いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
ナザリック地下大墳墓、第十階層。
玉座の間へと続く巨大な扉が開かれた瞬間、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル・ニクスの全身を、かつて経験したことのない重圧が打ち据えた。
広大な空間。天を衝くほどの天井と、目を奪われるほどに豪奢な装飾の数々。帝城の謁見の間など、この場所に比べればただの物置に等しい。
だが、ジルクニフの胃を最も激しく痛めつけているのは、空間の豪華さではなく、そこに並ぶ『絶対的な死』の具現たちだった。
玉座へ続く真紅の絨毯の左右には、見たこともない異形の怪物たちが恭しく傅いている。
その最前列に立つ者たち。銀髪の美しい吸血鬼、巨大な氷の昆虫戦士、帝城を強襲したダークエルフの双子、赤い外套を着た悪魔、そして純白のドレスを纏った絶世の美女。
彼ら階層守護者から放たれる圧倒的な気配だけで、同行している帝国の精鋭たる近衛兵たちの息は上がり、足は小刻みに震えていた。
そして、それらすべての怪物を統べる絶対の支配者。
最奥の玉座に腰掛ける、豪奢なローブを纏った巨大な骸骨――アインズ・ウール・ゴウン。
眼窩の奥で揺らめく赤い光に見下ろされた瞬間、鮮血帝と呼ばれた男のプライドは完全に粉砕された。ここは人間の来る場所ではない。神か、あるいは悪魔の領域だ。
「……よくぞ参った、バハルス帝国皇帝よ」
空間そのものを震わせるような、深く、冷たい声。
ジルクニフは必死に足に力を込め、皇帝としての威厳を辛うじて保ちながら口を開いた。
「突然の訪問を受け入れていただいたこと、感謝する。アインズ・ウール・ゴウン殿」
ジルクニフは事前に用意していた弁明を並べ立てた。
フェメル伯爵という愚かな貴族が独断でワーカーを雇い、この偉大なる墳墓を荒らしてしまったこと。帝国としては遺憾であり、伯爵の首を持参して謝罪に訪れたこと。
すべては帝国を守るための、屈辱的な切り捨てと服従のポーズだった。
アインズは黙ってそれを聞いていた。
頭蓋骨の表情は読めない。だが、その沈黙がジルクニフの恐怖をさらに煽る。
(この化け物は、すべてお見通しなのだ。私がワーカーを差し向けたことも、爺の裏切りも、すべて盤上の上で転がされている……!)
やがて、アインズがゆっくりと顎を引いた。
「よかろう。貴殿の謝罪、確かに受け取った。愚かな貴族の独断であったのなら、これ以上帝国に責を問うことはすまい」
「……寛大な処置に感謝する」
ジルクニフが内心で安堵の息を吐きかけた、その時だった。
「それよりな」
アインズの声が、一段と低く響いた。
「……はっ」
「死の探求者は知っているか?」
――心臓が、凍りついた。
ジルクニフの呼吸が止まる。赤い眼光が、自らの魂の奥底まで見透かしているように感じられた。
(来た……!)
馬車の中で組み上げた、最悪の推論。
フールーダがもたらした『王国周辺にいる、死の探求者』の話。そして、それが王国の中枢と接触を図っているという事実。
(やはりか。やはり、あの話をアインズ様も把握している……!?)
ジルクニフの優れた頭脳が、極限の恐怖と重圧の中で異常な速度で回転し始める。
西の聖王国を拠点とする『死と魂』を弄ぶ正体不明の化け物が、王国を傀儡化しようと暗躍している。そして東には、王国領内に根城を構える強大なアンデッドの魔王。
アインズ・ウール・ゴウンが、なぜこのタイミングでその『死の探求者』の名を出したのか。
(警告だ。西の化け物が王国と結びつけば、我がバハルス帝国は完全に包囲される。この御方は、私がその盤面に気づいているかどうかを試しているのだ……!)
ジルクニフは、震える声を必死に抑え込み、答えた。
「……聖王国において、死を探求する者がいるという話でしょうか」
「そうだ」
アインズが短く肯定する。
その瞬間、ジルクニフの中で疑念は完全な『確信』へと変わった。
(やはりご存知なのだ! アインズ様は、王国を裏から操ろうとするあの『化け物』の存在を認識した上で、牽制のためにあえて王国領内に姿を現したのだ!)
(ならば……帝国が生き残る道は、ただ一つ)
西の化け物と王国が完全に結びつく前に、東の魔王(アインズ)という巨大な防波堤を間に置くこと。帝国がアインズの盾の後ろに回り込み、不可侵の安全保障を得ることだ。
ジルクニフは深く息を吸い込み、決死の覚悟で口を開いた。
「アインズ・ウール・ゴウン殿。ならば……建国なさってはいかがでしょうか?」
「……なに?」
アインズの声に、微かな戸惑いが混じったように聞こえた。
だが、それはジルクニフには『我が意図に気づいたか』という王者の反応にしか思えなかった。
「貴方様ほどの絶大な力を持つ御方が、いまだ一介の遺跡の主として留まっているのは世界の損失です。西に蠢く不穏な影に対するためにも……貴方様自身が王となり、新たな国家を樹立すべきです。帝国は、それを全面的に支持いたします」
玉座の間に、水を打ったような静寂が落ちた。
傍らに控える守護者たちの視線が、一斉にアインズへと向けられる。
一方、玉座に座るアインズ――鈴木悟の頭蓋骨の中では、かつてない規模のパニックが巻き起こっていた。
(……建国? いや、俺たち別に建国したいとは一言も言ってないんだが!?)
フールーダの件でデミウルゴスたちに勝手に悪人認定されてしまったマヤの評価を、どうにか軌道修正したかっただけなのに、なぜか目の前の皇帝が『国を作れ』と言い出したのだ。
意味がわからない。だが、ここで「なぜ?」と聞き返せば、絶対の支配者としての威厳が崩壊する。アインズは必死に威厳のあるポーズを取り繕いながら、時間を稼ぐための言葉を絞り出した。
「ふむ……悪くないが?」
――沈黙。
(悪くない……悪くないが……理由がない! 何故こいつは俺に建国を勧めている!? 頼む、何かそれらしい理由を自分で言ってくれ……!)
アインズの悲痛な内心の叫びは表には出ない。
ただ、絶対的な王者の余裕を崩さず、短く促した。
「で?」
その「で?」という短い問いかけを、ジルクニフは『私が建国するとして、帝国側にどんなメリットを提示できるのだ?』という冷酷な外交交渉の合図だと受け取った。
「そうだ……エ・ランテル周辺です!」
ジルクニフは食い気味に提案を続ける。
「エ・ランテル周辺を、我々が貴方方の領土であると他国に認めさせるのです。帝国がアインズ様の国家建設を支持し、領土の正当性を外交的に保証する。そうすれば、王国は帝国の後ろ盾がある新国家に対して、簡単には手を出せなくなります!」
(これで、王国と西の化け物は東へ進軍できなくなる。帝国は安全圏から事態を傍観できる……!)
ジルクニフの提案を聞き終え、アインズはゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
(助かったああああっ!!)
アインズは内心で歓喜の雄叫びを上げた。
(建国の理由ができた! しかも俺から要求したわけじゃない、ジルクニフが勝手に提案してくれた上に、領土の保証までしてくれるのか! 最高じゃないか!)
(マヤの件はよく分からん方向に行ったが……結果的に大成功だ!)
アインズは余裕に満ちた態度で、鷹揚に手を広げた。
「よかろう。貴殿の提案、非常に興味深い。我がナザリックの力をもって、新たな国……『魔導国』を建国しようではないか」
その言葉が響き渡った瞬間。
傍らに控えていたデミウルゴスの肩が、感動に打ち震えた。
(なんと……なんという御方だ……!)
デミウルゴスは中指で眼鏡を押し上げながら、畏敬の念に打たれていた。
(皇帝自らに領土を割譲させ、我々の建国を支持させるとは。西の化け物を牽制しつつ、無血で王国の領土を奪い取る……すべては、アインズ様の深遠なる知略の通り!)
アルベドもまた、熱を帯びた瞳で主を見つめ、深く、深く頷いている。他の守護者たちも、至高の支配者の完璧な一手に対し、感嘆の息を漏らしていた。
盤上のすべての駒が、誰一人として真実を知らぬまま。
かくして、世界を揺るがす『アインズ・ウール・ゴウン魔導国』の建国が、ここに決定したのである。
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それから数ヶ月後。
世界に、激震が走った。
突如として建国を宣言した『魔導国』と、それを全面的に支持したバハルス帝国。両国の同盟軍が、領土の割譲を拒否したリ・エスティーゼ王国の軍勢と、カッツェ平野にて激突するというのだ。
その規模、およそ二十五万。
大陸の歴史上でも類を見ない特大の戦火の気配は、遠く離れたローブル聖王国の王城にもすぐさま届けられた。
聖王都、王城のバルコニー。
美しい庭園を見下ろす広々とした空間に、聖王国の最高首脳陣が集まっていた。
「今年の戦争は、少し勝手が違うようです」
手元に届いた報告書に目を落としながら、神官長ケラルト・カストディオが眉をひそめた。
「未知の魔導国という存在もさることながら、規模が大きすぎますね。二十五万……何か、途方もない思惑があるのでしょうか?」
「戦争なんぞ、毎年やってる国同士だ。どうせ今年も、新しいやり方でも試しているのであろう?」
腕を組んで壁に寄りかかっていた聖騎士団長レメディオスが、鼻で笑うように吐き捨てた。
かつての彼女なら、王国の一大事と聞けば正義を振りかざして飛び出していったかもしれない。だが、圧倒的な実力者たちに現実を叩き込まれ、絶対的な平定を成し遂げた今の彼女の眼差しは、驚くほど冷静で大局的だった。
「まったく、無益な争いを……」
レメディオスがバルコニーの眼下、陽光に照らされる美しい庭園へと視線を向ける。
そこには、かつて帝国の裏通りで絶望に暮れていた没落貴族の少女アルシェと、その双子の妹たちが、従者であるネイア・バラハと共に無邪気に駆け回る姿があった。
アルシェは今、その特異な『魔力位階を看破するタレント』の有能さを買われ、聖王女カルカの直属保安要員として召し抱えられている。外部から王城へ入り込む者を瞬時に判断するための、最高峰の生きたスキャナーとしての役割を与えられ、彼女の顔には誇りと、年相応の確かな笑顔が咲いていた。
「それにしても、本当に凄い人数がぶつかり合うことになりましたね……」
カルカが、痛ましそうに伏し目がちに呟いた。
「我々はあれほど、王国へ莫大な支援をしたというのに。それを戦争になどと……」
「まぁー、それも仕方ないだろ?」
バルコニーのテーブルで、のんびりとティーカップを傾けていたマヤが、事も無げに口を開いた。
「こっちはやることはやった。それを使うのはあちらさん次第ってな。こっちはしっかり国を守る聖女様がいるから、安泰ってもんさ。なぁ? クレマン」
隣の席で優雅に紅茶の香りを楽しんでいたクレマンティーヌが、静かに目を開けた。
彼女が平服として纏っている豪奢な真紅のチャイナドレスは、『傾城傾国』そのものである。その左手薬指には、マヤが手作りしたゴールドの結婚指輪が輝いている。第六位階相当の持続回復と、第五位階相当の守護を常時付与し続けるという、常識外れのバグ装備だった。
「支援したものを民に使わず戦争に使うか。ふざけるなと言いたいが、マヤの言う通りだ。こちらに向かわないだけマシか」
「来たら叩き潰すんだろ? なぁ〜」
マヤがヘラヘラと笑いながら、円卓を囲む面々を見回す。
彼の腰には、かつてクレマンティーヌが愛用していた四本の属性スティレットのうち、火と酸の二本が下げられていた。残り半分の雷と氷のスティレットは、クレマンティーヌの腰にある。互いの武器を半分ずつ背負う、彼らなりの夫婦の誓いの形だった。
「そのために日夜、聖剣サファルリシア2号を用いて練習しておりますゆえ! いまだ、聖女様には届きませぬが! あはははっ!」
レメディオスが豪快に笑い声を上げる。
彼女の腰にある聖剣は、『防御無視・アンデッド特効・体力吸収・絶対不壊』を備えた神話級武装へと魔改造されている。ただし、鞘から抜くと無駄に三倍光る機能がついている。
「まぁ〜ね〜。毎回一瞬、まぶしいけど、目くらましにはなってるんじゃない?」
「まぁ〜、頼もしい限りです」
クレマンティーヌの冗談めかした言葉に、カルカもふふっと笑い声をこぼす。
(ふむ……東では、一体何が起きているのでしょうか?)
ケラルトだけが、内心でかすかな疑念を抱いていた。
マヤという規格外の存在が、図らずも周辺諸国のパワーバランスを崩壊させ、東の魔王と皇帝の思考を捻じ曲げてしまったのではないか。そんな真理の欠片に、彼女の優秀な頭脳は触れかけていた。
「ま〜、固く考えても仕方ないさ」
マヤがケラルトの疑念を打ち払うように、あっけらかんと言い放つ。
「あちらさんが選んだ道ってやつさ」
東の地で世界地図が血塗られ、自分たちが『魂を弄ぶ極悪な化け物』として恐れられていることなど露知らず。
バルコニーには温かな陽だまりが落ちている。
窓の外では、アルシェと妹たちの弾けるような笑い声が、どこまでも澄み切った青空へと吸い込まれていった。