いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
魔導国が建国されてから、しばらくの時が経った頃。
ナザリック地下大墳墓、第九階層。至高の四十一人を束ねる絶対の支配者にのみ許された豪奢な執務室にて、一つの報告がもたらされていた。
分厚い絨毯が敷かれ、魔力によって常に適温に保たれた静謐な空間の中、虚空に浮かび上がる通信の鏡。その向こう側では、王都に留まる『黄金の姫』ラナーが、ひざまずき恭しく頭を下げている。
「――ご報告いたします、魔導王陛下」
鈴を転がすような、しかし感情の読めない完璧な声音でラナーが告げた。
「王国の国境付近、エ・ランテルへと続く街道沿いを巡回していたアンデッドの部隊が、一人の男を保護いたしました。ひどく衰弱しておりましたが……身元を確認したところ、かつて『朱の雫』に所属していたアダマンタイト級冒険者、アズス・アインドラであると判明いたしました」
「ほう……」
アインズは、骨のみの顔に一切の表情を浮かべることなく、威厳を保ったまま低く重い相槌を打った。
しかし、その内心では(は!?)と盛大に驚愕の叫びが上がっていた。
(アズス・アインドラだと!? なぜ魔導国の国境に!? あの時、遠隔視の鏡越しに、マヤとかいう赤い髪の男にボコボコにされていたパワードスーツのオッサンじゃないか!)
あの直後、白金の竜王(ツアー)と思わしき未知の強力な鎧が上空に降臨し、直後に鏡の映像は完全にブラックアウトしてしまった。
アインズにとって、あそこから先は完全な『空白の時間』だった。マヤと竜王はどうなったのか。激突したのか、それとも手を組んだのか。その結末を知る手立てを失っていたアインズにとって、当事者の一人であるアズスの出現は、文字通り寝耳に水であった。
「それで……その男は、なぜあのような場所にいたのだ? あの強力なパワードスーツはどうした?」
「それが……」
ラナーは少しだけ顔をしかめ、不可解そうに報告を続けた。
「発見された時、彼はパワードスーツはおろか、身の回りの装備を一切持たず、ボロ布一枚を纏っただけの状態だったそうです。極度の衰弱による譫言(うわごと)で、『赤い髪のバケモノにスーツを粉々にされ……身ぐるみ剥がされた』と繰り返しているとか」
(ひぃぃぃぃっ!?)
アインズの存在しない胃が、きりきりと締め付けられた。
(あの硬いスーツを素手で粉砕された上に、身ぐるみ剥がされて放逐された!? なんだその容赦のなさは! やはりあのマヤとかいう男、とんでもないバケモノじゃないか!)
未知の情報が喉から手が出るほど欲しかった。あのブラックアウトの後に何があったのか。マヤの能力の底はどうなっているのか。
アインズは、焦りを悟られまいとゆっくりと立ち上がった。漆黒のローブが重厚な音を立てて翻る。
「……そういうわけだ、デミウルゴス。今からそいつを、私が直接回収に行く」
その言葉に、傍らに控えていたナザリックの最高頭脳、デミウルゴスが微かに眉を動かした。
「アインズ様ご自身が、ですか? 保護したというのであれば、配下の者に運ばせれば済むこと。わざわざ至高なる御自らが赴かれるほどの価値が、あの男にあるのでしょうか?」
「いや」
アインズは眼窩の紅い光を鋭く細め、威厳たっぷりに、かつ意味深に言い放った。
「……早急に『尋問』せねばな。……わかるな?」
アインズとしては「情報が今すぐ欲しいから、配下に任せず自分で行く」というだけの意味だった。しかし、その短い言葉と含みを持たせた間の取り方は、深読みの天才である悪魔の思考を激しく刺激した。
デミウルゴスの顔色が、ハッと一変する。
「……! 畏れ入ります。そういうことでしたか……!」
(よし、何か納得してくれたらしい!)
アインズは内心でガッツポーズを決めると、『上位転移(グレーター・テレポート)』を発動して執務室から姿を消した。
***
数時間後。
ナザリックの牢獄にて、情報収集魔法と精神支配を併用したアズスへの過酷な尋問が完了した。
執務室に戻ったアインズは、玉座に深く腰を沈めながら、得られた情報を頭の中で整理していた。
(……なるほど。マヤは竜王(ツアー)の鎧を蹴り飛ばして撃退した後、アズスを殺さずに『全裸で徒歩で帰れ』と放り出したのか)
ここで、アインズの中の『鈴木悟』としてのゲーマーの感性と、一人の社会人としての感性が、マヤという存在の本質を正しく捉え始めていた。
(……やはり、あの男は無闇に命を奪う『残虐な戦闘狂』ではない。あの時、アズスはマヤの身内――彼が大切にしている聖女を侮辱した。それに激怒しての行動だったわけだ。命までは取らず、『身ぐるみ剥がしての追放』という罰で済ませたのは、身内を侮辱されたことへの、彼なりの徹底した『落とし前』だったということか)
根は理性的であり、身内を思いやる心もある。無差別に殺戮を好む悪人ではない。対話の余地は十分にあるはずだ。
……だが、アインズにとっては「だからこそ」恐ろしかった。
(YGGDRASILのルール――HPや防御力の概念を完全に無視してパワードスーツを粉砕する『システム外の力』は本物だ。……あいつの身内や『地雷』にさえ触れなければ安全かもしれない。だが、一度でも踏み抜けば、システム無視の暴力で理不尽に叩き潰される……!)
PK(プレイヤーキル)のセオリーすら通用しない。絶対に、絶対に敵に回してはいけない相手だ。
アインズがそう結論づけて胃を痛めていた時、報告書に目を通していたデミウルゴスが、ふぅむ、と感嘆の息を吐き出した。
「……素晴らしい。アインズ様がわざわざ御自ら、最速で出向かれた理由が分かりました」
「ん? ……ああ。そうだな」
(何かまた勘違いしてるな、これ)
アインズが鷹揚に頷くと、デミウルゴスは尊敬と熱狂に満ちた眼差しを向けてきた。
「アインズ様は、アズスが魔導国領に『たどり着いた』こと……それ自体が、マヤ殿からの『不可侵の誓いと歩み寄り(政治的メッセージ)』であると瞬時に看破なされたのですね」
「――えっ?」
思わず素の声が出そうになるのを、アインズは必死に堪えた。
「竜王の駒であるアズスを殺さず、危険なアイテム(パワードスーツ)だけを没収し、あえて魔導国側に放り出した。これは魔導国に対し、『私は竜王とは組んでいない』という明確な証明。そして『この捕虜を手土産に、お互い不可侵を貫こう』という、彼なりの強者としての『義と礼』の提示です」
「あ……ああ。うむ」
「相手がそれほどまでに高度な『礼』を尽くして歩み寄ってきた以上、放置するのは強者の対応として悪手。ゆえに、アインズ様はあえて御自ら出向くことで、彼に対して『最上級の誠意』を行動で示された。……なんという見事な采配!」
(いや、ただ全裸のオッサンが歩いてきただけだろ!? どこをどう深読みしたらそんな天才的な政治メッセージになるんだよ!?)
「マヤ殿……己の能力を隠し通す完璧な情報統制に加え、これほど見事な政治的駆け引きを行ってくるとは。恐るべき知将です。もはや盤面は整いました」
デミウルゴスは眼鏡を押し上げ、恭しく一礼した。その隣では、守護者統括であるアルベドが、完璧な淑女の笑みを浮かべて静かに頷いていた。
「素晴らしいご慧眼ですわ、アインズ様。魔導国の威信を示すためにも、早急に使節を送るべきでしょう」
アルベドの言葉は、デミウルゴスの提案を全面的に支持するものだった。
しかし、彼女の内心は、その美しい微笑みとは裏腹に、どす黒い怒りと憎悪で煮えくり返っていた。
(——アインズ様に『誠意』を見せさせるだと? あの西の得体の知れない男が?)
(自分から頭を垂れて平伏しに来るならともかく、遠回しな小細工で至高の御方を煩わせ、あまつさえ『対等な交渉相手』のように振る舞うなど……万死に値する。今すぐこの手で、八つ裂きにしてやりたい……!)
ナザリックの絶対的な主であり、彼女の愛するアインズ・ウール・ゴウン。その彼に警戒を強いるような真似をさせる存在など、アルベドにとっては耐え難い侮辱でしかなかった。表面上は外交使節の派遣に賛同しつつも、彼女の腹の底では「使節として赴き、いざとなれば極秘裏に暗殺部隊を差し向けるか」という危険すぎる算段が渦巻いている。
デミウルゴスがさらに言葉を継ぐ。
「こうなれば、次は我々から、極めて友好的な『公式の外交使節』を西の聖王国へ派遣し、盟約を結ぶべきです」
「なっ……!?」
(使節団!? いや、行かせるのはいいが、もし使節の誰かがマヤの『地雷』を踏んだら、ナザリック全体がシステム外のバケモノと戦争になっちまうぞ!)
血の気の引く思いだった。ナザリックのNPCたちは優秀だが、同時に「至高の四十一人以外は下等生物」という強烈な選民思想を持っている。そんな態度でマヤの元へ行けば、確実に地雷を踏み抜いて消し炭にされる。
アインズはゆっくりと玉座から身を乗り出し、極めて低い、本気の警告の声を響かせた。
「……よいか、二人とも。そして、これから赴く使節に厳命しておく」
「「ハッ!」」
「あの男は、無闇に血を好む獣ではない。だが、彼には『絶対に踏み越えてはならない一線』がある。……彼が重んじる者たちを、決して侮辱するな。我々の常識や、強者の驕りで測ろうとするな」
しん、と執務室の空気が張り詰める。
魔導王から発せられる絶対的な威圧感と、真に迫る警告の響きに、二人の守護者の背筋がピンと伸びた。
「行く者には、最上級の敬意を払わせろ。相手の地雷に触れるような一切の無礼は、この私が許さん。……分かったな?」
「「御意に……!」」
深々と平伏する二人。アルベドは(アインズ様がそこまで仰るのなら……忌々しいですが、今は従いましょう)と湧き上がる殺意を奥底へ沈め、デミウルゴスは(ふふ、高度な政治戦の幕開けですね)と歓喜に打ち震えていた。
***
ナザリック地下大墳墓の心臓部、玉座の間。
巨大なシャンデリアが眩い光を放ち、至高の四十一人の旗指物が荘厳に垂れ下がる大広間に、全階層守護者たちが一堂に会していた。
彼らの後方には、戦闘メイドである『プレアデス』の面々が、一糸乱れぬ完璧な姿勢で静かに控えている。彼女たちは下位の存在として一言も発することはないが、その洗練された佇まいは、ナザリックの圧倒的な層の厚さを物語っていた。
玉座に座るアインズが、ゆっくりと立ち上がる。眼窩の紅い光が、守護者たちを順に見据えた。
「――聞け! 階層守護者たちよ!」
朗々たる魔導王の声に、全員が一斉に深く首を垂れる。
「西の聖王国に留まる『死の探求者』マヤ。彼より、我が魔導国への不可侵と歩み寄りのメッセージが届いた。これに応えるため、我々は極めて友好的な『公式の外交使節団』を派遣する」
「おお……!」
「此度の任務は武力制圧ではない。あくまで友好的な交渉であり、ナザリックの威信を損なわず、かつ相手に一切の無礼を働かない『極めて高度な立ち回り』が要求される」
アインズがそこまで言い切った直後。
いの一番に顔を上げ、目を輝かせて身を乗り出した者がいた。
「アインズ様ッ! その大役、ぜひとも私くしめにお任せくださりませ!」
真紅の豪奢なドレスを翻し、第一から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンが進み出た。
彼女の瞳には、アインズへの絶対的な忠誠心と、守護者統括であるアルベドに対する猛烈な対抗心が燃え上がっている。「誰よりも至高の御方の役に立ちたい」という純粋な渇望が、彼女に一番槍を名乗り出させたのだ。
「私くしめが使節として赴き、アインズ様の偉大さと慈悲を、西の者どもに完璧に示してみせますありんす!」
「えー? 無理でしょ」
しかし、やる気に満ちた吸血鬼の言葉を、横からあっさりとへし折る声が響いた。
第六階層守護者であるダークエルフの少女、アウラ・ベラ・フィオーラである。
「なっ……!? なんですってぇ!?」
「だってシャルティア、外交とか一番向いてないじゃん。ちょっと煽られたらすぐ『血の狂乱』になってキレるし、アインズ様が『絶対に無礼を働くな』って言ってるのに、絶対ぶち壊しにするって」
「ち、ちがいりんす! 今の私くしめは、知性的で忍耐強い完璧な淑女でありんすよ! ねぇアインズ様!?」
「あ、あの、僕も、お姉ちゃんと同じ意見で……シャルティアさんだと、ちょっと心配というか……」
双子の弟マーレまでもがオロオロしながら同意し、シャルティアが「キィィッ!」と地団駄を踏む。ナザリックらしい、どこか微笑ましい姉弟喧嘩のようなやり取りだ。
その様子を見守っていた第五階層守護者、コキュートスが、口から冷気を吐き出しながら重々しく口を開いた。
「我モ……赴イテミタイガ。相手ハ、アインズ様ガ認メルホドノ強者ト聞ク。武官デアル我ニハ、外交ノ機微ハ難シイカ。剣ヲ交エテ語リ合ウノナラバ、誰ニモ遅レハ取ラヌガ」
「コキュートス、今回は戦闘ではないのだから駄目よ」
アルベドがたしなめるように言い、スッと一歩前へ出た。
「アインズ様。相手は未知の底知れぬ男。ここは守護者統括である私が赴き、相手の力量と真意を正確に測るべきかと存じます。万が一にも、我らの手におえぬ不手際があってはなりませんゆえ」
(頼むから誰も手を出さないでくれよ……!)
アインズは内心で大焦りしながらも、威厳を崩さずに低く笑声を漏らした。
「ふ、ふははは。皆の忠義、嬉しく思うぞ。……だが、此度の使節は極めて重要だ」
玉座の間に、ピリッとした緊張が走る。
全員が固唾を飲んで、至高の御方の決定を待っていた。背後に控えるプレアデスたちも、その美しい顔を伏せたままで、主の言葉に耳を澄ませている。
果たして、システム外のバケモノと、自らの命を守るために側室探しに燃える正妻が待ち構える聖王国へ、ナザリックから派遣されるのは誰になるのか。
「――では、決めようではないか。我が名において、西へ赴く者を」
アインズの眼窩の光が、妖しく煌めいた。