もう少し上 作:自動車好き/飛行機も好き
新造
2023年後半 アリゾナ州ツーソン近郊 High Frontier Aviation本社
SR-71三機の状態評価が、ようやく一通り終わった。会議室に集まったテオ、オーウェン、ハビエル、ネイト、ミリが、評価結果をまとめた資料をケンとエリヤの前に広げた。
「三機とも、飛行可能な状態への復元は、できないことはありません」
テオがそう切り出すと、ハビエルが続けた。
「できないことはない、というのが、一番正確な言い方だ」
「もう少し正確に言ってくれ」
ケンがそう促すと、ネイトが資料を指でなぞった。
「機体構造自体は、まだ生きています。問題は、サブオービタルという話が出たことです。マッハ3級の巡航のために作られた機体に、それ以上の推力と、それ以上の熱環境を積むことになる」
「改修ではなく、別物を作る規模になる、ということか」
エリヤが尋ねると、ミリが頷いた。
「構造の生かせる部分は、三割あるかどうかです。残りは、新しく設計し直すことになります」
その言葉に、会議室の空気が静かに引き締まった。
「つまり」
ケンがそう言うと、オーウェンが先回りして答えた。
「つまり、SR-71を改修してサブオービタルへ飛ばす、という道筋は、現実的ではありません」
「理由を、もう少し細かく聞いておきたい」
エリヤがそう求めると、ミリが資料のページをめくった。
「サブオービタルに必要な推力は、今のロケット推進系統の規模では足りません。燃料タンクの容積を大きく変えることになりますが、SR-71の機体は、すでに燃料タンクで胴体の大部分を使っています。増やす余地が、ほとんどありません」
「熱の問題もあります」
ネイトが続けた。
「大気圏再突入に近い熱環境を想定すると、現在の外皮材料では持ちません。チタン合金自体は優秀ですが、想定している速度域が違いすぎます」
「新しく作るなら、どこから手を付ける」
ケンがそう尋ねると、ネイトとミリは互いに目を合わせた。
「まず、推進系統の選定からです。既存のロケットモーターの延長で考えるか、新しい系統を検討するか、そこから決めなければなりません」
「時間がかかる話だな」
「時間をかけずにやる方法は、ありません」
ネイトの答えに、ケンは頷いた。少し間を置いて、ミリが付け加えた。
「候補は、もう一つに絞りつつあります。単純なロケットモーター単体ではなく、低速域は空気を取り込んで燃やし、高速域ではロケットとして燃焼する、複合エンジンの方向です」
「複合エンジン、か」
エリヤがそう呟くと、ネイトが頷いた。
「ロケット複合エンジンです。構造は複雑になりますが、単純なロケットだけで上げるより、搭載する酸化剤の量を抑えられます。二機という規模でやるなら、こちらのほうが現実的だという判断です」
「複雑さと、現実的さを引き換えにする、ということだな」
ケンがそう言うと、ミリは頷いた。
「はい。簡単な道ではありません。それでも、不可能な道ではないと考えています」
その言葉に、ケンは満足そうに頷いた。
「現実的ではない、で終わらせるのか」
ケンの問いに、オーウェンは首を振った。
「終わらせません。SR-71三機は、当初の計画どおり、マッハ3級の高高度試験機として復元します。サブオービタルは、別の機体で考えるべきだ、というのが私たちの結論です」
その言葉に、ケンとエリヤは互いに目を合わせた。
「別の機体、というのは」
「新しく造る機体です」
テオがそう答えると、ネイトが資料をもう一枚広げた。
「既存の機体を改修するより、最初から目的に合わせて設計したほうが、結果的に早いという計算になります。もちろん、簡単だという意味ではありません」
「簡単だとは、誰も思っていない」
ケンの答えに、ネイトは頷いた。
プリヤとソフィアも、会議室の隅でその資料に目を通していた。
「新しい記録の付け方を、また一から決め直すことになりますね」
プリヤがそう漏らすと、ソフィアは頷いた。
「毎回、そうでしたから」
「毎回、そうだと分かっていても、毎回同じだけ手間がかかります」
プリヤの言葉に、ソフィアは笑った。
「手間を惜しむようになったら、そのときはこの仕事を辞める時期だと思っています」
その答えに、プリヤも小さく笑った。
会議の後、マギーが一人、ケンとエリヤのもとへ近づいた。
「あの夜の冗談を、本気にするつもりか」
マギーがそう尋ねると、ケンは少し考えてから答えた。
「あのときは、本気にするつもりはなかった。だが、検討した結果、やる価値があると判断した」
「判断したのは、誰だ」
「俺とエリヤだ。それでも、お前の意見を聞かずに進めるつもりはない」
ケンの答えに、マギーはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「やるなら、いつもの手順でやれ。サブオービタルという言葉の大きさに、浮かれるな」
「浮かれるな、というのは、この会社に入って最初に覚える言葉だろう」
ケンがそう返すと、マギーはわずかに笑った。
キャサリンとマイケルも、計画の全体像を聞かされた。
「新造機は、二機の計画だ」
ケンがそう告げると、マイケルは少し驚いた顔をした。
「一機ではなく、二機か」
「一機だけでは、比較ができない。試験には、二つの系列が必要だ」
エリヤがそう説明すると、キャサリンが手元の資料にメモを取った。
「投資家への説明は、段階を分けます。まずは設計段階であることを明確にし、サブオービタルという言葉を、安易に大きく扱わないようにします」
「それでいい」
キャサリンの言葉に、ケンは頷いた。
「英国支社には」
マイケルが尋ねると、キャサリンが答えた。
「同じ段階で伝えます。先走って期待させる必要はありません」
「アルは、SR-71の名前を聞いたときより、もっと静かになるだろうな」
マイケルがそう言うと、ケンは短く笑った。
「静かになる理由は、向こうにもよく分かっているはずだ」
その夜のうちに、ケンはラッチへも電話を入れた。
「新造機、二機だそうだな」
ラッチがそう切り出すと、ケンは少し驚いた。
「誰から聞いた」
「ハビエルからだ。あいつ、この話になると妙に口が軽くなる」
ラッチの言葉に、ケンは苦笑した。
「サブオービタルを、本気でやるのか」
「本気で検討する、というところまでだ。やれるかどうかは、まだ誰にも分からない」
「十五年前も、同じことを言っていたな」
ラッチがそう言うと、ケンは答えた。
「言っていた。それで、今のところまで来た」
「それで、十分な答えだ」
ラッチの言葉を最後に、電話は切れた。
格納庫では、ライアンがオーウェンから呼び出されていた。
「お前に、話しておくことがある」
オーウェンがそう切り出すと、ライアンは身構えた。
「何か、問題でもありましたか」
「問題じゃない。新造機の試験飛行要員について、ケンとエリヤから話がある」
その言葉どおり、ケンとエリヤが格納庫の奥から現れた。
「新造機は、二機体制で試験を進める」
ケンがそう言うと、エリヤが続けた。
「一機は、俺とケン。もう一機は、お前が前席に乗る」
その言葉に、ライアンは一瞬、言葉を失った。
「俺が、前席ですか」
「お前は、もうLightningチェイスだけの男じゃない。開発試験飛行も、何度もこなしてきた。次の段階へ進む資格はある」
ケンの言葉に、ライアンは深く息を吐いた。
「後席は、誰になるんですか」
「新しいテストパイロット候補を、一人採用する」
エリヤがそう答えると、ライアンは少し意外そうな顔をした。
「もう決まっているんですか」
「空軍のテストパイロット学校を出た若手だ。名前は、コーリー・フィッシャー」
ケンの答えに、ライアンは頷いた。
「俺が、教える側になるということですか」
「教える側に、お前がなる。俺たちがそうしてもらったように」
ケンの言葉に、ライアンはしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。
「分かりました。やります」
「やる前に、言っておくことがある」
ケンがそう続けると、ライアンは身構えた。
「お前が八年前、初めてここに来たとき、何も分からないまま飛行機に乗せられた。今度は、お前が同じことを、誰かにしてやる番だ。優しくしてやれ、とは言わない。丁寧にしてやれ、とは言う」
ケンの言葉に、ライアンは深く頷いた。
数週間後、コーリー・フィッシャーがHFAを訪れた。背筋の伸びた、まだ硬さの残る若い男だった。履歴書には、空軍のテストパイロット学校を優秀な成績で卒業したことと、その後二年ほど別の民間航空機メーカーで試験飛行に携わった経歴が記されていた。
「よろしくお願いします」
コーリーがそう挨拶すると、ライアンが差し出された手を握った。
「硬い挨拶だな」
「すみません」
「謝ることじゃない。俺も最初は同じだった」
ライアンの言葉に、コーリーは少し肩の力を抜いた。
ライアンとコーリーは、その日のうちに最初の打ち合わせを行った。会議室の隅で、ライアンがコーリーに向かって手順表を広げた。
「ここでは、個別の所見をまず固定する。二人で答えを合わせてから書く、というのはやらない」
ライアンがそう説明すると、コーリーは頷いた。
「空軍でも、似たやり方でした」
「似たやり方、と空軍で片付けるな。ここでは、十五年かけて作られたやり方だ」
ライアンの言葉に、コーリーは少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を改めた。
「失礼しました」
「謝ることじゃない。覚えておけ、というだけだ」
その短いやり取りに、ライアンは自分がかつて同じことをケンから言われたのを思い出していた。
「もう一つ、覚えておくことがある」
ライアンがそう続けると、コーリーは身構えた。
「浮かれるな、という言葉だ。この会社に入って、最初に覚える言葉だ」
「聞いています。採用面接のときから、何度も聞きました」
コーリーの答えに、ライアンは小さく笑った。
「聞いているのと、分かっているのは、別の話だ。それは、これから分かっていけばいい」
ライアンの言葉に、コーリーは頷いた。
格納庫では、テオとオーウェンが、新造機の設計資料をすでに広げ始めていた。
「二機、同時に造るとなると、人手が要りますね」
テオがそう言うと、オーウェンは頷いた。
「要る。採用も、増やす必要がある」
「浮かれるな、と言いつつ、人は増えていく一方だ」
テオがそう漏らすと、オーウェンは小さく笑った。
「浮かれないことと、大きくなることは、別の話だ」
その言葉に、テオは頷いた。
その夜、ケンの自宅の庭で、ケンとエリヤは久しぶりに、何の記念日でもない静かな食事を取っていた。
「二機、か」
エリヤがそう呟くと、ケンは頷いた。
「二機だ。一人でやれることには、限りがある」
「十五年前、お前と俺の二人だけで始めたことが、こんなところまで来た」
「あの頃は、宝くじの金で会社を一つ買うことしか考えていなかった」
ケンがそう言うと、エリヤは笑った。
「それでも、考えなしだったわけじゃない。順番だけは、最初から間違えなかった」
エリヤの言葉に、ケンは小さく笑った。
「まだ、どこにも着いていない。設計図さえ、揃っていない」
「それでも、動き出した」
「設計図さえない計画のまま、人を増やして会社を大きくするのは、怖くないのか」
エリヤがそう尋ねると、ケンは少し考えてから答えた。
「怖い。だが、怖いからやらない、という理由は、十五年前から一度も使ったことがない」
「動き出した」
ケンの答えを、エリヤがそのまま繰り返した。
「ライアンが、前席に乗る日が来るとは思わなかったな」
エリヤがそう言うと、ケンは頷いた。
「俺たちも、最初から前席に乗れたわけじゃない。順番を踏んだだけだ」
「コーリーという若者は、どう見える」
エリヤが尋ねると、ケンは少し考えてから答えた。
「硬い。だが、硬さは悪いことじゃない。緩む前に、何を覚えるかが大事だ」
「お前らしい見方だ」
エリヤの言葉に、ケンは小さく笑った。グリルの火はなかったが、庭には、いつもと変わらない静かな気配があった。もう少し上へ、という気持ちが、また新しい形を取り始めていた。