いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
ナザリック地下大墳墓、第九階層。
至高の四十一人が座したとされる巨大な円卓の間に、重苦しく、そして冷ややかな静寂が満ちていた。
天井を覆う漆黒のドームから淡い光が降り注ぐ中、上座には絶対の支配者であるアインズ・ウール・ゴウンが鎮座している。その左右には、純白のドレスを身に纏う守護者統括アルベドと、赤い外套を羽織った悪魔、デミウルゴスが控えていた。
円卓を囲むように並ぶ階層守護者たちの視線は、空間の中央に浮かび上がった魔法の鏡に向けられている。
鏡の中に投影されているのは、王都リ・エスティーゼの一室。
黄金色の髪を揺らし、完璧な淑女の微笑みを浮かべた第三王女ラナーの姿だった。彼女は影の悪魔(シャドウ・デーモン)を通じた極秘の通信で、王都で起きた異常事態――聖王国の天幕における、マヤという男の不可解な言動について報告を行っていた。
『――以上が、青の薔薇と使節団との面会における全容です。対象のマヤという男ですが……魔力の残滓も、武技を使用するような戦士の気配も、一切感じられませんでした』
ラナーは鏡越しに小さく首を振り、僅かに戸惑うような表情を見せた。
『彼が語った言葉には底知れぬ情念を感じたものの、何らかの政治的な要求や、権力を求める野心とは全く結びつきません。戦闘能力は確認できず、少なくとも、私が確認した範囲では脅威とは判断できませんでした』
報告が終わる。魔法の鏡がフッと掻き消え、円卓の間に再び重い沈黙が落ちた。
デミウルゴスが、中指で眼鏡のブリッジをゆっくりと押し上げる。銀色のフレームが怪しく光を反射し、背後では金属に覆われた太い尻尾がパタン、パタンと規則的な音を立てて床を打った。
それは彼が極めて高度な思考を巡らせ、一つの『正解』に辿り着いた時の癖だった。
「……なるほど。ラナーの報告から推測するに、あのマヤという男、警戒に値する存在ではありませんね」
デミウルゴスの言葉に、豪奢なドレスを着た吸血鬼シャルティアが小首を傾げた。
「デミウルゴス、それはどういう意味でありんす?」
「言葉の通りだよ、シャルティア。魔力も武技の気配もない。権力を求める野心も、政治的な意図も見受けられない。聖女の威光にぶら下がり、ただ奇を衒って『死の感想』などを聞いて回る。……狂人ではあるでしょうが、我々の計画を脅かすような力も知略も持たない、無害な存在と判断します」
デミウルゴスの超合理的な思考において、「目的のない行動」は単なるノイズでしかない。警戒すべきは彼を従える聖王国とその強大な軍事力であって、奇行に走るただの付き人ではない。
「なるほど、デミウルゴスの言う通りですね。そのような羽虫に気を取られる必要は――」
「――待て」
アルベドの言葉を遮り、玉座から低く、威厳に満ちた声が響いた。
絶対の支配者たるアインズが、赤い光を宿した眼窩でデミウルゴスを見下ろしていた。
「あ、アインズ様……?」
「デミウルゴスよ。お前は彼を無害だと言ったな。……果たして、本当にそうだろうか?」
アインズの放った威圧感に、円卓の間の空気が凍りつく。
だが、アインズ――鈴木悟の頭蓋骨の中では、全く別の理由で警鐘が鳴り響いていた。
(待て待て待て! 蘇生した奴にわざわざ『強さが変わったか』なんて聞いて回るか? この世界の人間なら、生き返った奇跡そのものに驚くはずだろ。なのに灰になる条件とか、能力の減衰をやたら気にしてる……。そんなの、どう考えても『デスペナルティの仕様』を確認してるプレイヤーの動きじゃないか!!)
アインズは極度の緊張で胃のあたりに存在しない痛みを感じながら、慎重に言葉を選んだ。
「考えてもみよ。なぜ彼は、蘇生による『強さの変化』……つまり、力の減衰や、蘇生の成否の条件をわざわざ探ろうとした? それは単なる狂人の戯言ではない。彼は……この世界の理そのものを、外部から検証しているとは思わないか?」
「なっ……!?」
デミウルゴスの目が、驚愕に見開かれた。
(生命の死と再生のシステム検証……。まさか、そういうことですか!)
デミウルゴスの脳内で、すべての点と点が恐ろしいほどの精度で線として繋がった。
「私が……私が見落としていた、その行動の奥底にある『真の意図』に、一瞬で辿り着かれるとは……! ああ、なんという……!!」
デミウルゴスがワナワナと震えながら、玉座に向かって深く、深く平伏した。
「デミウルゴス、どういうことです? あの男が、ただの人間ではないと?」
アルベドが怪訝な顔で尋ねると、デミウルゴスは立ち上がり、興奮を抑えきれない様子で守護者たちに向けて語り始めた。
「アルベド、あの男が放った質問の異常性に気づかなかった私の失態だ。謁見の場において、聖女は彼の奇行を『学術的探求心』だと誤魔化したという報告があっただろう? あれは誤魔化しなどではなかったのだ!」
デミウルゴスの両手が、熱を帯びたように広げられる。
「彼は狂人などではない。深淵なる『魔法の探求者』だ! 蘇生によって灰になる条件や、強さがどう変わるかを執拗に気にした理由……それは、死と蘇生を経て弱体化し、不安定になった魂が、自己の『傀儡』として作り変えるのに適しているかどうかを計測するためだ!」
「なっ……!」
アルベドの美しい顔が、戦慄に強張る。
「アダマンタイト級冒険者という、王国最高の武力。それを蘇生のトラウマごと掌握し、意のままに操る駒へと作り変えるための、極めて冷酷な実験……! 彼は聖女の陰に隠れながら、王国の最高戦力を内部から乗っ取ろうとしているのだ!」
その言葉に、小柄なダークエルフの少年マーレが、おずおずと両手で杖を握りしめながら口を開いた。
「あ、あの……アルベド、それって、すごく悪いやつってこと……?」
「……ええ、そうねマーレ」
アルベドは、慈愛と、アインズへの狂信に満ちた笑みを浮かべてマーレを振り返った。
「あの男は、人間の心や魂をただの実験材料として弄ぶ、極めて悪辣な魔法の探求者ということよ。デミウルゴスですら『無害な人間』と見誤ったその悍ましい本質を……アインズ様は、たった一言の報告から瞬時に見抜かれたの」
「おおおお……!」
「流石ハ、至高ノ御方……!」
アウラが目をキラキラと輝かせ、コキュートスが感嘆の冷気を吐き出す。
その横で、シャルティアが頬に手を当ててうっとりとしたため息をついた。
「わっちには難しいことはよくわからないでありんすが……要するに、アインズ様は誰よりも凄くて、その変な男の極悪な本性を見破ったということでありんすね! さすがアインズ様!」
「素晴らしい御見識です、アインズ様。私の浅慮、どうかお許しください!」
円卓の間が、かつてないほどの熱狂とアインズへの賛美に包まれる。
「う、うむ」
(違う! 違うんだ! 俺はただ、あいつがユグドラシルのプレイヤーかもしれないって言いたかっただけで……! 傀儡!? 実験材料!? なんでそんな恐ろしい話になってるんだ!?)
完全に誤解のインフレーションを起こした守護者たちを前に、アインズは後戻りできない絶望感の中で、ただ威厳たっぷりに深く頷くことしかできなかった。
*
同刻。
王都リ・エスティーゼ、聖王国の広大な野営陣地。
その中央に設営されたひときわ豪華な天幕の中で、極めて気の抜けた声が響いていた。
「クレマーン、お茶まだー?」
世界の裏側で、自らの存在が「魂の傀儡化を企む極悪な魔法の探求者(あるいはプレイヤー)」として最高レベルの警戒を受けていることなど一ミリも知らない男、マヤが、豪奢な椅子に寝転がるようにして欠伸をした。
「自分で淹れろバカ!!」
真紅のチャイナドレスを着た聖女クレマンティーヌが、青筋を立ててティーポットをテーブルに叩きつける。
「なんだよー、気が立ってんなあ。それにしても、今日のお茶うまいな。あ、青の薔薇の子たち、また会えるかな。特にあの仮面の子、なんか面白かったし」
「お前が死のトラウマ抉って激怒させたんだろうが! 明日からの王国の重鎮たちとの外交、どうやってリカバリーするつもりだ!」
クレマンティーヌが牙を剥き出しにして胸ぐらを掴みかかろうとするが、マヤはひょいと身を躱してティーカップを手にとった。
「ん? 外交はお前の仕事だろ? 俺はただの付き人だし」
「誰のせいでこんなにややこしくなってると思ってんだ!!」
あっけらかんと言い放つ夫に、クレマンティーヌは今度こそ本気で頭を抱え込んだ。
「……はぁ。私の胃が、王都に着いてからすごい勢いで削られてるんだけど……」
「大丈夫だって。お茶飲めば治るよ」
「治るか!!」
ナザリック地下大墳墓が誇る最高頭脳と絶対支配者が、血を吐くような思いで対策を練っているその裏で。
四方向への壮絶な勘違いの中心にいる男は、ただ呑気に、妻の淹れた紅茶の香りを満喫していた。