「ぐぇー」
「兄さん!」
衝撃と共に小さな体が宙を舞う。
癖ッ毛の強い茶色の髪に一筋、銀の色が通った独特な髪を持つ少年が地面に転がるのと同時に、処女雪のような白い髪の少年が、目じりに涙を浮かべながら叫ぶ。
「兄さん、しっかり!兄さん!」
「…ダイジョブ、まだ生きてる」
弟の呼び声に答えた少年は、数秒の間を置いた後にすっと起き上がる。
だが、その視線は心配してくれた弟ではなく、先刻自らを吹き飛ばしてくれた下手人…牛の頭を持つ巨躯の魔物、ミノタウロスを鋭くにらみつけたまま動かない。
「いやぁ~、運が無いな、俺らも。まさかこんなところにミノタウロスが出るなんて」
「に、兄さん…どうすれば…」
瞳だけは鋭さを保ちつつ、飄々とした口調の兄に対し、弟は恐怖に身をすくませ、兄の隣で震えている。
「この状況で俺らができることは…無いかなぁ…」
「そ、そんな…」
暢気とも捉えられるほど落ち着いた兄の言葉に、弟は体の震えを大きくし、絶望の表情を浮かべる。
「ハァ…しょうがないなぁ」
だが、兄はそんな弟を見て一つ溜息を吐くと、弟を自らの背に回し、背筋を伸ばし、ミノタウロスに向き合う。
「…ここは俺が引き受ける。お前は逃げろ」
「え…でも、それじゃ兄さんが!」
突然の兄の行動に一瞬面食らいながらも、すぐに兄を案ずる声を上げる。
が、兄は振り返りもしないまま弟に言葉を投げかける。
「ここでガタガタ震えたところでひき肉が二人分まき散らされるだけだ。だったら、せめてどっちかがこいつがいることを村に伝えなくちゃ」
「それなら兄さんが!」
「自衛の手段も無く足止めもできんお前を置いていったところで5秒で追いつかれるのがオチだ。それなら、せめて1分は時間を稼げる俺が残った方が希望はある」
「…」
兄の厳しくも的を射た言葉に、弟は俯き、両の手を握り締める。
「そんな顔すんなって。…ジジイにすまないとだけ伝えてくれ」
「兄さん…」
最後にかすかに弟を振り返り、フッと微笑む。
弟は泣きそうな顔で彼を見つめるが、その時、今まで沈黙を貫いていたミノタウロスが雄叫びを上げる。
「ブモォォォォォオオオオオオ!!!」
が、兄は前を向いたまま弟の肩をつかみ、くるりと後ろを向かせて、最後に肩を少し押した。
「…さぁ、行け。なに、こんな知性のない獣一匹、すぐに片づけて追いつくさ」
「…ッ!ごめんなさい!」
込み上げる葛藤を必死にこらえ、弟は堰を切ったように流れる涙とともに走り去る。
そして、その場に残されたのは擦り傷だらけの兄と、今にも飛び掛からんという構えをとるミノタウロスだけだった。
「…ふぃー、行ったか。さーて、どうすっかねぇ…」
少年が冷や汗を流しながら改めてミノタウロスと対峙しようとする、その瞬間。
「【福音(ゴスペル)】」
ミノタウロスが
一切の比喩、誇張抜きで、一瞬にしてその巨躯はこの世から消失。
少年は、僅かに聞こえた声の出どころと思わしき場所に視線を向ける。
そして、その儚くも何処か威圧感の溢れ出る女性を前に、目を見開き固まり、その頬に一筋の汗を垂らす。
「…わーお、マジで?」
絞り出したその言葉は終いの方では半ば枯れ、しかして視線は一瞬たりとも逸らさない。
そんな少年の方に顔を向けた女性は、
「…お前は…ゼロか」
見ず知らずの女性から、突如として名前を言い当てられた少年…ゼロは、生じた動揺を押し殺し、先ほど弟とはなしていた時のような飄々とした…いつもどおりの態度で応じる。
「…いかにも。なぜあなたのような麗しい方が俺の名をご存じなのかは分かりかねるが、俺は確かにゼロ…ゼロ・クラネルだ」
「…減らず口を叩く。その見え透いた世辞といい髪色といい…不愉快だ」
バッサリと切り捨てられる。
こうまで悪しきざまにいわれるのは流石のゼロも予想外だったのか、動揺が少し顔に出てしまった。が、すぐに表情を戻し、
「…それは申し訳ない。しかし、俺は基本的に美しいと思った相手以外には美しいとは言わない…いや、そんなことはどうでもよろしい。」
続く言葉を切ると、ゼロは姿勢を正す。
それだけで、空気が変わる。
先刻まで口の利き方すらなっていなかった目の前の少年が、唐突に纏う空気を変え、女性の表情が僅かに動く。
「まずは、危ないところを助けていただきありがとうございます」
先ほどとは見違えるような自然な形の敬語で、感謝の言葉を述べると、続けざまに右の手を胸に当て、女性に一礼をする。
「もうご存じかとは思いますが改めて。私の名はゼロ・クラネル」
「私の弟によく似た髪色のお方、あなたは私と、そして私の弟の命の恩人、感謝してもし切れません」
そこで言葉を区切り、下がっていた頭を下げる。
そして、その青い瞳をまっすぐに、女性に尋ねる。
「…ですのでどうか、貴方の名前をお聞かせ願えませんか?」
数秒。
その目の色すらうかがえないほど細く、しかし確かに瞳を開き、少年の持つ青く輝く瞳と視線をぶつけた女性は、再びその瞳を閉じ、名乗る。
「…アルフィア。ただのアルフィアだ」
これが、
「ゼロオオオォォォ!ゼロオオオオォォォォ!どこじゃ、何処におる!ゼロオオオオオォォォォォ!!!」
「【
「グボッハァ!?」
「ジイさん!?」
出会い頭の理不尽によりアルフィアから一発キツイのをお見舞いされた老人は、そのままの勢いで畑のど真ん中に頭から突き刺さる。
神々が見れば『イヌガミケポーズ』だと笑ったであろう格好の祖父を、ゼロは心配したのだが…
「ジイさんしっかり!よい…しょっ!」
「ブハッ、ゲホッゲホッ…ふいー死ぬかと思ったわい。助かったぞゼロ…」
そこでピタリと動きを止め、自分を助けたのは誰かを見る。
「…ゼロ?」
「そうだよ(返事)。ただいまジイさん、一悶着あったけど、この通りなんとか生きてるよ」
「ぜっゼロ…!よくぞ無事でおった!ベルからお前がミノタウロスの足止めをしていると聞いて、ワシは肝を冷やしたぞ!?」
「いやぁ、それに関してはあっちに居る人に助けてもらってね」
そこで、老人はゼロの後ろの方に誰かがいることにようやく気が付き、慌てて立ち上がろうとする。
「あいやこれは失礼、孫を助けていただいたと…いうの…は…」
その瞬間、老人は先ほど自分を吹き飛ばしたのは何だったのかを改めて思い出した。
そして、視界の内側に入ってきた女性を見た瞬間、その言葉は萎み、顔色はみるみるうちに悪くなっていった。
しかし、わなわなと震えつつも、ガチガチと音を立てる歯の間から声を振り絞り、相手に向き直る。
「…ひ、久しいの、アルフィア。ザルドの恩恵が近づいてきたからもしやとは思うておったが…」
「おい、ゼウス」
が、奮闘虚しくアルフィアにバッサリと切り捨てられる。
「…何じゃ?」
嫌な予感を感じながらも、何とかして老人…ゼウスは聞き返す。
が、アルフィアはなんてことない明日の天気を呟くようにゼウスに告げる。
「今日からここで…ベルと、ゼロと暮らすことにした。ザルドも一緒だ。家に案内しろ」
「…マジ?」
唐突すぎる爆弾発言に、ゼウスはただただ固まることしかできなかった…。