俺の名はイレブン。記憶喪失の男だ。変な夢から目が覚めると、そこは覚えのない部屋どころか、俺は自分の名前や身分すらも覚えていなかった。イレブンと言うのは、夢の中で呼ばれたものであり、謎の人物からの送られてきたメールにあった宛名のものだ。今の所は本名にせよあだ名にせよ、”イレブン”と呼ばれていたという事だけが唯一の情報だ。
メールに謎のメッセージと共に添付されているデータを確認すれば他にも何か分かるのかもしれないが、今の俺の興味は突然現れたアタッシュケースに収められていた白いベルト型の装置とカプセル型のアイテムに向けられていた。
恐る恐る手に取ってみると、何処となく玩具っぽく見える割にはしっかりとした作りであり、白い楕円状の外装の質感は金属そのものだ。中央の丸い窪みの周りには黒いパーツが取り付けられており、丸の上からバツ印を重ねたように見えなくもない。両端の帯は留め金の様な物こそあるが、どう見ても帯の長さが足りていない。俺の体格では過剰なダイエットをしても付けるのは難しいだろう。何より、中央の窪み。このカプセルが丁度嵌められそうだが使い方が分からない以上、まだ試すのはやめておこう。誤作動とか起こしたら大惨事になるかもしれない。
「…‥‥遊んでる場合じゃないな。」
一旦ベルトとカプセルをケースに戻し、添付データの確認を始める事にする。
「これは‥‥‥戸籍に銀行口座に保険証‥‥‥何だこの量は‥‥?」
俺が生活していく上で必要な諸々の書類や情報が一通り。部屋をもう一度隈なく探してみるとカードや証明書、通帳、現金、鍵といった必需品が見つかった。まるで、最初から俺の為に用意されたかのような完璧さと不自然さを感じざるを得ない。
なんとも言えない感情に突き動かされる様に、俺は情報の読み取りに集中した。スマホで検索し、メモし、声に出し、頭を働かせ、パスワードや番号を一つ一つ確認した。
だが、ピンと来る情報は一つもない。俺のものとして記載されている名前にも覚えがない。幾つかの洋画のDVDがある以外に面白みのあるものもない。勿論、それ自体にも覚えは一切無い。
「俺は一体、誰なんだ………?」
___________
「こういう所なのか………」
読めるだけのデータをや書面を読み漁り、部屋を徹底的に調べあげたが、それで得れる情報には限界があるし、そんな状態では精神的に参ってくる。それに、部屋には書類や例のアタッシュケースなどはあったが食べ物やを始めとして足りないものが色々あり、部屋は一体どういった場所に位置するのか、周辺に何があるのかも分かっていない。足で稼げる情報と言うのは存外馬鹿に出来ないという事もあって、俺は部屋にあった服に着替えて外を歩き回っていた。
どうやらここは東京都内の”シブヤ”のようだ。有象無象の人々が絶え間なく蠢き、若者が集うサブカルチャーが盛んな街とのこと。
まあ、そんな事よりも今は情報収集が最優先だ。俺の部屋があるアパートの周辺の道や街灯、監視カメラ、建物。コンビニやドラッグストア、飲食店の位置。駅やバス停、大型の電光掲示板、何らかのオブジェクトといった特徴的なものま細かく、そして目立たない様に観察し、記憶していく。試しに銀行口座から金を下ろしてみたり、カードを使って買い物をしてみたりしたが、どれも普通に使えた。本物、それか極めてそれに近い、使える精巧な偽物ではあるようだ。
期待していたわけではないが、やはりどれもこれも覚えがない。だが情報量は莫大だ。当分はこの街に世話になるのだろうから決して無駄には出来ない、重要な情報だ。
『~~~♪』
ふと、広告のものと思われる音楽が耳に入り、ふと足が止まる。
‥‥‥‥なんだ、この歌は。かなりのクオリティだが、肉声だとしたら違和感のある部分もハッキリわかる。これは何らかの音声ソフトを使ったものだ。
だが、なんだろう。この妙に聴き心地の良い、スッと胸に入るような美しさと感情は。想いの宿った銀鈴の声、とでも言うべきか。
「これ、初音ミクの歌だよね?」
「最近、ミクのMVが流れたりCMソングになったりするの増えたよね~。」
「最近はヲタクじゃない人も知ってるくらいだし、すげぇな初ミク!」
「…‥‥‥初音、ミク、か。」
電光掲示板を見上げると、相当な長さの緑色のツインテールの少女が歌って踊っている映像が流れている。あれが初音ミクというキャラクターであり、使用されているソフトの名前なのだろう。
「‥‥‥‥‥悪くない、かな。」
広告が終わり、初音ミクの歌は止まったが、俺の耳には、あの歌声が残り続けていた。だが、不快ではない。むしろ、心が軽くなったかのような錯覚さえある。
その後、必要なものを買って部屋に戻った俺の買い物袋の中にはワイヤレスイヤホンがあったが、その理由は、言わなくても良いだろう。
______________
「…‥‥何と言うか、長かった。」
簡単な食事と風呂を済ませてベッドに腰かけて一息つく。記憶喪失の状態で知らない部屋で目覚め、不可解な現象と共に現れた謎の装置に完璧に用意されたデータの数々‥‥‥‥。だいぶ疲れた、どちらかと言うと精神的に。
「‥‥‥結局、これについては何も分からなかった。」
アタッシュケースに収められていた白いベルトとカプセル。送られてきたデータにもインターネット検索でも一切の情報が無く、結局用途が分からないままだ。
試しに腰に巻いてみようとするが、やはり長さが足りていない。それに、帯の形的に腰につけづらい。長さが足りていても不自然に見える。
「…‥‥‥肩に掛けられるかな?」
レバーのようなものを上向きにして左肩からたすき掛けするようにすれば、ピッタリ密着するかもしれない。どの道帯の長さは足りていないが、やるだけやってみよう。
「バックルを胸に当てながらながら肩と脇で…‥‥‥‥あれ?」
どうにか付けてみようと試していると、背中の方で何かがカチッとはまった音がする。それに体に固いものが当たって絞められているような‥‥‥‥
「なっ!?」
「やっちまった‥‥あれ、外れない‥‥どうしよ‥‥‥」
色々試してみたが一向に外れる気配はなく、疲れが出てきたのか一気に眠気がきて軽く欠伸が出る。
‥‥‥‥‥どうせ何も分かっていないままだし、このまま寝てしまおう。
結局俺は、胸にベルトを付けたまま、仰向けになって瞼を閉じた。何もかもが、
____________
「‥‥‥‥‥‥え?」
規則正しく響く様々な時計の音と漂う紅茶の良い香りで目が覚めると、そこは俺が今朝目覚めた部屋では無かった。
天井の高いアンティーク調の作り。鳩時計や振り子時計、現代的なアナログから針のないデジタルまで、大小様々かつ大量の壁掛け時計か掛けられ所々に家具がめり込んだ壁。本や資料が収められた本棚。工具やヘルメットが置かれたガレージ。シャツや革靴等、フォーマルな衣装が服屋の様に置かれているスペース。階段で上がるロフトに仰々しい机と椅子。巨大な絵と向こう側に赤い月が見える大きな窓。そして俺が座っていた木のベンチ。
知らないはずなのに、安心感のある何処か懐かしい空間。
「…‥‥なんだ、これ。」
気付けば俺の格好はパジャマではなく、白いシャツにハーネスを付け、黒いカーゴパンツとブーツを履いていて、腰のベルトには白い変なスマホや拳銃を収めたホルスター、そして胸には付けたままだった白いベルトがたすき掛けでつけられている。目の前の机には、白いベルトと一緒にアタッシュケースに収められていたカプセルが置かれている。
「俺は確かに、あの部屋で寝た…‥‥これを、付けたまま。なら、これは‥…」
夢のはずだ。
だが、肌さわりも、匂いも、音も、重さも、全てが現実のようにリアリティがある。ハッキリと物事を考えられる程に意識がハッキリとしている。だが、この状況は常軌を逸している。とても現実とは思えない。それに何なんだこの安心感は‥……。
「…‥‥取り敢えず、調べるか。」
夢だとしても、この場所に感じているこの感覚が本当なら、忘れてしまった俺の記憶の手掛かりが見つかるはずだ。
「‥‥‥猫の置物か。」
まず目に留まったのは黒猫の置物。俺が眼覚め、寝たはずの部屋は生活感が無く殺風景だったから、こういった可愛いものに興味があるのだろうか。初音ミクにも興味が湧いたし、俺は可愛い物が好き、なのだろうか?初音ミクに関しては男の性、俺の気質‥‥かもしれない。
「‥‥‥だとしたら、こんな品のある部屋にいる夢なんて見るか?」
疑問に思いながら置物を撫でるように触っていると、いきなり黒猫がウィンクして短く鳴き声を出す。びっくりして一歩後ずさりした瞬間、壁の一部が開き、ガチャマシンのようなものと半透明の試験管のようなものがせり出してくる。
「な、なんだこの仕掛け!?」
ギミックに映画か漫画かよと突っ込みたくなるが、何故こういう部屋にガチャマシンがあるのかとも突っ込みたい。
‥‥‥‥俺、今日(?)の所驚いたり戸惑ったりしてばかりだな。
まあいい。このガチャマシンもギミックで隠すだけの秘密があるのだろう。徹底的に調べなければならない。
「コインを入れるところはない…‥‥回せるのか?」
ハンドルを握って慎重に回し始めると、想定していたような抵抗はなく、そのまま回り切る。すると、ガチャポンというよりゲームのような効果音が流れ、中で何かが落ちた音がする。
カバーを開けると、赤いカプセルが転がり出てくる。しかしそれは唯のカプセルではない。ベルトと一緒にあったカプセルとほぼ同じ形をしており、真ん中の透明な部分には手を突き出す人型の怪物が描かれている。
もしやと思って、最初に見つけた方のカプセルを見てみると走る黒猫の絵が描いてある。
「これ、夢由来の物なのか?…‥‥もっと出るのか?」
しかし、回しても回してもカプセルは出てこない。中にあと何個あるかは分からないのでもしかしたらコレだけなのかもしれない。
諦めて他の場所を調べると、紅茶セットが出てきたり、机や階段の出し入れが出来たり、本棚の前後が入れ替わったりとやはりギミック満載だ。
「ちょっと楽しくなってきたけど…‥‥記憶の在処とは思えないな‥‥‥」
変なカプセルは手に入れたが、直接的な関係があるのかどうかはちょっと怪しい。
「ここは、何なんだろうな‥‥‥‥。」
夢の中だとしたら、俺が望んでいる事や思い出の場所なのだろうか。
「実はエージェントだった…‥‥なんてな。」
この歳でエージェントって、流石に夢見すぎだと思うし、現実的ではない。何でエージェントがガシャポンなんてやるんだ________
〈
「えっ‥‥‥?」
今、誰かの声がした気がする。酷く懐かしい、この頼もしい声は、誰だっただろうか?もしかして、俺にメールを送ってきた人物なのか?
〈
〈
〈
必要な物。あのデータや書類の数々だと思っていたが、ベルトとカプセルもその内だとするのなら、その使い道こそがミッションという事になるだろう。
「俺の、ミッション‥‥‥‥。」
再び目が覚めた時、そこは昨日目覚めた部屋のベッドの上だった。ベルトは胸に付けたままだったが、右手の中には夢の中で手に入れた赤いカプセルが握られていた。
あれは確かに夢だった。だが、幻ではなく、実際にあった出来事だった。
それがどういう事なのか、どうしてハッキリと分かるのか。
その意味を知るのは、そう遠い日ではない。
〈所有カプセル〉
・黒猫のカプセル
・赤いカプセル
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