もう少し上 作:自動車好き/飛行機も好き
2014年前半 アリゾナ州ツーソン近郊 High Frontier Aviation本社
調査を始めて一月ほどで、メイとネイトはいくつかの売却情報を集めてきた。個人所有のTF-104Gが一機だけ売りに出されている話もあれば、退役した部隊のまとまった在庫が処分される話もある。その中で、ケンとエリヤの目を引いたのは、後者の方だった。
個人所有の一機は、状態こそ良かったが、予備部品も工具も付属しておらず、値段も決して安くはなかった。ラッチの教訓を思い出せば、そうした「単体の良い機体」こそが、後々一番苦労する種類の買い物だということは、二人ともよく分かっていた。
「欧州のある空軍が、練習機として使っていたTF-104Gの部隊を、まとめて退役させています。機体本体だけでなく、予備エンジン、交換部品、専用工具、技術資料、地上支援機材まで、丸ごと処分するそうです」
メイがそう報告すると、エリヤはすぐに身を乗り出した。
「丸ごと、というのは」
「機体三機、予備のJ79エンジンが五基、交換部品のコンテナが十数台、整備マニュアルと図面一式、専用の地上支援車両まで含まれます」
ネイトが補足すると、ケンは思わず口笛を吹きそうになった。
「なぜ、それほどの規模を丸ごと処分する」
「買い手がつかないからです」
ネイトの答えは、あっさりとしたものだった。
「単体の機体だけを欲しがる個人愛好家は多くいます。ですが、予備エンジンや工具まで含めた一式を、丸ごと引き取れる買い手は、まずいません。個人には荷が重すぎるし、企業にとっては旧式すぎて商業的な旨味が薄い。結果、値段はかなり下がっています」
その説明に、ケンとエリヤは顔を見合わせた。まさに、自分たちが求めていたものだった。単体の機体を安く買っても、その先の維持で苦しむのがラッチの教訓だ。逆に、機体一機分の値段で、予備エンジンから工具、資料までまとめて手に入るのであれば、これほど都合のいい話はない。
「他の会社は、なぜ手を出さない」
エリヤが重ねて尋ねると、メイが答えた。
「商業的な旨味が薄いからです。旧式機の維持や復元には需要がありますが、それはあくまでニッチな市場です。予備エンジンだけで五基分の保管コストを背負ってまで手を出す会社は、そう多くありません」
「うちなら、話は別だ」
ケンがそう言うと、エリヤも頷いた。ウォーバーズの新造・再製造事業と、J79の整備・新造基盤。この六年で積み上げてきたものが、まさにこういう案件のために存在していたかのようだった。
「安い理由が、それだけだといいがな」
エリヤがそう言うと、メイはすぐに頷いた。
「そこは、まだ確認できていません。欠品、腐食、記録の欠落。安さの裏に何があるか、現地で実際に見なければ分かりません」
「見に行こう」
ケンがそう言うと、反対する者はいなかった。
数週間後、ケンとエリヤ、そしてメイとネイトの四人は、現地の保管施設を訪れた。広い格納庫の中に、三機のTF-104Gが並んでいる。退役してからそれなりの年月が経っているらしく、機体の表面には薄く埃が積もっていたが、大きな損傷は見当たらなかった。
案内に立った施設の担当者は、初老の男で、機体の間を歩きながら、どこか申し訳なさそうな口調で説明した。
「本来なら、もっと早く次の使い道を見つけてやりたかったんですが。国の予算の都合で、ここ数年は塩漬けのままでした」
その言葉に、ケンは機体を見上げながら答えた。
「塩漬けにしては、状態がいい」
「せめて、それだけはと思って。定期的に防錆処理だけは続けていました」
担当者はそう言うと、少し照れたように笑った。誰にも顧みられない機体を、それでも見捨てずに世話をし続けてきた人間がいる。その事実に、ケンは静かに好感を抱いていた。
「長いんですか、この仕事」
エリヤが尋ねると、担当者は機体の脚周りに目をやりながら答えた。
「もう三十年近くになります。若い頃は、この機体で訓練を受けた若者たちを、何人も見送りました。今は、こうして飾り物のように並んでいる機体の世話をするだけです。それでも、放っておくよりはましだと思って続けてきました」
その口ぶりには、諦めと未練が入り混じっていた。予算が付かず、次の使い道も決まらないまま、それでも錆だけは進ませたくないという一心で通い続けてきたのだろう。ケンはその話を聞きながら、ラッチの格納庫にいたハビエルの姿を、また思い出していた。一人で抱え込む人間は、どこにでもいる。
「記録から見る」
ケンはそう言うと、まず整備記録の束に手を伸ばした。長年の飛行記録、点検履歴、修理履歴。ページをめくる手は慎重だった。数字の抜けや、記載の食い違いがないかを、一つずつ確かめていく。
「記録は、思っていたより丁寧に残っている」
ケンがそう呟くと、隣でエリヤが機体そのものを見て回っていた。外板の状態、脚周りの腐食、キャノピーの傷。手袋越しに表面をなぞり、指先の感触で異常の有無を確かめる。
「腐食は、想定の範囲内だ。深刻な箇所は見当たらない」
エリヤの言葉に、ケンはほっと息をついた。
メイとネイトは、予備エンジンとコンテナの中身を確認していた。五基のJ79エンジンのうち、二基はすぐに使える状態、残り三基はオーバーホールが必要だという。交換部品のコンテナも、欠品がまったくないわけではなかったが、致命的な欠落は見当たらなかった。
「このオーバーホールが必要な三基は、うちの工場で扱えるのか」
エリヤが尋ねると、ネイトは頷いた。
「問題ありません。むしろ、状態のいい二基よりも、こちらの三基の方が、うちの技術で仕上げれば長く使えるかもしれません」
コンテナの中身をひとつずつ開けていく作業は、思いのほか時間がかかった。梱包材に包まれた部品を一つひとつ取り出し、型式番号と数量を記録と照合する。単調な作業だったが、誰も手を抜かなかった。ここでの確認漏れが、後になって高くつくことを、四人とも知り尽くしていた。
「工具と資料は、ほぼ完全な状態で残っています」
ネイトがそう報告すると、エリヤは満足そうに頷いた。
「工具と資料が揃っているかどうかは、機体そのものと同じくらい重要だ。それが欠けていれば、結局また一からそろえる羽目になる」
棚の奥から出てきた資料の束には、当時の整備員が書き込んだと思われる手書きのメモも紛れ込んでいた。癖のある文字で記された注意書きを、エリヤはしばらく読み込んでいた。
「こういう手書きのメモが、案外一番役に立つ。マニュアルには書いていない、現場の勘所が詰まっている」
エリヤがそう言うと、メイもコンテナの中を覗き込みながら頷いた。
「デジタル化されていない記録は、失われれば二度と戻ってきません。持ち帰ったら、まず全部スキャンして残しましょう」
一通りの点検を終えたあと、四人は保管施設の隅に集まり、確認した内容を突き合わせた。
「欠品は許容範囲。腐食も深刻ではない。記録もおおむね追える」
メイがそうまとめると、ケンとエリヤは頷いた。
「安い理由は」
エリヤが改めて尋ねると、ネイトが答えた。
「単純に、これだけの規模を引き取れる買い手が他にいない、というだけです。悪い意味での安さではありません」
その答えに、ケンは小さく笑った。
「それなら、うちにとっては願ったり叶ったりだ」
交渉のテーブルに着いた担当者は、契約条件を確認しながら、ふと手を止めた。
「率直に聞きたいのですが。この機体を、本当に飛ばすおつもりですか」
その問いに、ケンは迷わず答えた。
「飛ばす。それも、一度や二度じゃない」
担当者はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「それは、いい話だ。スクラップにされるよりは、ずっといい」
その一言に、ケンとエリヤは顔を見合わせた。長年放置されながらも防錆処理だけは怠らなかった、この男の気持ちが、ようやく報われる形になるのかもしれない。
交渉は、思っていたよりも早くまとまった。相手にとっても、丸ごと引き取ってくれる買い手が現れたことは、歓迎すべき話だったらしい。機体三機、予備エンジン五基、交換部品、工具、資料、地上支援機材の全てが、一つの契約書の下でHFAの手に渡ることになった。
残る問題は、これだけの物量をどうやってアリゾナまで運ぶかだった。機体三機は分解のうえ輸送機での空輸、エンジンと部品コンテナは船便で数か月かけて海を渡ることになる。ネイトが輸送計画の概算をまとめると、エリヤはそれに一通り目を通し、頷いた。
「金はかかるが、そこを渋る話じゃない。届くまでの間に、こちらの受け入れ体制を整えておく方が先だ」
「格納庫の空きと、コンテナの保管場所は」
ケンが尋ねると、ネイトが答えた。
「第三格納庫を一時的に空けられます。物流部門の倉庫にも、余裕は十分にあります」
物流を扱う部門を四年前に買収していたことが、ここでも思わぬ形で効いていた。かつて一つずつ積み上げてきたものが、互いに噛み合いながら次の一手を支えている。ケンはその巡り合わせに、小さな感慨を覚えずにはいられなかった。
帰りの飛行機の中で、エリヤがふと口を開いた。
「一機だけ買うつもりだったのが、気づけば三機になったな」
「予備があった方が、長く飛ばし続けられる。それだけの話だ」
ケンの答えに、エリヤは頷いた。買うのは、一機の夢ではない。長く飛ばし続けるための、仕組みごとの買い物だ。それは、六年前にラッチの格納庫で学んだ教訓と、まったく同じ形をしていた。
「三機のうち、どれを最初に手をつける」
エリヤが尋ねると、ケンはしばらく考え込んだ。
「状態が一番良かった一機を、まず原型状態への復元から始める。残りの二機は、部品供給源として当面は保管する。あとの判断は、進めながら決めればいい」
「性急に全部を動かそうとしない、ということだな」
「そうだ。急いで三機を同時に動かせば、どこかで無理が出る。順番を守る」
「復元を任せる班は、もう頭にあるのか」
エリヤが重ねて尋ねると、ケンは頷いた。
「ウォーバーズの再製造チームが軸になる。J79側は、お前が新造・オーバーホール班から人を出してくれ」
「分かった。腕のいい連中を、何人か当ててみよう」
その言葉に、エリヤは満足そうに頷いた。順番を守ることの大切さは、デザート・エッジの再建から、この六年、二人が繰り返し学んできたことだった。
窓の外に広がる雲海を眺めながら、ケンは静かに思いを巡らせていた。まだ、機体は原型のままだ。何を積むかも、どこまで行くかも、これから先の話だ。それでも、今回手に入れたものは、間違いなく最初の、確かな一歩だった。
隣の座席では、エリヤも同じように窓の外を眺めていた。長年整備畑を歩いてきた人間として、機体そのものよりも、付属してきた工具と資料の山に、むしろ強く心を動かされていた。図面と技術資料さえ手元にあれば、機体の素性を隅々まで理解した上で、正しい手順で手を入れていける。それは、ラッチが最後まで手に入れられなかったものだった。
「今度は、ラッチにも見せてやろう」
エリヤがふと漏らすと、ケンは頷いた。
「見せる価値はある。あいつが最初に教えてくれたことが、ここまで形になったんだからな」
その言葉に、二人はどちらからともなく、小さく笑った。まだ先は長い。それでも、確かな一歩を踏み出したことだけは、間違いなかった。