いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
聖王国の豪奢な天幕での会談が終わり、リ・エスティーゼ王国の使節団が帰路につこうとしていた時のことだ。
天幕の出口で、青の薔薇のリーダーであるラキュースがふと足を止め、振り返った。
「そういえば……帝国には、『ワーカー』という者たちがいるのよ。冒険者とは別にね」
別れ際の、ほんの世間話程度の口調だった。
マヤが首を傾げると、ラキュースは静かに説明を付け加えた。
「冒険者ギルドには属さず、金のために危険な仕事を請け負う者たち。貴族や権力者から直接依頼を受け、場合によっては非合法なことにも手を染める……そういう裏の稼業よ」
「へー。どんな奴らなんだ?」
「凄腕もいれば、ならず者もいるわ。もし帝国に行くことがあれば、気をつけることね」
忠告を残し、ラキュースたちは去っていった。
天幕の中に取り残されたマヤは、顎に手を当てて「ワーカーねえ」と一人ごちた後、くるりと振り返って妻の元へ駆け寄った。
「な〜クレマン。そういやさ、帝国いってみない?」
「は?」
椅子に座って疲れたように紅茶を飲んでいたクレマンティーヌが、素頓狂な声を上げた。
「最初はダメって言われたけどさ、今ならいいだろ? たのむよ〜」
マヤは無邪気な顔で、クレマンティーヌの腕にすり寄る。
かつて、この世界にやってきたばかりの頃、追われる身であった彼女は帝国への逃亡を却下した。だが、状況は大きく変わっている。今の彼女は一国の最高権力者たる聖女だ。
「まぁー……あの時は逃亡には向いてなかったしな。今なら、まー立場もあるけど、お忍びで観光くらいならいいよ……」
呆れたようにため息をつきながらも、クレマンティーヌの口調は甘かった。
その許可が出るや否や、マヤは嬉しそうに彼女の頬に顔を寄せた。
「ありがとう、クレマン。愛してる。ちゅ」
「っ……!」
リップ音を立てて頬に落ちたキスに、クレマンティーヌの顔がボッと赤く染まる。
(もう、こいつ昔からこういうことはうますぎなんだよ……)
内心で悪態をつきながらも、彼女は目を逸らして小さく呟いた。
「……私も愛してる。旅行気分でいこう」
「メンバーはそうだな。あまり大々的なのもあれだし、なんかいい感じの馬車に乗っていこうか。って、うちの馬車が聖王国ってばれないように行けばよくね?」
(お前本当そういうとこな! 雑! 雑なんだよ!!)
一国のトップが他国へ入るのに、国章を隠して身分を偽装するなど、国際問題になりかねない行為である。だが、クレマンティーヌは久々の夫との旅行気分に絆され、その雑すぎる提案を止めることができなかった。
「あの、私もよかったんでしょうか?」
天幕の隅で、完全武装のまま直立していたネイア・バラハが、おずおずと尋ねた。
彼女の凶悪な三白眼は、戸惑いと僅かな期待で揺れている。
「いいもなにも、お前クレマンの護衛だろ? 一名はいないとだめだろ。隠者もあわせれば四人だ。平気平気」
「ありがとうございます!」
ネイアは深く頭を下げた。
かくして、聖王国の国章を外した雑な偽装馬車による、お忍び旅行が幕を開けたのである。
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バハルス帝国帝都、アーウィンター。
王国の王都とは比べ物にならないほど整備された石畳の街道と、夜になっても絶えることのない魔法の灯り。
その華やかな大通りの裏側に、血と酒と錆びた鉄の匂いが漂う酒場があった。ワーカーたちが集う、荒くれ者たちの溜まり場である。
身分を隠すために地味なローブを羽織ったクレマンティーヌと、目元をフードで隠したネイア。そして、相変わらずラフな格好のマヤは、喧騒の中にふらりと足を踏み入れた。
「へー、ここがワーカーの集まる場所か」
マヤが興味本位で店内を見渡すと、奥のテーブルに陣取る一つのパーティが目に留まった。
二本の武器を腰に帯びた金髪の軽戦士、大柄な神官、鋭い目つきのハーフエルフの女性。そして、プラチナブロンドの髪を丁寧に切りそろえた、まだ十代半ばにしか見えない魔法詠唱者の少女だった。
少女の目元には色濃い疲労の影が落ちており、時折、無理に作ったような作り笑いを仲間に向けている。
「よっ! あんたらワーカーだろ? 奢るからちょっと話聞かせてよ」
マヤは警戒する周囲の視線など意に介さず、気さくに彼らのテーブルへと近づき、勝手に椅子を引いて座った。
突然の闖入者に、パーティのリーダーらしき金髪の男――ヘッケランが眉をひそめる。だが、マヤが金貨を無造作にテーブルに置くと、男は警戒を解かないまでも、短い会話には応じた。
彼らは『フォーサイト』というチームだった。
酒を片手にワーカーの仕事の危険さや帝国の裏事情を聞き流しながら、マヤの視線は常に、魔法詠唱者の少女――アルシェの微かな表情の曇りを追っていた。
しばらくして。
マヤはふいに立ち上がり、彼らを見下ろした。
「そこでさ、ちょっとお前ら全員来い。馬車のそばまで」
「はあ? なんだってあんたに付いて行かなきゃなんねえんだよ」
ハーフエルフの女性、イミーナが苛立たしげに言い返すが、マヤの真剣な瞳を見て、ヘッケランが片手でそれを制した。
ただの酔っ払いではない。凄まじい修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、独特の重圧感。それに気圧されるように、フォーサイトの四人は無言で席を立ち、マヤたちの後を追って酒場の外へ出た。
路地裏に停められていたのは、豪商が使うような地味な外装の馬車だった。
だが、近づいたフォーサイトの面々は一瞬で息を呑んだ。外装こそ地味に偽装されているが、車輪の作り、使われている木材の艶、そして微かに漏れ出る防護魔法の気配。それは、帝国の高位貴族ですらおいそれとは手を出せないほど、異常に上等な代物だったのだ。
マヤは馬車に背を預け、フォーサイトの四人を真っ直ぐに見据えた。
「本音で言え。そのアルシェって、何かあるだろ? 話してみろ」
「……あんたには関係のないことだ」
ヘッケランがアルシェを庇うように一歩前へ出る。だが、マヤは揺るがなかった。
「俺は嘘が嫌いだ。そして女の笑顔が曇るのがもっと嫌いだ。だから話せ。アルシェ、この馬車で何か察してるんだろ?」
鋭い問いかけ。
アルシェは肩を震わせ、俯いた。彼女は元貴族である。この馬車がただの商人のものではないこと、そして目の前の男女がどれほどの権力と財力を持っているか、その片鱗を正確に感じ取っていた。
「……私の両親は、帝国の粛清で貴族の地位を失いました」
ぽつりと、アルシェが絞り出すように語り始めた。
「でも、二人はそれを認められず、莫大な借金を重ねて贅沢を続けています。私は……妹たちを守るために、この仕事をしているんです。でも、もう借金取りが家に……」
アルシェの小さな手が、ローブの裾を強く握りしめた。
フォーサイトの仲間たちも、沈痛な面持ちで俯く。彼らもアルシェの事情を知り、助けようとしていたが、一介のワーカーの稼ぎで貴族の莫大な負債を肩代わりすることなど不可能だったのだ。
「妹が……家庭が。……そうか」
マヤは短く息を吐き、視線を宙に向けた。
「おい、そこの女エルフなのか? まーいいや。こいつの言ってる事は、まー本当そうだな」
「エルフじゃない! ハーフエルフだ!」
イミーナが噛み付くが、マヤは気にした様子もなく、隣に立つクレマンティーヌへ向き直った。
「うし、クレマン。保護だ。いいな?」
「……そうですね」
クレマンティーヌは短く頷いた。彼女もまた、少女の必死な覚悟を前にして、止める理由は持っていなかった。
「な、なに言ってんだよ! 人攫いなのかい!? そんなの」
イミーナが武器に手をかけ、怒鳴り声を上げる。ヘッケランとロバーデイクも身構えた。
だが、マヤは両手を軽く上げてヒラヒラと振った。
「落ち着け落ち着け。デカい声出せば解決するのか? 余計に悪化だろ。まー、そうだな。人攫いという名の勧誘だよ」
マヤはフォーサイトの面々を一人ずつ見回した。
「お前らは別にこなくてもいいし、きてもいい。だが――」
マヤの声から、ヘラヘラした響きが完全に消えた。
「俺は泣いた女の顔は見たくない」
夜の冷たい風が、路地裏を吹き抜ける。
「俺の大事な女がいる目の前で、他の女のこと言うなっていうのもわかるが。それはそれだ」
「目の前で泣いてて助けられる事ができる。なら助ける。それだけだ」
極めて単純で、我儘で、しかし絶対に曲がらない強固な意志。
「お前らはいいや。すきにしな」
マヤはアルシェを真っ直ぐに見据えた。
「きな臭い話かもしれないけど、どうだ? そこから助けられる存在がいる。もちろん俺じゃない、俺の女がそうだ」
「……そうですね」
クレマンティーヌが、フードの奥で小さく微笑む。
「はい、できます!」
御者台に座るネイアが、力強く頷いた。
「そういうことだ。どうする? 腹決まってるなら、馬車に乗れ」
マヤが馬車の扉を開け放つ。
アルシェの瞳が大きく見開かれた。胡散臭い男の、乱暴な勧誘。だが、その言葉の裏には一切の嘘も、計算もなかった。ただ純粋に、彼女と妹たちの命を拾い上げようとしている。
アルシェはゆっくりとフォーサイトの仲間たちに振り返った。
「私、信じてみるよ。いままでお世話になったね。ありがとう」
仲間たちは、止める言葉を持たなかった。
自分たちが救えなかった彼女を、突然現れた男が圧倒的な力と財力で救い上げようとしている。それが罠かもしれないという警戒心はあったが、アルシェ本人が決めたのなら、もはや止める権利はない。
「そんなのって……変なこと……」
イミーナが食い下がろうとしたその時。
「おっと、それ以上俺の女の悪口言うなよ?」
マヤの平然とした声が、イミーナの言葉を遮った。
「俺は優しいけど、守ると決めた奴の侮辱は許さない」
その言葉には、一切の殺気もなかった。だが、有無を言わせぬ絶対的な重圧がそこにあった。
「……本当に、大丈夫なのかね」
イミーナがヘッケランの肩を掴む。
「分からん」
ヘッケランは悔しそうに顔を歪めた。
「ただ……少なくとも、あの男は俺たちから何かを奪おうとしてるようには見えなかった」
アルシェが馬車へ乗り込み、扉が静かに閉ざされる。
車輪が石畳を軋ませ、馬車がゆっくりと動き出した。
窓からアルシェが振り返り、フォーサイトの仲間たちも黙ってそれを見送る。
すれ違いざま、馬車の横を歩くマヤが、彼らの方を見向きもせずに言った。
「……じゃあな」
あっけない別れ。
マヤは別れの重さを理解していないわけではない。ただ、変に感傷的になることなく、彼は前だけを向いて歩み去っていった。