ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜 作:ロドニー
「カテジナ・ルース大公、毒殺未遂――!」
その報せがサイド2・1バンチコロニー、否、ザンスカール帝国の全貴族社会を駆け巡った時、特権階級の面々は誰もが内心で快哉を叫んだ。
旧世紀の遺物たる大貴族の血を引きながら、マリア女王の義妹となり、あろうことか地球圏の完全平定を推し進める軍の開発局長。
あの冷徹な「赤の女王」が消えれば、再び貴族たちの平穏な利権が戻るはずだった。
カガチ派の過激派が動いたという噂に、誰もが己の取り分を算段していたのだ。
だが。
「……カテジナ大公は無事。さらに、第八子フユミ様を無事出産されたとのことです」
「な、何だと……!?」
「それだけではありません! 本日、貴族議会に緊急召集がかかりました。拒否権は一切認められない、と」
冷水を浴びせられた貴族たちの顔から、血の気が一気に引いていく。
さらに最悪の追撃がもたらされた。
「カ、カガチ派の重鎮どもが……全員、木星へ逃亡しました! 毒殺の手引きが露見したため、昨夜のうちに高速艇で地球圏を脱出した模様です!」
「馬鹿なッ! 我らを見捨てて逃げただと!?」
騒然となる議事堂。
貴族たちは顔を真っ青に染め、互いに責任をなすりつけ合うように視線を彷徨わせた。
つい半年前、地球圏最後の手強い抵抗勢力であったオーブ連合首長国が、兵糧攻めによる飢餓の末に無条件降伏したばかりだ。
これによりザンスカールによる地球圏の完全平定は成し遂げられた。
さらに、つい先週可決されたのは、ナチュラルとコーディネーターの不毛な争いを根底から禁じる「人類平等法」。
このあまりにも急進的で絶対的な法を突きつけられ、特権を縛られた貴族たちは不満を爆発させていた。
カガチ派の暴挙は、その歪んだ反発の極致だったのだ。
重々しい扉が左右に開く。
議場に姿を現した一団を見た瞬間、数千人の貴族たちが一斉に息を呑み、座席に釘付けになった。
「……静粛に」
中央を進むのは、マリア・ピァ・アーモニア女王。
その傍らには、義兄であるクロノクル皇太子と、その妃となったルナマリア皇太子妃。
そして、彼らの先頭に立って歩を進める人物に、全員の視線が恐怖と共に注がれる。
カテジナ・ルース大公。
彼女は貴族の豪奢なドレスではなく、仕立ての硬いザンスカール帝国軍中将の軍服を身にまとっていた。
凛とした足取り、いささかの揺らぎもない背筋。だが、議場の誰もが知っていた。
彼女が出産したのは、わずか「三日前」の出来事であるという事実を。
カテジナが演壇に立ち、冷徹な瞳で議場を見下ろした。
その瞬間、文字通りの「圧」が空間を支配した。
目に見えない重圧、精神を直接押し潰すような凄まじいニュータイプのプレッシャーが、全方位に向けて放射されたのだ。
ひ弱な貴族たちの中には、呼吸を忘れて椅子からずり落ちそうになる者すらいた。
「皆様、随分と私の顔を凝視されるのですね。産後の肥立ちを心配してくださるほど、我が議会は友愛に満ちていたかしら?」
鈴を転がすような、しかし極寒の氷壁を思わせる声が議場に響き渡る。
カテジナはふっと目を細め、声音を一段と低くした。その瞳の奥には、裏切り者たちへの激しい怒りが、猛火ではなく絶対零度の憎悪として燻っている。
完全にブチギレていた。
「オーブの降伏から半年、人類平等法の可決から一週。この極めて重要な転換期に、己の利権のために毒を盛る不届き者がいた。……さらに滑稽なことに、その首謀者どもは罪を恐れて木星へと尻尾を巻いて逃げ出した。木星帝国を頼る腹積もりでしょう。我が国を、この地球圏を足蹴にして逃げたネズミどもを、私は絶対に許さない」
カテジナの手が、演壇の木をミ切るような音を立てて掴む。プレッシャーがさらに膨れ上がり、議場全体が悲鳴を上げるように軋んだ。
「本日の議題はただ一つ。地球圏の安寧を脅かす不確定要素、および逃亡した反逆者どもの身柄を拘束するための、――『木星帝国討伐に関する大遠征』の出撃許可、および総動員承認です」
「な、大遠征だと!?」
一人の貴族が恐怖に耐えかねて叫んだ。
「木星への遠征など、どれほどの距離と補給線が必要か分かっているのか! 地球圏が平定されたばかりの今、軍を動かせば財政が立ち行かなくなる! それに、オーブの戦後処理はどうするのだ!」
カテジナは冷笑を浮かべ、その貴族を冷たく射抜いた。
「オーブの心配かしら? 殊勝なことね。ですが、ご心配なく。現在、オーブは我がルース大公家が『私費』を投じて復興の最中。本日この場に姿はありませんが、私の寄子であるカガリ・ユラ・アスハ子爵が、故郷の地で自ら重機のハンドルを握り、陣頭指揮を執って復興作業に勤しんでいます。公金には一切、手を付けていません」
「う、く……っ」
「文句は言わせない。否、言わせる余地などないのですよ。……賛成の方挙手を。言っておきますが、反対、あるいは棄権を投じた家閥は、カガチ派の逃亡を幇助した反逆者と見なし、即座に大公家の私設憲兵隊が籍を削りに伺います」
それは、民主主義の皮をかぶった絶対的な脅迫だった。
青ざめた貴族たちの手が、ガタガタと震えながら一斉に上がっていく。
全会一致。
反逆者への怒りと狂気を孕んだカテジナのプレッシャーの前に、貴族院は完全に屈服した。
場所は変わり、ザンスカール帝国軍最高司令部の大作戦会議室。
先ほどの貴族議会とは打って変わり、ここには前線の叩き上げや開発局の高官たちが集まっていた。
だが、室内の空気の重さは議場以上だった。
大遠征の可決。
その決定に、軍令部の将官たちは頭を抱えていた。
「無茶だ……いくら議会を通したからと言って、木星への大遠征など軍の補給能力を遥かに超えている。開発局長たるカテジナ中将は、一体何を考えておられるのだ」
「カガチ派への私怨に駆られたか? いや、あのお方はそんな愚行はせんだろう。だが現実問題として、航続距離と戦力が……」
「――本当に、我が軍の戦力をその程度だと思っているのですか?」
静かに会議室の扉が開き、カテジナ中将が入室してきた。その後ろには、影のように付き従う一人の男の姿がある。
開発局長側付き技士、キラ・ルース大佐。
かつて地球連合やオーブで伝説的なMSパイロットとして恐れられ、旧姓をキラ・ヤマトといった、カテジナ大公の「配(夫)」である男だ。
彼は物静かな佇まいで、妻であるカテジナの一歩後ろに控えている。
さらに、その横にはファラ・グリフォン中将が腕を組んで突っ立っていた。
彼女は何も言わず、ただ面白そうに軍令部の狼狽ぶりを黙って聴いている。
「カテジナ中将……! しかし、木星までの補給線は――」
「あなた方は、我が開発局がこの数年間、何をしてきたか全く理解していないようですね」
カテジナは卓上のホログラフ・プロジェクターを起動させた。
そこに映し出されたデータ群を見て、将官たちの目が点になった。
「3年前、オーブが無条件降伏した際、我が大公家の私設MS隊がすでに実戦投入していた機体を覚えているかしら?」
画面に映し出されたのは、異形の超巨大モビルアーマー。
「……ドッゴーラ改の後継機種、『サイコミュ搭載型超巨大MA・ドッゴーラⅡ』。そして、半年前にロールアウトした『ストライクフリーダムガンダムⅡ』」
軍部の高官たちが、一斉にキラ・ルース大佐の顔を見た。
キラは穏やかに微笑むだけで、何も語らない。
「動力の複数直列配置技術……そして、失われていたはずの『ミノフスキードライブエンジンⅡ』の技術の完全なる復活。これらをもたらしたのは、私の愛しい夫、キラ・ルース大佐よ。彼が我がルース家に迎い入れられてからの13年間、開発局で何を造り上げてきたか。軍部は今更気づくべきだったのよ。私を怒らせた代償がいかに高くつくかをね」
カテジナの声には、未だ毒殺未遂と裏切りに対する怒りの残滓(ニュータイプの威圧)が籠もっている。
ホログラフの画面が切り替わる。
「さらに、半年前のオーブ制圧時に接収した、アークエンジェル、エターナル、ミネルバの3隻。これらに施された『超近代化改修』の意味を、まさか単なる鹵獲艦の再利用だと思っていなかったでしょうね?」
「な、何ですと……?」
「アドラステア級ネームシップ『アドラステア』の、あの象徴たる巨大タイヤすら撤去してまでの大改装。すべては、この木星遠征――否、地球圏の外縁までをも完全に平定するための布石。これらの戦艦には、すべてミノフスキードライブエンジンⅡが組み込まれています」
将官の一人が、震える指で画面を指差した。
「量産機のデータが、異常な数値を叩き出しています! これは……」
「キラが13年前、ザンスカール帝国の試作機として開発途中にあった、私の本来の専用機『ゴトラタン』。サイコミュ搭載型だったあの機体をベースに、サイコミュを廃止して一般兵用へとデチューン……いえ、洗練させた量産機。それがこの『量産型ゴトラタン』よ。サイコミュを廃止した代わりに、出力はドッゴーラⅡ並みの超高出力を誇る。これがすでに数千機規模で配備可能となっているわ」
カテジナは傲然と言い放ち、キラを振り返った。
「そして、キラが13年の歳月をかけて造り上げた、彼の専用機『ストライクフリーダムガンダムⅡ』。……それと完全に同じ動力出力、同じ装甲スペックを誇り、単機でコロニーレーザー砲並みの破壊力を有する武装を継承させた、カテジナ・ルース専用機――真紅に染められた『ゴトラタンⅡ』。これが、私の新しい足よ」
「……さらに」
今まで黙っていたファラ・グリフォン中将が、妖艶な笑みを浮かべて口を開いた。
「アタシの『ザンネック』もね、キラの大佐殿の手によって、動力と装甲、そしてザンネックキャノンが大幅に強化された後継機種『ザンネックⅡ』として生まれ変わってんだよ。補給の心配? つまんないこと言ってんじゃないよ、お偉方」
「しかし! 物資の絶対量が足りん! 弾薬や推進剤はどこから補給する!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、カテジナが冷たい笑みを深くした。
「ミノフスキードライブエンジンを搭載したマザー級新型補給艦が、現在複数建造中。そして――すでに『20隻』が就役済みよ。ベースとなったのは、かつて木星圏で暗躍したという伝説の宇宙海賊の海賊船、アサシネイター……『マザー・バンガード』のデッドコピー、およびその発展型よ」
至れり尽くせり、どころではない。
すでに開発局は、地球圏を飛び出し、木星を丸ごと消し去るだけの軍備を独占的に整えていたのだ。
軍部が知らぬ間に、ルース大公家の私費と開発局の特権によって。
「素晴らしい……完璧な布陣だ。これならば木星など敵ではない」
一人の将官が、カテジナの圧倒的なプレッシャーと提示された戦力に屈し、へつらうように呟いた。
だが、その平穏は会議室の隅から上がった声によって破られる。
「――ふざけないで。そんなハリボテの艦隊、木星に着く前に自滅するわよ」
凛とした、しかし怒りを孕んだ女性の声。
全員の視線が集まる。
そこに立っていたのは、アドラステアの新艦長に就任したばかりの女性――ベラ・ロナ准将。
かつて、コスモ・バビロニア抗争ではセシリー・フェアチャイルドと名乗り、木星帝国戦役でベラ・ロナの名で、その『マザー・バンガード』の艦長を務めていた、カテジナにとっては数少ない恩人の一人であった。
毒殺未遂の報を聞き、キレた彼女は自ら志願してアドラステアの艦長へと納まっていたのだ。
「ベラ准将、言葉を慎みなさい!」軍令部が咎めるが、ベラは引かない。
「慎むのはそっちよ! 超近代化改修されたアークエンジェル、エターナル、ミネルバ……武装のシステムも、出力の桁も変わり果てているのよ!? たとえあの艦(ふね)たちに慣れた元の乗組員たちを呼び戻したとしても、このじゃじゃ馬たちを完全に乗りこなすには、最低でも『二ヶ月』の慣熟訓練が必要よ! カテジナ、あんた毒を盛られて頭まで狂ったの!? 産後三日の体で、そんな焦り方をして……!」
「……セシリー」
カテジナの目が据わる。
室内のプレッシャーが、ベラの一言によって一気に鋭さを増した。
二人のニュータイプの視線が空間で激突し、火花が散るような錯覚を周囲に与える。
キラがそっとカテジナの肩に手を置いた。
「……カテジナ。セシリーさんの言う通りだよ。僕たちが造った兵器は強力すぎる。乗る人間がついてこれなければ、ただの鉄屑だ。君の怒りは解る。だけど、完璧な勝利のために、ここは時間を置くべきだ」
夫の静かな、しかし確かな制止の言葉。
そして、恩人であるセシリーの命がけの反発。
カテジナは深く、長く息を吐き出した。
爆発寸前だったニュータイプのプレッシャーが、徐々に彼女の体内に収束していく。
「……分かったわ。セシリー、あなたの具申を受け入れます」
カテジナは冷徹な、しかし理性を完全に取り戻した軍局長の顔に戻っていた。
「アドラステア、アークエンジェル、エターナル、ミネルバ。そして量産型ゴトラタン隊。――これより二ヶ月間、全軍を挙げた『大規模慣熟訓練』を課します。もちろん、私とゴトラタンⅡ、そしてファラのザンネックⅡも、その訓練に同行するわ。……首を洗って待っていなさい、木星のネズミども。二ヶ月後、あなたたちの世界を、一片の塵も残さず焼き尽くしてあげるわ」
カテジナ・ルースの宣戦布告。
それは、木星帝国の終わりを告げる、あまりにも美しく残酷な狂気のカウントダウンの始まりだった。
カテジナ大公から直々に叩き込まれた淑女教育は、思い出すだけでも冷や汗が出るほど苛烈なものだった。
礼儀作法、歩き方、言葉遣い、果ては貴族としての政略的思考に至るまで。
かつて「オーブの獅子」の娘としてお転婆の限りを尽くし、ドレスを嫌ってパイロットスーツで戦場を駆け回っていた私にとって、それは拷問に近い日々だった。
結果は赤点ギリギリ。
それでも「合格」の二文字をあの冷徹な大公から毟り取れたのだから、自分を褒めてやりたいくらいだった。
しかし、一息つく間もなく、私は目の前に出現した「現実」に言葉を失うことになった。
「――以上が、カテジナ大公閣下より預かりました、カガリ様への『当面の生活費および復興資金』にございます」
感情を完全に排した声でそう告げたのは、ルース家の執事服を完璧に着こなしたイザーク・ジュールだった。
かつてザフトの精鋭として戦場を駆り立て、オーブ降伏時に共に投降した男。
戦後の飢餓で死にかけていたところを救われ、その後、何があったのかメイリンに説得され、今やルース家の執事として頭角を現している。
その実力と知識で、あの苛烈なルース七姉妹すら泣かせるという、ある意味で一族の天敵のような男だ。
彼がパチンと指を鳴らすと、控えていた部下たちが次々と黒いアタッシュケースを運び込んできた。
机の上、床の上、部屋の四隅にまで積み上げられていくケース。
その一つが目の前で開かれる。
眩いばかりの黄金の輝きが、室内の照明を反射して私たちの顔を照らした。
ぎっしりと敷き詰められた金塊の山。
「おい、イザーク……これ、は……」
「金塊にございます。時価総額に換算いたしますと、オーブがかつて国として存在していた頃の、概ね十年分の国家予算に相当いたします」
「じゅう、ねん……っ!?」
私は椅子から転げ落ちそうになった。
十年分の国家予算? 国家一つを十年間、何不自由なく運営し、軍備を拡張し、インフラを維持できるだけの額を、アタッシュケースに詰めて持ってきたというのか。
「な、何かの間違いではないのですか、イザークさん!?」
私の後ろで、思わずといった風に声を上げたのはラクス・クラインだった。
ザンスカール帝国にオーブが降伏した後、彼女は刑務所に収監されていた。
あのメサイアの決戦でキラが捕虜にされてから十三年。彼女は護送中に、キラとカテジナ、そしてルース七姉妹が家族として睦まじく歩む姿を遠目に見ただけで、ずっと孤独に耐えてきた。
五年未満の刑期だったため、恩赦でようやく出所し、今は私の秘書官を務めてくれている。
そしてもう一人、同じくプラント陥落時に捕らえられ、残りの刑期が二年というところでラクスと共に恩赦で出所したエザリア・ジュール。
イザークの実の母親である彼女もまた、実の息子の壮大な仕切りと、提示された金額の異常さに、開いた口が塞がらない様子で固まっていた。
「間違いではございません、ラクス様。これは全てルース家の私費。カテジナ閣下の個人財産の、ほんの極一部に過ぎません」
「極一部……。ルース大公家の財力は、一体どうなっているの……」
エザリアが頭を抱えるようにして呟く。
「それで、イザーク。カテジナは私にこれを渡して、何を企んでいるんだ? まさか、これで兵を集めてザンスカールに反旗を翻せとでも言うんじゃないだろうな」
私が眉をひそめて問うと、イザークは小さく溜息をつき、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「滅相もない。閣下からの伝言はシンプルにございます。『これを持ってさっさとオーブに降り、オーブ復興の陣頭指揮を執れ。間違っても、ザンスカール帝国の貴族議会には顔を出すな』とのことです」
「議会に出るな? なぜだ。今、議会はカガチ派の連中が木星へ逃げ去った件で大荒れのはずだろう」
ザンスカール帝国を揺るがす大事件が起きていた。
フォンセ・カガチやタシロ・ヴァゴといったカガチ派の一派が、大公の目を盗んで木星帝国へと逃亡したのだ。
現在、貴族議会では、彼らを討伐するための木星出撃許可の裁可を巡って激しい議論が交わされている。
そして何より、カテジナ大公が激怒している最大の理由があった。
カガチ派の連中は、カテジナが妊娠中であった時期に、彼女に毒を盛るという暴挙に出たのだ。
幸いにも、八女であるフユミは無事に産まれて一命を取り留めたが、愛娘と己の命を狙われたカテジナの怒りは、今や天を突くほどに燃え盛っている。
「閣下は現在、文字通り『ブチギレ』ていらっしゃいます。その身から放たれるニュータイプの強力なプレッシャーは、常人が近づけば精神を崩壊させかねないほどに苛烈なもの。ニュータイプ能力を持たないカガリ様がその場にいれば、最悪の場合、プレッシャーに圧し潰されてショック死しかねません。これは大公閣下なりの、カガリ様への『配慮』にございます」
「配慮……ね。あの人が言うと、脅迫にしか聞こえないがな」
私は苦笑するしかなかった。
だが、その配慮の裏にある恐怖は本物だろう。
あのカテジナ・ルースが本気で怒り狂っている戦場や議会など、私のようなオールドタイプが足を踏み入れていい場所ではない。
ルース七姉妹の面々も、その木星討伐戦への出撃準備のために誰もここには来られないのだという。
天敵であるイザークがここにいるのも、彼女たちが遠征で不在だからこそだった。
「わかったよ。カテジナの無茶振りには慣れている。議会はあの人に任せて、私は私の故郷を、オーブを何とかするさ。……ラクス、エザリア。行こう、私たちの国へ」
「はい、カガリさん。どこまでもお供いたします」
ラクスが静かに、しかし決意を秘めた目で頷いた。
半年ぶりに降り立ったオーブの地。
シャトルから一歩外へ出た私たちは、その光景に目を見張った。
「……え?」
思わず声が漏れた。
かつて、ザンスカール帝国の猛攻を受け、海上封鎖の折には激しい空爆によって破壊し尽くされたはずの島々。
防衛戦の折に撃墜され、無残に転がっていたはずのオーブ軍のモビルスーツの残骸。
それらが、一切、影も形もなくなっていた。
「綺麗……ですね。住宅街も、まるで何事もなかったかのように立ち並んでいます」
ラクスが周囲を見回しながら、信じられないといった様子で呟く。
通りを行き交う住民たちの表情にも、かつての悲壮感や飢餓の影は見られなかった。
それどころか、復興の活気に満ちている。
「ザンスカール帝国軍の駐留部隊が、ある程度は復興を進めていったらしいな」
イザークが淡々と説明する。
「住民の反発を抑えるための融和政策の一環でしょう。それに、ここの住民はしぶとい。ザンスカールが現れて十三年、民間人までが武器を取って抵抗し、容易には攻め落とせなかった唯一の国が、このオーブなのですから。最終的には兵糧攻めという形での無条件降伏でしたが、ザンスカール史上初、軍事力だけで完全に攻め落とせなかったと判断された土地です。駐留軍も、機嫌を損ねたくなかったのでしょう」
「みんな、戦っていたんだな。私がいない間も……」
胸が締め付けられるような思いと、誇らしさが同時に湧き上がる。
だが、すべてが元通りというわけではなかった。
車を走らせ、かつてオーブの技術の結晶であった山間部のモルゲンレーテ社跡地へと向かう。
しかし、そこにあったのは広大な「跡地」だけだった。
「……酷いな」
「モルゲンレーテ社は、ザンスカール軍によって執拗な爆撃を受けました。技術の流出を防ぐためか、あるいは再武装の芽を完全に摘むためか。現在、ここの社員や研究者たちの多くは、キラ様の部下として召し抱えられています」
イザークの言葉に、ラクスの肩がピクリと跳ねる。
キラ。
私の双子の弟であり、今は開発局局長側付き技士、階級は大佐。
そして、カテジナ大公の夫――大公配となった男。
「キラは……カテジナ様の側で、技術者として生きているのですね」
ラクスの声は静かだった。
怒りも、憎しみもない。
ただ、十三年という歳月の重みと、手の届かない場所へ行ってしまったかつての恋人への、割り切れない想いだけが滲んでいた。
「ええ。キラ様の技術力は、ザンスカールの次世代モビルスーツ開発において不可欠なものとなっています。民間人を戦火に巻き込まないという条件と引き換えに、彼はその腕を振るっている。ある意味では、彼もまた戦い続けているのでしょう」
イザークはラクスを気遣うような素振りは見せず、ただ事実だけを告げた。
それが彼なりの誠実さなのだろう。
さらに車を進めると、かつてアークエンジェルやエターナルといった名だたる名艦が、臨時の発電所として係留されていた場所に辿り着いた。
だが、そこもまた、ただの広大な空き地と化していた。
「船もない、か」
「オーブがザンスカールに無条件降伏した際、接収のためにある程度修理を施され、本国へと回航されました。オーブ軍基地も、軍総司令本部も、ご覧の通りすべて更地です。カテジナ閣下は、オーブに一切の武装をさせる気はございません。それは、今後も変わりません」
イザークの言葉は冷酷な現実を突きつけていた。
オーブはもう、軍事力を持つことは許されない。
牙を抜かれた獅子。
それが今の私たちの姿だった。
「軍隊も、モビルスーツも、研究施設もない。国家予算十年分の金塊があっても、武器を買うことは許されない。……さて、どうしたものかね」
私は更地となった総司令部跡地に立ち、腕を組んで天を仰いだ。
「軍事が駄目なら、平和産業がございますわ、カガリさん」
ラクスが私の隣に並び、穏やかな笑顔を向けた。
「私たちは、戦うためだけに生きてきたわけではありません。この美しい海と、自然が残されています」
「フン、その通りだな」
イザークが鼻で笑いながら、一枚の書類を私の前に差し出してきた。
「カガリ様、かつて貴女はお転婆娘時代、父親に反発して世界を回っていたと聞き及びます。その無駄な行動力と、無駄に広い視野を、少しは役に立ててはいかがですか」
「相変わらず口の悪い奴だな、イザーク。で、これは何だ?」
「一部の砂浜をルース家のプライベートビーチとして買い上げ、同時に周辺を観光資源化する計画書です。軍事基地がなくなったのなら、そこを観光客向けのレジャー施設やリゾート地に変えればいい。武器を作れないのなら、世界中から人を呼び、金を落とさせる産業を興せばいいのです」
計画書を目を通す。
そこには、オーブの豊かな自然をそのまま活かした、壮大なリゾート計画が記されていた。
「観光資源化、か……」
私はフッと笑った。
身体の奥から、かつて失われていた活力が湧き上がってくるのを感じた。
「いいだろう。平和利用なら、私の得意分野だ。お父様に反発して見てきた世界は、伊達じゃないってところを見せてやるさ!」
それからの日々は、怒涛のようだった。
カテジナから押し付けられた十年分の国家予算という名の「私費」は、湯水のように復興へと投入された。
軍事基地の跡地は、最先端のエコホテルや、広大な植物園、海洋研究を兼ねた巨大なアクアミュージアムへと姿を変えていった。
爆撃で荒れ果てた山間部は、自然の回復を待つためのトレッキングコースとして整備され、かつてのモルゲンレーテの技術者たちの生き残りが、今度は「自然エネルギーの循環システム」を構築するためにその頭脳を振るった。
「カガリさん、こちらが来月オープンのリゾートホテルの予約状況です。すでにザンスカール本国、そして周辺の入植衛星からの予約で満室にございます」
ラクスがタブレットを手に、嬉しそうに報告してくる。
彼女の秘書官としての手腕は完璧だった。
かつての歌姫としての知名度と、その清廉なイメージは、オーブが「安全で平和な楽園」であることを世界にアピールする上で、これ以上ない武器になった。
「素晴らしいな。これでまた、オーブの雇用が生まれる。エザリア夫人、物流の方の進捗はどうですか?」
「旧プラントからの定期商船のルートを確保しましたわ。イザークがルース家の名を使って、ザンスカールの臨検を最低限に抑えさせました。あの子も、執事の分際で大した権力を行使するものですわね」
エザリア夫人が誇らしげに、しかし少し呆れたように微笑む。
「あいつは執事っていうより、カテジナの代理人みたいなものだからな。ルース七姉妹を泣かせるだけのことはある」
私が笑っていると、噂をすれば影、イザークがまたしても大量の書類を抱えて部屋に入ってきた。
「カガリ様、ルース家専用プライベートビーチの視察の件ですが――」
「ああ、イザーク。ちょうど良かった。観光計画の第二フェーズについてなんだが……」
私たちの会話は、かつての戦場のような緊迫感はなかったが、国を動かす熱量に満ちていた。
武器を持たない国。
それは一見、脆弱で、他国の慈悲に縋るだけの存在に見えるかもしれない。
だが、私たちは違った。
世界中から人が集まり、世界中の富が循環する場所。
ここを破壊することは、世界中の特権階級の「憩いの場」を奪うことを意味する。
軍事力とは違うベクトルの、絶対的な抑止力。
自然利用の観光資源化計画は、大成功を収め、オーブはかつてないほどの大盛況を迎えていた。
ある日の夕暮れ、私はイザークが「ルース家のプライベートビーチ」として確保した美しい砂浜に立っていた。
茜色に染まる海が、穏やかな波を立てて足元を濡らす。
「綺麗な海だな、カガリ」
背後から、懐かしい、しかしどこか遠くなってしまった声がした。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
白を基調とした、ザンスカール帝国の、しかし軍人とは異なる高貴な意匠の服を纏った男。
「……キラ」
十三年ぶりの、双子の弟との再会だった。
彼の表情は穏やかだったが、その瞳の奥には、多くのものを背負い、多くのものを諦め、それでもなお守るべきもののために生きる、大人の男の光が宿っていた。
「久しぶりだね、カガリ。元気そうで良かった」
「キラ、お前……なぜここに。木星への遠征準備で、カテジナの側にいるんじゃなかったのか?」
「カテジナに言われたんだ。『あなたの故郷が、随分と面白いことになっているわ。一度、見ていらっしゃい』って。フユミも無事に育っているし、少しだけ時間をくれたんだ」
キラは私の隣に歩み寄り、同じように海を見つめた。
「すごいね。モルゲンレーテも、軍の基地もなくなったのに、オーブは前よりずっと輝いている」
「ああ。モビルスーツなんてなくても、私たちは生きていける。お前がカテジナの側で、技術で人を守っているように、私はこの島で、平和で人を守っているんだ」
私はキラの肩を小突いた。かつてのように。
「ラクスには……会っていかないのか? 彼女、お前に会いたがっていたぞ」
キラは一瞬、寂しげに目を細めたが、首を振った。
「いや、会わないよ。今の僕の隣にはカテジナがいて、子供たちがいる。ラクスには、ラクスの人生がある。僕が今更会っても、彼女を縛るだけだ。……ただ、元気で、カガリを支えてくれているなら、それだけで十分さ」
それが、十三年の歳月が出した、彼の「答え」なのだと分かった。
切ないけれど、誰も憎むことのない、静かな決着。
「わかった。お前の言葉、ラクスには上手く伝えておくよ」
「ありがとう、カガリ」
キラは微笑み、踵を返した。
その背中は、かつての気弱な少年ではなく、一国の運命を裏から支える、大公配としての風格に満ちていた。
「おい、キラ!」
私は去り行く弟の背中に声をかけた。
「カテジナに伝えておけ! 十年分の国家予算、きっちり倍にしてルース家に返してやるってな! オーブの底力、舐めるなって!」
キラは振り返らずに、ただ片手をひらひらと振って、シャトルへと戻っていった。
砂浜に残された私は、大きく深呼吸をして、夕日に向かって不敵に笑った。
「さあて……明日も忙しくなるぞ。淑女教育の赤点を取り返すくらい、大儲けしてやろうじゃないか」
カガリ・ユラ・アスハの、そして新星オーブの戦いは、ここからが本番だった。
軍事の火の海を乗り越え、今度は緑と青の楽園として、私たちは世界を魅了し続けるのだ。