もう少し上 作:自動車好き/飛行機も好き
2001年9月11日 空軍救難調整センター/ビタールート山脈上空
マーカス・ベルは、四十二歳になるまで、これほど長い一日を経験したことがなかった。
この仕事を選んだ理由は、単純だった。落ちた機体を探し、人を連れ戻す。それだけが、彼の誇りだった。
空軍救難調整センターの当直席に座り、午前七時から何十回も電話を取り、何十枚もの報告書をめくってきた。着陸指示が出たあと、全米の空は急速に静かになった。だが、静かになるほど、見えないものが目立ってくる。
「ベル、これを見てくれ」
隣の席のケイト・ロイド少佐が、一枚の紙を差し出した。
「競技リーグの事務局から。所属機が一機、連絡を絶っている」
「連絡を絶っている」
「民間のF-4ファントム。操縦士はテッド・オーバック、六十一歳。モンタナ州のミズーラ近郊から、アイダホ方面へ向かっていた」
ベルは、紙に目を落とした。
機体はF-4ファントムII。元空軍の機体で、現在は民間登録。燃料搭載量は満タンで約一万二千ポンド。離陸は午前六時半。計画では、午前九時に着陸予定。
そして、午前八時十分以降、レーダーからも無線からも、姿を消していた。
「着陸指示が出たあと、最寄りの飛行場へ降りたのかもしれない」
「民間機は、降りた場所をリーグに報告する決まりだ。それがない」
ロイドの声は、いつもより低かった。
ベルは、地図を広げた。ミズーラの南西には、ビタールート山脈が横たわっている。人家のほとんどない、広大な原生林だ。
「あの辺りは、レーダーの死角が多い」
「そう。だから、降りたのか墜ちたのか、どこにいるのか、分からない」
ベルは、無言で頷いた。
地上が混乱している日に、所在不明の戦闘機が一機。防空司令部にも、すでに問い合わせが入っているはずだった。
「防空司令部は、何と言っている」
「所在不明の高性能機として、扱いたくないそうです。ただ、民間の競技機であることは、リーグの名簿で確認が取れています」
「所在が分かれば、すぐに降ろせる」
「問題は、その所在が分からないことです」
ロイドは、疲れた目で地図を見つめた。
その日の午前中、ベルはオーバック夫人にも電話を入れた。受話器の向こうで、ドロシーは何も言わずに聞いていた。
「まだ、何も分かりません。見つかり次第、すぐにお知らせします」
「お願いします」
声は静かだった。それがかえって、ベルの胸に重くのしかかった。
その頃、モンタナ上空では、テッド・オーバックが、ひとり戦っていた。
六十一歳。元空軍のF-4パイロットで、退役後はリーグの大会に出る傍ら、観光飛行の仕事も請け負っていた。その朝も、普段通りの飛行のはずだった。
「ミズーラ・アプローチ、こちらオーバック。着陸指示を受けた。最寄りの飛行場を教えてくれ」
「オーバック機、確認する。待て」
待て、が長かった。やがて、管制官の声が戻ってきた。
「ミズーラ空港は、軍用機に類似した機体の受け入れを停止している。民間登録機であっても、身元の確認が終わるまでは認められない」
「身元確認には、どのくらいかかる」
「分からない。今日一日かかる可能性もある」
テッドは、操縦席で、静かに息を吐いた。
燃料計は、すでに六千ポンドを割りかけていた。F-4は、決して燃費のいい機体ではない。高度を上げ、速度を落としても、一時間に四千ポンド近くを消費する。
「近くに、ほかの飛行場は」
「ビタールートの中に、小さな林道があるだけだ。滑走路はない」
テッドは、地図を膝の上に広げた。手が、わずかに震えている。
選択肢は少なかった。民間の機体が降りられる場所は、ことごとく閉じられている。軍用の基地は、民間機を受け入れる余裕がない。
そのとき、機体の左エンジンの回転数が、ふっと落ちた。
燃料が、尽きかけている。
テッドは、機体の針路を山脈の奥へ向けた。人のいない原生林の上空へ。
「人の住んでいる場所に、落としてはならない」
誰に言うともなく、彼は呟いた。
三十分後。左エンジンが止まった。右エンジンも、すぐに咳き込んだ。機体は、滑空に入った。
高度は、一万二千フィートから、ゆっくりと下がっていく。眼下には、深い緑の谷が広がっている。道も、家も、人影もない。
テッドは、無線のマイクを握った。
「メーデー、メーデー。こちらF-4、オーバック。燃料切れ。人のいない山中に向けて、射出する」
返事は、なかった。山岳の電波は、ここまでは届かない。
「ドロシー。すまない」
妻の名前を、小さく呼んだ。
そして、座席の下の黄色と黒の把手に、両手をかけた。
衝撃は、一瞬だった。爆音とともに、体が座席ごと機体から叩き出された。背骨に、重い痛みが走る。
落下傘が開いた。ゆっくりと降りながら、テッドは、遠ざかっていく自分の機体を見た。
灰色のファントムは、機首を下げ、谷底へ消えていった。遠くで、鈍い爆発の音がした。
木々の枝が、体を打った。落下傘が、針葉樹に引っかかり、彼は宙吊りになった。
「生きている」
彼は、静かにそう思った。
静寂が、谷を満たしていた。鳥の声と、風に揺れる枝の音だけが聞こえる。遠くで、ビーコンが規則的な電子音を鳴らし続けていた。小さな機械が、休まずに自分の居場所を叫んでくれている。それだけが、頼りだった。
何時間が過ぎただろうか。テッドは、宙吊りの体勢のまま、空を見上げて待った。着陸指示の出た空には、いつもの飛行機雲がなかった。静かすぎる青空だった。
同じ頃、空軍救難調整センターでは、ベルが何度も同じ地図を見ていた。
午前十一時。午後一時。午後二時。時間だけが過ぎていく。
その同じ午後、ビタールート山脈の上空では、一機の審判機が、谷の上を旋回していた。
午後二時を回ると、グレース・リンドクイストは、自分の耳が少しずつ鈍っていくのを感じていた。
審判機の機内は、朝から変わらない。計器の淡い光と、レドームを回す低い唸りと、ヘッドセットの向こうの雑音。もう八時間以上、同じ席に座っている。防空司令部への報告は十三回目を数え、記録簿の余白は、細かな字でほとんど埋まっていた。
「グレース、水を飲め」
隣の席のトム・マーシュが、紙コップを差し出した。
「ありがとう。あなたも」
「俺は飲んでる」
トムは、そう言って、窓の外に目をやった。眼下には、ビタールート山脈の深い緑が、波のように重なっている。人家のほとんどない原生林だ。稜線の影が、谷の底へ長く落ちていた。
「着陸指示から、もう五時間か」
「ええ。空は静かになったわ」
「静かすぎる」
全米の空から、民間機が消えた日だった。レーダーに映る点は、ほんの数えるほどしかない。グレースは、その一つ一つに目を配りながら、同時に、別のものを探していた。降りる場所を失って、行方の知れない小さな機体だ。
午前中は、セスナ三機の誘導に追われた。谷筋で通信が届かず、立ち往生していた少年と、元教員の女性と、牧場主だった。三機とも、無事に降りた。それで一つ、肩の荷が下りた。
だが、朝から頭の隅に引っかかっているものがあった。競技リーグの事務局からの連絡だ。所属の民間機が一機、連絡を絶っているという。F-4ファントム、操縦士は六十代。ミズーラ近郊を離陸して、午前八時過ぎから消息がない。
「消えた一機のことを、考えてるのか」
トムが、見透かしたように言った。
「ええ」
「燃料を考えれば、どこかに降りたはずだ。降りた先から、連絡が来ていないだけかもしれない」
「そうね。そうだといいわ」
グレースは、そう答えたが、胸の奥のざわつきは消えなかった。
機体が、谷の上空に差しかかった。
高度は、稜線よりやや高い。レドームが回るたびに、スコープの上を、淡い影がゆっくりと掃いていく。グレースは、受信機の周波数を、何気なく緊急周波数に合わせていた。二百四十三メガヘルツ。軍用機の生存用ビーコンが使う、古い周波数だ。
雑音。雑音。雑音。
そのとき、雑音の底で、何かが動いた。
びよ。
かすかな音だった。上から下へ滑り落ちるような、短い二つの音。一瞬で消えた。
グレースは、ヘッドセットを耳に押し当てた。
「トム」
「どうした」
「今、何か聞こえなかった」
「いや。何も」
「もう一度、聞いて」
トムが、自分の受信機を切り替える。二人は、息を殺して待った。レドームの回転音だけが、耳に響く。
びよ、びよ。
今度は、はっきり聞こえた。二つの音の繰り返し。それは、すぐに、また雑音に飲まれて消えた。
「聞こえた」
トムの声が、固くなった。
「掃引音だ」
「ええ」
グレースは、記録簿を引き寄せた。手が、わずかに震えている。時刻、周波数、受信状態。書き込みながら、頭の中では別のことを考えていた。
誤作動かもしれない。そう思う自分がいた。毎年、かなりの数の緊急ビーコンが、整備中の取り扱いミスや着陸の衝撃で作動する。ほとんどは、誤報だ。
グレースにも、覚えがあった。管制官になって二年目の冬、研修を終えた夜に、同じ音を聞いたことがある。格納庫に置かれた古い機体の装置が、整備士の肘に当たって鳴ったのだった。誤報だと分かるまでの十数分、彼女は受話器を握ったまま、立ち上がることもできなかった。誤報と分かったときは、全身の力が抜けた。膝が笑って、しばらく座り込んだ。あの音を、体は忘れていなかった。
けれど今日は、全米の空が止まっている日だ。救難調整センターは、おそらく電話が鳴りっぱなしで、誤報を一つ報告すれば、それだけ本物への対応が遅れる。
それでも、聞こえてしまったものは、無視できなかった。
「谷の上を通ったときだけ聞こえる」
グレースは、スコープの位置を確かめながら言った。
「一瞬で消えるのは、谷の底からの電波が、稜線に遮られているからよ。上から覗き込める位置に来たときだけ、拾えるの」
「弱い信号か」
「ええ。でも、止まっているわけじゃない」
「どうする」
「確かめるわ。旋回して、もう一度、同じ谷の上を通る」
「機長に言ってくる」
トムが、操縦席のほうへ向かった。
機体は、ゆっくりと大きな弧を描いた。窓の外の山並みが、傾いてまた戻る。グレースは、受信機の表示に目を凝らした。二つのアンテナの感度差から、おおまかな方位が出る。
一回目の通過。方位、二百十度。
雑音のあいだに、音が混ざった。びよ、びよ。
二回目の通過。方位、二百十一度。
音は、前より少しだけ強かった。
三回目の通過。方位、二百十度。
同じ方向だ。偶然ではない。グレースは、紙の上の数字を睨んだ。三本の線が、谷の底の一点で交わっていた。
「動いていない」
声が、かすれた。
「動いていないのよ、トム。誰かの機体が飛んでいるなら、位置は変わる。海の上なら、潮に流される。これは、地面に固定されている」
「落ちたか、降りたか」
「どちらにしても、そこに誰かがいるか、何かがあるわ」
トムは、黙って頷いた。機内の空気が、一段重くなった。
グレースは、時計を見た。午後三時を少し過ぎていた。
最初に聞いたのは、十五分前だった。その間、何度も確かめた。確かめるために、同じ谷を何度も周回した。それでも、まだ足りない気がした。誤報でないと、言い切れるか。
だが、数字は嘘をつかなかった。
「報告するわ」
グレースは、通信機のスイッチを入れた。
「空軍救難調整センターを呼んで。今、持っている情報を全部、出す」
通信員が、回線を繋ぐのに数十秒かかった。その数十秒のあいだ、グレースは、受信機から耳を離さなかった。
びよ、びよ。
音は、まだ続いていた。一定の間隔で、休むことなく。それは、誰かが暗い谷の底で、助けを呼び続けている声のように聞こえた。
「ベル。審判機運用会社から、連絡が入っています」
通信員が告げた。
「審判機」
「はい。モンタナ上空で交通監視を行っていた機体です。何かを受信したようです」
ベルは、受話器を取った。
「こちらベル。聞こえます」
「審判機運用会社のグレース・リンドクイストです」
落ち着いた女性の声が、受話器から流れてきた。
「十五分前、ビタールート山脈の南部で、緊急信号を受信しました。周波数は二百四十三メガヘルツ。射出座席の生存用ビーコンのものと思われます」
「十五分前、ですか。もっと前から鳴っていた可能性は」
「あります。谷の底から出る電波は、稜線に遮られて、衛星にも地上の受信局にも届きにくい。高い空から見下ろす当機が、谷の上を通ったときに、初めて拾えました」
ベルは、思わず立ち上がった。
「射出座席のビーコン」
「はい。信号は断続的ですが、方位は一定しています。こちらの機体で三回、位置を測定しました。ほぼ同じ地点を指しています」
「座標を教えてください」
グレースは、落ち着いた声で数字を読み上げた。ベルは、メモを取る手を止められなかった。
「すぐに、州空軍の救難ヘリを出します。ありがとうございました」
「待ってください。もう一つ、お伝えすることがあります」
「何でしょう」
「信号の発信元の近くに、人の住まない谷があります。その谷の入り口に、牧場主が一人います。この近辺の地形に詳しい人です。ヘリが到着するまでの先導を、お願いできるかもしれません」
ベルは、わずかに目を見開いた。
「すでに、その人に連絡してくださっているんですか」
「いえ。いま、無線で呼びかけているところです」
グレースの声は、あくまで冷静だった。だが、その奥に、確かな温度があった。
グレースは、通話を終えると、地図の隅の小さな印を見た。谷の入り口に、牧場主の家が一軒、記されている。山間部の牧場組合が使う共通の周波数が、備考欄に添えてあった。彼女は、その周波数に切り替えた。
「ハリス牧場、ハリス牧場。こちら審判機、民間機運用会社のリンドクイスト。応答願います」
雑音が続いた。
「ハリス牧場、応答願います。緊急です」
何度目かの呼びかけで、雑音の向こうから、低くて乾いた声が返ってきた。
「こちらハリス。何だ」
「バート・ハリスさんですか」
「そうだが」
「谷に、落下傘が降りた可能性があります。人を探すのに、あなたの力が要ります」
返事までに、ほんの一呼吸の間があった。
「分かった。道なら知ってる」
通信が切れた。グレースは、ヘッドセットを外して、額に手を当てた。
「やるべきことは、やったわね」
「ああ」
トムが、静かに言った。
「あとは、ヘリが来るのを待つだけだ」
「いえ。まだ、できることがあるわ」
グレースは、ヘッドセットをかけ直した。
「ヘリが着くまで、この谷の上を回り続ける。信号が途切れたら、すぐに報告する。途切れなければ、それだけで、あの人は、まだ生きているということだもの」
トムは、少し黙ってから、頷いた。
「付き合うよ」
トムは、そう言って、自分の席に深く座り直した。コーヒーはとうに冷めていたが、二人とも、もう気にしなかった。窓の外では、山の影が少しずつ長くなっていく。
機体は、谷の上空で、静かに旋回を続けた。西の空が、少しずつ橙に染まりはじめていた。受信機の中で、あの音は、変わらずに鳴っていた。
びよ、びよ、びよ。
管制の仕事をしている人間にとって、いちばん聞きたくない音だと、グレースは思った。この仕事を続けているかぎり、誰もがいつか一度は聞く音だ。聞かずに済むなら、それが一番いい。けれど、この音が鳴っているあいだは、まだ間に合う。そう思うと、不思議に、耳を離す気にはなれなかった。
旋回のあいだ、グレースは、リーグの名簿に書かれていた名前を思い出していた。テッド・オーバック、六十一歳。連絡を絶った操縦士の欄には、自宅の電話番号と、妻の名前が添えてあった。ドロシー。今ごろ、電話の前で待っているのだろうか。
谷の底で鳴り続ける音が、その人の居場所を、休まずに叫んでいる。グレースには、それだけが確かなことに思えた。
トムが、燃料の残りを確かめて、小さく言った。
「あと一時間は、ここにいられる」
「十分よ。ヘリは、もうすぐ上がるもの」
ヘリを待つあいだ、トムが、ぽつりと言った。
「お前、誤報ならいいと思ってたろ」
「ええ。ずっとそう思っていたわ」
グレースは、素直に答えた。
「誤報なら、誰も困らない。ただ、時間を無駄にしただけで済む。でも、聞いてしまった以上は、本物として扱うしかない」
「それが、この仕事だな」
「そうね」
「誤報で終わる日のほうが、ずっと多いんだろうな」
「ええ。だから、誤報の日は、ほっとしていい日なの。今日は、そうじゃなかっただけ」
トムは、何も言わずに、グレースの肩を軽く叩いた。
三十分後、州空軍の救難ヘリが、ミズーラの基地から離陸した。ベルは、通信員の席に座り、無線の応答を聞いていた。
「救難一号、こちらセンター。現在の位置は」
「ビタールート山脈の東側を、北から南へ進んでいる」
「到着予定は」
「あと二十分」
ベルは、時計を見た。午後四時十分。長い一日だった。
「到着まで、ビーコンの信号は続いているか」
「はい。強さは安定しています」
ヘリの中では、パラレスキュー隊員のジェームズ軍曹が、ロープの準備をしていた。
「軍曹。目標は、民間のF-4のパイロットだ。六十一歳」
機長が言った。
「了解しました。今朝からずっと山の中にいたことになりますね」
「ああ。六時間以上だ」
ヘリが谷に近づく少し前、一人の牧場主が、馬で谷の奥へ入っていった。
バート・ハリス、六十八歳。谷の入り口で牧場を営む老人だった。審判機の無線に呼ばれたとき、彼は納屋で馬の蹄を磨いていた。
「谷に、落下傘が降りたらしい。人を探してやってくれないか」
「分かった。道なら知ってる」
バートは、短く答えて馬に乗った。
針葉樹の根元にたどり着いたとき、梢には白い布が揺れていた。バートは馬を降り、見上げた。
「おい。生きてるか」
「生きてる」
テッドの声が、頭上から返ってきた。バートは、思わず声を出して笑った。
「そりゃ何よりだ。もうすぐ救難ヘリが来る。それまで、水でも飲むか」
「ありがたい」
バートは、水筒を差し出す代わりに、長い縄を投げ上げた。縄は、テッドの肩の辺りに届いた。
「それに掴まってろ。落ちても受け止める」
「頼りになるな」
「馬と牛の面倒を見てると、そういう顔になる」
ヘリの音が、遠くから近づいてきた。
ヘリは、深い谷間へ降下していく。木々の間から、白い落下傘の切れ端が見えた。
「発見しました。下に、馬に乗った老人が見えます」
ジェームズ軍曹が、窓の外を指差した。
「木の上に吊られています。動いている。手を振っています」
「生存確認。降下準備」
軍曹が、ロープを伝って降りていく。針葉樹の梢に引っかかったテッドは、疲れた顔で笑っていた。
「遅かったな」
「申し訳ありません。道に迷いまして。先に牧場主の方が着いていたようですが」
軍曹の冗談に、テッドは声を出して笑った。笑ったあと、顔を歪めた。
「背中が痛い。折れてるかもしれん」
「ヘリで運びます。もう大丈夫です」
軍曹の手が、テッドの肩を支えた。
審判機の機内では、グレースが記録簿に短い一行を書き足していた。
「ビタールート南部、射出座席ビーコン受信、救難ヘリ誘導、要救助者生存確認」
トムが、後ろから覗き込んだ。
「今日、何度目の記録だ」
「十四回目です」
「疲れたろう」
「いいえ。まだ、見ている空があります。見つけてもらえるのを待っている機体が、どこかにいるかもしれませんから」
グレースは、ペンを置き、スコープに目を戻した。彼女の背後で、夕日がレドームを赤く染めていた。
その夜、病院のベッドに横たわったテッドの傍らには、妻のドロシーがいた。
「あなた。無事でよかった」
「ああ。飛行機は、なくなってしまったが。長く付き合った相棒だった」
「いいのよ、そんなこと」
ドロシーは、夫の手を握りしめた。
「ビーコンが鳴ってくれて、よかった」
病室の窓の外は、すっかり暗くなっていた。テッドは、天井を見つめた。
「あれが鳴らなかったら、誰も見つけてくれなかっただろうな」
「誰かが、聞いてくれていたのよ」
テッドは、ゆっくりと頷いた。墜ちた機体の代わりに、小さな電子音が、六時間のあいだ一度も休まずに、彼の居場所を叫び続けてくれたのだ。
窓の外では、夜の街の灯りが静かに瞬いていた。
翌日、リーグの事務局には、一通の報告書が届いた。
民間F-4一機、燃料切れにより射出。人のいない山中に墜落。操縦士は生存。機体は全損。
その日、全米で失われた民間戦闘機は、この一機だけだった。
現実世界で当日墜落した民間機は無いらしいのでこの世界だけのお話、フィクションだからね