ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜 作:ロドニー
サイド2・1バンチコロニー開発局本局。
その中央ハンガーには、言葉にし難い熱気と、ある種の畏怖が満ちていた。
周囲に集まった若き設計技士やメカニック、そして前線の女性パイロットたちの視線は、滑り込んできた輸送トラックの荷台へ一点に注がれている。
頭部のみを露出し、そこから下を厚い遮蔽シートで覆われたその機体――いや、その「骸」は、十二年という気の遠くなるような歳月を費やし、キラ・ルース大佐がカテジナ中将の目を盗んで修繕・開発を進めてきた、ストライクフリーダムガンダム(仮)であった。
かつてのメサイヤ要塞戦。
当時中尉だったカテジナが駆るドッゴーラ改によって、無敵を誇ったストライクフリーダムが撃墜された一戦は、今やこの局内では伝説として語り継がれている。
平均年齢の若い彼らにとって、十二年前の混迷とザンスカール帝国の乱入は、歴史の教科書の一頁に過ぎない。
だからこそ、その伝説の主役が今ここに姿を現したという事実は、彼らの好奇心を刺激してやまなかった。
シートの隙間から、無骨な金属の骨格――フレームが覗く。連合やザフト、モルゲンレーテの鹵獲機を検分した経験を持つ数少ない若き技士が、息を呑んで呟いた。
「……間違いない。一目見ただけで判る。このしなやかな構造と強度の両立……ザフト、いやモルゲンレーテ系のフレーム技術が混ざり合っている」
だが、その言葉に、隣に立つ初老の技士が深く首を振った。
彼はこの世界に流れて着く前、ザンスカール帝国の月面基地で辣腕を振るっていた古株である。
その濁った、しかし確かな審美眼を持つ目が、フレームの深層を見据えていた。
「いや、それだけではないな。あれを見ろ。あの関節部のトルク配置と、過密なまでの高密度実装……アナハイムのRX-93系、そしてサナリィのFシリーズの設計思想だ。あの二つの系譜のフレーム技術が、ザフトの基礎構造と異常な次元で融合させられている」
その言葉を聞いた一人の女性パイロットが、戦慄を隠せずに声を裏返らせた。
「アナハイムにサナリィ、それにモルゲンレーテですって!? 技術的に……そんなの有り得ないわ! 規格も思想もまるで違う別の世界の技術よ? 結合させるだけで歪みが生じて自壊するはずよ!」
どよめきが広がる中、トラックが完全にハンガーへと収まり、厳かにシートが剥がされた。露わになったその全容に、技術者たちは言葉を失い、次の瞬間には悲鳴に近い騒然とした声が響き渡った。
フレームの胸部、本来ならコックピットと超小型原子炉が収まるべき空間。
そこに剥き出しで鎮座していたのは、戦艦級の新型核融合炉――いや、この開発局が総力を挙げて建造した800メートル級の超巨大MA、ドッゴーラⅡの心臓部だった。
それが出力はそのままに、限界まで小型化され、あろうことか「三基直列」で配置されていたのだ。
「馬鹿な……ドッゴーラⅡの融合炉をここまで小型化して、さらに三基直列だと!?」
「このサイズのモビルスーツに、戦艦数隻分の出力を詰め込むつもりか! 制御できるわけがない!」
だが、驚愕はそれだけで終わらなかった。
機体の背部、翼となるべきフレームの根元を覗き込んだ技士が、狂乱したように叫んだ。
「待て! 背部のアレは何だ!? ミノフスキードライブエンジン……! いや、違う、ドッゴーラⅡの物じゃない!」
「まさか……かつて我が帝国がV2ガンダムのデータを掴んだ際、どうしても回収できなかった、あの幻の『ミノフスキードライブエンジンⅡ』なのか!?」
限界を超えた出力の融合炉と、伝説の光の翼を駆動させる推進機関。
それは、モビルスーツという枠組みを完全に超越した、破壊の怪物の骨格だった。
狂乱するハンガーを、遥か上空のキャットウォークから見下ろす二つの影があった。
一人は、この怪物を生み出した男、キラ・ルース。彼は手摺りに手をかけ、どこか遠くを見つめるような静かな眼差しで、自身の執念の結晶を見つめていた。
「驚くのも無理はないよ……」
キラは静かに、しかし決意を秘めた声で呟いた。
「でもね、あの大戦を経て、僕たちが直面している現実に対抗するには……生半可な力じゃ足りないんだ。世界を拒絶するほどの出力と、すべてを置き去りにする速さ。それがなければ、誰も救えない」
その隣で、腕を組んで佇んでいたカテジナ・ルース中将は、呆れ果てたと言わんばかりの深い溜息をついた。
彼女はその美しい顔を少し歪め、冷ややかな、しかしどこか諦念の混じった視線をキラに向ける。
「知ってはいたけれど……本当に呆れた男ね、貴方は」カテジナは皮肉げに唇を吊り上げた。「十二年もかけてこっそり裏で何を作っているかと思えば、ザンスカールの技術も、アナハイムもサナリィも、手当たり次第に貪り食ってこんな化け物を仕立て上げるなんて。ストライクフリーダム……いえ、これはもう貴方の独善の塊よ、キラ」
カテジナの辛辣な言葉を受けながらも、キラの表情は動かなかった。ただ、その瞳の奥には、決して揺らぐことのない孤高の炎が灯っている。
これが、彼がかつての愛機「フリーダム」に求め、彷徨い、十二年という歳月の果てに導き出した、執念の答えの形だった。
ザンスカール帝国開発局本局、第3モビルスーツハンガー。
重苦しい油とオゾンの臭いが立ち込めるその空間の広場に、「それ」は鎮座していた。
ストライクフリーダムガンダム(仮称)。装甲を一切纏わない、むき出しの骨格(フレーム)状態。
しかし、その骨組みを見ただけで、居並ぶ技士や技術者たちは常軌を逸したプレッシャーに息を呑んでいた。
ザフト、モルゲンレーテ、アナハイム・エレクトロニクス、そしてサナリィ。
時代も、世界(ユニバース)の垣根さえも越えた技術が、異様な歪(いびつ)さで、しかし完璧な調和を保って融合している。
胸部から腰部にかけて配置されているのは、超大型モビルアーマー「ドッゴーラⅡ」のものを小型化した超小型核融合炉。
それが贅沢にも三基、直列配置(タンデム)で連結されていた。
背面に輝くのは、リガ・ミリティアのV2ガンダムに本来搭載されるはずだった幻の推進器、ミノフスキードライブエンジンⅡ。
さらに、その莫大な出力と完全に同調する形で、ジェネレーター直結式のIフィールドジェネレーターがフレームの各所に狂気的な精密さで埋め込まれている。
「――おい、見ろ! トラックが入ってくるぞ!」
見学していた技術者たちの一人が声を上げた。
数分遅れてハンガーになだれ込んできたのは、軍用大型トラックの長大な車列だった。
先頭のトラックから荷下ろしされたのは、ザンスカール帝国の最新規格に改修されたリニアシート・コックピットブロック。
そして、続くトラックの荷台に積まれていた「装甲材」を目にした瞬間、ハンガーは本当の意味での騒然となった。
「なんだ、あの装甲……? 全てのパーツにエネルギー供給ケーブルが配線されているぞ!?」
ザフトや地球連合、そしてモルゲンレーテの鹵獲機を検分した経験を持つ若手の技術者が、ひっくり返った声を出す。
「フェイズシフト(PS)装甲だ……! しかし、それだけじゃない!」
「信じられん」
老練の装甲技士が眼鏡を押し上げた。
「ベースはドッゴーラⅡに使用されているガンダリウム複合材と、ルナチタニウム合金複合材の交互蓄積8層装甲だ。だが、3層ごとに挟み込まれているこの素材……これはモルゲンレーテ系のスーパー発泡強化装甲材だぞ!?」
軽量化と絶対的な防御力、そして相転移による物理無効化。そのすべてを1つの機体に詰め込もうという、常人の設計思想ではない。
「おい、こっちを見ろ!」
また別の技士が、肩部やリアスカートのパーツを指さして叫んだ。
「薄い装甲材の隙間に、スラスターが直接挟み込まれている……! かつてアナハイムやサナリィが得意とした、装甲一体型スラスターによる簡易整備構造だ。それをこの密度でやるか!?」
さらに、背部にマウントされる独立型誘導兵器「ドラグーン・システム」の構造図を見た技術者が、恐怖に顔を戦慄かせた。
「ドラグーンの準サイコミュ化……。それだけじゃない、この子機自体に小型化したミノフスキードライブエンジンが積まれている! 狂気だ、こんなものは兵器ではない、ただの虐殺機械だ!」
専用ビームライフルの外見は、コズミック・イラにおけるストライクフリーダムのそれだった。
モルゲンレーテ系の美しいライン。
しかし、中身をスキャンした技士の顔から血の気が引く。
その心臓部は、ザンスカール帝国の試作機であり、かつてカテジナ・ルースが駆った「ドコラタン」の専用ビームライフルを極限まで不気味に改良したものだった。
ハンガーの喧騒から少し離れた場所で、その様子を冷ややかに見つめる女性テストパイロットたちがいた。
「冗談じゃないわ……あんな化け物、誰が乗るのよ」
「軽く見積もっても、G(重力加速度)だけでパイロットが十回は死ねるスペックよ。人間の乗る機械じゃないわ」
彼女たちは吐き捨てるように言った。
当然の反応だった。
限界値を無視したスペックの暴力。
それはパイロットの命を燃料にして飛ぶ、鉄の棺桶に他ならない。
しかし、その場に響いた冷徹なアナウンスが、彼女たちの言葉を凍りつかせた。
『――これより、開発総責任者・開発局局長、カテジナ・ルース中将。および、開発主任兼、本機の専属メインパイロットが臨検に入ります』
周囲の空気が一変する。
だが、女性テストパイロットたちが本当に息を呑んだのは、モニターに表示されたその「専属パイロット」の名前を見た時だった。
【キラ・ルース(旧姓:キラ・ヤマト)大佐】
「キラ……ルース……?」
今の若い世代のパイロットたちは知らなかった。
目の前に立つ美しき開発局長、カテジナ・ルース中将と、その夫であるキラ・ルース大佐の2人が、かつて戦場を恐怖と絶望、あるいは圧倒的な希望で支配した伝説的な「モビルスーツパイロット」であったことを。
平和な時代に育ち、技術的なスペックの数字だけでしか戦いを知らない彼女たちにとって、その名は「ただの開発局の偉い人」に過ぎなかった。
だからこそ、その『事件』は起きた。
「局長。この機体のスペック、明らかに設計ミスです。人間の限界を考慮していません。専属パイロットを務められるというキラ大佐ですが、机の上の計算だけで操縦できると思われては困ります」
キラの過去を全く知らない、数名の若手女性テストパイロットたちが、傲慢な足取りで前に進み出た。彼女たちは、自らの腕に絶対の自信を持っていた。
だからこそ、大人しく書類仕事をしているはずの上官に、公然と不満をぶつけたのだ。
背後に控える、カテジナの部隊の元メンバーであり、今なお現役のベテラン女性テストパイロットたちは、その光景を見た瞬間に顔面を蒼白にし、完全に硬直していた。
彼女たちなら、天地がひっくり返ってもキラ・ヤマトに喧嘩を売るような真似はしない。
神の領域にいる怪物に、羽虫が挑むようなものだと知っているからだ。
「あら、そう?」
カテジナ・ルース中将は、薄い唇の両端をかすかに吊り上げた。冷徹で、怜悧な、しかし底知れない愉悦を孕んだ笑み。
カテジナは内心で猛烈におかしく、そして嘲笑っていた。
かつて戦場で、自分が「ドッゴーラ改」という狂気の機体に乗っていたからこそ、あのキラ・ヤマトを相手に圧倒的な立ち回りができたのだ。
もし、自分が乗っていたのがあの「ドコラタン」程度であったなら、自分は一瞬でストライクフリーダムに、あの男に墜とされていただろう。
それを、戦場も、本物の『怪物』の恐ろしさも知らない小娘たちが、自ら死地に首を突っ込もうとしている。
(身の程を知らない、哀れな迷える子羊たち……)
カテジナは、自分の夫である「最強のコーディネイター」が、この後彼女たちにどのような『現実』を見せつけることになるのかを想像し、冷酷な歓喜に胸を震わせていた。
局長室の前で、数名の若手女性テストパイロットたちが気炎を上げていた。
全員が少尉の階級章を胸に付けた、戦後の平和な時代に育ったエリートたちだ。
「局長! 納得がいきません!」
「そうです! なぜあの男……キラ・ヤマト大佐が新型の仕様策定だけでなく、専属パイロットまで兼任するのですか!?」
「技術将校ふぜいが、美味しいところを総取りなど虫が良すぎます。実戦を経験していない老兵は、大人しくシミュレーターのデータだけ弄っていればいいのです!」
彼女たちの視線の先にいるのは、開発局局長――カテジナ・ルース中将。
そして、その傍らで穏やかな苦笑いを浮かべながらタブレット端末を眺めている技術将校、キラ・ルース大佐だった。
若手たちは知らない。
目の前にいる温厚そうな男が、かつて「最強のコーディネイター」と恐れられた元凶であることを。
そして何より、目の前の局長カテジナとキラが、かつてあの凄惨極まるメサイア要塞戦で、互いの命を激しく奪い合った狂気の宿敵同士であったことなど、歴史の教科書には載っていない。
今や二人は夫婦となり、キラはヤマトの姓を捨て、ルースの籍に入っていた。
若手少尉たちの傲慢な言葉を聞いた瞬間、カテジナの端正な顔が劇的に歪んだ。
それは怒りではない。
純然たる「滑稽さ」への侮蔑。
「……く、ふふ……あははははははは!」
局長室の廊下に、カテジナの高く、そして狂気を孕んだ高笑いが響き渡る。
少尉たちはその異様な笑い声に一歩退いた。
「面白いことを言うのね、あなたたち。老兵? 実戦を知らない? ……何も知らない小娘が、どの口でそれを言うのかしらあ!」
「き、局長……?」
「調子に乗るんじゃないよ、この青二才どもがッ!!」
カテジナがさらに言葉を重ねようとした瞬間、彼女の背後に控えていた影が動いた。
それは、かつて激戦を戦い抜き、カテジナを慕って共に技術部隊へと転属してきた元「カテジナ隊」のベテラン女性パイロットたちだった。
現在はパイロットを退き、全員が少佐の階級を持つ歴戦の猛者たちだ。
「局長の手を煩わせるまでもない。……おい、お前ら」
「ひっ!?」
鋭い声と共に、ベテラン少佐たちの拳が躊躇なく若手たちの顔面に叩き込まれた。
鈍い衝撃音が響き、少尉たちが床に転がる。
「直ちに大佐に謝りなさい! 自分たちが誰に向かって口を利いているのか、その足りない頭で少しは考えたらどうなんだ!」
「実戦を知らないだと? 大佐がその気になれば、あんたたちなんか数秒で宇宙の塵だよ!」
容赦のない鉄拳制裁。
しかし、カテジナの笑いは止まらない。
顔を歪め、狂おしそうに天を仰ぐ。
すでに、全てが遅かった。
彼女たちの無礼は、カテジナの逆鱗に触れたのだ。
「もういいわ、少佐たち。……ねえ、キラ?」
カテジナは笑みを残したまま、隣の夫を振り返った。
その瞳には、かつての戦場で宿敵を見た時のような、昏く燃え上がるような愉悦が宿っている。
「あの子供たちに、少し『教育』をしてあげて頂戴。身の程というものを教えてあげるのよ」
無茶な要求だった。
だが、キラは困ったように眉を下げながらも、穏やかに微笑んだ。
「……うん。妻の願いなら、断れないね」
キラは一歩歩み寄ると、衆人環視のなか、カテジナの頬に深く口づけをした。
「じゃあ、軽く揉んでくるよ。怪我はさせないようにするから」
そう言い残して歩き去るキラの背中を見送りながら、先ほどまで冷酷な魔女のようだったカテジナの顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
子供を何人もうけてなお、彼女はキラのこういう完璧な「スパダリ」振りに耐性がない。
胸を押さえ、少女のように悶えるカテジナを見て、殴った方のベテラン少佐たちは呆れたように息を吐く。
「……はいはい、ごちそうさまでした」
「局長、ご馳走様ですが、今は一応公務中ですよ?」
「う、うるさいわね! 早く持ち場に戻りなさい!」
カテジナは顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。
一方、試験場の格納庫へと向かったキラを迎えたのは、カテジナからの「プレゼント」だった。
そこに鎮座していたのは、ストライクフリーダムではない。
かつてキラが地球連合軍のパイロット時代に駆っていた始まりの機体――ストライクガンダム。
ザンスカール帝国軍がオーストラリア侵攻の際に、再生産型バスターガンダム等と共に鹵獲していた機体であり、今は開発局が完全に回収・管理しているものだった。
「懐かしいな……。まさかまた、君に乗る日が来るなんてね」
キラはコクピットに乗り込むと、即座にコンソールへ指を走らせた。
そのタイピングスピードは、常人の動体視力では捉えきれないほど凄まじいものだった。
かつて彼が数秒でOSを書き換えたあの瞬間のように、ストライクのシステムは見る見るうちにキラ専用の超高機動対応OSへと書き換えられていく。
選択した兵装は、同じく鹵獲されていたエールストライカーパックのみ。
同じ頃、格納庫の対面側では、顔を腫らした若手少尉たちが量産型ドコラタンの起動準備を進めていた。
モニター越しにキラの作業風景を見ていた彼女たちは、その異常な指の動きと、瞬く間に書き換わっていくシステムコードの奔流を目の当たりにして、言葉を失っていた。
「な、何よあの動き……。人間業じゃない……」
「本当に、ただの技術将校なの……? 私たち、とんでもない怪物に喧嘩を売ってしまったんじゃ……」
戦慄が格納庫を支配する。
冷たい汗が彼女たちの背中を伝った。 かつて世界を震撼させた「戦神」が、今、旧き愛機の駆動音と共につかの間の眠りから目覚めようとしていた。
サイド2・8バンチコロニー開発局所属試験場のハンガーは、独特の重苦しい静寂と、爆発的な電子音に包まれていた。
「……何よ、あれ。人間の指の動きじゃない……!」
若手女性テストパイロットのレイラは、モニターに映し出されるコックピット内の映像を見つめ、戦慄していた。
彼女たちが先ほどまで「過去の遺物」「引退した老兵」と嘲笑っていた男――キラ・ルース大佐は、機動兵器の最高峰であるはずのモビルスーツのOSを、まるで呼吸でもするかのような速度で書き換えていた。
キーボードを叩く指の残像が、モニターの光に妖しくまたたく。
その彼女たちの背後から、凍りつくような声が響いた。
「驚くのはそこじゃないわ、お馬鹿さんたち」
振り返ると、そこには元カテジナ隊のメンバーであり、現役のテストパイロットでもあるルビー少佐が立っていた。
彼女の拳には、先ほどレイラたちに叩き込んだばかりの「鉄拳制裁」の痛みがまだ残っているようだった。
ルビーは遠い目をして、かつての自分を思い出していた。
「私もね、あなたたちみたいに若くて生意気だった頃、あの大佐に喧嘩を売ったのよ。退役間近とはいえ、当時としてはまだ動けたゾロアットでね。そしたら大佐は何に乗ってきたと思う? ザフトの、それこそ化石みたいな初期量産機『ジグ』よ。結果は……思い出したくもないわ。コテンパン。次元が違ったの」
ルビーは冷ややかに笑い、怯える若手たちを見下ろした。
「あなたたちが乗る最新鋭の量産機『ドコラタン』。あれの基本OSと火器管制システムを構築したのが誰か、まさか知らずに『過去のパイロット』なんて言ったわけじゃないわよね?」
レイラを含めた5人の若手パイロットたちは、ごくりと唾を飲み込んだ。
彼女たちが誇る最新鋭機ドコラタンすら、目の前で化石のような『エールストライクガンダム』のシートに座る男の手のひらの上だったのだ。
だが、引き下がるわけにはいかなかった。
5対1の模擬戦。しかも相手の機体は、ドコラタンと比べれば十数年も型落ちした旧世紀の遺物だ。
「……いくらキラ・ヤマト……いえ、キラ・ルース大佐でも、この性能差と数なら!」
「連携を密に! 囲んで叩くよ!」
試験場のアラートが鳴り響き、模擬戦が開始された。
だが、彼女たちは知らなかった。
キラ・ルースの逆鱗に触れていたことを。
彼が愛する妻であり、開発局局長でもあるカテジナ中将。
彼女に向けてレイラたちが放った「過去のパイロットだか知らないけど」という侮蔑の一言。
それが、かつてメサイヤ要塞戦でザフト、連合、オーブ、ザンスカール――四軍の無数のパイロットたちが花火のように虚しく散っていった地獄を見てきたキラの心を、決定的に踏みにじったのだ。
ガンダムのカメラアイが鋭く発光した瞬間、キラの脳内で、何かが決定的に弾けた。
SEEDの覚醒。
「な、何これ!? 速すぎる……ッ!」
先陣を切ったドコラタンのレーダーから、エールストライクの機影が消えた。
次の瞬間、凄まじい衝撃が機体を襲う。
「きゃああっ!?」
正確無比な射撃。
キラの放ったビームライフルの一撃は、ドコラタンが展開したビームシールドそのものではなく、シールドとビームシールド発生器のわずかな「隙間」を完璧に撃ち抜いていた。
装甲を貫かれ、レイラの同僚の機体が機能停止に陥る。
「嘘でしょ!? そんなピンポイントな狙撃、戦闘中にできるわけ――」
「後ろよ! 二人で左右から斬りかかって!」
残る機体がビームサーベルを構え、エールストライクを挟み撃ちにするべく突撃した。
しかし、キラは慌てる素振りすら見せない。
スラスターを最小限に吹かし、踊るような挙動で2機の射線が綺麗に重なる位置へと誘導する。
「しまっ――」
「どいて! 邪魔よ!」
お互いが邪魔になり、踏み込めない。
その一瞬の隙を見逃すキラではなかった。
ストライクの回し蹴りが1機の頭部を粉砕し、もう1機の懐に滑り込んでアーマーシュナイダーを駆動系に突き立てる。
それは模擬戦などではなかった。
圧倒的な暴虐、完全なる蹂躙劇。
最後に残されたのは、リーダー格のレイラだった。
モニターの向こうから迫る、白い悪魔の姿に彼女は完全に精神をへし折られていた。
「こ、来ないで……来ないでよぉ!」
ビームライフルを乱射するが、エールストライクは最小限の動きですべてを回避し、一瞬でレイラのドコラタンの目の前に現れた。
銃口が、コクピットのハッチの真ん前でピタリと止まる。
「ひっ……あ、あ、ああ……っ!」
死の恐怖。
かつて数多の戦場を終わらせてきた本物の「絶対者」のプレッシャーに曝され、レイラの股間から熱い液体が溢れ出し、パイロットスーツを濡らした。
恐怖による失禁だった。
彼女はただ、コクピットの中でガタガタと震えることしかできなかった。
模擬戦終了後、シャワー室の蒸気の中で、若手たちは疲れ果て、魂が抜けたように座り込んでいた。
ルビー少佐が呆れたように彼女たちを見下ろしながら、タオルの水分を絞る。
「……あんたたち、本当に命拾いしたわね。大佐が本気で怒ったらあんなもんじゃ済まないわよ。あ、そうそう。本局に搬入されてたあの『新型機』の噂、知ってる?」
レイラが濡れた髪のまま、震える声で尋ねた。
「新型機……って、まさか……」
「そう、あのストライクフリーダムガンダム。あれね、元々はキラ大佐の愛機だったのよ。カテジナ局長に見つからないように、大佐がプライベートで細々と修繕と改修を重ねて隠してた機体。だけど結局局長に見つかっちゃって、妻の権力で軍部に言い訳するために『開発局預かり』って名目にしただけ。大佐のただの私物よ」
ルビーの言葉に、若手たちは言葉を失った。
あの化け物じみた強さの男が、さらに恐ろしい専用機を隠し持っているという事実に眩暈がした。
「それとね」
とルビーは意地悪く微笑んだ。
「カテジナ局長に感謝しなさい。今日のストライク、ハンガーにはすべてのストライカーパックが揃ってたのよ。ランチャーもソードもね。でも局長が『全装備のパーフェクトストライクなんかで戦わせたら、あの子たちが可哀想でしょ』って、エール以外を隠したの」
ルビーは肩をすくめた。
「もしあれがパーフェクトストライクだったら……あんたたち、今頃シャワーじゃなくて、棺桶の中で反省会してたわよ」
レイラは再び身体の芯から湧き上がる恐怖に身震いし、温かいシャワーの下でただ身を縮めることしかできなかった。
ルース大公邸の一角、重厚な調度品に囲まれたツクヨミの私室には、狂気と執着の混じった電子音が木霊していた。
大型モニターの光が、12歳の少女・ツクヨミの顔を妖しく照らし出す。
その容姿、そして冷徹で苛烈な気配は、母親であるカテジナ・ルースと生き写しだった。
画面の中で繰り広げられているのは、ザンスカール帝国の最新鋭量産機ドコラタン5機と、旧世紀の遺物であるはずのエールストライクガンダムによる模擬戦の記録。
だが、それは試合と呼べる代物ではなかった。
「ふふ……あはははは! 見てごらんなさい、あの無様な最新鋭機たちを。パパのストライクに、まるでおもちゃのように蹂躙されていくわ!」
ツクヨミは画面を睨みつけながら、母親譲りの甲高い高笑いを響かせた。
ストライクガンダムを駆るのは、彼女の父親であり、カテジナ・ルース大公の夫のキラ・ルース。かつてキラ・ヤマトと呼ばれた男だ。
画面の中の彼は『SEED』を覚醒させ、神懸かり的な反応速度でビームライフルでビームシールドと発生器の隙間を縫う様な正確無比な射撃でドコラタンの肩を撃ち抜き、別のドコラタンの懐へと潜り込み、次々とビームサーベルで一刀両断していく。
十年以上前の旧式機に、最新のモビルスーツが手も足も出ずに落とされる現実。
その圧倒的な力量差に、ツクヨミの胸は激しく昂ぶる。
「強い……強すぎるわ、パパ。でも、だからこそ狂おしいの。ねえ、どうしてそんなに澄んだ瞳で戦えるの? 私が知っているパパは、そんな風に気高く笑ったりしないのに」
ツクヨミは画面にそっと指先を触れ、愛おしそうに、そして酷く歪んだ手つきでなぞった。
彼女の脳裏に焼き付いているのは、幼い頃の記憶。
母・カテジナによってベッドに四肢を固定され、陵辱され、尊厳を奪われていた父親の姿。
その時のキラの瞳は、光を失い、完全に濁りきっていた。
「私は知っているのよ。ママに壊されて、涙を流しながら絶望していた、あの美しく濁ったパパの瞳を……。私はもう一度、あの瞳が見たい。あの壊れたパパを、この手で再現したいの!」
カチリ、とツクヨミの中で何かが弾ける感覚があった。
脳裏で弾けた遺伝子の種。彼女の瞳から光彩が消え、冷徹な『SEED覚醒』の光が宿る。
ツクヨミがこの力を手に入れたことは、母も含めてまだ誰も知らない。
覚醒した極限の集中力の中で、ツクヨミはモニターのストライクの動きを完全に脳内へとトレースしていく。
「ストライクフリーダムガンダム(仮)……パパが次に乗る機体が何であろうと関係ないわ。私は、あの巨大なドッゴーラⅡを私の手足のように操ってみせる。そして、パパの誇りも、その最強の機体も、すべてを宇宙の塵にして差し上げるわ」
ツクヨミの瞳が、暗い歓喜に染まっていく。
パパを五体満足のまま、精神だけを完全に叩き潰す。
そうして、二度と自分たちの側から離れられないように、檻の中に閉じ込めて独占するのだ。
「あはははは! 待っていてね、パパ。すぐにその綺麗なお人好しの瞳を、私が綺麗に濁らせてあげる。ママにできたことが、この私にできないはずがないもの……っ!」
誰もいない私室で、SEEDを覚醒させた12歳の少女は、暗黒の情念を抱きながらいつまでも高笑いを止めなかった。