ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜 作:ロドニー
冷たく乾燥した、地下特有の空気が肺を満たす。
ここ、サイド2・8バンチコロニー開発局所属、秘匿試験場の片隅にある地下ドック。
かつての戦火から遠く離れた暗がりのなかで、私はその機体を見上げていた。
リガ・ミリティアのミノフスキードライブ、ザンスカール帝国のビームストリング技術……。
宇宙世紀の禁断と言える技術の数々を、妻の目を盗み、密かに組み込み続けた機体。
完成までに十二年という歳月を費やしたそのモビルスーツは、あまりにも異形な進化を遂げていた。
だが、頭部だけは違った。
内部こそ最新の電子戦OSに換装されているが、外殻の装甲と双眸の形状だけは、あの頃のまま。
「帰って来たね。僕のフリーダム……」
私の掠れた声は、巨大な鋼鉄の巨躯に吸い込まれて消えた。
その白い頭部を見つめていると、網膜の裏に、すべての狂狂しい記憶が鮮明に蘇ってくる。
――あれは、ザフトと地球連合の果てしない泥沼の争いを止めるべく、オーブ軍として参戦したメサイヤ要塞戦の最中だった。
突如として戦場に乱入した第四勢力、ザンスカール帝国。
その先鋒として現れたのは、巨大な蛇の如き異形のMA、ドッゴーラ改。
そして、それを駆るパイロットこそが、カテジナ・ルースだった。
撤退するオーブ艦隊の殿(しんがり)を務めていた私のストライクフリーダムは、彼女の「獲物」となった。
カテジナの攻撃には、一切の躊躇も慈悲もなかった。四方八方からうねるように迫るビームストリングが、フリーダムの四肢を無残に刻み、容赦なく肉薄する大口径ビーム砲の光条が、誇り高く広がっていた私の翼を焼き払った。
手足を失い、ダルマとなったフリーダムは、カテジナの手によってパイロットごとザンスカールへと拉致されたのだ。
女王マリア・ピァ・アーモニアの前に引き摺り出された私に下されたのは、「全世界への生中継による、ギロチンでの公開処刑」だった。
処刑当日。
冷たい風が吹く刑台の上、私は囚人服を纏い、ギロチンの刃を見上げていた。
生を諦め、ただ首が落ちる恐怖に耐えようとしていたその時、執行人として現れたカテジナが狂気を剥き出しにした。
全世界の民衆が固唾を飲んで画面を見つめるなか、彼女は私の囚人服を乱暴に引き裂き、全裸にした。
それだけではない。
肉食獣のようなギラついた瞳をしたカテジナは、自らの軍服をも脱ぎ捨て、一切の羞恥もなく私に跨ったのだ。
死刑を待つ場が、一瞬にして悍ましい交わりの場へと変貌する。
全世界が観ている最中、私は彼女の底なしの性愛に貪り尽くされ、快楽の泥沼へと沈められた。
果てた私を見下ろし、彼女は悪魔のような笑みを浮かべて言った。
『これで、貴方の遺伝子を手に入れたわ』
自らの下腹部を愛おしそうに撫でる彼女の姿が、後に歴史に刻まれる『全世界への公開種付け事件』の幕開けだった。
それからの日々は、果てのない監禁生活だった。
ベッドの上に四肢を拘束され、毎晩のようにカテジナに犯され、搾り取られる日々。
一年後、彼女と瓜二つの容姿と苛烈な性格を持つ長女・ツクヨミが産まれた。
長女の誕生を機に、私は「ルース」の姓を名乗る夫となることを強要され、ようやく拘束を解かれた。
だが、夫となってからも、夜の営みという名の陵辱は続いた。
さらに翌年、母親譲りの残虐性と天真爛漫さを併せ持つ次女・アマテラスが産まれると、カテジナはパイロットを引退し、開発局の開発部指揮官へと就任した。
僕は、自らの高い技術力を利用される形で、妻の側付きの士官となった。
彼女から与えられたのは、正気を疑うほどの膨大な開発作業。
だが、私はあえてその狂気的な仕事に没頭した。
そうしなければ、心が壊れてしまうと分かっていたからだ。
カテジナの愛機だったドッゴーラや、本来の専用機になるはずだったドコラタンのOSを解析・改良し、生産性を極限まで高めた「量産型ドコラタン」を完成させた。
それは退役するゾロアットに代わる次期主力機として制式採用された。
ドッゴーラ改の改良に追われる日々の裏で、家族は膨れ上がっていった。
三女と四女の双子、そして翌年には五女と六女の双子。
カテジナの血を濃く引いた娘たちに囲まれながら、私は彼女のわずかな隙を突き、この地下ドックでフリーダムの改修を極秘裏に進めていた。
いつか、この狂った日常から抜け出すために。しかし、そのささやかな抵抗の芽は、あまりにも残酷な形で摘み取られた。ドッゴーラ改の後継機である『ドッゴーラⅡ』の開発計画が立ち上がった時のことだ。
カテジナは開発局局長に就任し、中将へと昇進。同時に私も大佐へと昇進し、巨大なサイコミュ要塞「エンジェル・ハイロゥ」の膨大なデータを保管するデータバンクへのアクセス権を得た。
私はそのデータバンクの海のなかから、リガ・ミリティアの「ミノフスキードライブエンジン」、防御の要である「Iフィールドジェネレーター」、そしてガンダリウム複合材とルナチタニウム合金複合の精製方法をサルベージした。
これらをフリーダムに組み込み、最強の盾と矛を得るはずだった。
だが、すべては彼女の手のひらの上だったのだ。
僕が盗み出したはずの禁断の技術データは、すべてカテジナに筒抜けであり、そのまま『ドッゴーラⅡ』の基礎設計へと流用されていた。
僕が必死に掴み取った希望の光は、最初から彼女の新型MAを最強の怪物へと育てるための餌に過ぎなかったのだ。
「ふふ、やっぱりここにいたのね、貴方」
背後から、コツコツと軍靴の音が響く。振り返らなくとも分かる。
冷徹で、圧倒的で、それでいて私を縛り付ける甘い毒のような声。
中将の軍服を艶やかに着こなしたカテジナ・ルースが、暗闇から姿を現した。
その背後には、母親の冷酷な笑みをそのまま写し取ったような娘たちの気配がある。
「十二年もかけて、随分と面白い玩具を作っていたのね。でも、そのフリーダムの技術も、貴方が集めてくれたデータも、すべて私たちのドッゴーラⅡの糧になったわ」
カテジナは私に歩み寄り、その細い指先で私の顎をすくい上げた。
肉食獣の瞳が、地下の薄暗がりのなかで怪しく光る。
「貴方は一生、私の手のひらから逃れられないのよ。さあ、今夜もたっぷり、私と娘たちのために尽くしてもらうわよ? 大佐」
見上げるフリーダムの双眸が、まるで私の絶望を映しているかのように、暗闇のなかで静かに鈍く光っていた。
サイコミュシステム搭載型超巨大モビルアーマー「ドッゴーラⅡ」が、不気味な威容を誇ってロールアウトした、まさにその時だった。
目の前のタブレットには、専属パイロット兼テストパイロットの一覧が映し出されている。
そこに並ぶ名前に、僕――キラ・ルース(旧姓キラ・ヤマト)は、激しい既視感と絶望を覚えていた。
ツクヨミ・ルース、10歳、軍曹。
その容姿と性格は、僕の妻であるカテジナと瓜二つ。
アマテラス・ルース、9歳、伍長。
母親であるカテジナ譲りの残虐性を秘めながら、天真爛漫に笑う少女。
「ふふ……見てごらんなさい、キラ。私たちの可愛い娘たちよ。この若さで巨大モビルアーマーを駆る、選ばれた天才たち。あなたのような腑抜けには、到底生み出せない至高の傑作だわ」
隣でカテジナが、いつものように僕を嘲笑いながら、誇らしげに娘たちを自慢する。
その鋭く冷徹な声が、僕の脳髄をかき回した。
パキリ、と。
僕の中で、何かが完全に崩壊した。長年耐え忍んできた精神の堤防が、音を立てて決壊する。
だが、それは終わりではなかった。
壊れた瓦礫の底から、恐ろしいほどの歪んだ「何か」が、爆発的に生まれ変わろうとしていた。
脳内の回路が急速に焼き切れ、再結合していく。
ああ、なんだ。
そうだったのか。
急に、カテジナが愛しくてたまらなくなった。僕を罵るその言葉も、冷酷な瞳も、すべてが愛おしい。
民間の常識を超えた軍人である娘たちのことも、家族として心の底から愛せるようになってしまった。
「……カテジナ」
「な、何よ、急に不気味な声を――」
カテジナの言葉が終わる前に、僕は彼女を強く抱き締めていた。
愛しくてたまらない細い身体。
狂気の中で見つけた唯一の光を離さないように、力を込める。
「ちょっと、キラ!? 離しなさい、娘たちの前よ……ッ!?」
ツクヨミとアマテラスがすぐ側で見つめていることなど、今の僕には些細な問題だった。
僕は躊躇なく、愛情表現としてカテジナに熱烈なキスをした。
いつもは冷酷無比で、僕を見下しているあのカテジナが、急な抱擁と熱烈なアプローチに大混乱に陥っている。
必死に抗議しようとするものの、あまりの想定外の事態に、まるで免疫のない少女のように取り乱し、初々しい反応を返してくる。
それが――たまらなく、可愛かった。さらに愛情を示すように、何度も熱いキスを重ねていく。
「……わ、わあ……」
「お母様が、お父様に圧倒されてる……?」
目の前で繰り広げられる、それまでの力関係を完全に逆転させた熱烈な愛情表現に、10歳と9歳の天才パイロットたちは、完全に思考をフリーズさせていた。
ドッゴーラⅡを操る冷徹な軍曹も、残虐な伍長も形無しだった。
二人は瞬く間に顔を真っ赤に染め上げ、どうしていいか分からず固まっている。
ようやく解放されたカテジナは、激しく息を乱しながら、肩を上下させて僕を睨みつけた。
髪は乱れ、頬は紅潮し、潤んだ瞳で必死に怒りを露わにする。
「な、ななな、何を考えているのよ、この変態! 狂ったの!? 娘たちの前で、こんな……こんな破廉恥なことをっ! 万死に値するわ!」
少女のように悶え、初々しく取り乱しながら怒るカテジナ。
だが、今の僕や、後ろで赤面している娘たちの目から見れば、それは「恐ろしいカテジナ・ルース」では断じてなかった。
ただただ、猛烈に可愛いだけの、一人の照れ隠しの女性だった。
「……ツクヨミ、お母様、すっごく可愛い」
「うん、アマテラスもそう思う。ドッゴーラより、お父様の攻撃力の方が高いみたい……」
娘たちのひそひそ話を聞きながら、僕は生まれ変わった幸福感の中で、再び愛しい妻へと手を伸ばした。
カテジナの短い悲鳴が、ロールアウト直後のドックに甘く響き渡った。
カテジナを愛せるようになったあの日から、僕――キラ・ルース(旧姓:キラ・ヤマト)の世界は、彼女を中心に回り始めていた。
ザンスカール帝国との大戦が残した傷跡を癒やすように、僕たちは寄り添い、互いの欠けた部分を埋め合うように愛を育んできた。
そんな彼女を、僕は自分が籍を置くサイド2・8バンチコロニーの、開発局試験場地下ドックへと連れて行った。
そこは、開発局長であるカテジナですら知らされていない、僕だけの「聖域」だった。
重い隔壁が静かにスライドし、ドックの明かりが灯った瞬間、カテジナは息を呑んだ。
「これは……まさか、あの時の……?」
そこに鎮座していたのは、かつてメサイヤ要塞戦において、ドッゴーラ改を駆るカテジナ自身がバラバラに破壊し、胴体とパイロットだった僕だけを鹵獲して持ち帰った機体――ストライクフリーダムガンダムだった。
頭部こそ当時の傷を残したまま据え付けられていたが、機体全体は未だに骨格(フレーム)を剥き出しにしている。
そして何より、機体中央にあるはずの核エンジンが存在しなかった。
代わりにそこにあったのは、異様な光景だった。
「ロールアウトしたドッゴーラⅡの核融合炉……? それを小型化して……直列で三基!?」
カテジナの声が驚愕に震える。
ドッゴーラⅡに使われた超高出力の核融合炉。
それを直列で2基配置するだけでも出力過多を疑うレベルなのに、目の前の骨格には3基が数珠繋ぎに配置されていた。
まさに正気の沙汰ではない。
僕は何も言わず、起動させたタブレットを彼女に手渡した。
画面に並ぶ狂気的な数値の羅列に、カテジナの美しい瞳がさらに見開かれる。
「ガンダリウム複合材とルナチタニウム合金複合材の交互蓄積8層装甲……それだけじゃない。この、スーパー発泡強化装甲材って何!? 2種類じゃない……3種類の材質による交互蓄積8層装甲……!?」
さらにその最外層を覆うのはフェイズシフト装甲。
バッテリーや並の核エンジンでは維持すらままならないが、小型化された超高出力核融合炉が3基もあるこの機体なら、実質的に「無限の防御力」を得ることを意味していた。
「ドッゴーラⅡの開発で一番のネックだった、ミノフスキードライブエンジンの馬鹿げた推力と、光速移動時の摩擦熱……。それを、この3種交互蓄積8層装甲なら一発で解決できる。私が喉から手が出るほど欲しかった装甲材よ。……ねえ、キラ。これをドッゴーラⅡに使い回せないの?」
カテジナがすがるような、それでいて技術者としての純粋な欲求を込めた目を僕に向ける。
しかし、僕は静かに首を振った。
「無理だよ、カテジナ。これは僕が操縦しながら、リアルタイムで数値をOSごと直接調整する前提で組んでいるんだ。他の人間が乗るドッゴーラⅡに積むには、あまりにも現実的じゃない」
「……相変わらず規格外な男ね、貴方は」
カテジナは溜息をつき、再びタブレットに目を落とした。
だが、次の瞬間、彼女の身体が凍りついた。
ドッゴーラⅡの推力の命の源である、新型ミノフスキードライブの数値。
その推力特性に、彼女は見覚えがあった。
カテジナの視線が、鋭い刃物のようになって僕を睨みつける。
「……キラ。この推力値、リガ・ミリティアの『V2ガンダム』と同型、いえ……それ以上ね。どういうこと?」
「リガ・ミリティアのミノフスキードライブエンジンの改良型……『ミノフスキードライブエンジンⅡ』さ」
僕が淡々と告げると、カテジナは「溜まったものではないわね」と忌々しげに吐き捨てた。かつて散々苦しめられたあの光の翼の、さらに上を行くエンジンなのだから無理もない。
「本来なら、あっちの世界のガンダム、V2ガンダムに搭載されるはずだったのが、この『Ⅱ』だったんだ。でも、戦局の悪化と、ザンスカールに新型のV2ガンダムの製造を察知されかけたことでデータごと破棄された。何故この開発局のデータバンクに設計図が残っていたのかは僕も知らないけれど……ドッゴーラⅡにこれを積もうとしても、あっちの動力源じゃ出力不足で満足に動かせないよ」
「出力不足……この怪物を動かすには、あの核融合炉が3基も必要なわけね」
カテジナは戦慄していた。実際の装甲の厚さは、ドッゴーラⅡの10分の1にも満たない薄さ。
それでありながら、宇宙世紀側の技術としてはサナリィが失ったはずの「内蔵型スラスター」が全方位に仕込まれている。
「頭部は当時のままと言ったけれど……私を騙せると思わないことね、キラ」
カテジナは不敵に微笑んだ。
形状こそストライクフリーダムのままだが、その中身にはアナハイム・エレクトロニクス社の最凶の遺物である「バイオコンピュータ」と「バイオセンサー」が限界まで同調をかけられて組み込まれていた。
そして、かつて「スーパードラグーン」と呼ばれた背部の翼は、今や準サイコミュ化したドラグーンシステムへと変貌を遂げている。
「狂っているわ、キラ。貴方も、この機体も」
「……そうだね。僕も、世界も、狂っているのかもしれない」
僕はその言葉を肯定し、そっとカテジナの華奢な身体を抱きしめた。
彼女の肌の温もりが、僕の狂気を優しく包み込んでいく。
カテジナは僕の胸に顔を埋めたまま、視線だけをドックの隅にある仮眠室へと向けた。
その潤んだ瞳が持つ意味を察した僕は、彼女の手をとり、エスコートするように薄暗い仮眠室へと足を進めた。
「愛しているよ、カテジナ」
ベッドに彼女を優しく寝かせ、耳元で愛を囁くと、カテジナは頬を林檎のように赤く染め、普段の凛とした局長からは想像もつかないほど可愛い反応を見せた。
「……優しく、食べてね、キラ……」
衣服が擦れる音。
互いを求める吐息。2人の身体が重なり合い、狂おしいほどの情愛を貪り合う光景は、外の喧騒を忘れたように朝を迎えるまで続いた。
しかし、2人は気づいていなかった。
わずかに開いていた秘密ドックの隔壁の隙間。
そこから、冷徹な、しかし熱い炎を宿した瞳でドックの中を見つめる一人の少女の姿があった。
ツクヨミ。
カテジナの血を引き、その容姿も、激情を秘めた性格も母親と瓜二つの長女。
彼女の視線は、愛を育む両親には向いていなかった。
その目はただ一点――ドックの闇の中で静かに覚醒を待つ、フレーム姿のストライクフリーダムガンダムだけを捉えていた。
「あれが……お父様の、本当の力……」
ツクヨミは拳を強く握りしめた。
母を狂わせ、父を縛り付ける、あの白き最強のモビルスーツ。
(いつか、私はあの機体と戦う。戦って、超えてみせる……!)
心の中で激しい闘志を燃え上がらせると、ツクヨミは誰にも気づかれることなく、静かに踵を返して闇の中へと消えていった。
朝霧が立ち込めるザンスカール帝国開発局本局の廊下に、硬質な軍靴の音が響く。
サイド2・1バンチコロニーの人工太陽はまだ低い位置にあり、差し込む光は長い影を落としていた。
中将の階級章を胸に帯びたカテジナ・ルースは、いつもの凛とした佇まいで歩を進める。
しかし、その纏う空気には、ほんの数時間前までサイド2・8バンチの秘密ドックで夫キラと貪り合っていた、甘く濃密な熱の残香が確かに混じり合っていた。
すれ違う女性職員たちが、その気配に敏感に鼻腔を震わせる。
「……っ、カテジナ中将……?」
「今の匂い……まさか、あの『不死鳥』と?」
「嘘、昨夜は本局に泊まり込みの予定だったはずじゃ……」
ぎょっとした表情で私語を交わし、慌てて左右に割れて道を開ける彼女たちを、カテジナは一瞥もしない。
ただ、冷徹な微笑をその薄い唇の端に湛えるだけだった。
執務室に入り、重厚なデスクに腰を下ろすと、カテジナは即座に端末へと指を走らせた。
目的は一つ。
サイド2・8バンチの試験場から、この本局へと「ある機体」を移送するための特務命令書の作成である。
十二年前のメサイア要塞戦。
カテジナ自らが撃墜し、頭部と胴体だけとなった無惨な姿のまま、パイロットごと鹵獲した伝説の遺物。――ストライクフリーダムガンダム。
それを夫となったキラが、十二年という歳月を費やして修繕、否、ザンスカールの技術を融合させて「異形の化物」へと変貌させていた。
昨夜、ベッドの中でキラの口から語られたそのスペックを思い出すだけで、カテジナの背筋に冷たい戦慄が走る。
戦艦級の出力を誇る超大型MAドッゴーラⅡの核融合炉を小型化し、贅沢にも三基を直列配置。
単機でドッゴーラⅡ三機分に匹敵する超推力。
装甲は、ドッゴーラⅡに採用されたガンダリウム複合材とルナチタニウム合金の交互蓄積8層装甲をさらに超え、旧ストライクフリーダムの装甲材を加えた三種の交互蓄積8層装甲材。
その外殻をフェイズシフト装甲で覆い、動力直結のIフィールドジェネレーターまで搭載している。
そして何より、あの忌々しいV2ガンダムに当初搭載されるはずだった曰く付きの推進器――『ミノフスキードライブエンジンⅡ』。
「ふふ……あんな恐ろしいものを一人で組み上げるなんて。本当に、恐ろしい人……」
カテジナは自嘲気味に呟きながら、移送命令の暗号鍵を認証させた。
あの化物を手中に収めれば、帝国の軍事バランスすら引っくり返りかねない。
しかし、その化物の全貌を、闇の中から見つめていたもう一つの視線があることを、カテジナはまだ知らなかった。
本局のさらに奥深く、シミュレーションルームの冷たい光の中に、一人の少女が佇んでいた。
キラとカテジナの長女、ツクヨミ。12歳。
母親であるカテジナの美貌と、その裏に潜む苛烈なプライドをそっくりそのまま受け継いだ少女は、青白いモニターを睨みつけていた。
画面に表示されているのは、彼女の愛機である漆黒のドッゴーラⅡ。
そして、対峙するのはパパのストライクフリーダム。
妹のアマテラスが持つ蒼穹色のドッゴーラⅡは現在封印処理中で使えない。
使えるのは自分の黒い機体だけ。
だが。
「……また、撃沈。これで四十七回目……!」
ツクヨミは悔しげに奥歯を噛み締めた。どんな戦術を試そうが、どれほど間合いを詰めようが、画面上の漆黒のMAは、ミノフスキードライブの光の翼に一瞬で肉薄され、直列型核融合炉から生み出される圧倒的な火力と、三種の複合層+PS装甲の前に、傷一つつけられず塵にされてしまう。勝てない。
スペックの次元が違いすぎる。
だが、母譲りの執念深さが、ツクヨミの胸の中で歪な炎を燃え上がらせていた。
「パパ……どうしてそんな酷いものを作るの? そんなに私が可愛いなら、私に勝たせてくれたっていいじゃない……」
モニターに映るストライクフリーダムの禍々しいシルエットを見つめながら、ツクヨミは狂おしいほどの独占欲と闘争心を瞳に宿す。
「絶対に、私がパパを撃墜してみせる。ママからパパを奪うために……あの化物を、私のドッゴーラで引き裂いてあげる……!」
少女の呟きは、誰に届くこともなく、電子の海の底へと消えていった。