いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
リ・エスティーゼ王国の王城、ロ・レンテ城。
その一角にある豪奢な自室で、黄金の姫ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、すっかり冷めきった紅茶のカップを見つめながら、ひっそりと、そして盛大に舌打ちをした。
「……あーあ。本当に、どうしてこうなっちゃうのかしら」
誰もいない部屋に、普段の天使のような声音からは想像もつかない、酷く平坦で冷たい声が響く。
カッツェ平野での戦争は、彼女の予想を遥かに超える形で幕を閉じた。
アインズ・ウール・ゴウンという未知の魔法詠唱者が放った魔法は、たった一撃で一千人もの王国兵を蒸発させたという。
そこまではいい。問題は、その圧倒的な力を見せつけておきながら、彼がそれ以上の虐殺を行わず、あっさりと矛を収めてしまったことだ。
王国は疲弊しきらなかった。
貴族たちの権力闘争は中途半端に残り、愚兄のバルブロが行方不明になったことで、ザナックが王位を継ぐ流れが濃厚になりつつある。
国が適度に崩壊し、自分がクライムと共に安全な鎖に繋がれるという、完璧に引き直したはずの盤面が、またしても見えない手によって滅茶苦茶に掻き乱されている。
「その上、ラキュースたちまで王都を出て行っちゃうし……」
手駒として重宝していた『青の薔薇』も、もはやこの国に未練はないとばかりに、早々に西の聖王国へと旅立ってしまった。
東の魔導国。西の聖王国。
極端に歪み始めた二つの強国の間で、王国だけが中途半端なまま取り残されている。
「本当に……めんどくさいわね」
深い溜息を吐き出した直後、控えめなノックの音と共に「ラナー様、クライムです」という愛しい声が扉越しに響いた。
その瞬間、ラナーの顔に張り付いていた冷たい苛立ちは、花が咲くような無垢で完璧な笑顔へとすり替わる。
「入ってちょうだい、クライム!」
崩れゆく盤面も、今はどうでもいい。
ラナーは自身の最も重要な『宝物』を迎え入れるため、足取りも軽く扉へと向かった。
*
王都を出立し、西へと向かう街道。
なだらかな平原を進む大型の馬車の中で、イビルアイは苛立たしげに足を組み替えていた。
「おい、本当にこんな遠くまで行く必要があったのか? 聖王国まで優に一ヶ月はかかるんだぞ! 途中で野営も挟むし、そこまでして行くほどの場所か!?」
「今更文句言うなよ、ちっこいの。多数決で決めたろうが」
向かいの席で豪快に笑うガガーランに、イビルアイは仮面の奥で唇を尖らせた。
「多数決というか……ラキュースが言い出したから、お前たちが面白がって乗っかっただけだろうが! ああ、モモン様……今頃エ・ランテルでどうしておいでか……」
「そういうことじゃないよ。エ・ランテルはこれから絶対荒れるし」
「ラキュースが行くって言うなら、私たちはついていくだけ」
ティアとティナが淡々と事実を述べる。
イビルアイは忌々しげに腕を組み、窓の外を流れる景色を睨みつけた。
「えっ? でも、今のエ・ランテルはなんだか物騒になりそうだなって思っただけよ? 他に深い理由なんてないじゃない」
隣に座るラキュースが、きょとんとした顔で首を傾げる。
その言葉に、馬車の中の全員が(おいおい、こいつマジか)という視線をリーダーに向けた。
「しっかしよ」
ふと、ガガーランが少しだけ真面目なトーンに声を落とした。
「王都のゲヘナの直後……復興支援に来てた聖王国の天幕で会ったあの兄ちゃん。最初はなんだアイツって思ったよな」
ガガーランの脳裏に、王都の一角に構築された物々しい陣地の記憶が蘇る。
ザナック王子やラナー王女の護衛として天幕を訪れた際、入り口でクライムを外で待機させるよう要求してきた三白眼の従者。ガガーランがそれに凄んで見せた時、ひょっこりと現れたのがあの赤髪の青年だった。
『おいおいはこっちだろ。うちの聖女様の護衛が外で待機してるんだ。そっちの従者が誰の従者なのかは知らないけど、こっちは筋を通してるんだぞ?』
「一国の王女の護衛を外に置けって言われてカチンと来たが、言ってることは完全な正論だった。しかも、その従者の小娘の頭をポンポン撫で回して『偉いぞ!』とか笑ってやがったからな。毒気を抜かれたぜ」
「それには同意」
「うん、変な人だったけど、悪い人じゃなさそう」
双子の言葉に、ラキュースは静かに頷いた。
「そうね。最初は、私たちの死生観を侮辱しているのかと思ったわ。天幕の中で、あんな重いことをいきなり聞いてくるから……でも、違うのよね」
ラキュースの視線が、微かに揺れる。
「聖王国はもともと、東部に多くの亜人が住み着いている国。そして……亜人は、人間を家畜として食らっていたのよ」
その重い言葉に、馬車の中の空気がスッと冷えた。
「そこを、私も見誤ってしまった……つい、きつく当たってしまったな」
イビルアイが、少しバツが悪そうに俯く。あの天幕で、突然「お前こそなんだ、その仮面」と指を差された時は腹を立てたが、今思えば彼に他意はなかったのだろう。
「考えればわかることだ。あの男はきっと、数え切れないほどの死を見てきたのだろう。目の前で仲間が……化け物の腹に入っていく姿とかもな」
「ええ、本当に……それを想像しきれなかった。私たち、アダマンタイトなのにね。人の心を失っていたのかしら」
ラキュースは、自身の無意識下にある直感――マヤが途方もない死と悲しみの輪廻を渡り歩いてきた存在であるという本質――を、新世界の理屈に当てはめて解釈していた。
「何度も謝罪したいくらいだわ。あの時の彼の目……命の重さや魂の行方を問うあの目は、とても真剣だったもの」
「ちげぇねぇ……」
ガガーランが頭を掻きむしる。
「俺らは強くなった。国家に属して、嫌な依頼は蹴ることもできた。だが、聖王国は違う。勝手に捕食者が襲ってくるってんだから……たまったもんじゃねえ。その驕りで、俺は一回死んだのかもな!」
しん、と馬車の中が静まり返る。
数秒の沈黙の後、ガガーランが慌てて手を振った。
「お、おい! ここは笑うとこだろうがよ!」
「そういうことじゃないのよ、ガガーラン」
ラキュースが真剣な瞳で諭す。
「これから行くところは、それだけ死が身近で、重い場所なのよ。家畜のように食べられてしまった仲間もいたでしょう? だから、笑えないの……」
「……そ、そうだったな。俺の悪い癖だ」
ガガーランが申し訳なさそうに肩をすくめた時、空気を変えるようにティアが口を開いた。
「でも、鬼ボス。本当はあのマヤさんに会いたいんでしょ?」
「えっ!? い、いや、えーと、あははは……」
図星を突かれたラキュースが、あからさまに動揺して目を泳がせる。
「で、でもね! お揃いの指輪をつけていたから、もしかしたらご夫婦なのかもしれないし……ちょっと、それを確かめたい気持ちもあるっていうか……」
遠い西の空へと目を馳せながら、少しだけ頬を染めて乙女のような顔をするラキュース。
その横顔を見て、再び全員が(こいつ、本気で惹かれてやがるぜ……)と呆れ半分、微笑ましさ半分の息を吐き出した。
*
一ヶ月後。
長い旅路の末に聖王国へと辿り着いた『青の薔薇』の面々は、王都ホーバンスの門を潜るなり、呆気にとられていた。
「なんだ、この国……?」
イビルアイが、信じられないものを見るような声を出した。
カッツェ平野での地獄の余波など微塵も感じさせない。
街には活気が溢れ、人々は笑顔で買い物を楽しみ、子供たちが路地を駆け回っている。亜人の脅威に怯えているはずの国の首都とは到底思えない、黄金期そのもののような平和がそこにはあった。
「止まれ。入国審査を行う。冒険者とて例外ではない」
王城の入り口で彼女たちを呼び止めたのは、無機質な声だった。
見れば、カルカ直属の保安要員として働くアルシェが、妹たちを背後に控えさせながら淡々と業務をこなしていた。
彼女の持つ天生の異能によって、魔力位階の看破が瞬時に行われる。
「よし、危険な魔法的偽装はないな。通っていい。聖女様がバルコニーでお待ちだ」
「あ、ああ……」
あまりにもスムーズでシステマチックな対応に、ガガーランたちすら毒気を抜かれる。
案内された王城の最上階、陽光が降り注ぐ広大な白亜のバルコニー。
ラキュースは、かつて自分に「いい女だな」と言い放った底知れない青年との再会に、心臓を早鐘のように打たせていた。
「おお、青の薔薇ではないか! よく来たな!」
しかし、真っ先に彼女たちを出迎えたのは、日課の素振りを終えて汗を流す聖騎士団長、レメディオス・カストディオだった。
「お久しぶりです、レメディオス団長。その節は――」
「ふふん! 挨拶はよい! せっかくだから、今の私の相棒を見せてやろう!」
ラキュースの挨拶を遮り、レメディオスは自慢げに腰の剣に手をかけた。
シャキンッ! と、淀みない動作で『聖剣サファルリシア2号』が鞘から放たれた瞬間。
カッ!!!!!!!
「まぶしっ!?」
「目がァッ!?」
ガガーランとティナが思わず顔を覆う。
常軌を逸した、本来の三倍はあろうかという強烈な神々しい光がバルコニーを包み込んだ。
魔剣キリネイラムの使い手であるラキュースは、目をチカチカさせながらも、その剣から放たれる桁外れの力に釘付けになった。
「な、なんて美しい剣……! 強大な力が、光となって溢れ出ているわ……っ!」
どんな魔法的防御も貫き、振るうたびに持ち主の活力を補い、絶対に折れることのない神話級のオーラ。中二病心を激しくくすぐられたラキュースは、剣士としての羨望を隠しきれずに身を乗り出した。
「あっはっは! 眩しいだろう! マヤに付与で鍛え直してもらったら、なんかめっちゃ光るようになったのだ!」
「えっ……マ、マヤさんが……?」
ラキュースが視線を向ける。
そこには、白いパラソルの下で、聖女クレマンティーヌの隣に座り、相変わらずヘラヘラと平和そうにお茶を飲んでいるマヤの姿があった。
「ん? ああ、ラキュースさん。久しぶり。無事に着いたみたいでよかったよ」
「あ、あなたがこの奇跡の剣に、付与を……?」
興奮冷めやらぬラキュースの問いに、マヤは照れくさそうに頭を掻いた。
「ああ、その剣な。本当は抜いた瞬間に漆黒のモヤがバァーッと出て、黒い炎で燃やし尽くす仕様にしたかったんだけどさ。嫁に『悪役みたいだからやめろ!』ってガチギレされてさ。仕方なく光るようにしたんだよ。ごめんな、無駄に眩しくて」
「無駄に光る……漆黒のモヤ……!?(あ、あのレベルの神話級武装を、そんな日曜大工みたいなノリで!?)」
得体の知れない強者への恐怖など、そこには一切なかった。
ただ「規格外のアイテムをポンと作るトンデモ付与術師」であり、なおかつ「漆黒のオーラ」という闇の力に理解を示すマヤに対し、ラキュースは剣士として、そして一人の少女として、ますます強い興味と親近感を抱いてしまった。
「あ、あの……マヤさん」
ラキュースは、意を決したように一歩前に出た。
かつて天幕で会った時の張り詰めた空気はどこにもない。彼女の頬は微かに朱に染まり、視線はマヤと、その隣に座るクレマンティーヌの左手を交互に泳いでいる。
「その……不躾な質問かもしれませんが。お二人は、その……ご夫婦、なのですか?」
直球すぎる質問に、後ろで控えていたガガーランたちが「(あいつ、本当に聞きやがった!)」と頭を抱える。
しかし、当のマヤはきょとんとした顔で首を傾げた。
「ん? ああ、そうだよ。言ってなかったっけ」
「ぶっ」
横で紅茶を飲んでいたクレマンティーヌが、小さく吹き出した。
彼女はわずかに頬を赤らめながら、マヤの脇腹を軽く肘で突く。
「お前、本当にそういうところのデリカシーないよな……。ええと、まあ、そういうことだ。いろいろあってな」
悪びれる様子もないマヤと、少し照れくさそうに視線を逸らすクレマンティーヌ。
そのあまりにも自然で温かい二人の空気に、ラキュースは安堵したような、ほんの少しだけ残念そうな、複雑な微笑みを浮かべた。
「そう、でしたか。……とても、お似合いです」
東の極限の恐怖と対極にある、西の極限の日常。
拍子抜けするほどの平和な空気に包まれながら、ガガーランが苦笑混じりに口を開いた。
「ははっ、相変わらず食えねえ兄ちゃんだな。……それでよ、東の方はとんでもねえ化け物の国ができちまったが、アンタらは見に行ったりしねえのか?」
その問いに、マヤは空を仰ぎ見た。
王都の喧騒が、心地よい風に乗ってテラスまで届いてくる。
「んー……」
マヤは隣で呆れ顔をしているクレマンティーヌの髪を軽く撫でながら、なんでもないことのように笑った。
「まあ、そのうちな。気が向いたら、冷やかしにでも行ってみるさ」