もう少し上   作:自動車好き/飛行機も好き

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肉とガンボ

2008年 アリゾナ州ツーソン ケンの自宅

 

給与の正常化から半年ほどが過ぎた頃、ケンは裏庭にグリルを引き出し、炭に火を入れていた。今日は特別な日というわけではない。それでも、ケンにとっては、一つの区切りに見えていた。給与の遅配は解消され、勤務表の穴も塞がり、辞めていく人間の数も落ち着いてきた。まだ道半ばだが、最初の坂を越えたことは確かだった。

 

砂漠の夕方は、日が落ちる前の数時間だけ、過ごしやすい涼しさをまとう。裏庭の芝生には水が撒かれ、乾いた土の匂いが夕方の空気に混じっていた。ケンはこの時間帯が好きだった。今日という一日の終わりと、これから始まる夜の入り口が、ちょうど重なる時間だからだ。

 

「今日はいつもより人数が多いな」

 

エリヤが大鍋を車から運び出しながら言った。ケンの家で開くホームパーティーは、二人が友人になって以来、家族同士で何度も繰り返してきた習慣だった。ケンが肉を焼き、エリヤがガンボを作る。この役割分担は、宝くじの当選や会社の買収より、はるかに古くから続いている。

 

最初にこの役割が決まった経緯は、二人ともはっきりとは覚えていない。ただ、エリヤの故郷の味であるガンボを、ある年の集まりで振る舞ったのがきっかけだったことは間違いない。それ以来、誰に頼まれるでもなく、集まりのたびに同じ組み合わせが繰り返されてきた。決めたわけではないのに、いつの間にか決まっている。二人の関係そのものが、そういう性質を持っていた。宝くじの当選も、退役後の暮らしの向かう先も、思えば同じように、決めたようで決めていない流れの中で形になってきた。

 

「今日は、招く相手が違う」

 

ケンはそう言うと、炭の広がり方を確かめながら、火加減を調整した。今日の招待客には、いつもの家族に加えて、テオとその家族、オーウェンとその家族、そしてデザート・エッジで働く他の社員たちも含まれていた。買収から半年、まだ会社の名前も変わっていない。それでも、この場に彼らを招くことに、ケンとエリヤはどちらも迷いを持たなかった。

 

裏庭には、いつもより多くの椅子とテーブルが並べられていた。子どもたちが庭を走り回り、大人たちは飲み物を片手に、あちこちで会話に興じている。テオは最初、少し落ち着かない様子で会場の隅に立っていたが、エリヤが近づいて声をかけると、その表情は少しずつ緩んでいった。

 

普段は整備主任という立場で現場の全体を見ている人間が、こうして招かれる側に立つのは、テオにとって珍しい経験だったのかもしれない。誰かの上に立つ緊張も、誰かの下で気を使う必要もない、ただの客としての時間。それがどれほど久しぶりのものか、テオ自身、しばらく忘れていたようだった。

 

「こういう場に呼ばれるとは、思っていなかった」

 

テオがそう言うと、エリヤは肩をすくめた。

 

「特別なことじゃない。俺たちは、いつもこうやって祝う。今回は、祝う理由に会社が入っただけだ」

 

その言葉に、テオは小さく笑った。給与の心配をしなくて済むようになったことと、こうして家族を連れて招かれることの間に、直接のつながりはないはずだった。それでも、二つが同じ会社から来ているという事実が、テオの中で静かに重なっていくのが分かった。半年前まで、社長の代わりに客の前に立たされ、言い訳を並べる立場だった自分が、今日はただの客として、肉の焼ける匂いを楽しんでいる。その変化の大きさを、テオは改めて実感していた。

 

テオの妻が、遠慮がちにケンの妻へ声をかけている姿があった。互いの子どもの年齢の話から始まり、いつの間にか会話は途切れなく続いていた。エリヤの妻も加わり、三人の間には、会社の役職や立場を感じさせない、ただの近所付き合いのような空気が生まれていた。ケンとエリヤが職場で築いてきた関係とは別に、家庭同士の距離も、この一晩で確かに縮まっていくようだった。

 

グリルの前では、ケンが黙々と肉に向き合っていた。火加減、肉の配置、焼く時間、そして火から下ろした後に休ませる時間。どれも、長年の経験で身についた手順だった。誰かに教わったわけではない。ただ、飛行機を操縦するときと同じように、一つひとつの工程を丁寧に積み重ねているだけだった。

 

「そんなに難しい顔をして焼くものなのか」

 

オーウェンが近づいてきて、そう茶化した。ケンは顔を上げずに答えた。

 

「難しい顔はしていない。集中しているだけだ」

 

「集中しすぎて、誰かに話しかけられないようにしてるんじゃないのか」

 

その指摘に、周りにいた何人かが笑った。ケンは、それには何も答えず、代わりに焼き上がった一枚を皿へ移した。オーウェンはその一枚を口にすると、しばらく黙り、それから素直に頷いた。

 

「これは、文句のつけようがないな」

 

「当然だ。適当に焼いたものを、誰かに出す気はない」

 

ケンの答えに、オーウェンは声を立てて笑った。

 

「操縦していたときも、そうやって一つひとつ確認していたのか」

 

「同じだ。手順を守らなければ、いい結果にはならない。肉も、機体も」

 

その言葉に、オーウェンはしばらく黙って肉を見つめ、それから小さく笑った。冗談のつもりで聞いたはずの問いに、思いのほか本気の答えが返ってきたことが、意外だったのかもしれない。それでも、その本気さこそが、この半年で会社を変えてきた原動力なのだと、オーウェンは今更ながらに理解し始めていた。

 

一方、エリヤの大鍋の周りには、いつも人が集まった。ガンボの匂いが庭全体に広がると、子どもたちまでもが鍋の近くに寄ってくる。エリヤは大きな鍋いっぱいに、参加人数よりも明らかに多い量を用意していた。誰かがお代わりを頼んで足りなくなるということは、決して起こらない。それが、エリヤの流儀だった。

 

「こんなに作って、余ったらどうするんだ」

 

テオの妻がそう尋ねると、エリヤは笑って答えた。

 

「余ったら、みんなに持って帰ってもらう。余らせて困ったことは、これまで一度もない」

 

その答えに、テオの妻は驚いた顔を見せたが、すぐに納得したように笑った。この家では、足りないことよりも、余ることの方が、はるかに歓迎されているらしかった。

 

エリヤは鍋をかき混ぜながら、集まった人々の顔を一人ずつ確かめるように見渡していた。整備の現場で見てきた疲れた表情は、今夜はどこにも見当たらない。それだけで、この半年の変化がどれほどのものだったかが分かる気がした。

 

その様子を横目に、テオの子どもの一人が、鍋の匂いに惹かれて近寄ってきた。

 

「ガンボの作り方は、誰に教わったんだ」

 

子どもの一人が、興味本位でそう尋ねた。エリヤはしゃがみ込み、その子と目を合わせて答えた。

 

「祖母に教わった。祖母は、母に教わった。味は少しずつ変わっているだろうが、鍋の大きさだけは、俺の代でずいぶん大きくなった」

 

その答えに、子どもは笑い、また別の質問を投げかけた。エリヤはそれに丁寧に応じながら、鍋をかき混ぜる手を止めなかった。

 

日が落ちる頃、ケンとエリヤは、裏庭の隅で少しだけ二人きりの時間を持った。賑やかな声が背後から聞こえてくる。半年前には、想像もしていなかった光景だった。

 

「悪くない一年だったな」

 

ケンがそう言うと、エリヤは頷いた。

 

「悪くない、どころじゃない。俺たちは、機体を一機も買っていない。それでも、ラッチの格納庫で見たものよりは、ずっと多くのものを手に入れた」

 

「戦闘機の話は、まだ終わっていない」

 

ケンがそう付け加えると、エリヤは苦笑した。

 

「分かっている。だが、それは、今すぐじゃなくていい」

 

「いつかは、やるつもりか」

 

「いつかは、な。今はまだ、この会社を育てることに集中したい。機体は、その先の話だ」

 

エリヤはその答えに、静かに頷いた。順番を間違えないことの大切さを、二人はラッチの格納庫で身をもって学んだばかりだった。焦って先へ進むより、今できることを一つずつ確実にしていく方が、結局は近道になる。それは、機体の整備でも、会社の再建でも、変わらない理屈だった。

 

二人は、しばらく黙って庭の様子を眺めていた。テオが子どもたちに囲まれて笑っている。オーウェンが誰かと肉の焼き方について議論している。誰もが、給与の心配をせずに、ただこの時間を楽しんでいる。それだけで、今日という日には十分な意味があった。

 

半年前、格納庫の会議室で聞いた、テオの苦い声を思い出す。全員には払えていない、という一言。あの声と、今この庭で笑っているテオの声が、同じ人間から出ているとは、聞き比べなければ分からないほど違っていた。人は、環境が変われば、こんなにも変わるものなのかと、ケンは静かに驚いていた。

 

「次の節目にも、こうやって集まろう」

 

エリヤがそう言うと、ケンは短く頷いた。

 

「肉を焼く。お前はガンボを作る。それだけでいい」

 

その言葉に、深い計画も、大きな理念も込められていなかった。ただ、これまでずっとそうしてきたように、これからもそうしていくという、ごく自然な約束だった。それでも、この夜の裏庭にあった光景は、後にHigh Frontier Aviationという名前を持つようになる組織が、幾度となく繰り返していく節目の祝い方の、最初の形になった。

 

片付けが始まる頃、テオがケンのところへやってきた。

 

「今日は、呼んでくれてありがとう。家族にも、いい時間になったと思う」

 

「礼を言うのは、こっちの方だ。お前たちが現場を支えてくれなければ、今日という日は来なかった」

 

ケンがそう答えると、テオはしばらく黙り、それから静かに言った。

 

「もう半年です。この会社が、ここまで変わるとは思っていませんでした」

 

「まだ変わり始めただけだ。ここからだ」

 

その言葉に、テオは深く頷いた。まだ社名すら決まっていない小さな整備会社が、この先どこへ向かうのか、テオ自身にもまだ見えてはいなかった。それでも、少なくとも、この会社に留まる理由は、もう十分にあった。

 

「次の節目も、ここに呼んでもらえるんですか」

 

テオが尋ねると、ケンは即座に答えた。

 

「会社の節目を祝うときは、いつもここでやる。肉を焼くのは俺、ガンボを作るのはエリヤ。それだけは、これからも変わらない」

 

その答えに、テオは笑いながら頷いた。

 

「覚えておきます」

 

子どもたちが遊び疲れて眠り始める頃、来客たちは一人ずつ礼を言い、それぞれの車へ戻っていった。エリヤは大鍋の残りを、いくつかの容器に手際よく分け、帰る家族の一つひとつに手渡していく。誰の手にも、必ず一つは容器が渡っていた。

 

「今日も、余った分は全部渡したのか」

 

ケンが片付けを手伝いながら尋ねると、エリヤは笑って答えた。

 

「渡さなければ、鍋を洗う手間が増えるだけだ。理由なんて、それでいい」

 

エリヤはそう言って、最後の一つを自分の家族用に取っておくと、鍋の底を軽く叩いた。空になった鍋の音は、今日という日が無事に終わったことを告げる、ささやかな合図のようだった。

 

その軽口に、ケンも小さく笑った。庭には、まだ何人かが残り、静かな会話を続けていた。炭火の熱もようやく落ち着き、夜の涼しさが裏庭全体を包み始めている。今日という一日が、これほど穏やかに終わっていくとは、半年前のあの会議室では、誰も想像していなかったはずだった。

 

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