いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
ナザリック地下大墳墓、第九階層にあるアインズの執務室。
そこには、重厚なデスクに座るアインズ・ウール・ゴウンと、その傍らで恭しく控えるデミウルゴスの姿があった。
室内に浮かび上がった特殊な通信用の鏡には、王都の自室で平伏する『黄金の姫』ラナーの姿が映し出されている。
「——魔導王陛下。此度は、魔導国の建国、誠におめでとうございます」
鏡越しのラナーの声は、完璧な恭順を示していた。
だが、その内側で彼女の心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。
(カッツェ平野での戦争が、たった一千人の犠牲で終わってしまった……! 私の想定した盤面とは違う。この御方は、私の見通しの甘さを叱責するおつもりなのだわ……!)
しかし、アインズの内心は全く別のところにあった。
(うーむ。西の『死の探求者』……色々警戒はしているが、よく考えたら名前すら聞いていなかったぞ。万が一、俺の知っているプレイヤーだったりしたらどうするんだ!? どうにかして、自然な流れで聞き出さないと……)
アインズは王としての威厳を保ちながら、鷹揚に頷いてみせた。
「うむ。こうして直接言葉を交わすのは初だな。見事だったぞ。そちらの第一王子だったか……あれをカルネ村へ向かわせるよう誘導し、我が国の建国に大いなる貢献を果たしたそうだな」
「い、いえ、私は何も……」
(違う……! これも試されている! 些末な手柄を褒めることで、私の本質的な落ち度を炙り出そうとしているのだわ!)
冷や汗を流すラナーに、アインズは「あははは」と(威厳を込めたつもりの)笑い声をあげた。
「そう畏まるな。お前の働きはデミウルゴスから聞いている。……ところで、今回の建国にあたり、少し確認せねばならぬことがあってな。お前は以前、西の『死の探求者』なる者と言葉を交わしたと言っていたな?」
ビクッ、とラナーの肩が跳ねた。
「な、何か……不手際がありましたでしょうか?」
「なに。お前ほどの知恵者ならば、その者の『名』を聞き出しているのではないかと思ってな。隣国として、相手の名くらいは知っておかねばならんだろう?」
(名前……!?)
ラナーの顔色が一気に蒼白になる。
(しまった……! 報告ミスだわ! 魔導国にとって最大の懸念材料である存在の『名前』という超重要情報を、私は報告しそびれていたのよ! 殺される!)
「ほ、報告ミスでございました! 大変申し訳ありません、どうかお許しください! その者は『マヤ』と名乗っておりました! すぐにご報告すべきでした……!」
床に頭を擦りつける勢いのラナーを見て、アインズは内心でホッと胸をなでおろした。
(マヤ、か……。YGGDRASILのプレイヤーネームとしても、十分にあり得る名前だな。知り合いの線はないか。……いや、本名の可能性も捨てきれない。いずれにせよ、引き続き警戒は必要だな)
「……許す。今回の働きも加味し、褒美を検討しておいてやろう。ではな」
アインズが寛大な態度で通信を切る。
鏡の向こう側で、ラナーはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「…………許された?」
自分の命が首の皮一枚で繋がったと錯覚し、黄金の姫は深い安堵の息を吐き出した。
「さて、デミウルゴスよ。先ほどの『マヤ』という男だが」
「はい。西の聖王国に留まっているとの報告を受けております。いかがなさいますか?」
「うむ。今後のためにも、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で、一度この目で『観測』しておこうと思ってな」
アインズは通信用とは別の、遠くの景色を映し出す魔法の鏡を起動し、視点を西の聖王国へと飛ばした。遠隔視の仕様上、音声までは拾えないが、視覚情報だけでも十分に価値はある。
映し出されたのは、王城のバルコニー。
白いパラソルの下で、赤髪の青年——マヤが、絶世の美女(聖女クレマンティーヌ)や、青の薔薇の面々と共にお茶を飲んでいる平和な光景だった。
(……なんだ? ただのティーパーティーじゃないか)
拍子抜けしたアインズだったが、次の瞬間、空から猛スピードで降下してきた『影』を見て、眼窩の奥の紅い光を強く瞬かせた。
(あれは……パワードスーツ!? アズス・アインドラか! なぜ彼が聖王国に!?)
無音の鏡の中、バルコニーに降り立ったアズスが、フェイスオープンをして何かを喋っている。
その視線と軽薄な笑みが、パラソルの下にいるクレマンティーヌへと向けられた。身振り手振りからして、間違いなく彼女を品定めし、侮蔑的あるいは軽薄な言葉を投げかけているのがアインズにも分かった。
(おい、待て待て待て! お前……そこにいる男が誰か分かってるのか!? 俺がこの世界で一番手を出したくない相手だぞ!?)
アインズの胃(存在しないが)がキリキリと痛み始めた直後。
クレマンティーヌの隣にいたマヤから、一切の表情が消え失せた。
(バ、バカヤロォォォォォォッ!! 地雷を踏んだぞ!!)
敵陣営であるはずのアズスの命を、アインズが本気で心配した次の瞬間。
マヤがスッとアズスの懐に入り込み、パワードスーツの胸部に触れた。
音のない鏡の中で、パワードスーツの強固な装甲が、内部から理不尽に弾け飛んだ。
(…………え?)
アインズの思考がフリーズした。
装甲を失い、床に放り出されたアズス。
そこに歩み寄ったマヤが、一切の容赦なくアズスの鳩尾に蹴りを突き刺す。アズスがくの字に折れ曲がって胃液を吐き出す映像が、鮮明に映し出される。
マヤは倒れ伏すアズスを見下ろしたまま、さらに右拳でその顔面を真横に叩き潰した。
(待て……待て待て待て!! なんだ今の打撃!?)
アインズのYGGDRASILの知識(ゲーマー脳)が、フル回転でエラーを吐き出していた。
(魔法の詠唱がない! スキル発動のエフェクトも、MPが消費された痕跡もない! 武技とも違う! なのに、神話級の硬度を持つはずのパワードスーツを素手の一触りで爆破しただと……!?)
さらにアインズを戦慄させたのは、その直後の光景だった。
顔面を砕かれたアズスに対し、マヤの左手に淡い緑色の光が灯る。それがアズスに触れると、砕けた骨が瞬時に繋がり、ダメージが回復していくのが見て取れた。
(かい……ふく!? いや、回復魔法の光じゃないぞ、あれは! 全く別のエネルギーだ! しかも、なんで自分で殴っておきながら強制的に治してるんだ!?)
(というか——なんであんなに強いのに、戦い方が『ただの喧嘩』なんだ!?)
未知の超常存在。そう警戒していた相手が、いざ蓋を開けてみれば「魔法もスキルも使わず、ただひたすらに圧倒的な物理打撃でタコ殴りにしている」という事実。
YGGDRASILのシステムという『世界の理』の枠外にあるその暴力は、アインズにとって最も理解不能で、最も恐ろしい光景だった。
だが、アインズはふと、マヤの冷え切った瞳を見て直感した。
(……あいつ、戦闘狂(バトルジャンキー)じゃない。戦うこと自体を楽しんですら見えない。ただ……本気で怒っているだけだ)
アズスの無礼な態度。それに対する怒りによる行動だと、アインズの人間としての部分(鈴木悟の感性)が正しく理解しかけていた。
「——なるほど。恐ろしい男です」
しかし、隣で鏡を見ていたデミウルゴスが、感嘆の息を吐きながら口を開いた。
「え?」
「圧倒的な力がありながら、あえて魔法もスキルも一切使わず、極めて原始的な『物理打撃』のみを選択し続けている。お分かりですか、アインズ様。彼は、いつ誰に観測されても自身の能力体系(システム)を悟らせぬよう、完璧な情報統制を行っているのです」
「……」
「怒りに任せているように見せかけて、その実、底が見えない。恐るべき深謀遠慮……!」
(違う!! たぶん普通にキレて殴ってるだけだ!!)
アインズは心の中で叫んだが、デミウルゴスの尊敬に満ちた眼差しを向けられ、威厳たっぷりに頷くしかなかった。
「う、うむ。さすがはデミウルゴス、その通りだ」
(なんでだよ!! なんでそうなるんだよ!!)
そんなアインズの悲鳴など知る由もなく、無音の鏡の中の拷問は続いていた。
だがその時——空から、新たな影が舞い降りた。
四本の武器を周囲に浮遊させた、白金に輝く全身鎧。
(——なんだ!? あの白金に輝く鎧は!?)
アインズは眼窩の紅い光を鋭く細めた。
(浮遊している……いや、違う。あの中には、誰も入っていない!? 遠隔操作のゴーレムか何かか!?)
(未知のプレイヤーか!? それとも、この世界の隠れた強者か!? なぜあんなモノがここに……アズスの援軍として現れたのか!?)
マヤというシステム外のバケモノと、突如現れた得体の知れない白金の鎧。
絶対に交わってはならない二つの規格外が、ついに接触してしまった。
アインズが固唾を飲んで鏡を凝視した、その瞬間。
鏡の中に映る白金の鎧が、ふと顔を上げた。
そして、はるか遠方から覗き込んでいるアインズと、視線が交差した——ような気がした。
パキンッ!!!
「——ッ!?」
ノイズが走り、魔法の鏡の映像がプツンと真っ暗に途切れた。
「なっ……映像が途切れた!?」
アインズが思わず声を上げる。
「……どうやら、あの白金の鎧が我々の観測(スクライング)に気付き、強制的に妨害(ジャミング)を挟んだようですね。何者かは不明ですが、極めて高度な防壁技術、あるいは特殊な力を持っているようです」
デミウルゴスが眼鏡を押し上げながら、警戒心を露わにして分析する。
だが、アインズの内心は冷静さなど欠片もなかった。
(一番肝心なところで!?)
(待て、これからどうなる!? あの謎の鎧とマヤは激突するのか!? それとも、鎧がアズスを助けに来たということは、奴らは裏で手を組んでいるのか!?)
(もし、あのシステム外のバケモノと、観測を弾くほどの強力な鎧の主が同盟を結んで、ナザリックに攻めてきたら……!!)
真相は闇の中。
アインズの脳裏には、「底知れない暴力を持つ男」と「正体不明の白金の鎧」が並び立つ最悪のビジョンだけが焼き付いていた。
「……警戒レベルを引き上げろ、デミウルゴス。西の動向からは、一時も目を離すな」
「はっ。御意のままに」
(あああ……胃が痛い……!!)
何も知らないがゆえに、ナザリックの王は今日も見えない恐怖と戦い続けるのだった。