いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
第三部:第4話 神の遺物と、迷宮入りする変態疑惑
魔導国の特使たちが去り、中庭を支配していた圧倒的な死の気配が完全に消え去ったローブル聖王国の王宮。
その最奥に位置する豪奢な執務室では、聖王女カルカ・ベサーレスが、およそ一国のトップらしからぬ態度でふかふかの長椅子に深く突っ伏していた。
「……寿命が、十年は縮んだわ……」
黄金期を迎え、常に威厳と慈愛に満ちていたはずの聖王女が、今はただの疲れ切った少女のように呻き声を上げている。
その傍らで、神官長ケラルト・カストディオもまた、普段の冷徹な仮面を崩して深くため息を吐き、額に浮かんだ汗を純白のハンカチで拭っていた。
「同感です、カルカ様。影武者の一件でどうなることかと思いましたが……マヤ殿。貴方が間に入ってくださらなければ、間違いなくこの国は火の海になっていたでしょう。心より、感謝申し上げます」
「ん? ああ、別に気にしてねぇよ」
ケラルトからの心からの謝辞に対し、執務室の窓枠に腰を下ろしていたマヤは、実に呆気なく返した。
国家存亡の危機を救ったという自覚など微塵もない様子で、窓の外に広がる青空をぼんやりと眺めている。
「っていうか、お前ら少し考えすぎだろ。なんだよ、あの妙な連中」
「……妙、ですか?」
カルカが長椅子から顔を上げ、目を瞬かせる。
一歩間違えれば国が滅んでいたというのに、マヤの感想はひどく単純で、そして根本からズレていた。
「だってそうだろ? わざわざ建国の挨拶とやらに来たんだよな? なのに大将はずっと俺の嫁をジロジロ見てるし、隣の羽の生えた女はずっと嫌そうな顔で文句垂れてるしよ。なんだありゃ」
「それは……」
カルカが言い淀む中、マヤは心底不思議そうに首を傾げた。
彼にとって、魔導王アインズがクレマンティーヌを凝視していた理由は極めてシンプルだった。
「俺の嫁が着てる服、たしかにちょっと変わってるけどよ」
マヤの視線が、室内でくつろぐクレマンティーヌの真紅のチャイナドレスに向けられる。
たしかにそれは、法国の漆黒聖典から奪い取った『神の遺物』と呼ばれる厄介な代物だ。マヤ自身、それが強力な能力を秘めていることくらいは認識している。だが、同時にこうも思っていた。
「能力も使ってねぇ、ただ着てるだけの服だぞ? なのに、なんであんなにガン見してんだよ。露出が多いからエロ目線で見てた変態骨野郎ってことだろ。大将のくせによ」
「ええ、そうねぇ。ただ着てるだけの可愛い服なのに。マヤが着てろって言うから着てるだけだもの」
クレマンティーヌもケラケラと笑いながら同意する。
二人はその服が持つ真の恐ろしさを完全に理解しているわけではなく、ましてやユグドラシルの世界級アイテムという概念は存在しない。彼らの中にあったのは、「露出度の高い派手な服」という認識だけだった。
「お、女好き……? あの、魔導王が……?」
カルカとケラルトが顔を見合わせ、引きつった笑いを浮かべる。
ただそこに立っているだけで周囲の生命力を根こそぎ奪っていくような死の化身が、女の服見たさにガン見していた。聖王国の上層部からすれば、想像するだけで頭がおかしくなりそうな光景だ。
しかし、あの場におけるアインズの視線と態度を最もシンプルに解釈すれば、マヤの言う通り「ただの女好きの不審者」に行き着いてしまう。
「あははははっ! 女好きの骨! 傑作ねぇっ!」
執務室の空気を切り裂くように、クレマンティーヌが腹を抱えて笑い転げた。
彼女はチャイナドレスの深いスリットから艶めかしい脚を覗かせながら、マヤにすり寄る。
「でもさぁマヤ。あの骨はともかく、あの羽の生えた女……アルベドとか言ったっけ。あの子、すっごく良かったわよねぇ!」
「あ? どこがだよ。ずっと猫被って嫌々仕事してただろ」
「違うわよ、あの『身体』よ! 腰の入り方といい、魔力の質といい、ちょっとやそっとじゃ絶対に壊れなさそうじゃない! ……決めたわ。あの子、私の身代わり(側室)として徹底的に狙うことにする!」
「お前なぁ……本気で言ってたのかよ、あれ」
嬉々として恐ろしいスカウト計画を語る正妻に、マヤは呆れたようにため息を吐いた。
だが、すぐにその口角をニヤリと吊り上げる。
「ま、あの女も最後は化けの皮が剥がれて、いい顔して怒ってたしな。あいつは絶対、こっちを恨んでちょっかいかけてくるぜ。……おもしれー女だ。そん時はきっちり相手してやるよ」
ナザリックの最高頭脳であり、守護者統括たるアルベド。
彼女の底知れぬ憎悪と怒りすらも、マヤにとっては「本音を見せた面白い女からのちょっかい」程度にしか変換されていなかった。
バンッ!
突如、執務室の扉が勢いよく開け放たれた。
現れたのは、鼻息を荒くした聖騎士団長、レメディオス・カストディオである。
「カルカ様! ケラルト! ご安心ください!」
「……姉者、ノックを。それに、安心とは一体何の話ですか?」
頭痛を堪えるようにケラルトがこめかみを押さえる中、レメディオスは自らの腰に提げた剣をバンバンと叩いた。
マヤの手によって『防御突破』『回復』『絶対不壊』などのふざけた魔改造を施され、新世界のバランスを単機で崩壊させるに至った神話級武装、『聖剣サファルリシア2号』である。
「あのアンデッドの王……最後に捨て台詞を吐いて逃げるように帰っていきましたが、あれは間違いなく、私が威嚇したからです!」
「……は?」
「奴らが中庭で悪態をついた時、私はこのサファルリシア2号を、鞘からほんの少しだけ抜いて見せたのです! するとどうでしょう、この剣から放たれる無駄に眩しい神々しい光を見て、奴らは恐れをなして退散したのです! やはりアンデッドは正義の光に弱い!」
得意げに胸を張るレメディオス。
実際には、ただマヤに魔改造された剣のギミック――抜刀時のみ無駄に三倍光るという仕様――を見せびらかしたかっただけの脳筋思考であり、アインズたちが退散したのはマヤのカウンターに胃痛を起こしたからに過ぎない。
しかし、彼女の中では完全に「自分の放った光にアンデッドが怯えた」という謎の勝利の方程式が完成してしまっていた。
「……姉者。頼むから、もう黙っていてください……」
「なんだケラルト、私の武功が不満か!」
ギャーギャーと騒ぎ始めた姉妹の後ろから、ひょっこりと別の顔が覗いた。
凶悪な三白眼を輝かせた従者、ネイア・バラハである。
「団長、カルカ様! お話中失礼いたします!」
「ネイア? あなたまでどうしたの」
「はい! あの、魔導国のメイドさん……シズさんと言ったでしょうか。私、彼女とは一言も喋っていないのですが、なんだかすごく、分かり合えた気がします!!」
頬を紅潮させ、心底嬉しそうに報告するネイア。
その無垢な言葉に、マヤが窓辺から声をあげた。
「おう、そうかそうか。やっぱ同業者同士、通じるもんがあったんだな。よかったじゃねぇか」
「はいっ! マヤ様のおかげです!」
マヤの言葉に、ネイアは尻尾を振る犬のように元気よく頷いた。
カルカは、長椅子の上でゆっくりと天を仰ぐ。
(王はエロ目線の変態、正妻は敵の宰相を側室に狙い、騎士団長は的外れな自信に満ち、従者は敵のメイドと意気投合している……この国の重要人物たち、一体どうなっているの……?)
疲労困憊の聖王女をよそに、執務室の中は妙に明るく、そして楽観的な空気に包まれていた。
だが、その弛緩した空気を引き裂くように、再び執務室の扉が開かれた。
「――カルカ様。失礼するよ」
鋭い声と共に現れたのは、アダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラだった。
彼女の後ろには、ガガーラン、ティア、ティナ、そして仮面をつけた吸血鬼イビルアイが続いている。
彼女たちの顔には、先ほどまでのマヤやレメディオスのような気楽さは微塵もなかった。
「ラキュース……。護衛、ご苦労様。それで、外から見ていてどうだった?」
カルカが居住まいを正して問いかけると、ラキュースは険しい表情で口を開いた。
「魔導王の力量……あれは、異常だわ。展開された魔力の質も量も、私たちの理解を遥かに超えている。けれど……解せない点があるの」
「解せない点?」
「確かに魔力などは圧倒的だったけれど、なぜあのような超越者が、聖女様ばかりを見ていたのでしょう?」
真面目なラキュースの純粋な疑問。
それに答えたのは、筋骨隆々の戦士、ガガーランだった。
「そんなの決まってるだろ。王なんだから、女好きなのは当たり前だろ!?」
「「鬼ボスの言う通り。謎が多いけどな」」
ガガーランの豪快な断言に、双子の忍者ティアとティナが同時に頷く。
マヤの「女好き説」が、歴戦の冒険者である青の薔薇のメンバーによってなぜか補強されてしまった。
「お、おいお前たち、何をふざけたことを……!」
「ふざけてはいない。だが、侮ってはいけないと思うぞ」
イビルアイが低い声で警告を発した。
「あの魔導王とやら、ただのアンデッドではない。放っている気配が桁外れだ。……それに、アルシェの様子を見る限り、冗談で済まされる相手ではないぞ」
イビルアイの言葉と同時に、青の薔薇の背後から一人の少女が進み出た。
かつて帝国でワーカーとして活動し、現在は聖王国に身を寄せている天生異能の持ち主、アルシェ・イーブ・リイル・フルトである。
彼女の顔は紙のように蒼白で、足元もおぼつかない様子だった。
「……申し訳ありません、報告が遅れました。その……吐いて、しまいました」
「え? お前、大丈夫か? あの骨の顔がキモかったからか?」
マヤが窓辺からトンチンカンな心配の声をかけるが、アルシェは力なく首を振った。
「いえ……そうではなく……。私が見たのは、強大な位階の魔力でした。あれは……人間がどうにかできる次元の存在ではありません。ただ見つめるだけで、精神が削り取られるような、圧倒的な魔力の海……」
震える声で語るアルシェ。
魔力を可視化する異能を持つ彼女だからこそ、アインズ・ウール・ゴウンが内包する『深淵を覗き込むような魔力の海』をダイレクトに浴びてしまい、文字通り嘔吐するほどの絶望を味わっていたのだ。
その報告に、執務室の空気が一気に張り詰めた。
「……やはり、油断してはいけないわね」
カルカが険しい表情で呟く。
「あれだけの魔法を使える、超越的な力を持った王。不可侵を結んだとはいえ、何をしてくるか分からない。警戒レベルを最大に引き上げるべきよ」
「ええ。アルシェの目利きがそこまで言うのであれば、間違いないでしょう」
ケラルトも真剣な顔つきで頷いた。
国家のトップとして、そして一介の人間として、アインズ・ウール・ゴウンという存在に対する最大の警戒を固める。
執務室がシリアスな緊張感に包まれた、まさにその時だった。
「でもぉ」
空気を一切読まないクレマンティーヌが、つまらなそうに口を挟んだ。
「その絶対的な化け物とやらが、さっきずーーーーっと、私の身体をガン見してたわよ?」
ピタリ、と。
執務室の空気が停止した。
アルシェが吐くほどの強大な魔力を持つ、超越的な死の化身。
それが、外交という公式の場で、他人の嫁の胸元や脚を無言でジロジロと見つめ続けていたという、絶対に覆らない事実。
「そこが、謎なのです……」
ケラルトは両手で顔を覆い、深々と頭を抱えた。
「あれほどの絶大な力を持つ者が、なぜあのような行動を……。計算なのか、罠なのか、それともマヤ殿やガガーランの言う通り、本当にただの変態なのか……。なんだったんでしょうね、一体……」
カルカもまた、再び長椅子に突っ伏して天を仰いだ。
魔導王アインズは、世界級アイテムを警戒していただけ。
マヤは、ただの変態だと思っている。
そして聖王国の上層部は、圧倒的な強者の矛盾した行動に底知れぬ混乱と恐怖を抱き、完全に迷宮入りしてしまっている。
「ま、向こうもこっちのことは『ただの変な連中』くらいにしか思ってねぇだろ。放っとけ放っとけ」
頭を抱える首脳陣をよそに、マヤは気だるげに欠伸をした。
――『相手もこちらのことを気にしていないだろう』。
マヤのその極めて単純で楽観的な推測が、ナザリック地下大墳墓において「底知れぬ盤外戦術を操る恐るべき強者」として最高レベルの警戒と深読みを引き起こしていることなど。
この時の彼は、知る由もなかった。