もう少し上 作:自動車好き/飛行機も好き
2003年 ネバダ州上空 高度二万五千フィート
退役した早期警戒機を転用したその機体は、他のどの機体よりも地味な姿で、砂漠地帯の上空をゆっくりと旋回していた。塗装は民間仕様の白とグレーで、背中に背負ったレドームだけが、かつての軍用機としての面影を残している。
「今日の契約は、午前が交通監視、午後が競技の審判だったな」
機長のトム・マーシュがそう確認すると、後方の管制員席からグレース・リンドクイストの声が返ってきた。
「そうです。午前中は、谷筋を飛ぶ小型機の交通情報提供。午後は、DACTリーグの審判業務」
「同じ一日に、両方やるのか」
隣で見習いの管制員、デレクがそう漏らすと、グレースは苦笑した。
「同じ一日どころか、同じ会社がどちらの契約も請け負っているだけだ。レーダーで見ているものは、小型機だろうと模擬空戦の交戦機だろうと変わらない」
「変わらない、と言われても、まだ実感が湧きません」
デレクの言葉に、グレースは画面を指差した。
「午前の仕事を、まず見せてやる」
山岳地帯の谷筋を飛ぶ小型機の輝点が、スコープの上を静かに動いていた。地上のレーダー網では捕捉しきれない高度と地形の機体に、グレースが淡々と交通情報を伝えていく。
「ノバンバー・ワンツースリー、こちら審判機運用会社の交通監視便。南西八マイルに対向機あり、高度差五百フィート」
「了解、視認します」
無線の応答に、グレースは小さく頷いた。
「地味な仕事だが、これがないと、谷筋を飛ぶ連中は互いの存在にすら気づけない」
グレースの言葉に、デレクは頷いた。
別の輝点が、谷の奥から現れた。
「もう一機、南から接近しています」
デレクがそう報告すると、グレースはすぐに応答した。
「ノバンバー・ワンツースリー、追加情報。南側十マイルに、別の対向機あり」
「了解、確認します」
無線の声に、焦りは感じられなかった。グレースの淡々とした口調が、相手の冷静さをそのまま引き出しているようだった。
「怖くないんですか、こういう小型機の操縦士たちは」
デレクがそう尋ねると、グレースは首を振った。
「怖くない、わけじゃない。怖さを、俺たちの情報で少しだけ減らしてやっているだけだ」
グレースの答えに、デレクは画面を見つめたまま、しばらく黙っていた。
昼の休憩中、デレクは思い切って尋ねた。
「グレースさんは、昔からこの仕事を」
「もう二十年近くになる」
「長いですね」
「長いだけの理由がある」
グレースはそう言うと、少しだけ遠い目をした。
「二〇〇一年の九月、お前はまだ子どもだったろう」
「覚えています。あの日、空の便が全部止まったことは」
デレクの答えに、グレースは頷いた。
「止まったはずの空に、まだ降りられずに彷徨っていた小型機が、何機もあった。山岳部や砂漠地帯は、地上のレーダーが届きにくい。あの日、俺たちのような仕事をしていた連中が、降りる場所を見つけられずにいた機体の位置を拾って、近くの管制へ伝え続けた」
「それで、着陸できたんですか」
「できた機体もある。できなかった話は、今日はしない」
グレースの短い答えに、デレクはそれ以上聞かなかった。その口調の重さだけで、これ以上は聞いてはいけない領域があることが分かった。
「あの一件のあと、俺たちのような仕事への評価が変わった。僻地の目として使える、という認識が広まった」
グレースがそう続けると、トムが操縦席から口を挟んだ。
「それで、今の契約が増えた、という話に繋がるわけだ」
「そういうことだ。評判というのは、派手な実績よりも、そうやって地道に積み重なっていくものらしい」
グレースの答えに、トムは頷いた。
「この機体も、元々は海軍の早期警戒機だったんですよね」
デレクがそう尋ねると、トムが頷いた。
「ホークアイ級の小型機だ。退役後、民間用にレドームの中の電子機器を一新してある。軍用時代ほどの探知距離はないが、この手の仕事には十分すぎるほどだ」
「十分すぎる、とは」
「谷筋を飛ぶ小型機の高度差も、競技機同士の数百フィートの接近も、同じ精度で拾える。見る相手が変わるだけで、こっちのレーダーのやることは変わらない」
トムの説明に、デレクは画面をもう一度見つめた。
「それにしても、ビジネスジェットに捜索レーダーポッドを積んだだけの軽量な機体を使う同業者もいると聞きましたが」
デレクがそう言うと、グレースは頷いた。
「ある。うちは、少し古いが、ホークアイ級のほうが好みだ。レドームの中身を一新してあるとはいえ、骨格は海の上を見るために作られている。砂漠の上を見るくらい、わけもない」
グレースの答えに、デレクは納得したように頷いた。レドームの中で静かに回り続けるアンテナの音が、会話の合間に規則正しく響いていた。
午後になり、機体は競技空域の上空へ移動した。無線に、リーグ運営からの通告が入る。
「本日の第一試合、間もなく開始します」
「了解した。審判機より通告の準備に入る」
グレースがそう応じると、デレクのスコープにも、二つの輝点が浮かび上がった。
「あの機体、知っていますか」
デレクがそう尋ねると、グレースはすぐに答えた。
「カルダー選手だ。ジェット・アンリミテッドのエアレースでも名が通っている」
「ガンキルとマニューバキルしか使わない、と噂されている選手の」
「噂じゃない。事実だ。この三年ほど、審判機から見ていて、ミサイルキルを取られた記憶がない」
グレースの言葉に、デレクは画面に目を戻した。
「審判機より通告。交戦開始。ハードデッキは五千フィート。それを下回った側は、自動的にキルとする」
グレースの声が無線に乗る。二つの輝点が、スコープの上で近づき、離れ、また近づいていく。
「ミサイルのロック、不成立が続いていますね」
デレクがそう言うと、グレースは頷いた。
「カルダー選手が、角度をわざと崩している。ロックが成立する前に、距離を詰める」
「わざと、ですか」
「わざとだ。見ていれば分かる」
グレースの言葉どおり、相手機の輝点は少しずつ高度を落としていった。
「高度、下がっています」
デレクがそう告げると、グレースは画面から目を離さなかった。
「相手が自分から下げたんじゃない。下げさせられている」
「下げさせられている、とは」
「旋回半径で押されて、逃げ場を高度に求めるしかなくなった。あの選手は、相手の選択肢を一つずつ消していく」
グレースがそう説明する間にも、相手機の高度は下がり続けていた。
「六千。五千五百」
デレクが数字を読み上げる声が、わずかに緊張を帯びた。
「五千を切ります」
「ハードデッキ、五千フィートを下回りました」
グレースの声が、無線に乗った。
「自動キルを宣告します」
その宣告を送りながら、グレースは隣のデレクに視線を向けた。
「今の、見えたか」
「見えました。ミサイルも、ガンも使わずに、高度だけで勝負を決めていました」
デレクの答えに、グレースは頷いた。
「あれが、あの選手のいつもの戦い方だ。俺たちの仕事は、あの戦い方が安全の範囲内に収まっているかどうかを、最後まで見極めることだ」
「安全の範囲内、ですか。今の旋回、かなり際どく見えましたが」
デレクがそう漏らすと、グレースは首を振った。
「際どく見えることと、実際に危険なことは、別の話だ。あの選手は、ハードデッキぎりぎりで止める技術を持っている。だから、俺たちも安心して見ていられる」
グレースの言葉に、トムが操縦席から付け加えた。
「それでも、際どい選手が出てくる日ほど、俺たちの仕事は気が抜けない」
「それは、その通りです」
グレースがそう答えると、トムは小さく笑った。
第二試合は、前年度チャンピオンとの対戦だった。グレースのスコープに映る相手機の動きは、明らかに高度を高く保とうとする慎重さを帯びていた。
「今度は、簡単に下げてはくれないようですね」
デレクがそう言うと、グレースは頷いた。
「相手も、今日の第一試合でのカルダー選手の戦い方を見ている。同じ手は食わない、という構えだ」
二機は高度一万二千フィート付近で、互いに仕掛けを探る旋回戦に入った。
「ロック成立、しかけました」
デレクがそう読み上げると、グレースは画面を見つめたまま答えた。
「不成立になる。見ていろ」
デレクの声の直後、相手機のロック信号がスコープ上で途切れた。
「本当に、不成立になりました」
「ロールしながら高度を変えて、角度を崩した。毎回同じ手を使うが、相手が知っていても防ぎきれない」
グレースの言葉どおり、ラッチの機体は旋回を締め、相手の内側へ入り込んでいった。今度は高度を下げる誘いには乗らず、横方向の距離だけを詰めていく。
「今度は、ハードデッキを使うつもりがないようですね」
デレクがそう言うと、グレースは頷いた。
「使う必要がない、と踏んだんだろう。ガンサイトのトラッキングが、間もなく成立する」
グレースの言葉から数秒後、無線に判定の通告が入った。
「ガンサイト、トラッキング成立。キルを宣告します」
グレースがそう告げると、デレクは小さく息を吐いた。
「ハードデッキに頼らない勝ち方も、ちゃんと持っているんですね」
「持っているからこそ、評判になる。ハードデッキしか武器がない選手なら、とっくに対策を研究し尽くされている」
グレースの答えに、デレクは頷いた。
試合後、機体は燃料の都合で一度着陸することになった。地上に降りたグレースのもとへ、ちょうどラッチが通りかかった。
「今日も、際どいところまで持ち込んだな」
グレースがそう声をかけると、ラッチは肩をすくめた。
「際どいところまでしか、持ち込むつもりがない」
「それが、お前の一番の商売道具か」
グレースがそう言うと、ラッチは短く笑った。
「審判機の連中に名前まで覚えられている時点で、まだ大したもんだと思っておくさ」
その短いやり取りを最後に、ラッチは整備クルーのもとへ戻っていった。グレースはその背中をしばらく見送ってから、デレクのほうを向いた。
「覚えておけ。ああいう選手がいるから、俺たちの仕事にも意味がある」
「意味がある、とは」
デレクがそう尋ねると、グレースは少し考えてから答えた。
「あの選手の技術を信用できるからこそ、俺たちは安全の限界に近いところまで判定を任せられる。技術のない選手が同じことをしたら、俺たちはもっと早い段階で試合を止めなければならない」
「つまり、選手の腕が、俺たちの仕事のやり方まで決めている、ということですか」
「そういうことだ。覚えておいて損はない」
グレースの言葉に、デレクは頷いた。
給油作業がようやく終わり、トムが操縦席から声をかけた。
「次の便は、何時だ」
「三十分後です」
デレクがそう答えると、トムは頷いた。
「それまでに、昼飯を済ませておけ。午後の便も、今日みたいな試合が続くとは限らない。退屈な交通監視の方が、むしろ普通だ」
トムの言葉に、グレースは笑った。
「普通の仕事のほうが多いからこそ、今日みたいな一日のほうが、記憶に残る」
グレースの答えに、デレクも頷いた。機体はやがて燃料を補給し、再び砂漠地帯の上空へ戻っていった。見下ろす側の仕事は、今日も静かに続いていく。