もう少し上   作:自動車好き/飛行機も好き

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いつもの一枚

#2008年 アリゾナ州ツーソン

 

コンビニエンスストアの蛍光灯は、いつもと同じ白さで店内を照らしていた。ケンはレジ横のくじ売り場で、いつもと同じ一枚を差し出す。

 

「今週の分だ」

 

店員は慣れた様子でそれを受け取り、レシートと一緒に返す。ケンとエリヤが友人になって以来、毎週欠かさず続けてきた習慣だった。数字を選ぶ基準は特にない。誕生日でも、記念日でもない。ただ、二人で一枚買う。それだけのことが、いつの間にか続いていた。

 

「今週も外れたら、来週も同じことをするだけだ」

 

助手席のエリヤが笑いながら言う。二人とも、つい先日まで軍服を着ていた。退役してからまだ日は浅い。長年の勤務地とは違う、乾いた空気と広い空だけが、今の生活の中で変わらないものだった。

 

車は基地の外周道路を離れ、住宅地へ向かう道を走っていた。窓の外を過ぎていく景色は、代わり映えのしないものばかりだ。ガソリンスタンド、ファストフード店、乾いた土地に無理やり植えられた芝生。現役の頃は、どこの基地に配属されても似たような景色が広がっていた。違うのは、今はもう明日の任務も、次の異動先も気にする必要がないということだけだった。その解放感に、まだ二人とも慣れきってはいなかった。

 

友人になったきっかけを、二人ともはっきりとは覚えていない。同じ基地に配属された時期があり、飛行と整備という別々の持ち場から、いつの間にか言葉を交わすようになっていた。ケンは寡黙で、必要のないことは話さない性分だったが、エリヤのよく笑う性格と、事実だけを淡々と積み上げる仕事ぶりには、早くから一目置いていた。宝くじを共同で買い始めたのがいつからだったかも、正確には思い出せない。ただ、どちらかの基地が変わっても、電話一本で「今週も頼む」「分かった」とやり取りが続いた。転勤を重ねても、途切れなかった数少ない習慣の一つだった。

 

「外れることに慣れすぎるのも、考えものだな」

 

ケンはそう返し、レシートをダッシュボードの隅へ置いた。当選番号の発表は、いつも金曜の夜だ。今日もその夜が来る。

 

金曜の夜、二人はエリヤの家の居間にいた。テレビの向こうで、抽選の球が一つずつ転がり出てくる。エリヤの妻が台所から顔を出し、「今週も付き合わされてるの」と笑う。

 

「毎週のことだ、慣れてくれ」

 

エリヤはそう答えながら、テーブルの上のレシートへ手を伸ばした。数字が一つ、また一つと読み上げられていく。最初の数字が一致したときは、二人ともまだ何も言わなかった。二つ目が一致したときも、まだ何も言わなかった。長年の習慣が、期待を持たないことを二人の体に染み込ませていた。

 

三つ目が一致した。

 

四つ目。

 

五つ目。

 

「ケン」

 

エリヤの声が、初めてわずかに震えた。ケンはレシートと画面を、何度も交互に見比べた。数字の並びは、間違いなく一致している。だが、それを声に出して認めることに、体のどこかがまだ抵抗していた。

 

「もう一度、確認する」

 

ケンはそう言うと、レシートを手に取り、一つずつ、指で数字をなぞりながら読み上げていった。エリヤも画面の数字を、同じように一つずつ読み上げる。二人の声が、同じ六つの数字で重なった。

 

画面には、当選金額の目安を示す表示が続けて映し出されていた。桁の多さに、ケンは一瞬、数字の読み方を頭の中で数え直した。軍人としての給与や、これまでの投資の利益とは、明らかに違う種類の数字だった。長年、収支を頭の中で管理してきた男でも、その桁数は簡単には呑み込めなかった。

 

エリヤはテレビの画面とレシートを、もう一度見比べた。何かの間違いであってほしいような、そうでないような、奇妙な感覚だった。長年の習慣が積み重ねてきたのは、外れることへの慣れだけではなかったらしい。当たったときにどう振る舞えばいいかを、二人とも一度も考えたことがなかった。

 

しばらく、居間には誰の声もなかった。エリヤの妻が、様子のおかしさに気づいて居間へ入ってくる。

 

「どうしたの、二人とも」

 

「当たった、と思う」

 

エリヤがそう言うと、妻は一瞬固まり、それからテーブルの上のレシートを覗き込んだ。

 

「思う、じゃなくて。当たってるじゃない」

 

その一言に、エリヤはようやく声を上げて笑った。ケンは笑わなかったが、いつもより深く息を吐いた。

 

「まず、レシートをしまう」

 

ケンが最初に言ったのは、それだった。喜びに浸る前に、確かめなければならないことがある。レシートは色あせやすく、水にも弱い。当選金を受け取るためには、この一枚が全てを証明する唯一のものになる。

 

「金庫はあったな」

 

「ある。使ったことはなかったが」

 

エリヤは苦笑しながら、寝室の奥から小さな金庫を運んできた。レシートは透明な袋に入れられ、念のためコピーも一枚取られた。派手な保管方法ではない。だが、この一枚を失うことだけは、絶対に避けなければならなかった。

 

「次は、税金だ」

 

ケンが言うと、エリヤはうなずいた。二人とも、軍人時代から株式投資を続けてきた人間だ。大きな金額が動くときに何を先に確認すべきかは、体で覚えている。一括受取と分割受取、連邦税と州税、控除できるものとできないもの。喜びよりも先に、事実として押さえるべき数字がいくつもあった。

 

「今夜のうちに、専門家を探す必要がある」

 

「明日でいい。今夜は誰も動いていない」

 

エリヤの言葉に、ケンは短くうなずいた。焦って動いても、今夜のうちにできることは限られている。

 

「家族には、いつ話す」

 

エリヤの問いに、ケンは少し考えてから答えた。

 

「まず、それぞれの妻に。正式な手続きを始める前だ。子どもたちには、見通しがついてからでいい」

 

エリヤの妻はすでにこの場にいる。残るはケンの妻だけだった。ケンはその夜のうちに電話をかけ、事実だけを簡潔に伝えた。大声で騒ぐような伝え方はしなかった。電話の向こうでも、驚きより先に、同じような確認の言葉が返ってきた。

 

「本当に、間違いない?」

 

「三回、確認した」

 

その短いやり取りだけで、電話は十分だった。詳しい話は、顔を合わせてからでいい。

 

電話を切ったあと、ケンはしばらく受話器を置いた場所から動かなかった。長年連れ添った相手に、これほど大きな数字を、これほど短い言葉で伝えたのは初めてだった。もっと言うべきことがあったような気もしたが、今はまだ、それを言葉にする準備が二人ともできていない。準備ができてから話せばいい。今夜必要だったのは、驚かせないことと、噓をつかないことだけだった。

 

翌週、二人は税理士と、当選金の請求手続きに詳しい弁護士を訪ねた。妻たちにはすでに事実を伝えてある。事務所の会議室で、二人は軍隊で身につけた癖そのままに、質問事項を箇条書きにしたメモを持参していた。一括受取と分割受取、それぞれの税負担の違い、州の請求窓口、公表と匿名扱いの可否。弁護士が説明する内容を、二人は黙って聞き、必要な箇所だけを聞き返した。

 

「匿名での請求は、この州では難しいですね」

 

弁護士の言葉に、ケンとエリヤは顔を見合わせた。完全に隠すことはできない。だが、公表のタイミングと範囲は、ある程度こちらでも選べるという。二人にとって、それで十分だった。大々的に祝われることよりも、静かに手続きを進められることの方が、はるかに重要だった。

 

子どもたちへの連絡は、この打ち合わせの後に回された。税務上の扱いと受取方法の見通しが立つまで、伝える内容を確定させたくない。それまでは、ごく限られた人間しか、この事実を知らない。

 

会議室を出たあと、二人は駐車場でしばらく立ち話をした。弁護士の説明は理にかなっていたが、それでも実感の伴わない数字が並んだままだった。

 

「実感が湧かないな」

 

エリヤがぽつりと言うと、ケンは短く笑った。

 

「湧いたら、それはそれで厄介だと思う」

 

「それもそうだ」

 

実感が湧かないまま手続きだけが進んでいく。それは決して悪いことではなかった。浮ついた判断をせずに済む分、むしろ好都合だとさえ二人は思っていた。

 

「浮かれるのは、全部片づいてからにしよう」

 

ケンがそう言うと、エリヤは笑って肩をすくめた。

 

「片づいた後も、お前が浮かれるところは想像できないけどな」

 

「お前は浮かれるのか」

 

「少しくらいはな。今夜だけでも十分我慢した」

 

軽口を交わしながらも、二人の手は止まらなかった。税理士への相談予約、受取方法の比較、家計と老後資金の再計算。当選金を手にする前に、二人が最初にしたのは、浪費の計画ではなく、確認と計算だった。

 

数週間かけて、税金と双方の家庭の当面の生活、そして老後資金が先に確保された。残ったのは、二人が共同で自由に使える、まとまった資金だった。

 

その数週間の間、二人の日常自体はほとんど変わらなかった。朝は同じ時間に起き、同じような散歩をし、同じ店でコーヒーを買う。傍から見れば、退役軍人が二人、代わり映えのない毎日を送っているだけにしか見えなかっただろう。だが、その代わり映えのなさの中に、これまでにはなかった問いが、少しずつ居座るようになっていた。

 

現役の頃は、毎日が飛行スケジュールで埋まっていた。次の任務、次の機種転換、次の異動。考える暇もないほどに予定は埋まっていて、それが当たり前だと思っていた。退役してからの日々は、その反対だった。時間はいくらでもある。だが、その時間で何をすればいいのか、二人ともまだ答えを持っていなかった。株の値動きを追い、庭仕事をし、たまにゴルフに出かける。悪くない生活だったが、どこか物足りない。その正体に、二人とも薄々気づいていた。空を飛んでいないことだった。

 

エリヤは時折、庭先で頭上を通り過ぎる旅客機を目で追っていることがあった。ケンも、テレビで航空ショーの映像が流れると、つい手を止めて見入ってしまう自分に気づいていた。二人ともそれを口にはしなかった。ただの郷愁だと思えば、それで済む話だったからだ。

 

「さて」

 

ある晩、エリヤの家の居間で、ケンがそう切り出した。

 

「さて、何だ」

 

「残った分を、どうするか」

 

エリヤは椅子に深く腰掛け、腕を組んだ。二人とも、退役してからというもの、これといった大きな予定もない日々を過ごしていた。空を飛ばない日々に、少しずつ物足りなさを感じ始めていたのは、口に出さずとも互いに分かっていたことだった。

 

「不動産でも買うか。それとも、大人しく運用に回すか」

 

エリヤが半分冗談めかして言う。ケンは首を振った。

 

「どちらでもいい。だが、どちらでもいいと思っている時点で、たぶん本命じゃない」

 

「本命があるのか」

 

「まだ、形になっていない」

 

ケンはそう言うと、しばらく黙り込んだ。頭の中にあるのは、具体的な計画というよりも、一つの感覚に近いものだった。もう一度、空に関わる何かをしたい。だが軍に戻ることはできないし、一介のパイロットとして誰かに雇われる生活に戻るつもりもない。ならば、何ができるのか。その先はまだ、輪郭さえ持っていなかった。

 

「一つ、考えていることがある」

 

ケンが静かにそう言った。エリヤは何も答えず、ただ続きを促すように、じっとケンを見つめた。

 

「まだ、お前に説明できるほどの形にはなっていない。ただ、金の使い道を運用先の一覧から選ぶような話じゃない気がしている」

 

エリヤは腕を組んだまま、しばらく考え込んだ。

 

「聞くだけは聞く。今夜じゃなくてもいい」

 

「今夜じゃなくていい。もう少し、自分の中で整理させてくれ」

 

窓の外では、アリゾナの乾いた夜空に、いつもと変わらない数の星が見えていた。だがその夜、二人の頭の中には、まだ形になっていない一つの考えが、確かに芽生え始めていた。それが何であるか、二人自身もまだ、はっきりとは言葉にできずにいた。

 

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