私が眼を覚ましたとき、そこは蓮の花が咲き乱れる静かな庭園でも業火の吹きつける地の底でもなく、狭く埃っぽい暗やみでした。
そこは物置小屋か何かのようでした。
私は起き上がり、先ほどからどうも私を呼んでいるような声のする方へはっていくと、手探りでドアを開けました。
開けてみると、そこには見上げるほどの大きな体躯の女性が立っていて、私の顔を睨むと早く身支度をしてこいと言いました。
部屋(最初物置小屋と思ったここは家の中にある部屋でした)へ戻ってみると、そこは私の知らない場所でした。というか先ほどから目に入ってくるものに一切見覚えがありません。どこここ?
自分の格好を確認してみます。ホコリだらけのダボダボのパジャマ。めくった下にはあばらの浮いた貧相な体。身長はもしこの家の規格が人間のものだとしたら、……110cm、あるかないかといったところ。
…………誰?
――思考します。私は推定6、7歳くらいの少年で、目が覚めると見知らぬ家の見知らぬ部屋で、外には知らない女の人(美人)。
――結論。私は記憶喪失です。すべきことは家の人の反応を見つつ、異変を悟られぬように行動すること。
服を着替え、部屋の隅に置いてあった眼鏡を着け、再び部屋の外へ出ると、先ほどの女性(私の身長を考えると別に巨女でも何でもありませんでした)がすかさず私をひっつかみ大股で台所へと連れて行くと、至急朝食を作るよう言い渡しました。
悩んだ末ベーコンエッグとパンを用意し、さらにポリッジを作ろうとしたとき大柄な男性と金髪の男の子が入ってきました。どうやらタイムアップのようです。
4人で食卓を囲い、食べます。
金髪の男の子はダドリーさんという名前で、男性と女性はその親。夫婦はダドリーさんを猫可愛がりしており、私はその間何も言われませんでした。
食事が終わり、食器も洗い終わり、さてどうするかといったところ、玄関から呼び声が聞こえてきました。何事。
内心焦りつつ行ってみると早く学校の準備をしろとのことでした。普通に学校あるんですね。
部屋からそれと思しき鞄を取り出し、車へ乗せられ学校へと向かいました。
学校でのダドリーさんは随分と雰囲気が違っていました。
家ではご両親に甘えた様子だったのが、ここでは何人かの同級生を率い、校内を練り歩いては他の子へ乱暴していました。私も乱暴される側の一人で、しかもかなり頻繁にやられました。
ダドリーさんは私が抵抗しないことを確信しているようでした。仲間たちで周りを囲うと、年齢(私たちはどちらも8歳でした。彼は年齢の割に大きく、私は小さい)にしては力強いパンチを繰り出してきました。
その間、この状況について考えていました。
今私は8歳のやせっぽちの男の子で、家の大人は同い年のダドリーさんを愛する息子として気を払い、私へは家事を命じたり無視したりする。当のこの子は自分の立場が私よりも上だと信じて疑わない。
なるほど。完全に理解しました。
つまり私は——下級身分のものということですね?
間違いありません。そうであれば全ての説明がつきます。私はあの家へ奉公に出されている被支配層の親の子で、大人たちの無視は主人としてのカーミングシグナル。
なぜ同じ学校へ通えているのかは謎ですが、まぁそういう文化なのか、彼らの厚意でしょう。
それならダドリーさん——いえ、ダドリー坊ちゃんの横暴にも説明がつきます。
私は隣の席の子に坊ちゃんのことについて聞いてみました。
彼は私が話しかけてきたことに信じられないといった顔をしたのち、(しまった。身の程知らずだったか?)嫌な奴だとの答えが返ってきました。私が話しかけたこと自体はあんま問題なさそうでした。
他にも何人かに聞いてみましたが、一様に嫌な奴だの親が金持ちだからって調子に乗ってるだのゴリラと豚の合の子だのといった回答が返ってきました。
いくらいじめっ子だからって嫌われすぎでは?
状況の理解は終わりました。では、どうするか。
ま、どうしようもないですね。しばらくは真面目に働いて、環境があまりにもひどいようなら脱走しましょう。できればそのうちに記憶が戻ってくれるといいのですが。
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ダーズリー家(その家の名前です。)に仕えてしばらく経ちました。
任される仕事も増えていき、休日なんかには大抵の家事は私がやっています。(台所掃除だけは未だにやらせていただいていません。奥様にやらないようにとの仰せですので。譲れぬものがある気高い戦士の顔で仰せられたので。)
学校で思いついた下級身分説は普通に私の勘違いだったようで、同級生は坊ちゃんたちの標的にされている私を避けてこそいるものの、先生方は私のことは他の生徒と同じく平等に扱ってくださいます。
ここでの生活はそこそこです。
本当にそこそこでした。食事は最低限、増え続ける仕事、給料はなく、坊ちゃんの横暴は留まるところを知らず。されど衣食住は保証されており、職場は清潔、家の外で差別的な扱いをされることもありませんでした。
一家から(特に旦那様)明らかに嫌われているようである下級労働者にしては随分いい生活ができ、普通の少年としては劣悪な生活を送っています。
普通に自信なくなってきたんですが。本当に私の立場ってなんなんでしょうか。
私には少なくともダーズリー家の皆様から嫌われる理由があり、できれば追い出してしまいたいといつも思っているようでした。その評価は私がどれほど従順に、敬意をもって接しようと変わりませんでした。
しかし、追い出されることはない。
生まれに原因があるとしか思えませんが、絶対に話してはくださらないでしょうし、そもそも質問は禁止されています。
といってもまあ正直どうでもいいんですけどね。大事なのは私の使用人としての態度は間違っていないようであること、この生活は私にとってあまり苦痛ではないこと、一家以外の方にとって私の身分は別に低いわけではないらしいということです。
唯一、坊ちゃんの乱暴だけはなんとかしたいですね。ストレスのため過ぎはいけません。
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ある日の放課後、
私は坊ちゃんたちダドリー軍団(私が命名しました。かっこいいでしょ)に捕まる前に教室を出ると、トイレで鞄から大きなタオルケットを取り出し、顔に巻き付けます。
そしてさっき知らない子のロッカーからくすねてきたサッカーチームのユニフォームに着替えると、颯爽と外へ出てダドリー軍団を探しに行きました。
坊ちゃん達は私がいないので普通に下級生の男の子を取り囲んでいました。
先生が来ないか周りを見張っているもの、獲物を後ろから羽交い締めにしているもの、坊ちゃんの後ろで男の子へ馬鹿にした笑い声をあげるもの。そして拳を振り下ろす軍団のボスことダドリー坊ちゃん。
4年生にしてすごい統率力です。
既に社長である旦那様のような才能の片鱗を見せるだなんて……グラニングス社は安泰ですね。
私はそちらへ歩いていくと、二発目を振り上げる坊ちゃんの手をつかみ、 ミシュト!
綺麗な一本背負いで坊ちゃんを床に叩きつけました。
この衝撃で廊下の床が揺れました。
流石8歳にしてすでに百キロ超えのラージ・ホワイト……。
この巨体を投げ飛ばすために私は少ない食事のなかトレーニングに励み、今日ついに、このささやかな復讐に成功したのです。
ボスはあまりの衝撃(ほとんど自重由来ですけど)にろくに息もできないようで、金魚のように口を開けしめしています。
私はタオルケットをしっかりと巻きなおすと羽交い締め係の股間を蹴り、呆然とつっ立っている見張り係を突き飛ばすと、一目散にその場から逃げ出しました。
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その後も坊ちゃんが私や誰かに乱暴するたび正義のタオル仮面として彼を倒し続けました。
あまりに頻度が高いので、あのユニフォームは結局返せずじまいです。
坊っちゃんはタオル仮面に対抗するため地域のボクシングチームに入りました。
これで困ったのが、坊ちゃんがだんだん一度投げたくらいでは戦意を失わなくなってきたことです。
パンチ力や命中率が上がったことも厄介ですが、私はリンチされるときは抵抗していませんでしたし、タオル仮面として戦うときは1度目以降必ず奇襲を使うことにしていたので、一撃目がはいらなかったことはありませんでした。
問題は一撃目以降も戦闘が続いてしまうこと。
両親にも同級生にも常に殴る側で、(坊ちゃんは旦那様や奥様を平気で殴りますし、二人ともそれを止めません。)殴られ慣れていなかった肥満少年が無駄な重りである脂肪を(少し)落とし、筋肉のよろいを手に入れたことで着実に打たれ強くなっています。
ここまでなんとかタオル仮面としては一撃も食らわず倒し続けていますが、負けて正体がバレ、旦那様に大目玉を食らう日も近いように感じます。
まあそのときはその時です。それまでせいぜい私のストレス発散相手になってもらいましょう。そもそも私のストレスの原因はほぼ坊ちゃんですが。
良かったことは、私の食事量が増えたことです。これまで1日の大半をお菓子を食べて過ごしていた坊ちゃんが肉を多く食べるようになり、それに合わせて家族全体の食事量が増えました。
このエネルギーとトレーニングで、なんとかしばらくは常勝無敗で乗り切っていきたいところです。
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それが起きたのは、突然のことでした。
いつものように坊ちゃんに奇襲をかけ、地面に倒すと、坊ちゃんはすぐに起き上がってこちらへ殴りかかってきました。
その後は私がなんとかパンチをかわしつつ腕か服の裾かをつかもうとするいつもの流れになり、しばらく戦闘が続くように思われました。
その時、今までなかったことが起こりました。
軍団の一人が、私の腕をつかんだのです。
私は一度目以降の奇襲は坊ちゃんが軍団員から離れた隙を狙っていました。それがこのときは戦闘が少々長引いてしまったので、坊ちゃんがいないのを私の襲撃だと察した人が間に合ってしまったのでしょう。
急いで邪魔者の腕をつかみ、引きずり倒したとき坊ちゃん渾身のボディブローが入り、私はエビのように腹を折ってうずくまりました。
坊ちゃんの勝利の雄叫びが聞こえます。クソ、プロレスじゃねえんだぞ。軍団員たちが次々と駆け寄ってきます。早く逃げ…あ、無理だこれ。力はいらん。誰かが私の顔のタオルケットをつかみ、無理やり顔からむしり取ろうとしてきます。待て待て待て待て、あんま考えてなかったけどこのバレ方イヤすぎる。今日の昼も普通にこいつらにボコボコ殴られてたんだぞ?しかもこいつ、よく見たら私がこの前タマ潰したやつじゃねえか、いやだいやだいやだ、ちょ、ま、、やめ、……や——
「やめろ!!!」
思いの外大きな声が出た瞬間、私を押さえつけていた手もタオルケットを引っ張っていた手も消え、ついでに坊ちゃんの雄叫びも消えていました。
辺りにはダドリー軍団が私を中心に円形に倒れていました。
慌てて坊ちゃんの元へ駆け寄りましたが脈は正常、軽い擦過傷のほか目立った外傷は無し、気絶しているだけのようでした。
腹の痛みは消えていました。
私はその場から逃げ出しました。
その日、帰ってきた坊ちゃんの傷の手当てをしながら何食わぬ風を装って聞いてみました。
タオル仮面に勝利して雄叫びを上げていたところ、気づいたらその姿は無く、自分は地べたに這いつくばっていた、というのが彼の覚えていたことでした。
バレてなくて本当に良かった。しばらくは復讐は控えることとしましょう。
しかしまさか、私が超能力者だったとは……
いや、だってそうとしか考えられないでしょう、他にどんな理由があって一瞬で、私に触れていた奴らはともかく、手の届かない範囲にいた坊ちゃんまで吹き飛ばせるっていうんですか?
とにかく、自分に秘められた力があるとわかった少年のすることは一つ。
特訓です。