いつのまにか、聖女?どうしてこうなった?   作:マイナーチョコ

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第三部:第2話 傾城傾国

ローブル聖王国の王宮中庭。

突如として出現した広大な漆黒の野外天幕の下、磨き上げられた大理石の円卓に、聖王国の首脳陣と魔導国の特使たちが席に着いた。

 

「給仕を」

 

アインズ・ウール・ゴウンの低く響く声に応え、二人のメイドが円卓の傍らに進み出た。

一人は知的な眼鏡をかけた、まとめ髪のメイド。彼女はカルカたちに向かって流麗な動作で一歩下がり、完璧なカーテシー――淑女の礼を取った。

 

「お見知りおきを。私はアインズ様にお仕えするメイド隊『プレアデス』が副リーダー、ユリ・アルファと申します。本日は至高の御方より、皆様へ給仕を行う栄誉を賜りました」

 

鈴を転がすような澄んだ声。それに続くように、眼帯をつけたもう一人のメイドが、微塵の感情も読み取れない無機質な瞳を向け、小さく頭を下げた。

 

「……シズ・デルタ」

 

簡潔な名乗りと共に、ユリとシズは純白のテーブルクロスの上に極上の茶器を手際よく並べ、立ち昇る湯気とともに芳醇な香りを放つ紅茶を注いでいく。

流れるような、一切の無駄がない動き。

カルカとケラルトは、ただの給仕であるはずの二人のメイドから放たれる、研ぎ澄まされた戦士のような気配に息を呑んだ。

出された紅茶から甘い香りが漂うが、得体の知れないアンデッドの王が出現させた飲み物である。毒や精神支配の魔法薬が混入されている可能性を危惧し、カルカたちはティーカップに手を伸ばすことすら躊躇して固まっていた。

 

円卓から少し離れた外周。聖王国の騎士たちが遠巻きに天幕を警戒する中、後方支援部隊の端に立つネイア・バラハの凶悪な三白眼は、シズ・デルタの一挙手一投足に釘付けになっていた。

 

(メイドなのに、あの動き……重心のブレが全くない。あれは間違いなく、手練れの狙撃手だ!)

 

弓を扱う者特有の直感。

ネイアの鋭い視線に気づいたのか、ティーカップを置き終えたシズがふと顔を上げた。一つ目だけの無機質な瞳が、数十メートル先のネイアの視線と空中で真っ直ぐに交差する。

 

その異様な緊張感を孕んだ沈黙を破ったのは、円卓の主であるアインズだった。

 

「案ずるな、毒など――」

 

王としての威厳を湛えたアインズが、カルカたちの警戒を解くために言葉を発しようとした、まさにその瞬間だった。

 

「……」

 

マヤがスッとティーカップを手に取った。

カップとソーサーが触れ合う音すら一切立てず、洗練された極めて優雅な作法で、躊躇いなく紅茶を一口飲み干す。

 

「俺はマヤっていうんだ」

 

アインズの言葉を完全に遮り、マヤは事も無げに口を開いた。

 

「ユリとシズ、よろしくな。美味い茶をありがとよ」

 

給仕を行うメイドに対して直接礼を述べる。その気さくでありながら隙のない振る舞いに、カルカたちは驚きに目を瞬かせ、ナザリックの面々は微かに眉を動かした。

 

マヤはカップをソーサーに戻すと、円卓の空気を無視して視線を外へ向けた。

 

「……ん? なんだお前ら二人、さっきから妙に気にし合ってんな。同業者か?」

 

マヤの視線の先には、無言のまま視線を交差させ続けているシズとネイアの姿があった。

 

「おい、ネイア。せっかくだ、そっちのメイドさんと少し話でもしてろよ」

 

マヤの唐突な提案。それは無骨な言い回しでありながら、張り詰めていた聖王国側の空気を解し、敵対心ではない交流のきっかけを不器用ながらに作ろうとする、彼なりの気配りだった。

マヤが先陣を切って毒見を行い、軽口を叩いたことで、カルカとケラルトもようやく強張った肩の力を抜き、恐る恐るティーカップへ口をつけた。

 

空気が、わずかに和らぐ。

マヤが場を丸く収めようと動いた、そのほんのわずかな隙だった。

 

アインズ・ウール・ゴウンの紅い眼光が、正面に座るクレマンティーヌの姿を、正確には彼女が身に纏う真紅のチャイナドレスを捉えてしまった。

 

(なっ……間違いない、世界級アイテム! なぜ、なぜあの女が着ている!?)

 

それは、かつてユグドラシルという世界で頂点を極めたプレイヤーとしての、強烈なコレクター魂と、未知の脅威に対する絶大な警戒感の暴走だった。

アインズの思考は一瞬にしてドレスの性能と由来の推測に塗り潰され、魔導国の王としての振る舞いすら抜け落ちた。

彼は微動だにせず、無言のままクレマンティーヌの胸元から裾に至るまで、穴が開くほど凝視し続けてしまった。

 

その真横では、先ほどのマヤの言葉によって出鼻を挫かれたアルベドが一歩前に出て、カルカへ向けて不可侵条約の具体的な実務について語り始めていた。

完璧な淑女の笑みを浮かべ、淀みない言葉を紡いではいる。

しかし彼女の内心は『下等生物相手の茶番など、反吐が出る』という傲慢な見下しで満ちており、その不遜で嫌々なオーラが、言葉の端々から隠しきれずに滲み出していた。

 

身内をジロジロと品定めするように凝視し続ける魔導王。

そして、嫌々仕事をしているオーラを隠そうともしない宰相。

 

そのあまりにも不誠実なナザリック陣営の態度に、マヤの目が、スッと氷のように冷たく据わった。

 

コトリ。

 

マヤがティーカップを静かに置く。

彼は無言のままゆっくりと席を立つと、円卓を回り込み、実務を語り続けていたアルベドの眼前へと歩み寄った。

 

「……おい! 大将」

 

突然の鋭い声。

マヤはアルベドのすぐ横に立ち、その見下ろすような視線は、クレマンティーヌを凝視したまま固まっていたアインズを真っ直ぐに射抜いていた。

 

「さっきから何、聖女様ばかりジロジロ見てんだ?」

 

一瞬にして、中庭の空気が凍りついた。

カルカの背筋に冷たい汗が伝う。

 

「外交の場で女ばかり見てちゃダメだろ。周りを見ろや、国のトップなんだろ?」

 

マヤの声は低く、しかし確かな怒りを孕んで響く。彼はアルベドの隣に立ったまま、彼女の頭の先からつま先までを、わざとらしく、無遠慮に舐め回すように見据えた。

 

「……そうしたらなにかい? 俺もこの女を見回してろってことかね? きな臭ぇ女をよ」

「なっ……」

「さっきから嫌々やってるのが丸わかりだぜ、アルベドさんよ? こっちはうまく気の合いそうな連中を引き合わせて、場を丸く収めようとしてやってんのによ……そりゃねぇだろ大将」

 

マヤは一歩踏み込み、アインズを真っ向から睨みつけた。

 

「それともなにかい? この女性と俺を仲良くさせてくれるって腹なのかい? 大将」

 

至近距離から浴びせられた、明確な侮辱と品定め。

下等生物と見下していた人間に「きな臭い女」「嫌々やっているのが丸わかり」と内心を完全に看破された上で、娼婦のように扱われた。

その事実が、アルベドの中に張り付いていた完璧な淑女の仮面を、音を立てて粉砕した。

 

「――ふざけるなよ、下郎が!!」

 

アルベドの怒声が、天幕を震わせた。

美しい顔を夜叉のように歪ませ、漆黒の翼を逆立てた彼女から、濃密な殺意が爆発的に膨れ上がる。

 

「アインズ様がそのような女を見ているわけがないであろう! ましてやお前のような下賤な者が、私を相手にだと!?」

「ああ、そうだ。お前らがずっと不誠実だから、仕方なくこちらもお前の相手をしてやろうかなとな? アルベドさんよ?」

 

激昂するアルベドに対し、マヤは一歩も引かず、冷酷な笑みを浮かべて言い放つ。

 

その光景を前に、アインズのはらわたは煮えくり返るほどの怒りで満ちていた。

(私の愛する娘を、ここまで愚弄するだと!? 万死に値するぞ!)

眼窩の奥の紅い炎が激しく明滅し、魔導王としての恐るべき『死のオーラ』が無意識に周囲へ漏れ出しそうになる。

 

だが、アインズは必死に理性を総動員して、その怒りを腹の底へ呑み込んだ。

相手は、未知の力でアズスを蹂躙した規格外の存在。ここで戦闘になれば、ナザリックが滅亡の危機に瀕する。

そして何より、事の発端は「自分がアイテム欲しさにクレマンティーヌを無作法にガン見したこと」であり、「アルベドの不遜な態度が露呈したこと」である。

ナザリック側に明確な非がある以上、ここで力に訴えることは、一国の王としてあまりにも見苦しい。

 

アインズは玉座に座る王としての責任と重圧を感じながら、静かに、しかし確かな苦渋を滲ませて口を開き、頭を下げようとした。

 

「……私の――」

 

「おっと大将」

 

アインズが非を認めようとした瞬間、マヤが片手を上げてそれを制止した。

 

「あんたは頭下げんなよ」

「……何?」

「悪いのは、不機嫌にしてるこの女だ。あんたのは、ただの女の品定めってことで俺が預かる。……だがよ、この女はちげーよな?」

 

マヤはアルベドから視線を外し、円卓の対面に座るカルカを見た。

 

「痛い外交だと思って、今回は俺に免じて、カルカ。許してくれや」

 

その言葉に、アインズは眼窩の光を微かに揺らした。

マヤは、魔導王という絶対者が部下の不始末で他国の前で安易に頭を下げることを良しとしなかった。そして同時に、この場における聖王国の最高責任者がカルカ・ベサーレスであることを明確に示し、彼女の顔を立てる形で事態を収拾しようとしたのだ。

粗暴に見えて、誰が一番偉いか、誰に非があるかを正確に見抜き、筋を通す。

カルカもまた、マヤの配慮を受け取り、静かに頷くしかなかった。

 

張り詰めた空気が、マヤの手腕によってギリギリのところで保たれた。

誰もが安堵の息を吐こうとした、その時。

 

「あら、そこは私はいいわよ?」

 

最も空気を読まない女が、嬉々として割り込んできた。

クレマンティーヌは身を乗り出し、チャイナドレスの胸元を強調するようにアルベドへ向かって艶然と微笑んだ。

 

「新しい女性、二番目になるけどね! いつでも、貴方なら歓迎よ?」

 

パチン、と。

クレマンティーヌは、本気でアルベドを夜の身代わり――側室として歓迎するウィンクを飛ばした。

アルベドの額に、青筋が浮かび上がる。

 

地獄のような沈黙が落ちた円卓で、動いたのはデミウルゴスだった。

彼は静かに、金属の尾を揺らしながら眼鏡を押し上げた。

 

「……素晴らしい」

 

デミウルゴスの感嘆の声に、全員の視線が集まる。

 

「我々の不用意な視線を咎めつつ、あえて下品な挑発でこちらの自制心を試す。見事な盤外戦術ですね、マヤ殿」

 

一人だけ勝手に高度な心理戦として解釈し、深く納得したように頷く悪魔。その強引すぎる結論付けにより、決裂寸前だった場は、奇跡的に「外交交渉の体裁」として強引に引き戻された。

 

もはや、これ以上の会談は不可能だった。

アインズが立ち上がり、特使たちがそれに続く。

去り際、マヤはアルベドに向かって、最後に念を押すように告げた。

 

「でもよ? お前らが先に喧嘩売ってきたの、忘れんなよ? アルベドさんよ? ――あ、でも、さっきの眼鏡の子のほうが、俺的にはいいかな〜。ま、そのうち相手してやってもいいぞ?」

「ふざけるな、下郎が……っ」

 

アルベドは怒りでワナワナと震え、淑女の面影など微塵もない、純粋な殺意と憎悪をマヤへ向けた。

しかしマヤは、そんな彼女の反応を見て、愉快そうに鼻で笑う。

 

「はっ。そっちの怒って本音交じりの方が好きだぜ、アルベドさんよ」

 

呆気にとられるアルベドを放置し、マヤはアインズへと視線を移した。

 

「ま、今度はこっちから行ってやるよ。最初から本音でこいや! 大将! またな」

 

挑発とも宣戦布告とも取れるその言葉に、アインズは王としての威厳を一切崩さず、漆黒のローブを翻して静かに返した。

 

「ああ、そうだな。その時は歓迎しよう」

 

言葉少なに立ち去るアインズの背中。しかし彼の内心は、先ほどまでの感情の爆発とは打って変わり、酷く冷たく、静かな思考の渦の中にあった。

 

(助けられたな……。しかし、……『傾城傾国』、どうしたものか……)

 

システム外の存在であるマヤへの警戒と、かつてユグドラシルで猛威を振るった世界級アイテムへの拭いきれない執着。二つの強烈な毒が、アインズの思考を深く侵食し始めていた。

 

魔導国の特使たちがゲートを越えて姿を消していく。

張り詰めた修羅場がようやく終わりを告げた天幕の後方。

殺伐とした空気とは全く無縁の場所で、シズ・デルタとネイア・バラハは、言葉を交わすことなく、ただ真っ直ぐに視線を交差させていた。

確かな実力を持つ射手同士にしか分からない、奇妙な波長。

二人の間には、確かな意気投合の証である無言のアイコンタクトだけが、静かに残されていた。

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