ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜   作:ロドニー

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オーブの終焉

 

 カイラスギリーの巨大な質量が、地球軌道上の闇に浮かび上がっていた。

 

 ザンスカール帝国月面基地と地球の中間に聳えるその宇宙要塞は、今やオーブの頭上に死の宣告を突きつける巨大な銃口そのものだった。

 

 「マリア女王の命令だ。エネルギー充填を開始せよ」

 

 冷徹な号令とともに、要塞の至る所に青白い光が走り、恐るべき破壊の力が蓄えられていく。

 

 「エネルギー充填完了まで、あと二十四時間」

 

 それは、オーブ連合首長国に突きつけられた、最終勧告のタイムリミットと完全に一致していた。

 

 降伏か、それとも光の塵と化すか。

 

 選べる道はその二つしかなかった。

 

 オーブ軍総司令本部は、重苦しい沈黙と絶望に支配されていた。

 

 窓の外には、すでに3年前から続く徹底的な海上封鎖と地球軌道上の封鎖のせいで、商船の一隻すら見当たらない干上がった海が広がっている。

 

 見上げれば、青い空の向こうにあるはずの地球軌道上を、ザンスカール帝国の艦隊がびっしりと埋め尽くし、獲物を狙う猛禽のようにオーブを睨みつけていた。

 

 「どうして……こんなことになってしまったのだろうな」

 

 アスラン・ザラは乾ききった声を絞り出した。

 

 その顔は酷くやつれ、かつての若々しさは見る影もない。

 

 オーブの歯車が完全に狂い始めたのは、十三年前のあの戦いだった。

 

 メサイヤ要塞戦。

 

 オーブの、そして世界を救うための戦いで、ザンスカール帝国軍の出現にザフトと地球連合の両軍がぶつかる戦線は崩壊し、オーブはザンスカールの出現に危機を感じて戦線の離脱を決め、殿(しんがり)を務めたキラ・ヤマトは、カテジナ・ルースが乗るドッゴーラ改に手足も出ずに敗北した。

 

 ザンスカールに捕らえられたキラを待っていたのは、人道も尊厳もない地獄だった。

 

 ギロチン刑による恐怖の演出、そして――カテジナ・ルースによる、キラへの公開種付けという最悪の陵辱。

 

 オーブの英雄の遺伝子は、敵国の苗床として無理やり奪われ、踏みにじられた。

 

 それだけではない。

 

 三年前には、突如として現れた超巨大モビルアーマーがオーブを急襲した。

 

 その凄まじい火力の前に、防衛線は崩壊。

 

 迎撃に出たルナマリア・ホークは撃墜され、捕虜として連れ去られた。

 

 同時に始まった、地球全土を覆う強力なレーダー無効化のジャミング攻撃。

 

 オーブは目と耳を奪われ、完全に孤立した。

 

 一年後、ルナマリアの生存が確認されたものの、もたらされた報せは最悪という言葉すら生温いものだった。

 

 『ルナマリア・ホーク、ザンスカール帝国クロノクル皇太子との婚約を発表』その真意を、姉の心を確認しようと、妹のメイリン・ホークは動き、あろうことかディアッカ・エルスマンを連れてオーブから密航、脱出してしまった。

 

 オーブ政府は軍脱走容疑で二人を指名手配にしたが、二人が選んだ道は、ザンスカール帝国への亡命だった。

 

 「もう……限界よ。みんな、死んでしまうわ……」

 

 通信モニターの向こうで、ラクス・クラインが弱々しく首を振った。

 

 かつての歌姫の面影はどこにもない。

 

 長引く経済封鎖とエネルギー不足と食料の枯渇による大飢餓。

 

 エターナルの中に留まるラクスは、何日もまともな食事を口にしておらず、頬は削げ、体はガリガリに痩せ細っていた。

 

 かつて世界を救った戦艦アークエンジェルも、エターナルも、クサナギも、今や機能していない。

 

 動かすためのエネルギーがないのだ。

 

 それどころか、国内の最低限の電力を維持するため、すべてのエネルギーを吸い上げられる「発電所」へと改造され、文字通りの骸(むくろ)と化していた。

 

 主要メンバーたちも、数日間まともに食べていない。

 

 現在、オーブで唯一稼働できるのは、辛うじてエネルギーを温存していた戦艦ミネルバと、わずか四機のガンダムだけだった。

 

 インフィニットジャスティス、デスティニー、レジェンド、アカツキ。そして、それらを駆るアスラン、シン、レイ、イザーク。

 

 「これだけで……あの化け物どもの大群と、カイラスギリーを相手にしろというのか」

 

 シン・アスカは拳を血が出るほど握りしめていた。

 

 胃の中は空っぽで、意識が朦朧とする。

 

 隣にいるレイも、静かに壁に寄りかかり、体力を温存するように目を閉じている。

 

 完全に、詰んでいた。

 

 その時、警報が鳴り響いた。

 

 いや、レーダーが死んでいるため、それは目視による監視員からの悲鳴だった。

 

 「オーブ上空に、超巨大熱源接近! モビルアーマーです!」

 

 「何だと……!? ジャミングの中でどうやって!」

 

 アスランがモニターに目を凝らす。

 

 そこに映し出されたのは、かつてオーブを恐怖に陥れた、あの超巨大モビルアーマー『ドッゴーラⅡ』だった。

 

 しかも、一機ではない。

 

 美しい蒼穹色に彩られた、かつてオーブを襲撃した機体。

 

 そして、その背後に従うように現れた、すべてを光を飲み込むような漆黒色の機体。

 

 二機の巨大な龍が、オーブの空を文字通り圧殺するように回遊している。

 

 「嘘だろ……あんなものが、二機も……」

 

 イザークが絶望の声を漏らす。

 

 その絶望の静寂を破ったのは、ひときわ高い、小さな泣き声だった。

 

 「うわあああん! お腹すいたよぉ……お母様、お腹すいたぁ!」

 

 カガリの胸の中で、小さな少女が激しく泣きじゃくっていた。

 

 カガリとアスランの一人娘、4歳になるヒナだった。

 

 「ごめんね、ヒナ……ごめんね……今、何か、何か食べるものを……」

 

 カガリは涙を流しながら、我が子を抱きしめることしかできなかった。

 

 だが、そのカガリ自身も餓死寸前で、水を与えるのすら事欠く有様だった。

 

 アスランは娘の泣き声を聞きながら、ただ頭を垂れ、己の無力さに唇を噛み切った。

 

 血の味が口内に広がるが、それすらも飢えを紛らわせるには足りない。

 

 一時間後。

 

 オーブ連合首長国は、ザンスカール帝国に対し、全面降伏を受け入れた。

 

 要塞カイラスギリーの砲撃を待つまでもなく、目の前に突きつけられた二機のドッゴーラⅡと、愛する子供の飢えた泣き声が、彼らの心を完全にへし折ったのだった。

 

 オノゴロ島の港に、二機のドッゴーラⅡがゆっくりと着水した。

 

 地響きを立ててハッチが開き、そこからザンスカールの将兵とともに、数人の人物が降り立ってくる。オーブの首脳陣、そしてアスランやシンたちガンダムのパイロット一同は、屈辱と飢餓感に耐えながら、それを出迎えるしかなかった。

 

 だが、先頭に立って降りてきたパイロットたちの姿を見た瞬間、一同は息を呑み、驚愕に目を見開いた。

 

 「ふん、これがオーブのなれの果てですか。ずいぶんと薄汚い街ですね」

 

 傲慢に言い放ったのは、弱冠十三歳ほどの少女だった。しかし、その容姿、そして何よりも周囲を完全に見下した冷酷な眼差しは、あの狂気の女――カテジナ・ルースと瓜二つだった。

 

 彼女の名はツクヨミ・ルース。ザンスカール帝国の次期大公家当主であり、その苛烈な性格までをも母親から色濃く受け継いでいた。

 

 「ツクヨミお姉様、そんなに怒らなくてもいいじゃない。ねえ、見てよ、あそこに転がってるモビルスーツ、面白い形をしてる!」

 

 無邪気に笑うのは、次女のアマテラス。

 

 十二歳。母親譲りの残虐性をその天真爛漫な笑顔の裏に隠し持つ、もう一人の怪物だった。

 

 彼女の薬指には、高価な指輪が光っている。

 

 亡命したディアッカ・エルスマンとの婚約の証だった。

 

 「お前たちは……一体……」

 

 アスランが震える声で問う。

 

 すると、二人の少女の背後から、静かに歩み出てくる男がいた。

 

 ザンスカールの軍服を身に纏い、肩には大佐の階級章。

 

 「アスラン、シン。久しぶりだね」

 

 「き……キラ……!?」

 

 シンの叫びは悲鳴に近かった。

 

 そこにいたのは、十三年前に消息を絶った、かつてのオーブの英雄、キラ・ヤマト――いや、今はキラ・ルースだった。

 

 かつての儚げで優しい面影は消え去っていた。

 

 その瞳には、家族への深い愛情と、揺るぎない自信が満ち溢れている。

 

 キラは十三年前、カテジナに屈し、その過程で精神が完全に反転(ポジ反転)していた。

 

 今の彼は、カテジナを誰よりも愛し、リードする「スパダリ」であり、彼女との間に生まれた子供たちを盲目的に愛する、非の打ち所がない最高の実業家であり父親だった。

 

 現在は開発局局長となったカテジナ中将の側付き技士であり、ザンスカール帝国の技術の粋を集めたドッゴーラⅡの設計者でもあった。

 

 「パパ! 見て、この泥棒猫たちの顔! 傑作だわ!」

 

 アマテラスがキラの腕に抱きつく。

 

 「こらこら、アマテラス。あまりからかうものじゃないよ。彼女たちもこれからは我々の慈悲の元で生きるのだからね」

 

 キラは優しくアマテラスの頭を撫でた。その眼差しは、かつてラクスやカガリに向けていたものとは全く違う、身内だけに向ける絶対的な愛の光だった。

 

 「キラ……お前、どうして……どうしてそんな風になってしまったんだ!」

 

 アスランが這いつくばりながら叫ぶ。

 

 「どうして、って? 僕は今、とても幸せだよ、アスラン。カテジナを愛しているし、可愛い娘たちもいる。すべてを失った僕に、新しい生きる意味をくれたのはカテジナだ。君たちオーブが僕を見捨てていた間、僕を救ってくれたのはザンスカールなんだよ」

 

 キラの言葉には、一片の迷いも、憎しみすらなかった。

 

 それが逆に、オーブの面々にとっては何よりも深い絶望となった。

 

 完全に精神が書き換えられ、敵国の良きパパとして完成しているのだ。

 

 その時、アマテラスの目が、カガリの胸の中で怯えるヒナに向いた。

 

 「あら? パパ、あの小さな子……なんだか、パパの昔の面影がある気がする」

 

 「ああ、彼女はヒナ。カガリとアスランの娘だよ。つまり、僕の昔の姉の血を引く子だね」

 

 キラが淡々と説明する。

 

 それを聞いたツクヨミとアマテラスの目が、妖しく輝いた。

 

 「へえ……パパの親戚なんだ。お姉様、あの子、とっても可愛い。私、気に入っちゃった。ザンスカールに連れて帰って、私の可愛いペット(おもちゃ)にしてあげてもいい?」

 

 アマテラスが残酷な無邪気さで微笑む。

 

 「ひっ……!」

 

 カガリはヒナを必死に隠そうとするが、栄養失調の体に力は入らない。

 

 「待て……娘には、娘には手を出すな!」

 

 アスランが叫ぶが、ザンスカールの兵士たちに銃口を突きつけられ、身動きが取れない。

 

 一方、長女のツクヨミは、別の男を凝視していた。地面に膝をつき、悔しさに顔を歪めているシン・アスカの姿を。

 

 ツクヨミの頬が、ぽっと赤く染まる。

 

 彼女の脳裏に、かつて母親から聞かされた戦史の記憶と、目の前の男の野生的な荒々しさが結びついた。

 

 「……決めたわ」

 

 ツクヨミは凛とした声で言い放ち、シンの前に歩み寄った。

 

 「おい、お前。シン・アスカと言ったな」

 

 「……何だ、ガキ」

 

 シンが睨みつける。

 

 しかし、ツクヨミはその不遜な態度すらも気に入ったように、妖艶に微笑んだ。

 

 「私はツクヨミ・ルース。次期大公家当主。お前を、私の婿(むこ)にしてあげる。拒否権は認めないわ。」

 

 「な、何だと……!?ふざけるな!」

 

 シンが激昂するが、ツクヨミは一瞥をくれただけで、父親のキラを振り返った。

 

 「パパ、あのデスティニーのパイロット、私の部屋の隣の拘留室に入れておいて。ザンスカールに戻ったら、じっくり『教育』するから」

 

 「いいよ、ツクヨミ。お前が気に入ったのなら、パパが最高の環境を用意してあげる。」

 

 「ありがとう、パパ! やっぱりパパは世界一優しくて頼りになるわ!」

 

 ツクヨミはキラに抱きつき、初恋の相手である父親への愛を隠そうともしなかった。

 

 その光景を、アスラン、カガリ、そしてシンは、ただ絶望の中で見上げるししかできなかった。

 

 かつての英雄は、完全に敵の「良き父親」となり、その娘たちは母親の残虐性とカニバリズム的な執着心を持って、オーブの生き残りを蹂躙しようとしている。

 

 絶景で美しかったオーブの砂浜には、二機のドッゴーラⅡが着水しており、まるでオーブの終焉を祝うかのように左右から見下すようだった。

 

 二十四時間のタイムリミットを待たずして、オーブは完全に、身も心もザンスカール帝国の軍門に降ったのだった。

 

 宇宙と地球圏を震撼させた、ザンスカール帝国によるオーブ連合首長国へのインフラ破壊、そして徹底的な海上および軌道上封鎖から3年。

 

 かつて不落の理念を掲げた中立国オーブは、極限の飢餓状態に陥り、ついに全面無条件降伏を受け入れた。

 

 ガンダムを駆り、世界の調停者を気取っていた者たちの傲慢は、絶対的な物量と戦略の前に完全に潰えたのである。

 

 これにより、ザンスカール帝国による全地球圏の平定は完了した。

 

 地球軌道上に厳然と待機する、作戦総本部にしてザンスカール帝国開発局所属の超大型宇宙戦艦『アドラステア』。

 

 その巨大な艦影に向かって、2機の異形が接近していた。

 

 全長800メートル級。

 

 サイコミュ搭載型超巨大モビルアーマー『ドッゴーラⅡ』。

 

 蒼穹色に染め上げられた機体はアマテラス・ルースの専用機。

 

 そして漆黒の闇を纏った機体は、その姉であるツクヨミ・ルースの専用機。

 

 これほどの超兵器を投入した目的は、戦闘ではない。

 

 オーブへの降伏を促す圧倒的な威圧、そして「捕虜の回収」という極めて事務的な任務のためであった。

 

 ドッゴーラⅡの長大な胴体には、臨時の人員輸送用コンテナブロックがファンネル搭載コンテナから換装され、その暗い檻の中に閉じ込められていたのは、オーブの主要メンバーたちであった。

 

 カガリ・ユラ・アスハ。

 

 アスラン・ザラ。

 

 シン・アスカ、レイ・ザ・バレル、イザーク・ジュール。

 

 マリュー・ラミアス、アンドリュー・バルトフェルド、ラクス・クライン、タリア・グラディス。

 

 そして、かつて世界を揺るがしたアークエンジェル、エターナル、ミネルバの乗員たち――その全員が、3年間の封鎖によって極限まで痩せ細り、骨と皮ばかりの飢餓状態にあった。

 

 さらに、アスランとカガリの間に生まれた一人娘、わずか4歳のヒナも、その小さな体を飢えに震わせながら、カガリの胸に抱かれていた。

 

 アドラステアの両舷カタパルトに分かれて接舷したドッゴーラⅡから、コンテナブロックが解放される。

 

 気密の保たれたランチが吐き出した捕虜一行は、モビルスーツ格納庫内のエアロックを通り、ようやく床に降り立った。

 

 誰もが絶望と、これからの過酷な運命に身を強張らせていた。

 

 だが、この緊迫したシリアスな空気を、一瞬にして濃厚な「シリアル・コメディ」へと塗り替える存在が、格納庫の奥から現れた。

 

 「ディアッカァァァーーーッ!! 見ぃ〜つけたぁ!!」

 

 けたたましい爆音のような美声とともに、格納庫の一角へ突撃していく影があった。

 

 蒼穹色のドッゴーラⅡのパイロット、アマテラス・ルース。

 

 ザンスカール帝国開発局局長カテジナ・ルース中将と、その婿であるキラ・ルース(旧姓キラ・ヤマト)大佐の間に生まれた次女であり、齢12歳。

 

 母親譲りの極上なプロポーションへと成長しつつある彼女は、天真爛漫な笑顔の裏に、母から受け継いだ底知れない残虐性を秘めた狂気のお嬢様であった。

 

 ちなみに、彼女は現在ディアッカ・エルスマンと婚約中であり、同時に「ディアッカへの夜這いの常習犯」としてもルース大公邸で名を馳せている。

 

 そのターゲットであるディアッカは、現在、ザンスカール系モビルスーツの操縦訓練の一環で量産型ドコラタンのテストパイロットとしてこの艦に配備されていた。

 

 悲劇である。

 

 「ひゃっほーい! ディアッカ、会いたかったよぉ! さあ、お仕事は終わり! 私の私室へ連行、じゃなくて、愛の巣へレッツゴーだよ!」

 

 「ま、待て! 待てアマテラス! 俺はまだ任務の報告が……おい、引っ張るな! 服が破れる! 誰か、誰か助けてくれ! イザーク! おいイザーク、そこにいるんだろ!?」

 

 格納庫に降り立ったばかりでフラフラのイザークは、銀髪を鋭く揺らし、哀れな相棒の声を耳にした。

 

 しかし、彼は完全に視線を逸らし、聞こえない振りを決め込んだ。

 

 「……ふん、知らん。私は飢餓で耳が遠くなっているようだ」

 

 「イザークゥゥゥーッ!! この薄情者がぁぁぁーーーっ!?」

 

 アマテラスの凄まじい怪力によって、引きずられるように通路の奥へと消えていくディアッカ。

 

 直後、格納庫の奥深くから、男としての尊厳、あるいは生命力を限界まで搾り取られんとするディアッカの悲痛な悲鳴が、文字通り「木霊」となって響き渡った。

 

 呆然とするオーブ一行。

 

 カガリは乾いた唇を開き、隣のアスランを見上げた。

 

 「……アスラン。今のは……何だ?」

 

 「わからない、カガリ。見なかったことにしよう。……あれがザンスカールの最新兵器の精神汚染かもしれない」

 

 「違うと思うぞ、アスラン……」

 

 シンがガタガタと震える膝を押さえながら、力なくツッコミを入れた。

 

 一行は、監視の兵に促されてブリッジへと向かう。

 

 案内された通路は、艦内の居住スペースを通り抜けるルートだった。そこで一行が目撃したのは、さらなるカオス。精神的崩壊の第2波であった。

 

 「ちょっと! ツクヨミ様! 何を考えていらっしゃるんですか大公令嬢が! 通路の真ん中でそんな格好、いくら身内しかいない艦内だからって、限度というものがあります! はしたないにも程があります!!」

 

 烈火のごとく怒声を上げ、魂の叫びを響かせていたのは、ツクヨミの秘書官兼侍女を務めるメイリン・ホークであった。

 

 かつてオーブの、あるいはアスランの逃亡劇に手を貸した彼女は、今やルース大公家に完全に就職し、ツッコミ役という過酷な労働に従事させられていた。

 

 そのメイリンの目の前に立っていたのは、シャワーを浴びたばかりで、体にバスタオルを一枚巻き付けただけの少女だった。

 

 ツクヨミ・ルース。

 

 キラとカテジナの長女であり、13歳。母親の面影をこれでもかと色濃く受け継いだ瓜二つの容姿と、そして冷徹にして強烈な性格。

 

 これまた母親に近い抜群のスタイルに成長中の美少女である。

 

 ツクヨミは、濡れた金髪をバスタオルの上から弄びながら、平然と言い放った。

 

 「うるさいわね、メイリン。別にいいじゃない。減るものじゃあるまいし。……あら?」

 

 ツクヨミの美しい瞳が、通路の向こうから歩いてくる捕虜一行、その中にいる一人の少年に釘付けになった。

 

 シン・アスカである。

 

 実はツクヨミ、オーブでの捕虜回収作戦の際、泥臭くも鋭い眼光を放っていたシンに一目惚れしてしまっていた。

 

 「……見つけた。シン・アスカ。やはり私の見込んだ男ね。ふふ、決めたわ。あなた、私のルース大公家への婿(ムコ)になりなさい。決定よ。異論は認めないわ」

 

 「はあぁぁぁ!? な、何言ってんだお前!? っていうか、その格好で何言ってるんだよ!?」

 

 シンは飢餓の限界を超えて、顔を真っ赤にして叫んだ。

 

 隣のレイが、すかさずシンを庇うように一歩前に出る。

 

 「シン、目を合わせるな。あれはカテジナ・ルースの血を引く魔物だ。精神を蝕まれるぞ」

 

 メイリンの絶叫が通路に響き渡る。

 

 「ツクヨミ様ーーー!! 初対面の、しかも捕虜の方に何を婿宣言してるんですか! それ以前にタオル一枚で男の人の前に立つなと言っているんです!! もう私の心臓が持ちません!!」

 

 「あら、メイリン姉さん。賑やかね」

 

 「雉(キジ)も鳴かねば撃たれまいって、知ってる?」

 

 その時、隣の部屋の扉が開き、小さな少女たちがゾロゾロと姿を現した。

 

 7歳になる三女のハルミと、四女のナツキの双子。そして、6歳になる五女のアキネと、六女のユキの双子。

 

 総勢4人の幼女たちが、それぞれ自分の体ほどもある分厚い専門書――『ミノフスキー粒子力学 応用編Ⅱ』という、大人の技術者でも頭を抱えるレベルの代物――を小さな胸にしっかりと抱え、無垢な、それゆえに恐ろしい瞳でメイリンを見上げていた。

 

 「メイリン姉さん、この『ミノフスキー・イオネスク型熱核反応炉における磁気収縮の偏向制御』についてなんだけど……」

 

 「お姉さんのさっきの叫び声のデシベル換算から逆算すると、共振による隔壁の歪みはどれくらいになるの?」

 

 「教えて、メイリン姉さん」

 

 「質問、質問ー!」

 

 4人の幼女による、超高度な物理学の質問攻め。

 

 メイリンは、かつてルース大公邸で毎日のように繰り広げられていたこの「知能の暴力」という名の悪夢を思い出し、瞬時に胃痛を再発させた。

 

 顔を青ざめさせ、震える手でスカートのポケットを探る。

 

 「……あ、頭が……胃が、胃が痛い……! ガ、ガスター10……私のガスター10はどこ……!?」

 

 錠剤をパニック状態で口に放り込むメイリン。だが、それは悪手であった。

 

 薬を飲み下したところで、目の前の状況は何一つ解決しない。

 

 「ツクヨミ様を何とか部屋に戻さないといけないのに、今度はこの天才双子2組まで……っ! もう無理! 私のツッコミの処理能力を超えてます! お姉ちゃん助けて! クロノクル皇太子妃になったルナマリアお姉ちゃん助けてぇぇぇーーーっ!!」

 

 魂の咆哮を残し、メイリンは胃を押さえてその場に頽れた。

 

 オーブ一行は、もはや恐怖を通り越して「この一家は何なのだ」という、言葉にできない戦慄を覚えていた。

 

 ラクスなどは、あまりの光景に微笑を貼り付けたまま固まっている。

 

 そして、一行はついに、重厚な自動扉が開き、作戦総本部の心臓部であるブリッジへと足を踏み入れた。

 

 だが、そこに待っていたのは、戦時下の緊張感など宇宙の彼方に消し去るような、究極の「バカ夫婦の巣窟」であった。

 

 「あーん、カテジナ。ほら、もう一口。美味しい?」

 

 「も、もう……キラ、やめなさい。部下たちが見ているでしょう……っ!」

 

 ブリッジの中央。

 

 指揮官席に座っていたのは、ザンスカール帝国開発局局長にして中将の地位にある、カテジナ・ルース。

 

 しかし、その威厳に満ちた軍服姿の彼女は、今や一人の男の腕の中にすっぽりと収まり、顔を真っ赤にして身悶えしていた。

 

 カテジナを抱きしめ、甲斐甲斐しくスプーンで果物を口に運んでいるのは、オーブ一行よりも一足先に戻ったキラ・ルース大佐。

 

 旧姓、キラ・ヤマト。

 

 現在はカテジナ・ルース大公の婿であり、開発局局長側付き技士という立場にある。

 

 かつての「悲劇の英雄」の面影はどこへやら、現在のキラは、これ以上ないほどの「スパダリ」振りを全力で発揮し、妻であるカテジナを甘やかし倒していた。

 

 カテジナは、すでにキラとの間に7人の娘を儲けており、驚くべきことに、現在そのお腹の中には「8人目」の新しい命が宿っていた。

 

 にもかかわらず、彼女は未だにキラのストレートな愛情表現に対する耐性が全くついておらず、まるで恋を知ったばかりの少女のように初(うぶ)な反応を示し、悶えているのである。

 

 ちなみにキラの腕の中には、2歳になる七女のナナミが、すやすやと眠っていた。

 

 ブリッジのオペレーターたちや開発局の部下たちは、完全にこの光景に慣れきっていた。

 

 画面を見つめ、淡々とキーボードを叩きながら、小声で呟く。

 

 「はいはい、ごちそうさまです」

 

 「大佐のスパダリ炸裂、今日も通常運転ですね」

 

 「ごちそうさまでしたー」

 

 そこへ、ヨロヨロとした足取りでオーブの面々が入ってきた。

 

 キラはカテジナを抱きしめたまま、天然な笑顔をパッと輝かせてオーブ一行に手を振った。

 

 その態度や空気感は、かつてのキラ・ヤマトそのままである。

 

 「あ、みんな! 久しぶりだね! 元気にし……あ、元気じゃないね、ゴメン。封鎖、ちょっと厳しすぎたかな? カガリもアスランも、随分痩せちゃって。ラクスも、そんなに 飢餓な顔しちゃってさ。でも、もう大丈夫だよ! アドラステアの食堂、とっても美味しいから!」

 

 「キ、キラ……お前、お前という奴は、カテジナ・ルースと結ばれて、そんなところで何をやっているんだ……!」

 

 アスランが、絶望と困惑の混ざった声で絞り出す。

 

 ラクスもまた、かつての「私の強さ」であった少年が、完全に別の女性の犬、もとい完璧な夫として仕えている姿に、言葉を失っていた。

 

 その時、急にブリッジの空気が一変した。

 

 キラの腕の中で赤くなっていたカテジナ・ルース中将の瞳が、一瞬にして冷徹な、かつて戦場を狂気で支配した「あの女王」の輝きを帯びた。

 

 彼女はキラの胸から、ゆっくりとオーブ一行へと視線を移す。

 

 「ふん……相変わらず冴えない面々ね。アスハの小娘に、ザラの血を引く人形。そして、偽りの歌姫」

 

 カテジナの冷酷な一言が、ブリッジの温度を氷点下へと引き下げる。

 

 「あなたたちオーブの犯した罪は重い。本来であれば、マリア女王の大逆罪として、全員がギロチン刑に処されるべきところよ」

 

 ギロチン。

 

 その不穏な言葉に、カガリはハッと息を呑み、腕の中のヒナを強く抱きしめた。

 

 マリューやタリアも身を強張らせる。

 

 「けれど」

 

 カテジナは、ふっと妖艶に微笑んだ。

 

 「我が夫、キラの慈悲に感謝することね。あなたたちをギロチン刑から回避させる代わりに……条件があるわ。全員、我が『ルース大公家』の私兵部隊に入ってもらうわ」

 

 「なっ……!?」

 

 イザークが目を見開く。

 

 「もちろん、無理に戦えとは言わないよ」

 

 カテジナに寄り添うキラが、これまた恐ろしいほど「天然」な笑顔で、残酷な追撃を放った。

 

 「みんなにはまず、開発局の特製メニューで栄養改善治療を受けてもらう。ガリガリのままじゃ可哀想だからね。それでね、もしどうしても私兵部隊に入りたくない、戦いたくないっていう人がいたら、拒否してもいいんだ。その代わり……」

 

 キラは親指で、ブリッジの奥にある居住区への扉を指差した。

 

 「我が家の娘たちの『侍女』か『侍従』になってもらうよ。さっき通路にいたでしょ? アマテラスとか、ツクヨミとか。あの子たちの身の回りのお世話係。ツクヨミなんて、もうシンを気に入っちゃったみたいだし、ちょうどいいよね」

 

 その瞬間、オーブ一行の脳裏に、先ほど目撃した地獄絵図が鮮明に蘇った。

 

 肉体を限界まで搾り取られるディアッカの悲鳴。

 

 タオル一枚で婿宣言をしてくる13歳。

 

 ミノフスキー粒子力学の応用編を抱えて質問攻めにしてくる6〜7歳の天才幼女集団。

 

 そして、その過酷な環境で胃痛を起こし、ガスター10を乱用しているメイリンの惨状。

 

「し、侍従……あの子供たちの……?」

 

 シンが顔を青ざめさせ、ガタガタと震え出した。

 

 「オレ……モビルスーツに乗って戦う方が、まだマシな気がしてきた……」

 

 「同感だ、シン……あの幼女たちの相手は、精神が崩壊する……」

 

 レイすらも、額に冷や汗を流して同意する。

 

 アスランもまた、カガリと娘のヒナを守るためには、ルース大公家の私兵としてザンスカールのために戦うか、あるいはあの狂気の一家の下僕になるかという、究極の二択を突きつけられていることを理解した。

 

 これこそが、ルース大公家による完全な「囲い込み」であり、かつての英雄たちを徹底的に「飼い慣らす」という、最も残酷で、かつ最も逃れられない精神的ギロチンであった。

 

 「さあ、決めてもらいましょうか」

 

 カテジナがキラの胸に身を預け、クスクスと不敵に笑う。

 

 「我がルース家の猟犬となるか、それとも、愛らしい娘たちの玩具(おもちゃ)となるか。どちらを選んでも、あなたたちの未来は我が手の中よ」

 

 「あ、カテジナ、またお腹が張っちゃうよ。ほら、メロン食べる?」

 

 「あ、アンタは少し黙ってなさい……っ! 恥ずかしいでしょう!」

 

 冷徹な独裁者の顔から、一瞬でまた初な少女の顔に戻って悶えるカテジナ。それを「可愛いなぁ」という目で見つめるスパダリ・キラ。

 

 その異様な光景を前に、飢餓状態のオーブ一行は、ただただ天を仰ぐしかなかった。

 

 地球圏は平定された。しかし、彼らの前にある未来は、ザンスカールの恐怖政治以上に、予測不可能で、胃の痛い日々の始まりを告げていたのである。 

 

 

 

 

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