ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜 作:ロドニー
サイド2・1バンチコロニーにそびえ立つ、ルース大公邸の広大な庭園を望む執務室で、私は大きなため息をついた。
「はぁ……。お腹が重いわね」
ふっくらと、というよりは既に張り裂けんばかりに膨らんだ自らの腹部に手を当てる。8人目の新しい命は、現在妊娠8ヶ月。
開発局長としての職務はさすがに産休に入らせてもらっているが、大公としての、そしてこの歪な宮廷政治のキャスティングボートを握る者としての仕事に「産休」などという生ぬるいものは存在しなかった。
現在のザンスカール帝国(そう、この世界ではコーディネイターとナチュラル、そして宇宙世紀の残滓が交じり合い、そう名乗る一大勢力が形成されている)の権力構図は、極めて危ういバランスの上で成り立っている。
宰相であるカガチが、その野心のままに国を動かせない理由。それは、宮廷貴族を掌握するマリア女王、軍部地方軍に睨みを利かせるファラ、軍部全体を統括するクロノクル皇太子、そして何より、先代女王派閥と諸侯貴族、さらには開発局をガッチリと押さえているこの私――カテジナ・ルースが存在するからに他ならない。
昨日、木星からの偵察から帰還したテテニス、トビア、シーブック、セシリーの四人を交えた皇族緊急会議は、最悪の報告で幕を閉じた。
『木星帝国の復活』
その不穏な影を前に、四人は我がルース大公邸に匿う形で留まることが決まった。
夫であるキラは、大佐の階級と開発局長側付き技士という肩書を使い、彼らを開発局の施設へと案内するために朝から出払っている。
「失礼いたします、カテジナ様」
洗練された所作で入室してきたのは、我が邸宅の侍従長だった。
「どうしたの? 今は先代女王派閥の伯爵たちとの面会まで、少し時間があったはずだけれど」
「は。実は……ファラ・グリフォン中将閣下が、アポイントメントなしで大公邸を訪れております。『近くを通りがかったから、カテジナに会いに来た』と……」
「……ファラが?」
私は思わずこめかみを押さえた。
ファラ・グリフォン。
公爵の地位を親から継いだ、軍部中将。
私とは同期であり、年齢は5歳上。
かつてカイラスギリー要塞の守備隊司令を務めていたが、カガチ派のタシロ中将と致命的に折り合いが悪く、現在は地方軍へと異動させられている。
彼女はマリア女王の派閥であり、反カガチ派の重鎮。
つまり、私の貴重な「味方」の一人である。
しかし、彼女をこの邸宅に招き入れるには、あまりにも大きな爆弾が一つ、この家には転がっていた。
「……アマテラスは? 今、どこにいるの」
私の口から出たのは、自身の次女の名前だった。
アマテラス・ルース。
12歳。
母親である私の「残虐性」を色濃く受け継ぎながらも、性格はどこまでも天真爛漫。開発局所属のドッゴーラⅡ専属パイロット。
そして何より――1年前、ディアッカ・エルスマンとの「模擬戦デート」をファラに邪魔された際、ブチギレて愛機ドッゴーラⅡでファラをザンネックごと文字通りぶっ飛ばした張本人であった。
(あの時は本当に肝が冷えたわ……。ディアッカの奴、少女より熟女が好きなくせに、アマテラスに夜這いをかけられて泣く泣く既成事実を理由に婚約した軟弱者だから、アマテラスの独占欲を刺激しすぎたのよ。ファラをザンネックごと8バンチコロニーの試験場を大破させコロニーの外壁を壊すまでまで叩き付けるなんて、私の娘ながら恐ろしい子……)
ファラは一命を取り留めたものの、アマテラスに対しては少なからず遺恨があってもおかしくない。
これ以上、我が家とファラの間で下手な刺激は避けたかった。
だが、反カガチ派の重鎮を無下に追い返すわけにもいかない。
「ファラを応接室へ通して。お茶の準備を。それと……アマテラスには絶対に、ファラが来ていることを知らせるんじゃないわよ。ディアッカと一緒に部屋に閉じ込めておきなさい」
「かしこまりました」
侍従長が頭を下げて退出する。
私は重い腰を上げ、大きなお腹を庇いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「あらあら、カテジナ。随分とお腹が大きくなったじゃない。相変わらずキラ大佐とは盛んなことで羨ましいわねえ」
応接室の豪華なソファに深く腰掛け、妖艶な笑みを浮かべていたのはファラ・グリフォンだった。
彼女は相変わらず、軍服をだらしなく着崩し、独特の退廃的なオーラを放っている。
「からかわないで頂戴、ファラ。貴女こそ、地方軍の巡察はどうしたの? カイラスギリーから飛ばされて、少しは大人しくしているかと思えば、アポなしで大公邸に来るなんて相変わらずね」
私は彼女の対面に座り、差し出されたハーブティーに口をつけた。
「いいじゃないの。タシロのハゲ頭を拝むより、同期の可愛いお顔を見る方が精神衛生上いいに決まっているわ。それに……マリア女王もお嘆きよ。カガチの爺さんが、また裏で何やらコソコソと動いているって。木星の件、貴女も耳にしているんでしょう?」
ファラの目が、一瞬で軍人のそれに変わる。
「ええ。昨日、緊急皇族召集があったわ。マリア女王、クロノクル皇太子、ルナマリア皇太子妃、そして私が集まってね。木星から戻ったテテニス様たちの報告を受けたわ。……復活したそうよ、木星帝国が」
「チッ、やっぱりね。あの忌々しいモビルスーツの残骸が、最近闇市場で出回っていると思ったら。カガチの奴、それを利用して軍部の主導権を完全に握ろうとしているわ。クロノクル皇太子も、前線の締め付けに躍起になっているけれど、末端の兵士はカガチの資金力に靡きかけている」
「だからこそ、私たちが手綱を握り続けなければならないのよ。ファラ、貴女の地方軍は?」
「問題ないわ。私の『鈴の音』に怯えるか、あるいは心酔している狂犬どもばかりよ。カガチ派の工作員が紛れ込めば、すぐに首を跳ねてザンネックの肥やしにしてやっているわ」
ファラはクスクスと不敵に笑った。
その残忍さは健在だが、だからこそカガチへの強力な抑止力になっている。
私がファラ、そして先代女王派閥の貴族たちを押さえているからこそ、ザンスカール帝国はかろうじて均衡を保っているのだ。
クロノクルが軍部全体を統括しているとはいえ、彼一人ではカガチの政治力には対抗できない。
その時、応接室の扉が「バァン!」と大きな音を立てて開いた。
「ママー! ディアッカがまた変な年上の女の雑誌見てるー! お仕置きしていいよね!?」
「ひ、開くなアマテラス! 俺はただ、開発局の新兵器の資料を――」
入ってきたのは、天真爛漫な笑みを浮かべた12歳の美少女、アマテラス。
そして、その後ろから顔を真っ青にして彼女を止めようとしているディアッカ・エルスマンだった。応接室の空気が、一瞬で氷結した。
ファラがゆっくりと首を巡らせ、アマテラスを見る。
アマテラスもまた、ファラの顔を見て、その大きな瞳をパチクリとさせた。
「あら……。その声、その生意気なツラ。……1年前に私をザンネックごとコロニーの大地に突き刺した、ルース家のじゃじゃ馬娘じゃない?」
ファラの周囲に、物理的なプレッシャーが立ち上る。
彼女の背後で、幻聴のように「チリン……チリン……」と鈴の音が響いた気がした。
「あー! あの時の、ディアッカに色目使おうとした、生意気なお局(つぼね)おばさん!」
アマテラスが嬉しそうに指をさす。
「お、お局……? おばさん……?」
ファラの額に青筋が浮かぶ。
「アマテラス! 口を慎みなさい!」
私は思わず立ち上がり、お腹の痛みを堪えながら一喝した。
「ディアッカ! 貴方、部屋に閉じ込めておけと言ったでしょう!」
「す、すみませんカテジナさん! こいつ、俺がちょっと目を離した隙に部屋の鍵を内側から破壊して……!」
ディアッカは涙目で弁明する。本当に情けない男だ。
熟女好きのバツとして12歳の少女に夜這いをかけられ、既成事実を作られて婚約する羽目になった男の末路がこれである。
「へえ……。エルスマン家の若造、相変わらずそんなガキに縛られているわけ? 趣味が悪いわね。男なら、もっと熟れた果実の味を知るべきよ。例えば……私のようなね?」
ファラがわざとらしくディアッカに視線を送り、妖艶に微笑む。
「ひぃっ!?」
ディアッカが飛び退く。
だが、それが完全にアマテラスの導火線に火をつけた。
「やっぱりこのおばさん、私のディアッカを寝取ろうとしてる! ママ! ドッゴーラⅡの起動キーちょうだい! 今度こそ、このおばさんを宇宙のチリにしてやるから!」
「やめなさい、アマテラス! ファラは私の大事な政治的パートナーよ! これ以上、大公邸を壊されてたまるもんですか!」
私は怒鳴り散らした。
妊娠8ヶ月の身体に、この身内の騒動はキツすぎる。
「ちっ……。相変わらず狂犬みたいな娘ね。カテジナ、教育がなっていないんじゃない? まあいいわ、今日は女王陛下からの伝言を届けに来ただけだから」
ファラはつまらなそうに立ち上がると、アマテラスをキロリと睨みつけた。
「お嬢ちゃん、次は戦場で会いましょう。その時は、その可愛い首を私の鈴の音で飾ってあげるわ」
「ふん! 次やったら、ザンネックごとペシャンコにしてやるんだから!」
アマテラスがベロを出す。
ファラはフッと笑い、そのまま大公邸を去っていった。
嵐のような女が去り、応接室には重苦しい沈黙が残る。
「……ディアッカ」
「は、はいっ!?」
「アマテラスを連れて、今すぐ部屋に戻りなさい。もし次に私の前にアマテラスが勝手に現れたら……貴方のその『熟女好き』の性癖を、全軍の通信回線で暴露してあげるわ」
「それだけは勘弁してくださいぃぃぃ!」
ディアッカはアマテラスの手を引いて、文字通り脱兎のごとく逃げ去っていった。
「はぁ……。本当に、どいつもこいつも……」
私はソファに崩れ落ちるように座り直した。
お腹の中の赤ん坊が、まるで呆れたようにポコりと動いた。
しかし、私の休息の時間は一瞬だった。
ファラが去った直後、今度は先代女王派閥の貴族たち、そして諸侯貴族たちが、次々と面会を求めて大公邸に押し寄せてきた。
彼らは皆、昨日の緊急皇族召集の内容を察知し、今後のザンスカール帝国の動向における『ルース大公』のスタンスを確認しに来たのだ。
「カテジナ大公。カガチ宰相の動きが、最近にわかに活発化しております。木星帝国の復活という大義名分を得て、彼らは開発局の新兵器予算を強引に毟り取ろうとしているとか」
「我が領地の諸侯たちも不安がっております。カガチ派の軍人が、地方での徴兵を強化していると。カテジナ様、どうか開発局長として、奴らに釘を刺していただきたい」
次々と並べ立てられる貴族たちの陳情。
私は臨月の近い身体を補正下着で支え、大公としての威厳を保ちながら、一人一人に冷徹かつ完璧な回答を返していく。
「心配召されるな、伯爵。開発局の予算を握っているのは、カガチではなくこの私です。産休中とはいえ、私が首を縦に振らぬ限り、奴らに最新鋭のモビルスーツは一機たりとも渡しません」
「諸侯の皆様も、ご安心を。軍部地方軍は、先ほどファラ・グリフォン中将と話をつけました。カガチ派の専横は、彼女の『鈴』が抑え込みます。皆様は、私を信じて宮廷での支持をマリア女王陛下に集めなさい」
私の理路整然とした、そして揺るぎない言葉に、貴族たちは一様に安堵の表情を浮かべ、恭しく頭を下げて退出していく。
これが、私の日常だ。
コズミック・イラという、運命の遺伝子(デスティニープラン)だの、ナチュラルの根絶だのと騒ぎ立てる愚か者どもの世界に転生し、若返り、私はこの地位を築き上げた。
カガチのような野心家にこの世界を滅ぼさせないために。
そして、私自身の平穏(この騒がしい家族たちとの生活)を守るために。夕方になり、ようやく全ての面会が終わった頃、執務室の扉が静かに開いた。
「ただいま、カテジナ。遅くなってごめんね。体調は大丈夫かい?」
入ってきたのは、優しげな、しかしその瞳の奥に最強の戦士としての輝きを秘めた私の夫――キラ・ルース(ヤマト)大佐だった。
「キラ……。遅かったじゃない。テテニス様たちはどうだった?」
私はキラの姿を見るなり、大公としての仮面を脱ぎ捨て、一妻としての顔に戻った。
「うん。トビアもシーブックさんも、開発局の最新設備に驚いていたよ。セシリーさんは、マザー・バンガードの修繕ドックを見て『これなら木星の残党とも渡り合える』って太鼓判を押してくれた。
テテニス様も、カテジナの差配に感謝していたよ」
キラは私に歩み寄り、その大きな手で私のお腹を優しく包み込んだ。
「ありがとう、キラ。貴方がいてくれるから、私は安心してここで政治ができるわ」
「僕の方こそ、感謝しているよ。カテジナがこの国のバランスを保ってくれているから、僕たちは技術開発に専念できるんだ。……それにしても、さっきディアッカに会ったんだけど、酷く怯えていたよ? またアマテラスが何かしたの?」
キラの苦笑いに、私は思わず噴き出してしまった。
「ああ、それね。実は今日、ファラが遊びに来てね……」
私は今日一日の、あまりにも騒がしく、そしてシリアスとコメディが入り混じった日常を、愛する夫に語り始めた。
木星帝国の復活、カガチの陰謀、宮廷の権力闘争。前途は多難であり、世界は相変わらず狂気に満ちている。
けれど、このルース大公邸にある歪で、しかし確かな家族の絆がある限り、私はどんな運命(シナリオ)だって書き換えてみせる。
カテジナ・ルースの名にかけて。
サイド2・1バンチコロニー、ザンスカール帝国の首都。
豪奢な大理石の床に、私の重くなった足音が微かに響く。
カテジナ・ルース大公。
29歳。
先代女王の養女であり、開発局局長。
そして今は、8人目の子供を身ごもる妊娠8ヶ月の身であった。
大きく膨らんだ腹部を支えながら、私は貴族議会へと続く長い回廊を歩いていた。
「カテジナ、無理をしないで。僕の腕に掴まって」
隣を歩く夫、キラ・ルース(旧姓キラ・ヤマト)が、労わるように私の肘を支えた。
30歳になった彼は、かつて地球圏を揺るがした最強のMSパイロットであり、私の捕虜だった男だ。
だが今はルース大公家の一員であり、私の産休に伴って開発局局長代理の座に就いている。
「ありがとう、キラ。でも大丈夫よ。この程度でへばっていては、あの狐たちの前で舐められますもの」
私は冷徹な微笑を浮かべた。三ヶ月前、最後まで抵抗を続けていたオーブ連合首長国が、徹底的な経済封鎖による飢餓状態の末、無条件降伏した。
これによりザンスカール帝国は地球圏からアステロイドベルトに至る全域を完全平定。
軍の主たる任務は「治安維持」へと移行した。
しかし、宮廷の火種は消えていない。
オーブは今や大公家――つまり我がルース家の唯一の領地「アスハ子爵領」となった。
カガチ派の公家たちは、これを「大公家による利権の独占だ」と激しく反発している。
彼らはオーブの元代表、カガリ・ユラ・アスハの処刑を今も求めていた。
だが、カガリは私の夫であるキラの双子の実姉だ。
彼女を処刑すれば、その刃は捕虜から大公配となったキラ自身、ひいては我がルース大公家にも及びかねない。
それに、飢餓に苦しむ領民を前に、ただ生き残るために降伏したカガリたちを不当に処刑することなど、人道主義を掲げるマリア女王の治世において許されるはずがなかった。
「今日の議会は荒れるわね。お姉様が推し進める『人類平等法案』……。コーディネーターとナチュラルの争いを根本から禁じる法案だもの」
「うん。でも、これが通らなければ、本当の平和は来ない。僕たちの子供たちのためにも、ね」
キラは穏やかだが、芯の強い目で私を見た。
その背後には、緊張した面持ちで付き従うカガリ・ユラ・アスハ新米子爵の姿があった。
彼女はオーブ首長から一転、ザンスカール貴族の最底辺である「子爵」として、今日の議会に初めて参加するのだ。
「カガリ、顔が硬いわよ。あなたは我がルース家の庇護下にある。カガチ派が何を言おうと、私が睨みを利かせてあげるわ」
「……すまない、カテジナ。私は、ただ……オーブの民を守るためなら、どんな泥でもすする覚悟だ」
カガリは唇を噛み締めながらも、かつての代表としての気概を失っていなかった。
議場への扉が開く。
正面の高座には、私の義姉であるマリア・ピァ・アーモニア女王が、慈愛に満ちた、しかしどこか底の知れない瞳で座していた。
その傍らには、軍部を率いる私の義兄、クロノクル・アシャー皇太子(31歳)。
そして、地方軍の首領であり、公爵家を継いだばかりのファラ・グリフォン公爵が控えている。
彼女たちはマリア派閥の核心だ。
そして、クロノクルの隣には、妊娠4ヶ月の身でふくよかさを帯びたルナマリア・ホーク皇太子妃(29歳)が座っていた。
プラントのミネルバの赤服パイロットだった彼女は、メサイヤ要塞戦の後にオーブへ身を寄せ、その後ザンスカールの捕虜となった。
そこから一転して皇太子妃の座に登り詰めた彼女の後見を引き受け、身分を保証したのも、我がルース大公家である。
「カテジナ大公、並びにキラ局長代理。体調が優れぬ中、よくぞ参られた」
マリア女王の鈴を転がすような声が議場に響く。
「お姉様、貴族議会の召集とあらば、ルース大公たる私が出向かぬわけにはまいりません。我が胎内の命も、この国の行く末を見届けたがっておりますわ」
私は大きなお腹を愛おしそうに撫でながら、カガチ派の貴族たちが陣取る雛壇を冷ややかに見据えた。
カガチ本人は不在なものの、その一派の筆頭であるギロチン信奉者の貴族たちが、私とキラ、そしてカガリを忌々しげに睨みつけている。
「ふん、オーブを血の一滴も流さず、飢えだけで降伏させたのは軍部の功績だ。それをルース大公家がそっくりアスハ子爵領として懐に収めるとは、いささか強欲が過ぎるのではないか?」
カガチ派の老貴族が、嫌味たらしく声を上げた。
「強欲? 滅相もない」
私は一歩前へ出た。
「我がルース家は、焦土と化したオーブの戦後復興と、飢餓にあえぐ民への食糧支援を全て私費で賄っております。カガチ派の皆様方が、その莫大な財政赤字を肩代わりしてくださるというのであれば、喜んで領地をお譲りいたしますが? いかがかしら?」
「くっ……! それは……」
老貴族が言葉に詰まる。平定されたとはいえ、オーブの復興には天文学的な数字の資金が必要だ。
口を開けば金がかかる泥沼の領地を、自ら進んで引き取る物好きなどここにはいない。
「静粛に」
クロノクル皇太子が重厚な声で議場を制した。
「軍部の任務はすでに治安維持にある。地球圏の完全平定が成った今、我らが議論すべきは、戦功の奪い合いではない。女王陛下が発議された『人類平等法』の是非だ」
議場に緊迫した空気が走る。
この法案は、遺伝子調整されたコーディネーターと、自然のままに生まれたナチュラルとの間に一切の身分的・権利的な差別を禁じ、その争いを法的に処罰するものだ。
ザンスカール帝国の基盤である「マリア主義」の根幹に関わる法案だが、旧来のナチュラル至上主義貴族や、逆にコーディネーターを特別視しようとする一派にとっては、受け入れがたい劇薬だった。
「陛下!」
別のカガチ派貴族が立ち上がる。
「人類平等法などと、絵空事に過ぎません! プラントのコーディネーターどもが、我らナチュラルをどれほど見下してきたか! また、地球のブルーコスモスが彼らをどれほど迫害してきたか! その血の歴史を、一枚の法案で縛ることなど不可能です! 特に、その皇太子妃を見なされ! 元はプラントのザフト兵、コーディネーターではないか! そのような者が次代の国母となること自体、我らには受け入れがたい!」
矛先がルナマリアに向いた。
ルナマリアは一瞬、顔をこわばらせたが、すぐに気丈に前を見据えた。
「無礼な」
鋭い声が響いた。
ファラ・グリフォン公爵だ。
彼女は冷徹な笑みを浮かべ、腰のサーベルの柄に手をかけた。
「ルナマリア皇太子妃殿下は、ルース大公家が後見を務め、我がグリフォン公爵家もその資格を認めたお方。陛下が決断された婚姻に異を唱えるとは、カガチ派はついに反逆の旗を翻すつもりか? ギロチンの露になりたい者がいるなら、この場で私が首を撥ねてやってもよいのだぞ」
「ひっ……!」
地方軍を掌握するファラの凄味に、貴族たちは気圧された。
ファラはマリア派閥の過激な矛であり、彼女を怒らせれば何をされるか分からないという恐怖が議場を支配する。
「ファラ、控えなさい。ここは議場です」
マリア女王が優しく、しかし絶対的な威厳を持ってそれを止めた。
「皆様、私がこの法案を推すのは、これ以上の悲劇を繰り返さないためです。コーディネーターもナチュラルも、同じ宇宙の母から生まれた人間。その争いに終止符を打つことこそが、ザンスカールが地球圏を平定した真の意味なのです」
「しかし陛下……!」
なおも食い下がろうとする貴族たちに向け、私は大きなお腹を抱えながら、凛とした声で追撃をかけた。
「皆様、現実をご覧なさい。私の隣にいる夫、キラ・ルースはコーディネーターであり、元は我が帝国の捕虜でした。ですが、彼の持つ卓越したMS開発の技術、そして果てしない知見は、今や我が国の治安維持MSの開発に不可欠なものです。彼が開発局局長代理として、どれほどの功績を上げているか、皆様の節穴の目には映らないのですか?」
キラは驚いたように私を見たが、すぐに覚悟を決めたように一歩前へ出た。
「僕は、かつて戦うことしか知らなかった。でも、カテジナさんに拾われ、マリア陛下の理想に触れて気付いたんだ。遺伝子の違いで憎み合うことの愚かしさに。僕はナチュラルの妻を愛し、今、ここに新しい命を授かっている。この子が生まれる世界は、遺伝子で優劣を競う世界であってほしくない。だから、僕は開発局局長代理として、この法案を全面的に支持します」
キラの言葉には、かつて戦場を支配したフリーダムのパイロットとしての重みがあった。
彼が本気になれば、この議場にいる全員の命など一瞬で奪える。
その男が、今やザンスカールの法と秩序に従い、平穏を願っているのだ。
その事実自体が、マリア主義の正しさを証明していた。議場は沈黙に包まれた。
カガチ派の貴族たちは、私とファラ、そしてキラの威圧感に完全に呑まれていた。
先代女王の派閥と、カガチ派以外の諸侯貴族は、すでに我がルース大公家の動きに同調している。
勝負はついていた。
「これ以上の議論は不要のようですね」
マリア女王が宣言する。
「これより、人類平等法案の採決を行います。賛成の者は起立を」
私が真っ先に、大きなお腹を支えながら立ち上がった。
それに続いて、キラ、カガリが立ち上がる。ファラ・グリフォンが不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、先代女王派の貴族たちが次々と席を立った。
やがて、圧倒的な数の貴族たちが起立し、議場は静寂に包まれた。
「……可決いたします。本日をもって、人類平等法は我が帝国の基本法となります」
マリア女王の宣言とともに、議場に拍手が湧き起こった。
カガチ派の貴族たちは、忌々しげに顔を伏せるしかなかった。
激しい宮廷闘争の一幕が終わり、議場が閉会に向けて整えられる中、マリア女王がルナマリアに視線を送った。
この法案の可決を記念し、そして新たなる地球圏の調和を示すため、次代の国母となる彼女の言葉が必要だったのだ。
ルナマリア・ホーク皇太子妃が、ゆっくりと議壇の中央へと歩み出た。
妊娠4ヶ月の彼女の身体には、うっすらとその兆候が見え始めている。
彼女は深呼吸をし、マイクの前に立った。
その瞳には、かつてザフトの赤服として戦場を駆け抜けた強さと、母となる優しさが同居していた。
「ザンスカール帝国の、そして地球圏の同胞たる皆様」
ルナマリアの声が、全宇宙へ向けた放送の電波に乗って響き渡る。
「本日、人類平等法が可決されました。これは単なる法律の制定ではありません。私たちが、過去の血塗られた歴史から決別するための、大いなる誓いです」
彼女は一度言葉を切り、議場を見回した。
その視線は、かつて敵味方として戦ったキラやカガリ、そして彼女を支えた私へと向けられた。
「皆様、忘れないでください。かつてプラントと地球連合が引き起こした、あの惨劇を。始まりは、たった一つの憎しみ、たった一つの拒絶でした。ナチュラルの盲信が生み出した、あの『血のバレンタイン』の悲劇を、私たちは決して忘れてはならないのです。一口の警告もなく、十数十万もの無辜のコーディネーターの命が、核の炎で消し去られたあの日を」
議場が息を呑む。
かつての戦争の引き金となった最悪の惨劇の名が、元ザフト兵の口から語られたのだ。
「あの日から、世界は狂気に染まりました。コーディネーターは報復のために地球を飢えさせ、ナチュラルは再び彼らを絶滅させようとした。憎しみは憎しみを生み、遺伝子の違いというただ一点において、私たちは殺し合いを続けたのです。私もまた、その戦火の中で多くを失い、傷つき、戦うこと以外の生き方を知りませんでした」
ルナマリアは自身の膨らみ始めたお腹に、そっと手を当てた。
「ですが、私はこのザンスカールで、マリア陛下の慈愛に触れ、そしてルース大公家をはじめとする皆様のぬくもりに救われました。今、私の胎内には、新たなる命が宿っています。この子は、コーディネーターの血と、この帝国の未来を担う血を引く子供です。私は、この子にあの『血のバレンタイン』のような、狂気と憎しみに満ちた世界を見せたくはありません」
彼女の言葉には、一人の母親としての、そして戦争を生き抜いた一人の人間としての、絶対的な説得力があった。
「ナチュラルの犯した過ちも、コーディネーターの犯した過ちも、全ては『互いが違うこと』を恐れた結果です。しかし、私たちはもう同じ過ちを繰り返さない。人類平等法は、その恐怖を克服するための光です。私たちは遺伝子の壁を越え、一つの人類として、この広大な宇宙を共に生きていくのです。あの悲劇の血を、今度こそ、未来を育む愛の泉へと変えてみせましょう。それが、この時代を生きる私たちの、未来の子供たちへの責任なのです」
ルナマリアが演説を終え、深く頭を下げた。
一瞬の静寂の後、議場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
カガチ派の貴族たちさえも、彼女の圧倒的な覚悟の前に、ただ黙ってその姿を見つめるしかなかった。
私は隣にいるキラの手を握りしめた。
キラもまた、私の手を強く握り返してくれた。
私の腹の中で、8人目の我が子が、力強く蹴るのを感じた。
宮廷の争いは、これからも形を変えて続くだろう。カガチ派の燻る火種も、完全に消えたわけではない。
だが、この人類平等法と、ルナマリアの覚悟がある限り、私たちの子供たちが進む未来は、かつてのコズミックイラのような、血のバレンタインを繰り返す暗黒の世界ではないはずだ。私はお腹の子供に、心の中で語りかけた。
――安心して生まれてきなさい。
この母と父が、そしてこの国が、お前たちの世界を守ってみせるから。
大公としての冷徹な仮面の裏で、私は確かな勝利の確信に浸っていた。