となって場を支配する。

 

「そして蘇生を知った。その蘇生が成功した、アダマンタイト級の冒険者にいる。それってすごい希望の光でもあるんだよ」

 

マヤは再び視線を戻し、クレマンティーヌを庇うような立ち位置へ少しだけ動いた。

 

「だけど、逆に怖さもあった。ただそれだけだよ。聖女を守るためにも、絶対にさせたくねーなっていうのが本音だ」

 

静寂。

誰も、言葉を発することができなかった。

挑発でもなく、恫喝でもない。ただ純粋に、愛する者を喪う恐怖と、死から生還した者たちへの畏敬。それだけが、そこにあった。

 

「……そうか。そうだな。説明が難しい。寝て起きるようなもので、けだるかったな、私は。でも、本物かどうかは、私は本物だと思う」

 

ティアが、ぽつりとこぼすように言った。

 

「まーなんだ。つまり、聖王国も大変だった、死を目の当たりにしてきたってこったな……。そうだよな。俺の場合は、けだるかったけど、絶好調で起きれた感じだ」

 

ガガーランも、毒気を抜かれたように首を掻きながら答えた。

 

(どういうことなの?)

 

ラナーは、黄金色の瞳を見開いたまま、完全に硬直していた。

愛する者のために他を犠牲にする。それは理解できる。クライムのためなら、彼女は世界でも国でも平気で売り渡す。

だが、この男が言う「笑顔が失われるのが嫌だ」「守るためにもさせたくない」という感情には、ラナーが理解できる見返りや独占欲が見当たらない。ただ純粋に、相手の幸せだけを願っている。

そんなものが、この世に存在するはずがない。ラナーの天才的な頭脳は、マヤという存在を前にして、完全に処理を停止していた。

 

(……)

(聖女を守る為の何かをもっているということか?)

 

ザナックは、マヤの底知れぬ情念を、聖王国の強大な防衛力や隠された魔法の力だと解釈し、さらに警戒を深めていた。

 

(少し泣きそう……でも、あほだこいつ……)

 

俯いていたクレマンティーヌは、必死に涙腺を引き締めながら、内心で深いため息をついていた。

不器用すぎる。だが、彼が本気で自分の身を案じているからこそ、こんな面倒な聞き方をしてしまったのだということは痛いほど分かっていた。

 

(……見誤ったか)

 

イビルアイは仮面の下で唇を噛み、己の短慮を恥じて沈黙した。

 

「ティアは本物だ。双子だし、わかる感じがする。それでいいとおもう」

 

ティナが、ティアの肩を軽く叩きながら頷いた。

 

「……聖王国も、大変だったのですね。先程は失礼を。そこまで深い考えだと思わず」

 

ラキュースが、姿勢を正し、マヤに向かって深々と頭を下げた。

その一切の淀みもない、真っ直ぐで誠実な謝罪。

 

「あ、え? あ、いや……こっちこそなんか、難しいこと言ってすまない」

 

マヤは、ラキュースのあまりに真摯な態度に面食らい、途端にしどろもどろになった。

敵意を向けられることには慣れている。だが、こんな風に真っ直ぐな誠意を向けられることには、致命的に耐性がなかった。

 

「その、なんだ。ラキュースさん、いい女だな。なんか、こんな俺によ、そんな言い方」

 

照れ隠しで、マヤの口から思わず素直な称賛が漏れた。

何の裏表もない、純粋な感想。だからこそ。

 

「あ、いや、そんなことは……あはは……」

 

ラキュースの白い頬が、ボッと音を立てるように赤く染まった。今まで張り詰めていたリーダーとしての顔が崩れ、年相応の少女のように視線を彷徨わせる。

 

(へ?……)

 

ザナックとラナーの頭に、巨大な疑問符が浮かんだ。

先ほどまでの、あの底知れぬ深淵を覗き込むような死生観の語りはどこへ行ったのか。なぜ急に、ただの不器用な男の顔になっているのか。

 

「モモン殿もいい男だぞ!!」

 

唐突に、仮面の魔法詠唱者が大声を上げた。

 

「そこにいたから、二名で済んだんだぞ! 凄く強いお方だ。あの時のモモン殿はすごかった……!」

 

空気を一切読まず、なぜか対抗心を燃やすようにイビルアイが早口で語り出す。

天幕の空気が、完全に、そして無惨に崩壊した。

 

(またはじまった。ここでそれいう?)

 

青の薔薇の面々が、一斉に天を仰ぐ。

 

(こいつ、またかよ……)

 

クレマンティーヌは、今度こそ本当に頭を抱え、完璧な聖女の微笑みの裏側で盛大に舌打ちをしたのだった。

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