いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
第二部 第10話:鮮血の帝都から、黄金の聖王国へ
帝都アーウィンターの夜闇を走る、豪奢だが国章を持たない偽装馬車。
その広く快適な車内で、ランタンの淡い灯りに照らされながら、アルシェは極度の緊張で身を硬くしていた。
向かいの席には、気だるげに足を組むラフな格好の赤髪の男――マヤと、ローブのフードを深く被った謎の女性。そして御者台には、凶悪な三白眼を持つ弓使いの少女が座っている。
「でさ、言ってなかったけど」
馬車の揺れに身を任せながら、マヤが思い出したように口を開いた。
「クレマンは、聖王国の聖女様なんだ」
「……え?」
アルシェの思考が停止した。
ローブの女性――クレマンティーヌが、渋々といった様子でフードを下ろす。そこから現れたのは、息を呑むほど美しい、神性を帯びたかのような美貌だった。
「ええ……そうです」
(お前ふざけんなよ……またいきなりかよ!)
クレマンティーヌは完璧な笑みを浮かべながら、内心で激しく夫を罵倒していた。
アルシェは目を丸くし、やがて顔面を蒼白にさせた。
「え……聖女様だったんですか!?」
聖王国の聖女。亜人の脅威を退け、国を平定に導いたという噂は、裏社会の情報に触れるワーカー稼業をしていれば嫌でも耳に入る。それどころか、今や周辺諸国でも最大級の勢力を誇る大国の実質的な最高権力者だ。
「そんな方が、どうして私なんぞを……」
「『私なんぞ』なんて言うなよ」
恐縮して身を縮めるアルシェに、マヤが気さくな笑い声を投げかけた。
「もう知った仲だろ? 飲み食いして笑った仲だ。それだけ。あとは聖女様が救ってくれる。な?」
「……そうですね」
(またいつもの胃が痛む展開ぞ……まぁ、でも今回はいいか)
クレマンティーヌは小さくため息をつき、居住まいを正した。
「で、どうしましょうかね。妹さんのことを」
「んなもん、アルシェが妹を外に連れ出せばいいだろ。親が寝静まった頃にな。そうしたら、そのまま出発だ! いいぞこれ!」
御者台で手綱を握るネイアの肩が、ビクリと跳ねた。
(また始まった……! マヤ殿の無茶苦茶なご提案が……!)
「何が『いいぞこれ』だ!!」
クレマンティーヌが思わず声を荒げた。
「完全に人攫いだろうが! アホかお前、あほなんだろ? もう、まただよ……国際問題になったらどうするんだ!」
「まぁまぁ。そんな風に言わないでね、クレマン愛してるからさ。頼む、この線が一番手っ取り早くていいんだよ。面倒は帝国に押し付けてしまおう。だって、鮮血亭? のしわ寄せなんだろ?」
「どこの定食屋だよ!!」
クレマンティーヌの鋭いツッコミが車内に響き渡る。
「お前、皇帝の異名だぞ鮮血帝は……ほんとわかってんの? 愛してるって言えば……うーん……うん……そうだね」
怒鳴り散らしていたはずの聖女が、マヤのまっすぐな眼差しと「愛してる」という言葉に、急激に毒気を抜かれて顔を赤らめる。
その光景に、呆気にとられていたアルシェの瞳から、ふいにポロポロと涙がこぼれ落ちた。
張り詰めていた糸が切れたのだ。両親の狂気、借金、死と隣り合わせの日常。それらすべてから、この底抜けに明るく強大な権力を持つ男女が、本当に自分と妹たちを救い出してくれるのだと実感した瞬間だった。
「ほらみろ! クレマンが怒鳴るから泣いただろ!!」
「はあ!? 私のせいかよ!」
(それは違うんじゃないでしょうか……マヤ殿、聖女様、さすがのコンビネーションです……)
御者台のネイアが、真面目な顔で静かに頷いている。
「……そうね」
クレマンティーヌは深く息を吐き出し、泣きじゃくる少女の頭にそっと手を置いた。
(もう止めれん……いや……これでいいよ。この馬鹿の言う通りだ)
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*
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深夜。
帝都の外れにある寂れた屋敷の裏手で、小さな二つの影がアルシェの胸に飛び込んだ。
親が寝静まった隙を突き、バレないように最小限の荷物だけを持って抜け出してきたウレイとクーデリカだった。
「お姉様……本当に、おうちを出ていいの?」
「ええ……ええ。大丈夫よ。もう、怖い思いはしなくていいから」
アルシェは双子の妹を強く抱きしめ、涙を流しながらその温もりを確かめていた。
感動的な姉妹の抱擁。しかし、背後の馬車から顔を出したマヤが、空気を読まずに手を叩いた。
「はいはい、馬車の中でも感動できるから急ぐぞ。早くしないと眠くなるだろ? 子供達がよ。な? 中はふかふかでいいぞ」
双子の妹たちは「ふかふか!」と無邪気に喜び、アルシェに手を引かれて馬車へと乗り込んでいく。アルシェは最後に振り返り、深く、深く頭を下げた。
「あんたのそういうとこは、好きだよ。本当にさ」
クレマンティーヌが、呆れと愛情の混じった視線をマヤに向ける。ネイアもまた、無言で深く頷いていた。
かくして、偽装馬車は帝都の夜闇を抜け、西へ向かって走り出した。
約一ヶ月半後。
長い旅路の末にアルシェたちが辿り着いたのは、彼女の常識を根底から覆す光景だった。
ローブル聖王国。かつて亜人の侵攻に苦しんだという噂は聞いていたが、目の前に広がるのは、どの国よりも安定し、繁栄を謳歌する『黄金期』の姿だった。
整然と区画された美しい街並み。活気にあふれた市場。行き交う人々は皆、心からの笑顔を浮かべ、子供たちが路地を不安なく走り回っている。警備の聖騎士たちは威風堂々としており、完璧な秩序がそこにあった。
「……すごい」
馬車の窓からその景色を見ていたアルシェは、再び涙をこぼした。妹たちは「お城みたい!」「おっきい!」と大はしゃぎしている。自分は間違っていなかった。あの胡散臭い男を信じて、本当によかった。
彼女たちが案内されたのは、王城の最も奥、最高首脳陣が集う謁見の間だった。
上座には聖王女カルカ・ベサーレス。その脇には、聖騎士団長レメディオスと、神官長ケラルトが控えていた。
クレマンティーヌとマヤが足を踏み入れると、カルカが立ち上がり、優雅に微笑んだ。
「話は早馬で聞いております。聖女様がお決めになり、マヤさんの決断もあったと。その決断を、我が国は受け入れます。よくぞ救ってくださいました」
カルカは、アルシェたちに向けて慈愛の目を向けた。
「王国への復興支援だけだと思っていたら、こんなことまでしてくださるとは……とても慈悲深いです、聖女様。そして、帝国はそのような国になっていたのですね……」
「……そうですね」
クレマンティーヌが完璧な聖女の微笑みで応じる。
「俺は道をだしただけだよ。クレマンが決めてくれたさ」
マヤが気楽に笑うと、レメディオスが目を輝かせた。
「聖女様、さすがでございます。その慈悲深さ……このレメディオス、出会ってからの日々が思い浮かぶようです。我が国も色々ありましたがゆえに……感動いたしました!」
(元貴族をワーカー落ちさせるとは……なんと下賤なやり方をしたものです、鮮血帝は)
一人、冷徹な内政官としての視点を持つケラルトは、扇子で口元を隠しながら思考を巡らせていた。
(帝国の内情を知る元貴族。うまいカードが入りましたが、こちらから積極的に使いたくはないですね。しかし……)
「歓迎いたしますよ」
ケラルトは表向きの柔和な笑みを浮かべ、アルシェに声をかけた。
「みんな、ありがとうな。俺のわがままでもあったんだけどな。……そうだ、名乗りだったな」
マヤに促され、アルシェが一歩前へ出る。妹たちはすでに安全な別室で休まされていた。
「アルシェと申します。この度は、妹ともどもお助けいただき、本当にありがとうございます」
深く頭を下げるアルシェの表情は、帝都の酒場で見たものとは比べ物にならないほど晴れやかだった。
「固い、硬い、かたいなー。でも、さすがだな。笑顔できるじゃねーか」
マヤが満足そうに頷いた。
「この国はよ、笑顔があるいい国だ。しっかり生活していってくれ」
「はい。……あの、ケラルト様」
アルシェは神官長に向き直った。
「こちらは人手不足もあるとのこと。戦闘や政務など、色々なお仕事があるとお聞きしました。私には『タレント』があります。魔法の位階が視覚で分かるんです。ぜひ、お役に立たせてください!」
「なんですって!?」
カルカとケラルトが同時に驚愕の声を上げた。
魔法の位階が視認できる能力。それは国家単位の戦略において、計り知れない価値を持つ。
「へー、なんかの仕事関係?」
マヤが首を傾げる。
「へ?」
「あ……なんでもない、すまん……」
場の空気が止まったことに気づき、マヤが頭を掻いた。
「お前は時たまおかしいこと言うな!」
クレマンティーヌがすかさずフォローを入れる。
「魔法にはお前にも分かるように言うと、順番と強さがあるんだよ。前にも言ったろ! そしてそれが視れるっていうタレント……これは特殊技能みたいなもんだ。そのタレントは、たぶん、帝国のフールーダと同じだ。あってるか?」
「はい、その通りです。ですので、皆様がどれくらいの魔力をお持ちか、見ることができます」
「なるほど!! じゃー俺はどうよ? 俺、意外とさ……」
マヤが自信満々に胸を張る。
アルシェは目を凝らしてマヤを見たが、すぐに首を横に振った。
「……ないですね」
「私は射手ですが、どうでしょう?」
ネイアが進み出る。アルシェは再び首を振り。
「ないですね。……というか、お二方とも、魔力というものが一切感じられません」
「「「…………え?」」」
謁見の間が、奇妙な静寂に包まれた。
「マヤもないの? うそでしょ? え?」
クレマンティーヌが素で驚く。
「なーんだ。マヤ殿は戦士なのでしょうなー。納得納得!」
レメディオスが豪快に笑い飛ばした。
(ちがーーーう!! アホかこの脳筋団長は!!)
クレマンティーヌは内心で絶叫した。
(お前、以前マヤに聖剣をパワーアップさせてもらったの忘れてるのか! あれが魔力じゃなくてなんだって言うんだよ!)
だが、マヤ本人は気にした様子もなく肩をすくめた。
「そっか、俺は戦士かー。まーいいな。でも、戦ってくれるのはクレマンだしな」
「……本当に、よく分からない方ですね」
カルカとケラルトは、顔を見合わせて苦笑した。
彼らにとって、マヤは危険人物というよりも『規格外すぎて常識の枠に当てはまらない、変わった人』という認識で完全に定着してしまっていたのだ。
少し時を遡る。
ネイアたちが馬車で帝都を出立して、数日が経った頃。
バハルス帝国に残り、アルシェが消えたことに混乱していた『フォーサイト』のもとへ、一人の地味な身なりの男が現れた。
「フォーサイトの皆様ですね」
突然の来訪者に、リーダーのヘッケランが武器に手をかけ警戒する。
「……そうだが?」
男は懐から、一通の封書を取り出した。
「聖王国の聖女様からのお手紙です。今すぐ、お読みください」
「聖女様から……?」
ヘッケランは眉をひそめながら、荒々しく封を切った。
そこに書かれていた内容は、異常なまでに簡潔だった。
『アルシェと妹二名は、こちらで預かっています。
もし、こちらの世話になりたいのであれば、こちらに来てもかまいません。
他言無用ですよ?』
「…………」
短い。あまりにも短い。
そして、一切の説明がない。アルシェを連れて行った理由も、妹たちをどうするつもりなのかも。ただ、預かっている。それだけだった。
「……これ、どう見ても誘拐じゃねぇか?」
イミーナが忌々しげに呟く。
神官のロバーデイクが、手紙を覗き込んで深刻な顔をした。
「でも……アルシェたちが、本当に聖王国にいることは確かなんでしょうか?」
その問いに、男は淡々と答えた。
「はい。三名とも、ご安心を。聖王国におります」
それだけだった。それ以上は何も語らない。
男は、ヘッケランが読み終えた手紙をスッと抜き取った。
「こちらは回収させていただきます。……聖王国へ来るかどうかは、皆様でお決めください」
それだけ告げると、男は振り返ることなく路地の奥へと去っていった。
残されたフォーサイトの面々は、しばらく無言のまま立ち尽くしていた。
やがて、ヘッケランが重い口を開く。
「……フォーサイトのメンバーで、話し合おう」
「……ああ」
「金には困ってないからな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
今回の件は、金のために決める話ではない。あの胡散臭い男と、聖王国の聖女を名乗った女。アルシェを追うのか。聖王国へ行くのか。それとも、このまま帝国でワーカーを続けるのか。
ただ一つだけ確かなことがある。
アルシェと、その妹たちは生きている。そして今、遠く離れた黄金の聖王国にいるのだ。