いつのまにか、聖女?どうしてこうなった? 作:マイナーチョコ
砂埃の舞う未舗装の街道を抜け、二人は中規模の宿場町へと足を踏み入れた。
アベリオン丘陵の境界線にそびえる長城から数日。聖王国の内陸寄りに位置するこの町は、先日の辺境の村よりもはるかに活気に満ちていた。踏み固められた街道には荷馬車の轍が深く刻まれ、すれ違う人々の数も格段に多い。
石畳の敷かれた中央広場には露店が並び、香辛料と焼けた肉の匂い、そして商人たちの威勢の良い声が空気を震わせていた。
深いスリットの入った真紅のチャイナドレス。そんな場違いな出で立ちで歩くクレマンティーヌに、すれ違う人々の視線が幾度も吸い寄せられる。しかし、彼女の隣を歩く大柄な男が、周囲の空気を呑み込むような独特の威圧感――というよりは、得体の知れない存在感を放っていたため、直接声をかけてくる者はいなかった。
「お、あの肉うまそうだな」
マヤは屋台から漂う焦げた獣肉の匂いに鼻を動かし、足を止めた。
「お前、さっき干し肉をかじったばかりだろ」
「歩いたら腹が減るんだよ。お前も食うか?」
「いらない」
クレマンティーヌは短く返し、視線を町の一角へと向けた。
広場の喧騒から少し離れた路地。そこから、金属を金槌で叩く鈍い音がリズミカルに響いてきている。
「用事があるのは、あっちだ」
彼女が先陣を切って歩き出すと、マヤも串刺しの肉を一本買い求めてから、その後を追った。
路地に足を踏み入れると、次第に油と鉄、そして燃える石炭の匂いが濃くなっていく。
軒先に槍や斧が無造作に立てかけられた、無骨な構えの武器屋。
分厚い木の扉を押し開けると、炉の熱気が顔を打った。
店内には所狭しと武具が並べられている。
壁には長剣や大剣が掛けられ、木箱には短剣や矢尻が乱雑に放り込まれていた。
「いらっしゃい。見慣れない顔だが、何か入り用かい?」
奥のカウンターで砥石を動かしていた髭面の店主が、片眼鏡越しに二人を品定めするように見た。
クレマンティーヌは返事をせず、壁に掛けられた剣の数々へと歩み寄る。
店主の視線を無視し、彼女は棚から一本の直剣を手に取った。
鋼の色、刃の厚み、柄の長さ。
指先で刀身を軽く弾く。チィン、と澄んだ音が店内に響いた。その音の余韻で、鍛えの質と金属の密度を確かめていく。
「あんた、ただの素人じゃねぇな」
店主が砥石を置いたが、彼女は視線も向けない。
三本目の直剣。
装飾の一切ない、実用性のみを追求したオーソドックスな片手剣。
革が巻かれただけのシンプルな柄を握り、ゆっくりと鞘から抜く。刃をランプの光にかざし、刃こぼれや歪みがないかを見る。
そのまま手首の返しだけで剣を数度振った。空気を裂く風切り音。柄頭から剣先までの重心のバランスが、手にしっくりと馴染む。
続いて、彼女は足元の木箱に目を向けた。
乱雑に入れられていた短剣類の中から、刃渡り二十センチほどの、刃が分厚いナイフを拾い上げる。
肉を咀嚼し終えたマヤが、興味深そうにその様子を横から覗き込んできた。
「お、二つ買うのか?」
「ああ。私は本来、二刀流の方が性に合ってるからな。この二つなら悪目立ちもしない」
クレマンティーヌは右手に直剣、左手にナイフを持ち、ふっと息を細く吐いて構えをとった。
右の長剣で間合いを制し、左の短剣で急所を抉る。
わずかに膝を落とし、肩の力を抜く。その仮想の軌道をなぞる身体の動きは、水が流れるように滑らかだった。
「これと、これ。もらう」
鞘に収め、金貨をカウンターに弾くように置く。
店主が釣銭を数えようとする前に、彼女は腰のベルトに二つの武器を固定していた。
左腰に直剣、右の腰裏にナイフ。
革と鉄の重みが、腰骨に伝わってくる。その重みを感じながら店を出る彼女の手には、確かな感覚が戻っていた。
ただの一人の戦士としての刃の感触が。
◇ ◇ ◇
その夜。
宿屋の一室には、粗末なランプの灯りだけが揺れていた。
窓の外からは、酔っ払いの歌声と、夜行性の虫の音が微かに聞こえてくる。
マヤはすでに木の実の入った水差しを空にし、ベッドの縁に大の字に寝転がっていた。規則正しい呼吸音が、薄暗い部屋に響いている。
クレマンティーヌは、もう一つのベッドの端に腰掛けていた。
彼女は、真紅のドレスの深いスリットから覗く、自分の白い太ももに手を伸ばした。
肌に直接巻きつけられた、黒いレザーホルスター。
そこに収められた四本の特殊な短剣――スティレットの柄に指をかける。
金属が擦れる冷たい音を立てて、一本ずつ、ゆっくりと引き抜く。
そして、ベッドの横に置かれた木製の小さな机の上に並べていった。
四本の刃が、ランプの光を吸い込んで鈍く明滅する。
赤く脈打つ光を放つ、【火炎】。
微かなオゾン臭とともに紫電を纏う、【雷撃】。
刀身の周囲の空気から熱を奪い、柄に薄らと霜をまとわせる、【氷結】。
表面を毒々しい緑色の薄膜が覆う、【酸】。
それぞれに極上の魔法が封じられた、最高峰の遺物。
これらを手足のように操り、無数の命を確実に刈り取ってきた。
新しい武器を買った。
腰のベルトには、真新しい直剣とナイフが下がっている。
ならば、机の上に並ぶこの四本は、どうするのか。
捨てるわけにはいかない。そこらの路地裏や森に放り出せば、どんな悲劇を生むか分からない代物だ。
かといって、ホルスターに差し込んだまま持ち歩き続けるのは、どうにも鉛を括り付けて歩いているような重さがあった。
クレマンティーヌは、沈黙したまま四つの刃を見下ろしていた。
ランプの火が爆ぜる音が、部屋に響く。
彼女の指先が机の縁をなぞり、そこで止まった。
「なぁ」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、ベッドで寝ていたはずのマヤが上半身を起こし、机の方へと歩み寄ってきていた。
彼は机の上に並んだ四本のスティレットを眺め、ふと口を開いた。
「その前のやつさ」
顎を掻きながら、さも当然の事のように言った。
「俺とお前で半分こ、二本ずつ持とうぜ。その方がかっこいいだろ? お揃いだしな」
クレマンティーヌは、一瞬何を言われたのか分からず、瞬きをした。
お揃い。かっこいい。
神の遺物であり、大量虐殺の道具でもあるこの武器を指して、この男はそう言ったのだ。
マヤは迷うことなく、机の上から【火炎】の赤と【酸】の緑のスティレットをヒョイと手に取った。
柄を握り、クルクルと指先で弄ぶ。
「俺はこっちな。なんか火と酸って、危ねぇイメージあるだろ? だから俺が持っとくわ」
なんの気負いもない、ただの世間話のようなトーン。
マヤは二本のスティレットを自身の黒いレザーコートの裏側に無造作に放り込み、ニカッと笑った。
クレマンティーヌは、手元に残された青い【氷結】と紫の【雷撃】を見つめた。
(……氷結で動きを封じてから、雷撃を流し込む。コンボとしての殺傷力は高い。実用性を考えれば、悪くない分け方だ)
無意識に、戦闘における合理性の計算をしてしまう。
その自分自身の思考の癖に気づき、彼女は視線をマヤへ向けた。
彼はもうスティレットのことなど忘れたように、水差しの底に残ったわずかな水をグラスに注いでいる。
危ないイメージがあるから、俺が持つ。
まるで、少し痛んだ果実を自分が引き受けるような、あまりにも軽々しい振る舞い。
コートの裏にしまわれた【火炎】と【酸】が、彼の巨体の中で完全に息を潜めていた。
「……ありがとう」
部屋の空気に溶けるような、短く、静かな声だった。
彼女は机に残った二本のスティレットを手に取ると、ドレスの裾をめくり、太もものホルスターへとゆっくりと戻した。
半分になった刃の重さ。
太ももを締め付けるレザーの感触は、先ほどまでとは全く違うものだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
窓から差し込む陽光が、部屋の埃をきらきらと照らしていた。
クレマンティーヌは身支度を整え、ドレスの皺を伸ばす。
ベッドで大の字になっていたマヤが、大きな欠伸とともに身を起こした。
「……なぁ、マヤ」
「ん?」
寝癖のついた赤髪を掻きながら、マヤが顔を向ける。
「新しい武器、ちょっと試してみたい」
「お、いいじゃん。行こうぜ」
二人は朝食もそこそこに宿を出た。
町を囲む外壁の門を抜け、近くの森へと向かう。
早朝の森は、朝霧に包まれていた。
濡れた土と苔の匂いが、鼻腔を満たす。鳥の囀りが遠くで響き、木々の葉が風に揺れてざわめいていた。
少し開けた場所に出ると、クレマンティーヌは歩みを止めた。
ブーツの裏で地面の固さを確かめ、腰の直剣の柄に手をかける。
シャッ、と金属が革を擦る心地よい音。
続けて、左手で腰裏のナイフを逆手に抜く。
足を踏み込み、直剣を横薙ぎに振るう。
そのまま身体を捻り、左のナイフで架空の敵の喉元を突く。
踏み込み、斬り上げ、刺突、そして蹴り。
森の静寂を切り裂くように、真紅のドレスが舞う。
直剣の刃が空中で枯れ葉を真っ二つに裂き、ナイフが空気をえぐる。
踏み込むたびに、湿った土が跳ねた。
スティレットの極端な前重心とは全く違う。
だが、そのオーソドックスな鉄の重みは、確実に彼女の筋肉と骨格に馴染み始めていた。
四本の特殊な魔法剣に依存していた頃の動きではない。ただの二刀流の剣士としての動き。
一連の型を終え、クレマンティーヌは息を吐きながら直剣を下げた。
朝の光が、木漏れ日となって曇りのない刀身を眩しく反射している。
風を切る刃の軌道を思い返し、彼女は刀身を見つめたまま、静かに微笑んだ。
「悪くない」
切り株に腰掛けてその様子を見ていたマヤが、パンッと手を叩いた。
「おお、綺麗だな。なんか、すげぇしっくりきてるぞ」
「だろ?」
クレマンティーヌは手首を返し、直剣とナイフを同時に鞘に収めた。
カチャリ、と金属が収まる小さな音。
彼女はマヤの方へと歩み寄った。
「さて、飯にするか。動いたら腹が減った」
「俺は朝から肉が食いてぇな」
「宿のメニューは麦粥だったぞ」
「マジかよ、昨日あんなに働いたのに」
他愛のない文句を言い合いながら、二人は森を抜け、町へと続く道を歩き出す。
彼女の太ももに収まった二本のスティレットは、もう彼女の歩みを重く引きずることはなかった。
朝露に濡れた草を踏む足音が、並んで続いていく。