いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
ローブル聖王国、王都ホーバンス。
その中心にそびえ立つ王宮の最も格式高き場所、『謁見の間』。
大理石の床が磨き上げられ、荘厳なタペストリーが壁を飾るその空間には、張り詰めた空気が満ちていた。
部屋の左右には聖王国が誇る精鋭たる聖騎士たちが整然と並び、その手はいつでも剣の柄に掛けられるよう微かに緊張を孕んでいる。
一段高い玉座に座すのは、聖王女カルカ・ベサーレス。
その傍らには神官長ケラルト・カストディオが控え、さらに特例の護衛として二人の人物が並んでいた。
一人は、スレイン法国から奪い取った真紅のチャイナドレス――世界級アイテム『傾城傾国』を身に纏い、妖艶なオーラを漂わせる聖女クレマンティーヌ。
もう一人は、壁によりかかり、どこか退屈そうに欠伸を噛み殺している男、マヤ。
重厚な扉が開かれ、魔導国の特使が姿を現した。
先頭を歩くのは、漆黒の豪奢なローブを纏い、威厳に満ちたオーラを放つ骸骨の王。
その後ろには、純白のドレスに身を包んだ絶世の美女、守護者統括アルベド。
そして、仕立ての良いスーツを着こなし、宝石のような瞳の奥に底知れぬ知性を輝かせる悪魔、防衛外務卿デミウルゴス。
三人の特使が玉座の前に進み出る。
アルベドは顔に完璧な淑女の微笑みを貼り付けながら、内心で酷薄に周囲を見下していた。
(……これが一国の王の謁見の間? ナザリックの『玉座の間』に比べれば、まるで豚小屋のような狭さと薄汚さ。よくもまあ、こんな場所でアインズ様を迎えようなどと。この下等生物ども、身の程を弁えさせる必要があるわね)
一瞥するだけで反吐が出そうな空間だったが、至高の御方から厳命されている以上、アルベドの態度は微塵も崩れない。
沈黙を破ったのは、玉座のカルカだった。
「ようこそおいでくださいました、魔導国の方々」
その言葉を受け、骸骨の王が恭しく一礼する。
「ご丁寧な歓迎、感謝する。聖王女カルカ殿。そして、この国に安寧をもたらしたと名高き聖女クレマンティーヌ殿。此度は、急な訪問に応じてもらったこと、重ねて礼を言おう」
淀みない、威厳に満ちた王の振る舞い。
挨拶が一段落すると、アルベドが一歩前へと進み出た。
「では、此度我々が参りました目的についてお話しさせていただきます。先日、我が魔導国の領土にて保護いたしましたアズス・アインドラ殿の件につきまして、貴国との間に無用の摩擦を避けるべく――」
流れるような外交辞令。
(早く終わらないかしら。羽虫相手の茶番など、疲れるだけ)
内心で毒づきながらも、アルベドは滑らかな口調で聖王国との不可侵の盟約について語り続ける。
カルカはアルベドの言葉を真剣な表情で聞き入り、ケラルトもその内容を吟味するように目を細めていた。
一方、クレマンティーヌはといえば。
(あー……長い。早く終わんないかな〜)
完全に集中力を切らし、退屈そうにチャイナドレスの裾を弄っている。
だが。
「…………」
壁によりかかっていたマヤが、ふと視線を鋭くした。
カルカがアルベドの提案に相槌を打とうとした、まさにその時。
「おい、骨野郎」
謁見の間に、マヤの面倒くさそうな声が響き渡った。
「その女が喋ってる裏で、誰と通信してやがる? お前、偽物だろ。舐めてんのか?」
一瞬、何が起こったのかカルカたちには理解できなかった。
「えっ?」
カルカもケラルトも目を丸くしてマヤを見た。彼が突然何を言い出したのか、聖王国側の人間は誰も状況を飲み込めていない。
だが、ナザリック側だけは違った。
(なんでバレた!?)
遠く離れたエ・ランテルの執務室。そこから『伝言』の魔法でパンドラズ・アクターを遠隔操作していた本物のアインズの胃袋が、弾け飛んだ。
完璧な隠密通信。レベル100に匹敵する変装。アルベドの演説の裏で密かに飛ばした指示を、一瞬にして見破られたのだ。
アルベドは、表面上の微笑みをピクリとも崩さず、内心で冷ややかに事態を分析した。
(……フン。下等生物にしては、なかなかの着眼点。ですが当然のこと。あのような紛い物が、私の愛する至高の御方を完全に模倣できるはずなどありません。パンドラズ・アクターもまだまだね)
図星を突かれたことへの怒りではなく、パンドラズ・アクターの未熟さを嘲笑う。
ポカンとするカルカたち。
裏側でパニックに陥るアインズ。
冷笑するアルベド。
極端な温度差が謁見の間を支配する中、動いたのはデミウルゴスだった。
彼はスーツの襟を正すと、パンドラズ・アクターを庇うようにスッと前に出て、マヤに向けて深く頭を下げた。
「……お見事です、マヤ殿。我が主の真意をそこまで見抜かれるとは」
その言葉に、カルカたちが息を呑む。偽物だという指摘を、魔導国側が明確に認めたのだ。
レメディオスたち聖騎士が反射的に剣の柄に力を込める。一触即発の空気が膨れ上がる中、デミウルゴスは冷静に言葉を続けた。
「我が主は、己の非礼を深く恥じ、今すぐ直接この場に参ると申しております。――しかし、聖王女殿。この神聖なる『謁見の間』に直接転移門を開くのは、貴国の安全保障を脅かす最大の非礼。恐れ入りますが、王宮の『中庭』に門を開く許可をいただけないでしょうか?」
相手を立て、自らの非を認めた上での提案。
カルカはマヤを見た。マヤは鼻を鳴らす。
「おう、呼べよ。ちゃんと表から来い」
カルカの指示のもと、特使たちと聖王国の面々は謁見の間を出て、王宮の中庭へと移動する。
中庭には、王宮の外周を警備していた後方支援部隊がずらりと並んでいた。その中には、凶悪な三白眼を持つ従者、ネイア・バラハの姿もある。彼女は突如として現れたカルカたちと特使たちを見て、ただならぬ空気に弓を強く握りしめた。
中庭の中央に、漆黒の半球体――『転移門』が開通する。
その奥から、先ほどの影武者とは比べ物にならないほど濃密で、圧倒的な死の気配を纏った本物のアインズ・ウール・ゴウンが姿を現した。
聖騎士たちが戦慄する中、アインズはゆっくりと歩みを進め、マヤとカルカの数歩手前で立ち止まった。
そして、一切の言い訳を挟まずに、深く頭を下げる。
「新興国ゆえ、暗殺を極度に警戒するあまり、影武者を立ててしまった。我が器の小ささを恥じる。私が本物の、アインズ・ウール・ゴウンだ」
自らの非を認め、他国の王たちの前で素直に謝罪する。
その姿を見たマヤは、冷めた声で短く応じた。
「……そうか」
興味もなさそうに言い捨てたマヤの態度に、カルカが間を取り持つように口を開く。
「では、魔導王殿。再び室内の会議室へ――」
「いや、案ずるな」
アインズはカルカの言葉を遮った。
「神聖なる謁見の間を、影武者で汚してしまったこと、重ねて詫びよう。本来ならば再び室内に戻るべきであろうが、それでは貴国に移動の手間ばかりをかけてしまう。詫びの印として、私がこの空の下に席を用意しよう」
アインズが虚空に手をかざす。
魔法の詠唱はない。マヤの感知能力にも、魔力の波は一切引っかからなかった。
アインズが使用したのは、プレイヤーにのみ許されたシステム――『アイテムボックス』からの直接展開であった。
ゴトリ、という重厚な音と共に、王宮の中庭に信じられない光景が出現した。
何もない空間から、突如として広大な漆黒の野外天幕が現れる。その下には磨き上げられた大理石の円卓と、極上の座り心地を約束する豪奢な椅子が人数分、寸分の狂いもなく配置されていた。
「給仕を」
アインズの声に応えるように、二人のメイドが音もなく姿を現した。
一人は、知的な眼鏡をかけ、完璧な姿勢で控えるメイド、ユリ・アルファ。
もう一人は、眼帯をつけ、一切の感情を読み取れない精巧な人形のようなメイド、シズ・デルタ。
二人は一礼すると、円卓に純白のテーブルクロスを広げ、至高の茶葉から淹れた紅茶を手際よく準備し始めた。
「……へえ。こりゃ便利だな」
マヤは用意された椅子に腰を下ろした。カルカやクレマンティーヌたちも、魔導王の底知れぬ力に圧倒されながら席に着く。
円卓の周囲を、聖王国の騎士たちが遠巻きに護衛として囲む。
その陣形の端で、弓を携えたネイア・バラハの凶悪な視線が、給仕を行うシズ・デルタの姿を捉えていた。
ティーカップを静かにテーブルへ置くシズ。
彼女がふと顔を上げ、一つ目だけの無機質な瞳が、数十メートル先のネイアの視線と空中で真っ直ぐに交差する。
言葉は何もない。表情の変化もない。
だが、確かな実力を持つ射手同士にしか分からない奇妙な波長が、二人の間に音もなく流れていた。