ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜   作:ロドニー

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盛大な結婚式と追い詰められたオーブ

 

 サイド2・1バンチコロニー。

 

 ザンスカール帝国の首都たるこの人工の大地は、今、かつてない熱気に包まれていた。

 

 ルナマリア・ホークとザンスカール帝国皇太子クロノクル・アシャーの婚約発表から半年。

 

 宮殿の広大な敷地では、上級から下級に至るまですべての使用人たちが、目前に迫った世紀の結婚式の準備に追われていた。

 

 「おい、そこはもっと右だ! 帝国旗とホーク大公家の紋章が重ならないようにしろ!」

 

 「百年の沈黙を破る、我が帝国きっての慶事なのだぞ! 埃一つ残すな!」

 

 飛び交う怒号すら、どこか歓喜を帯びている。

 

 嫌がる者など一人もいない。

 

 それどころか、誰もが歴史の転換点に立ち会える喜びに胸を躍らせ、張り切って作業に勤しんでいた。

 

 一方、ルース大公邸。

 

 カテジナ・ルースが当主を務め、ルナマリアの後見を引き受けたホーク大公家は、戦火の爪痕が残る世界において、今や帝国屈指の権勢を誇る名門となっていた。

 

 大公邸の奥深くでは、ルナマリアが宮殿の後宮へ入るための膨大な花嫁道具や、絢爛豪華な婚礼衣装の最終調整が続けられている。

 

 「……信じられないな。本当に、あのルナマリアが皇太子妃になるなんて」

 

 豪奢な調度品が並ぶ一室のソファで、メイリン・ホークは深いため息をついた。

 

 先日、姉の真意を問いただすためにオーブから命がけで駆けつけた彼女だったが、結果としてオーブ軍の脱走兵として指名手配され、帰る場所を失った。

 

 そして、ザンスカール帝国への亡命を決意したのである。

 

 「もう諦めなさい、メイリン。あの人は自分の意志で、あのクロノクル殿下の隣を選んだのよ」

 

 そう声をかけたのは、ホーク大公家の長女、ツクヨミであった。

 

 わずか13歳にして、母親であるカテジナと瓜二つの美貌と育ち始めたスタイル、冷徹なまでの鋭い知性を兼ね備えた少女。

 

 彼女は今日から自分の専属秘書官となったメイリンを、冷徹ながらも信頼を込めた瞳で見つめる。

 

 「はい、ツクヨミ様……。私、もう前を向くと決めました。これからは貴女の影として、この帝国で生きていきます」

 

 「ふん、殊勝な心がけね。期待しているわ、メイリン」

 

 ツクヨミは不敵に微笑んだ。

 

 その姿は、かつて「戦場の聖女」あるいは「魔女」と恐れられたカテジナの全盛期を彷彿とさせた。

 

 その時、部屋の扉が乱暴に開いた。

 

 「おーい! メイリン、ツクヨミ! 助けてくれ! 頼むから俺を匿ってくれ!」

 

 転がり込んできたのは、ディアッカ・エルスマンだった。

 

 かつてザフトの赤服として名を馳せ、オーブ軍の宿将でもあった男が、今は髪を振り乱し、必死の形相で救援を求めている。

 

 彼もまた、メイリンの護衛としてオーブを脱出し、ここに亡命した身だった。

 

 「どうしたのよ、ディアッカ? 締まらない顔して」

 

 メイリンが呆れたように言うと、ディアッカは自身の頭を抱え込んだ。

 

 「どうしたもこうしたもあるか! アマテラスだ! あのガキ……いや、アマテラス様が、また俺の寝室に夜這いを仕掛けてきやがったんだよ!」

 

 ディアッカの悲鳴のような訴えに、ツクヨミはクスクスと冷ややかな笑い声を漏らす。

 

 ディアッカを悩ませているのは、ホーク大公家の次女、12歳のアマテラスだった。

 

 母親譲りの残虐性と、天真爛漫な狂気を併せ持つ、帝国最凶の幼子。

 

 「いいじゃない、ディアッカ。妹は貴方のことがお気に入りなのよ。先日の模擬戦デートで、貴方が手加減なしに彼女のモビルスーツを叩き潰したでしょう? あれで完全に火がついたのよ、あの子」

 

 「冗談じゃねえ! ファラ・グリフォンみたいな熟女が好みの俺に、12歳のガキの相手をしろってか!? 最初は夜這いの数も数えてたが、もう二桁を超えてから数えるのすら辞めたわ!」

 

 「あら、でも外堀どころか、本丸まで陥落させられて、もう婚約まで交わしたのでしょう? 諦めなさい、ディアッカ。あなたは我がホーク大公家の婿になるのよ」

 

 ツクヨミの非情な宣告に、ディアッカはガックリと膝をついた。

 

 アマテラスの容赦ない夜這い攻撃と、既成事実の積み重ね。

 

 かつての戦場での立ち回りが嘘のように、彼は12歳の少女に完敗し、私生活の主導権を完全に握られていた。

 

 同じ頃、ホーク大公邸の私室では、この家の「父親」であり、ザンスカール帝国開発局局長カテジナ中将の側付き技士、そして大佐の階級を持つキラ・ルースが、妻のカテジナに愚痴をこぼしていた。

 

 「……ねえカテジナ、本当にこれでいいのかな」

 

 「何が言いたいの、キラ」

 

 鏡の前でドレスの最終チェックをしていたカテジナが、冷然とした、しかしどこか妖艶な声で問い返す。

 

 「ディアッカとアマテラスのことだよ。アマテラスはまだ12歳だ。歴史上の人物で、前田利家っていう武将の奥方、前田松っていう女性は12歳で妊娠したらしいんだけど……。我が娘ながら、アマテラスがそんなことにならないか、僕は本当に心配なんだ。ディアッカも困り果てているし……」

 

 キラの深刻な顔を見て、カテジナは小さく鼻で笑った。

 

 「くだらない心配ね。あの子は私が産んだ娘よ? 男の一人や二人、手玉に取って当然でしょう。ディアッカ・エルスマンが腑抜けているだけよ。あなたが口を挟むことではないわ」

 

 「カテジナはいつもそうやって、僕の心配をあしらうんだから……」

 

 キラの瞳に、すっと危険な光が宿った。

 

 いつもは温厚で、カテジナの尻に敷かれているように見えるキラだったが、彼は「最高のコーディネイター」であり、戦場を統べる絶対者だ。

 

 キラは一歩、カテジナの背後に歩み寄ると、その細い腰を後ろから力強く抱きすくめた。

 

 「なっ……キラ!? 何をするの、放しなさい! もうすぐ式典が……っ」

 

 カテジナの顔が、一瞬にして朱に染まる。戦場では冷酷無比な中将である彼女も、キラの「スパダリ」としての強引な攻めには、全く耐性がなかった。

 

 「放さないよ。いつも僕をあしらうお仕置きだ」

 

 キラはカテジナの耳元で低く囁き、その白い首筋に優しく、しかし抗えない力で唇を寄せた。

 

 「ひゃんっ……あ、あんた、本当に……っ」

 

 普段の冷徹さはどこへやら、カテジナは悶え、まるで初な少女のように身体を震わせる。

 

 その初々しい反応に、キラは深い満足感を覚えながら、底意地悪い笑みを浮かべた。

 

 「式の前にはちゃんと解放するから。少しだけ、僕の言うことを聞いて?」

 

 「くっ……バカ、キラ……」

 

 抵抗する術を失ったカテジナは、ただキラの腕の中で、その愛に溺れるしかなかった。

 

 そんな夫婦の痴話喧嘩の背景には、数日前の熾烈な戦いがあった。

 

 ザンスカール帝国開発局。

 

 キラはつい昨日まで、そこに缶詰状態になっていた。

 

 原因は、彼と長女ツクヨミとの間で行われた、凄絶な「模擬戦」である。

 

 キラの駆る『ストライクフリーダムガンダムⅡ』と、ツクヨミが駆る超弩級モビルアーマー『ドッゴーラⅡ』。

 

 二人は互いに「SEED」を覚醒させた極限状態で激突。

 

 その結果、キラの神速の剣技によって、ドッゴーラⅡはバラバラに切り刻まれ、中破に追い込まれたのだった。

 

 「キラ大佐! この駆動系パーツの噛み合わせ、どうでしょうか!」

 

 「うん、そこはクリアランスをあと0.02ミリ詰めて。ドッゴーラⅡの巨体だと、SEED覚醒時の急制動でGに耐えきれなくなるから」

 

 「なるほど! さすが大佐です!」

 

 開発局の技士たちは、自らの最高傑作を切り刻んだ張本人であるキラを、全く恨んでいなかった。

 

 それどころか、圧倒的な技術力と、モビルスーツへの深い造詣を持つキラを、熱狂的に支持していた。

 

 潤沢に用意されていた大量の予備パーツを使い、キラと技士たちは不眠不休で作業を継続。

 

 五日間の突貫工事の末、ドッゴーラⅡの修理は完全に完了したのだった。

 

 そして――ついに結婚式当日を迎えた。

 

 宮殿の謁見の間、そして大広場には、隙間もないほどの群衆と、各国からの使節団が集まっていた。

 

 旧プラント、旧地球連合の支配地域であったザンスカール帝国の属国や同盟国からは、次代の皇帝となるクロノクルと、その妃となるルナマリアを祝福するため、名だたる要人たちが大勢集まっている。

 

 しかし、その中に、一つの国家の姿だけがなかった。

 

 「オーブ連合首長国」である。

 

 かつてルナマリアやメイリン、ディアッカ、そしてキラが所属し、あるいは守ろうとしたその国は、ザンスカール帝国の台頭と、それに伴う身内の「亡命」や「指名手配」という不条理な外交決着に反発し、この世紀の婚礼への参加を完全に拒絶したのだった。

 

 「オーブの不参加など、この盛儀の瑕疵(かし)にもならんわ」

 

 式典の雛壇の上で、カテジナは冷ややかに言い放った。

 

 その隣には、満足げな表情のキラ。

 

 そして、少しやつれた顔のディアッカを完全に背後からホールドしている12歳のアマテラスと、冷徹に控える13歳のツクヨミ、その後ろに立つメイリンの姿があった。

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 

 宮殿の扉が開き、純白の婚礼衣装に身を包んだルナマリア・ホークが、凛とした足取りで入場してきた。

 

 その美しさと気品に、会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。

 

 壇上で彼女を待つのは、ザンスカール帝国皇太子クロノクル・アシャー。

 

 二人は見つめ合い、確かな信頼の笑みを交わした。これは政治的な婚姻であると同時に、戦火を生き抜いた二人の、魂の結託でもあった。

 

 そして、玉座に座る、帝国の象徴たる女王マリア・ピア・アーモニアが、厳かに立ち上がった。

 

 彼女の放つ慈愛と、同時にどこか冷徹な威厳が、広場全体を静まり返らせる。

 

 「列席せし我が帝国の同胞、そして諸国の友邦たる民よ。本日、ここに新たなる光が紡がれた」

 

 マリアの声は、サイコウェーブのように人々の心に染み渡っていく。

 

 「クロノクル、そしてルナマリア。二人の婚姻を、私は心から祝福する。そして、この良き日に、私は一つの決断をここに宣言しよう」

 

 ざわめきが、波のように広がっていく。マリアは一呼吸置き、全宇宙に響き渡る声で告げた。

 

 「今から二年後を目処とし、私は王位を――ザンスカール帝国の全権を、皇太子クロノクル・アシャーに譲位する。新たなる若き血が、この歪んだ宇宙を正しき導きへと誘うであろう!」

 

 「おおおおおおおっ!!」

 

 地鳴りのような歓声が宮殿を揺るがした。

 

 二年後の譲位。

 

 それは、ザンスカール帝国が真の意味で、クロノクルという若き指導者のもと、地球圏の完全なる覇権を握るためのカウントダウンを意味していた。

 

 激動する時代の中心で、ルナマリアはクロノクルの手を強く握りしめる。

 

 その様子を雛壇から見つめながら、ツクヨミは不敵に、アマテラスは天真爛漫に残虐な笑みを浮かべ、キラとカテジナは、互いの存在を確かめ合うように視線を交わした。

 

 百年振りの婚礼の鐘が、サイド2の宇宙に、高く、冷酷に響き渡っていた。

 

 ザンスカール帝国の巨大極超短波高出力放送網――通称「ジャック放送」は、地球上のあらゆる電子波をジャックし、その傲慢なまでの光栄を世界に、そして唯一独立を保つ最後の砦、オーブ連合首長国へと強制的に送り届けていた。

 

 液晶画面に映し出されているのは、かつて大戦を戦い抜いた赤服の少女、ルナマリア・ホークの姿。

 

 しかし今、彼女の身を包むのは朱色の軍服ではなく、ザンスカール帝国の最高級シルクで編まれた壮麗な純白のウェディングドレスだった。

 

 その隣で、白銀の仮面を外し、誇らしげに微笑むのはクロノクル・アシャー皇太子。

 

 万雷の拍手と、マリア主義を称える聖歌が宮殿を満たす。

 

 さらに画面は切り替わり、金色に輝く玉座に座るマリア・ピァ・アーモニア女王が、厳かに、しかし世界を平伏させる重みを持って宣言した。

 

 『――我がザンスカール帝国は、これより新たなる治世へと歩みを進める。二年後を目処に、我が実弟クロノクルへ王位を譲位し、新たなる皇帝としての戴冠を行う。そして、その傍らには、過ちの戦火から真実の光へと目覚めた新皇太子妃、ルナマリア・ホーク・アシャーが立つであろう』

 

 その盛大な政略結婚と譲位の全編が、オーブの首長補佐官邸、そして街頭の巨大スクリーンに冷酷に響き渡っていた。

 

 かつてプラントの若きエリートとして戦い、今はオーブに身を寄せていたイザーク・ジュールは、首長官邸のモニターを拳で叩き割らんばかりに睨みつけていた。

 

 「ふざけるな……! ザンスカールのプロパガンダをここまで許すとは! 防衛ネットは何をしている、技術部の無能どもが!」

 

 「落ち着いて、イザーク。今の我が国の通信妨害技術では、ザンスカールのジャック放送を遮断することは不可能なの。それはあなたも分かっているでしょう」

 

 椅子に座り、ひどく痩せ細ったアスラン・ザラが静かに、しかし悲痛な声でイザークを宥めた。

 

 彼の手元には、数日前にザンスカール帝国から流れてきた、もう一つの「現実」を写した極秘の書類があった。

 

 「アスラン……! お前はあの画面に映るルナマリアを見て、何とも思わないのか! ギルバート・デュランダルの元部下だったあの女が、今やザンスカールの看板だぞ! 半年前、公開ギロチン刑に処されたデュランダル議長の首を撥ねる合図を出したのは……あのルナマリアなんだぞ!」

 

 「知っている……」

 

 アスランは痛ましげに目を伏せた。

 

 11年前、宇宙要塞メサイヤ戦の生き残りであり、ザンスカールによって捕らえられていたギルバート・デュランダル議長の公開処刑。

 

 執行人の隣で、クロノクルの婚約者として冷徹に執行の扇を振り下ろしたのは、他ならぬルナマリアだった。

 

 彼女は「議長、あなたのデスティニープランは、マリア主義という完全なる形で成し遂げられます」と涙一つ流さずに言い放ったのだ。

 

 そこへ、重い足取りでカガリ・ユラ・アスハが執務室に入ってきた。

 

 その顔には、一国の首長としての威厳よりも、絶望と疲弊が色濃く刻まれている。

 

 「カガリ……、海上封鎖の状況はどうだ」

 

 アスランの問いに、カガリは机に両手をつき、声を震わせた。

 

 「最悪だ……。ザンスカールの艦隊によるオーブ全域の海上封鎖から、もう3年が経つ。他国からの食料輸入は完全にストップした。国内の備蓄も底を突きかけている。民衆の間では餓死者が出始めており……暴動寸前だ。それに……」

 

 カガリは言葉を詰まらせた。

 

 「国民だけじゃない。軍の内部からも、私への不信感が爆発している。……昨日、さらに百名以上の女性軍人が、ザンスカールへ亡命した」

 

 「またか!?」

 

 イザークが声を荒らげる。

 

 「原因は分かっている。……ムラサメ三姉妹だ」

 

 カガリは苦渋に満ちた表情で言った。

 

 かつてオーブ領海での戦いで大火傷を負い、生死の境を彷徨っていたムラサメのパイロット、バルトフェルド隊の三姉妹。

 

 オーブの医療技術では彼女たちのケロイドや神経障害を完治させることはできず、苦痛に喘ぐ日々が続いていた。

 

 そこに目をつけたのが、医療技術において地球圏を圧倒するザンスカール帝国だった。

 

 「ザンスカールは『マリアの慈愛の光は、いかなる傷をも癒やす』と三姉妹に手を差し伸べた。最新の細胞再生医療を提供すると約束してな。彼女たちは生きるために、ザンスカールに縋るしかなかったんだ。そして、彼女たちを慕っていた女性軍人たちが、今のオーブの配給不足と政治的孤立に見切りをつけ、一挙にザンスカールへ付き従った……」

 

 「クソッ! 政治的失敗だとでも言いたいのか、民衆は!」

 

 「失敗さ、事実な!」

 

 カガリは自嘲気味に叫んだ。

 

 「メイリンとディアッカを私が指名手配したことも、完全に裏目に出た。ディアッカはイザーク、お前と共にオーブに亡命してきたが、ザンスカールからの揺さぶりに耐えかねて密通の疑いがかかった。メイリンも、姉であるルナマリアの婚約の真意を確かめようと宇宙へ上がろうとしたのを、スパイ容疑で拘束しようとした……。結果、二人ともオーブを捨て、ザンスカールへ逃げ延びた。民衆から見れば、私は戦時中に身内を疑って追い出し、ザンスカールからの公式な慶事への招待すら『断固拒否』して、3年前から続く海上封鎖だけでなく地球軌道上の封鎖も新たに招いた、無能な戦犯にしか見えないんだ!」

 

 重苦しい沈黙が部屋を支配した。

 

 かつて世界を救うために戦ったオーブの理念は、ザンスカールの「圧倒的な物量」「超医療」「マリア主義という宗教的救済」、そして何よりも「食料」という現実の前に、木端微塵に砕け散っていた。 

 

 地球上の他の主要国家は、すでに全てザンスカールの軍門に下り、ギロチンによる恐怖政治とマリアの慈愛による融和政策によって完全に陥落していた。

 

 オーブは今や、飢えに震える孤島に過ぎなかった。

 

 その頃、ザンスカール帝国の首都ラステニア。

 

 きらびやかな宮殿の一室で、結婚式を終えたばかりのルナマリア・ホークは、豪奢な調度品に囲まれながら、手元のお茶を見つめていた。

 

 「お疲れ様、ルナマリア。素晴らしい式だったよ」

 

 声をかけたのは、カテジナ・ルース大公だった。その傍らには、彼女の夫となった男が、影のように静かに佇んでいる。

 

 十年前のメサイヤ要塞戦で捕虜となり、本来ならギロチン刑に処されるはずだった、かつての「最高のコーディネイター」――キラ・ヤマト。

 

 しかし、カテジナはその才能と遺伝子を惜しみ、ギロチンによる処刑を撤回させた。

 

 その代わりに言い渡されたのは、『カテジナによる公開種付け』という、彼のプライドを根底から破壊する絶対的な屈辱だった。

 

 カテジナの肉体を受け入れさせられ、精神を完全に調教されたキラは、今や自由の翼を失い、カテジナ・ルース大公の夫として「ルース」の姓を名乗り、瞳に光の無い人形だった。

 

 恐怖の象徴のカテジナに似るように育ち始めたある日、二人の姉妹ツクヨミとアマテラスがドッゴーラⅡ専属パイロットだと知り精神が崩壊しながら反転してからは、カテジナを愛し娘達まで愛せる良い父親のような存在へとなっていた。

 

 キラはルナマリアを見つめ、一礼する。

 

 「おめでとう、ルナマリア。これで君も、アシャー家の人間だ」

 

 「……ありがとうございます、キラ、いえ、キラ・ルース様。貴方にそう言っていただけると、身が引き締まる思いです」

 

 ルナマリアの言葉に迷いはなかった。

 

 彼女は半年前、デュランダル議長のギロチン執行人を務めた時に、過去の未練をすべて捨て去っていた。

 

 戦いで何もかもを失うくらいなら、ザンスカールという巨大な秩序の一部となり、世界を支配する側になる。

 

 それが彼女の選んだ生存戦略だった。

 

 ノックの音が響き、部屋に二人の若い女性が入ってきた。

 

 一人は、カテジナの長女であるツクヨミ・ルースの秘書官となった、メイリン・ホーク。

 

 もう一人は、カテジナの次女であるアマテラス・ルースの婚約者となった、ディアッカ・エルスマンだった。

 

 「お姉ちゃん……」

 

 メイリンは書類を抱えたまま、ウェディングドレス姿の姉を見て、複雑な表情を浮かべた。

 

 かつてオーブから指名手配され、帰る場所を失いザンスカールへ亡命した彼女を救ったのは、姉のコネクションとカテジナ大公の計らいだった。

 

 今や彼女は、帝国の若きエリートであるツクヨミの忠実な片腕として生きていた。

 

 「メイリン、よく来てくれたわね。ツクヨミ様の秘書官としての仕事は順調?」

 

 「ええ……。オーブにいた頃より、ずっとまともな食事が与えられているわ。あそこはもう、終わりよ、お姉ちゃん。カガリ様は理想ばかりで、国民を飢えさせているわ」

 

 メイリンの言葉には、かつて慕っていたオーブへの冷徹な見切りがあった。

 

 ディアッカもまた、苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。

 

 「全くだ。イザークには悪いが、俺をスパイ扱いして指名手配したオーブに義理立てする理由はこれっぽっちもない。アマテラス様の婚約者として、ここで美味い飯を食って、ザンスカールの最先端のMSを弄っている方が、よっぽど建設的さ」

 

 「ディアッカ、アマテラスを泣かせるような真似をしたら、その首をギロチンにかけますからね」

 

 カテジナが妖艶に微笑むと、ディアッカは「勘弁してくださいよ、大公」と両手を挙げた。

 

 その様子を、キラは何も言わずにただ見つめていた。

 

 彼の心は、十年前の屈辱と、カテジナによる「教育」によって、すでにオーブやラクス・クラインへの想いを完全に消去されていた。

 

 「さて、ルナマリア」

 

 カテジナが、冷酷な光を宿した瞳を窓の外へと向けた。

 

 「マリア女王陛下より、オーブへ向けての『最終通告』の準備が整ったわ。ジャック放送の回線を開かせます。新皇太子妃としての初仕事、女王陛下の御前で、あの哀れな抵抗を続ける国が滅びる様を見届けなさい」

 

 「はい、カテジナ様」

 

 ルナマリアは毅然と頷き、クロノクル皇太子の待つ玉座の間へと歩き出した。

 

 再び、オーブの首長官邸。

 

 突如として、すべてのモニターが激しい砂嵐に覆われ、ザンスカール帝国の国章が浮かび上がった。

 

 「くっ、またジャック放送か……!」

 

 イザークが歯噛みする。

 

 だが、今回の映像はこれまでとは明らかに雰囲気が異なっていた。

 

 映し出されたのは、ザンスカール帝国の最高権力者、マリア・ピァ・アーモニア女王その人の姿だった。

 

 その背後には、クロノクル皇太子とルナマリア、カテジナ大公夫妻、そしてザンスカールに亡命した元オーブ軍人や、メイリン、ディアッカの姿までが整然と並んでいる。

 

 マリア女王は、慈愛に満ちた、しかし絶対的な拒絶を許さない声で、画面の向こうのオーブへと語りかけ始めた。

 

 『地球に生きる哀れな迷い子たち、そしてオーブ連合首長国の指導者、カガリ・ユラ・アスハへ。我がザンスカール帝国は、宇宙の意志たるマリア主義のもと、人類の救済を進めてまいりました。すでに地球上のすべての国家が我が導きを受け入れ、戦火を忘れ、平和な調和の中に生きています。しかし、貴国オーブだけは、未だに頑なな拒絶を続け、無意味な孤立を選んでいる。その結果、民衆は飢えに苦しみ、命を落としている。それは指導者たる貴方の傲慢であり、罪です。これ以上の看過は、マリアの慈愛に反する暴挙と言わざるを得ません。ここに、ザンスカール帝国女王マリア・ピァ・アーモニアの名において、オーブ連合首長国へ最終勧告を行います。期間は、これより二十四時間。オーブは直ちに武器を捨て、ザンスカール帝国への無条件降伏を受け入れなさい。カガリ・ユラ・アスハは首長を辞任し、我が帝国の管理下に入ること。もし、この期日を過ぎても抵抗を続けるならば――我が帝国の誇るモビルスーツ部隊、そして宇宙要塞からの直接攻撃により、オーブという国そのものを、地球の地図上から完全に消去いたします。選択しなさい。マリアの慈愛による救済か、それとも、ギロチンによる完全なる破滅か』

 

 映像が途切れると同時に、官邸内は凍りついたような静寂に包まれた。二十四時間。

 

 それが、オーブという国に遺された最後の寿命だった。

 

 「無条件、降伏……」

 

 カガリは崩れ落ちるように椅子に座り込み、両顔を覆った。

 

 彼女の目から、大粒の涙が溢れ出る。

 

 防ぐ手立てはなかった。

 

 食料はなく、兵士は逃げ出し、世界はすべて敵に回っている。

 

 イザークは拳を強く握り締め、血が滲むほどに爪を手のひらに食い込ませていた。

 

「ここまで……ここまでコケにされて、黙っていられるか……!」

 

 「イザーク、もうやめるんだ」

 

 アスランが静かに言った。

 

 その声には、怒りも絶望もなく、ただ現実を受け入れた諦念だけがあった。

 

 「アスラン、お前……!」

 

 「戦うだけの力がない。民衆を飢えさせてまで守るべき理念など、もう今のオーブには残されていないんだ。……僕たちの負けだ、イザーク」

 

 画面の向こうで、新皇太子妃となったルナマリアが、冷徹な目で自分たちを見下ろしていた。

 

 かつて共に戦った仲間たちは、みなザンスカールという新秩序の中で、それぞれの生きる道を勝ち取っていた。オーブの長い一日が、今、終わろうとしていた。

 

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