ザンスカール帝国のディストピア〜カテジナ・ルースの女王の系譜〜 作:ロドニー
宇宙を蛇のようにうねる超巨大モビルアーマー・ドッゴーラⅡのコクピットは、異様な熱気と、どこか場違いな明るさに包まれていた。
「おっかしいなー。お姉さん、大人なのにこんなに動けないんだ?」
キャノピー越しに広がる漆黒の宇宙を背に、パイロットシートに深く腰掛けた少女――アマテラスは、無邪気な笑みを浮かべながら背後の予備シートを振り返った。
その瞳には、彼女の母親であるカテジナ・ルースから受け継いだ、天真爛漫と残酷さが無垢な光として宿っている。
予備シートに押し込まれ、サバイバルキットから引っ張り出された頑丈なロープでぐるぐる巻きにされているのは、オーブ本国のオーブ沖で撃墜されたゲルググメナースのパイロット、ルナマリア・ホークだった。
「う、あ……っ……!」
ルナマリアは痛みに歯を食いしばり、顔を歪めた。ゲルググがドッゴーラⅡの容赦ない一撃(アマテラスはドッゴーラⅡの腕をハエをあしらう様に軽く振っただけ)を受け、砂浜に叩きつけられた衝撃で肋骨が数本折れていた。
ロープが締め上げられるたびに、骨の軋む激痛が全身の神経を焼き尽くす。
しかし、今のルナマリアを支配していたのは、肉体的な苦痛を遥かに上回る、精神的な絶望と屈辱だった。
ドッゴーラⅡの圧倒的な巨体と、目の前の「幼女」が放つ底知れない異常性に直面した時、ルナマリアの心は恐怖で完全にへし折れていた。
死の恐怖。
その極限状態の中で、彼女は自分がノーマルスーツの内側で醜態を晒してしまったことに気づいていた。
「……ねえ、お姉さん」
アマテラスがふいに対空モニターから視線を外し、鼻を小さくひくつかせた。
そして、心底不思議そうに首を傾げる。
「お姉さん、なんかおしっこ臭いよ? もしかして、怖くて漏らしちゃったの?」
「――ッ!?」
ルナマリアの脳裏が真っ白に染まった。
折れた肋骨の痛みなど、一瞬で吹き飛ぶほどの猛烈な羞恥心が彼女を襲う。
エリートパイロットとしてのプライドも、一人の女性としての尊厳も、この無垢な悪魔の言葉たった一言で木端微塵に砕かれた。
言葉も出ず、ただ顔を真っ赤に染めて涙目を床に落とすルナマリアを、アマテラスは満足そうに見つめる
「いいよ、別に。だって、お姉さんの赤髪が綺麗だし、顔もすっごく可愛いもん! クロノクルおじさまのお嫁さんにぴったり。おじさま、きっと喜んでくれるよ!」
アマテラスがルナマリアを捕虜にした理由は、ただそれだけだった。
戦略的な価値でも、情報収集のためでもない。
一目で気に入った「綺麗なお姉さん」を、自分の叔父であるクロノクルへの『お土産』にする。
その身勝手な幼児のワガママのために、ルナマリアはここに縛り付けられているのだ。
ドッゴーラⅡはオーブ領海を離脱後、何の問題もなく予定の航路を巡航し、やがてその目的地へと到達した。
前方に現れたのは、巨大なリングが幾重にも重なる異形の宇宙要塞――エンジェル・ハイロゥ。
十年前の悪夢の象徴が、当時と変わらぬ禍々しい姿で宇宙に鎮座している。
ルナマリアはその威容を目にしただけで、肌が粟立つような恐怖を覚えた。しかし、それ以上に彼女の背筋を凍らせたのは、直後に始まったコクピット内の通信音だった。
『――こちら、本国司令部。ドッゴーラⅡ、アマテラス。聞こえるか』
メインモニターに映し出されたのは、冷徹な美貌を持つ女性――カテジナ・ルース。
アマテラスの表情が、一瞬で「母親に褒められたい子供」のそれへと変わる。
「ママ! アマテラスだよ! オーブの強行偵察、ちゃんと終わったよ!」
『ご苦労。……それで、首尾はどうだ?』
「うん! ミノフスキー粒子をたくさん撒いたのに、オーブの奴ら、こっちの動きを完全に捉えてた。やっぱり、新型のレーダーを持ってるっていうのは『黒』だよ。バッチリ確認してきた!」
幼女の甘えた声でありながら、報告の内容は極めて的確で、冷酷な軍人のそれだった。
ルナマリアは、この親子の異常性に息を呑む。
しかし、アマテラスの報告はそれだけで終わらなかった。
「あとね、ママ! すっごく良いもの拾ったの!」
アマテラスはシートから身を乗り出し、サブカメラのレンズをぐいと後方の予備シートへと向けた。
モニターの向こうのカテジナの目が、怪訝そうに細められる。
「オーブの新型モビルスーツを落とした時にね、中にいたお姉さんがとっても可愛かったの! だから、クロノクルおじさまのお嫁さんにするために、連れて帰ってきたんだ!」
『……なんですって?』
画面の向こうで、あのカテジナ・ルースが明確に驚愕の表情を浮かべた。
戦況の報告には眉一つ動かさなかった母親が、娘の突飛な、そしてあまりにも身勝手な「戦利品」に絶句している。
「ちょっとおしっこ臭いけど、お顔は合格だよ! 今、ロープでちゃんとおめかししてあるの。おじさま、喜んでくれるよね、ママ?」
無邪気に笑うアマテラスの後ろで、ルナマリアは縛られたまま、ただ屈辱に震えることしかできなかった。
エンジェル・ハイロゥの影が、狂気に満ちたコクピットを暗く染めていく。
ここから始まる、底のない悪夢を予感させるように。
エンジェル・ハィロウの開発局に設けられた、巨大なドッゴーラⅡ専用ドック。
重々しいハッチが開き、巨躯を横たえるようにして機体が滑り込んでくる。
その帰還を待っていたのは、物々しい医療班の列と、そして冷徹なオーラを全身から放つ女性――カテジナ・ルースであった。
カテジナの機嫌は、お世辞にも良いとは言えなかった。実の娘であるアマテラスが、戦場から勝手に「ルナマリア・ホーク」という捕虜を連れ帰ったという。
しかも、あろうことか「叔父であるクロノクルの嫁(仮)」として、だ。
「……やれやれ。義兄さんの嫁だなんて、私は一言も聞いていないのだけれど?」
ドッゴーラⅡのコックピットから、天真爛漫な笑顔で飛び降りてきた娘、アマテラスを、カテジナは冷ややかな視線で射抜いた。
母親譲りのどこか底知れない残虐性を秘めつつも、普段は天真爛漫そのものの娘は、母親の殺気をもろともせずに「ママー!」と手を振っている。
カテジナは医療班にルナマリアの身柄を確保するよう顎で指示を出すと、まずは我が娘の尋問を始めることにした。
「さあ、アマテラス。クロノクル義兄さんの件もそうだけど、どうしてそんな勝手な真似をしたのか、きっちり説明してもらいましょうか」
「えー? だって、叔父様があんまりにもいつまでも結婚しないで独り身だから、ちょっと弄り倒してあげただけだよ?」
アマテラスはケラケラと笑いながら、事もなげに言った。
「弄り倒した?」
「そう! 『お父様とお母様なんて、毎日お家で甘々だよ? お父様は超スパダリで、お母様はそれに対していつも初(うぶ)な反応してて可愛いんだから! 叔父様も可愛いお嫁さんでも貰って、お父様たちの真似っこしたらどうなの?』って、トドメを刺すようにからかってあげたの!」
その瞬間、カテジナの脳裏に、夫であるキラ・ヤマトの顔が浮かんだ。普段は優しく、しかし自分に対しては完璧なスパダリっぷりを発揮して、事あるごとに自分を甘やかし、お姫様のように扱う夫。
そして、それに抗えず、いい歳をして毎回顔を真っ赤にしてしまう不甲斐ない自分――。
「なっ……!、あ、あなた、キラとの私生活をそんな風に……っ!」
カテジナの頬が一瞬で沸騰したように真っ赤に染まる。
先ほどまでの冷徹な冷血女の仮面はどこへやら、完全に「恋する乙女」の動揺を見せるカテジナに、アマテラスはさらに追い打ちをかけた。
「そうしたらね、叔父様、やけくそになっちゃって。『アマテラスが気に入った娘なら、もう誰でもいいから結婚してやる!』って言ったんだよ? ほら、これ証拠!」
アマテラスが勝ち誇ったように懐から取り出した情報端末を再生する。
『――わ、分かった! もううるさい! アマテラス、お前が気に入った娘なら、俺は誰とでも結婚してやる! だからキラとカテジナの惚気話を俺に振るな!!』
ドック内に響き渡る、クロノクルの悲壮感に満ちたやけくそな怒鳴り声。
きっちりと録音された義兄の音声を聞かされ、カテジナは真っ赤な顔のまま、怒りの矛先を一瞬で切り替えた。(キラとの甘い時間をバラされた恥ずかしさ)と、(あまりにも迂闊すぎる義兄への怒り)が混ざり合い、カテジナの背後に凄まじい般若のオーラが立ち昇る。
「……クロノクル義兄さん……。姪の挑発に簡単に乗った挙句、我が家の神聖な夫婦仲をそんな風に叫ぶなんて……。それに、そんな迂闊な言質を取られるなんて、本当に、どこまで愚かな人なのかしら……!」
アマテラスは、母親の怒りが自分から完全に逸れ、哀れな叔父へと向かったのを見て、心の中で「計画通り」と無邪気に微笑むのだった。
娘のアマテラスから預かったボイスレコーダーを片手に、カテジナ・ルースは宮殿の回廊を足早に突き進んでいた。
向かう先は、ザンスカール帝国最高権力者にして、彼女の義姉にあたるマリア・ピァ・アーモニア女王陛下の私室である。
カテジナにとって、義兄であるクロノクル・アシャーの結婚話など寝耳に水だった。
まさか、愛娘のアマテラスが義兄を言葉巧みに弄り倒し、言質まで取ってくるとは夢にも思わなかったが、今は娘の不敵さを褒めている場合ではない。
何よりも先にマリア女王に謁見し、この事態を説明しなければ、全方位に対してあまりにも体裁が不味すぎる。
何せ、渦中のクロノクルはマリア女王の実弟なのだから。
「陛下、カテジナにございます。夜分に失礼いたします」
静まり返った私室の扉を叩くと、中から入室を許す厳かな声が響いた。
扉を開けると、そこには日中の公務から解放され、寛いだガウン姿のマリアがいた。
しかし、カテジナのただならぬ気配を察し、その慈愛に満ちた瞳を細める。
「カテジナ? こんな時間にどうしたのです。何か緊急の事態でも?」
「はい、陛下。……実は、私どもの娘、アマテラスがとんでもない『やらかし』をいたしました」
カテジナは深く息を吐き出し、預かってきたボイスレコーダーを机の上に置いた。
再生ボタンを押すと、スピーカーからアマテラスの小悪魔めいた声音と、それに完全に翻弄され、情けない声を上げるクロノクルの音声が流れ出す。
「……クロノクル。あの子は、あの子というやつは……! 姪にここまで言いくるめられて、何を醜態を晒しているのですか!」
「陛下、お怒りはごもっともです。ですが、問題はこれだけではありません。アマテラスはさらに、オーブ沖の戦闘において、反組織のパイロットであるルナマリア・ホークという娘を独断で捕虜にして連れ帰ってきております」
カテジナは淡々と事実を告げた。
マリアはこめかみを押さえ、深い溜息をつく。
「捕虜、ですか……。反逆者など、本来であれば即座に処刑、あるいは厳罰に処すべきですが、アマテラスのこの件といい、どう処理したものか……」
その時、カテジナの脳裏に電撃のような閃きが走った。
冷徹で、合理的で、そして何よりも目の前の状況を最大限に利用するための、最悪にして最良のアイデア。
カテジナの唇が、自然と歪な弧を描く。
「――いえ、陛下。死刑にするなど、むしろ生ぬるい。いっそのこと、あのルナマリアという娘、義兄クロノクルの『嫁』にしてしまってはいかがでしょうか?」
マリアが怪訝そうに眉をひそめた。
「嫁に? 反組織の人間を、女王の弟の妻にするというのですか?」
「左様にございます。これは極めて有効な政治的カードとなります。現在も頑強に抵抗を続けるオーブに対し、『お前たちの英雄は、我が帝国の軍門に下り、皇族の妻となった』と降伏を促す、これ以上ない冷酷な警告となりますわ」
カテジナは一歩歩み寄り、言葉を重ねる。
その瞳には、かつての戦火の中で培われた狂気と、冷徹な計算が宿っていた。
「それに、あのルナマリアという娘も『コーディネーター』。素質は保証されています。義兄との間に子供が生まれれば、私の娘アマテラスと同じように、帝国を背負って立つ優秀な血統が手に入るというものです。敵の血を交え、我が帝国の苗床とする……これほどの屈辱はありますまい?」
カテジナの提案を聞き、マリアはしばらく目を閉じて思考を巡らせていた。
弟の迂闊さへの制裁、オーブへの精神的占領、そして帝国の血統強化。
すべてにおいて、理にかなっている。
「……分かりました。クロノクルのあの締まりのない態度にも、良い薬でしょう。カテジナ、その婚姻を認めます。あの愚弟に、相応しい責任を取らせなさい」
マリア女王の冷徹な許しが出た。
「御意にございます、陛下。すべては帝国の御名において」カテジナは深く一礼し、私室を後にした。廊下に出た瞬間、カテジナは口元を覆い、深く重い溜息を吐き出した。
マリア女王の命令とはいえ、これから自分が手掛けることになるのは、純潔な婚姻などではない。
敵の心を折り、血を啜り、帝国のプロパガンダとして利用するための、悍ましく、残酷極まりない『形だけの結婚式』。
「ふふ……、面白いことになりそうだわ。ねえ、クロノクル、ルナマリア……」カテジナはボイスレコーダーを握り締め、暗い悦びに満ちた足取りで、狂気のウェディングプランを練り始めるのだった。
アマテラスとクロノクルの壮大な「やらかし」の余波は、想像もしない方向から私を追い詰めていた。
「アマテラスが気に入った娘なら結婚してやる」
などという、義兄クロノクルの迂闊極まる発言が録音されたボイスレコーダー。
その存在だけでも頭が痛いというのに、私には致命的な失念があった。
アマテラスがクロノクルを執拗に弄り倒すその背後で、私の夫であるキラが発揮した凄まじい「スパダリ」っぷり。
そして、それに文字通り翻弄され、初(うぶ)で真っ赤な反応を晒してしまっている私自身の声までもが、バッチリそこに記録されていたのだ。
しかもアマテラスは、それをクロノクルへの自慢のネタとして嬉々として弄り倒していた。
最悪なことに、そのすべてを女王マリアは聞いていたのである。
クロノクルとルナマリアの、ある意味で残酷な結婚式の手続きが決まり、「内容をそなたが決めるように」とマリア女王に告げられて、私は心底ホッとして女王の私室を退出しようとした。
完全に油断していた。
「――待ちなさい、カテジナ」
背後からかけられた声に、背筋が凍りつく。
振り返ると、マリア女王は見たこともないような楽しげな笑みを、その美しい唇に浮かべていた。
今度は、私が女王陛下から弄られる番だったのだ。
「フフ……随分と可愛い反応をするのね、カテジナ。あのボイスレコーダー、本当に傑作だったわ。キラのあの甘い囁きに、あんなに初々しく悶えてしまうなんて」
「へ、陛下……! それは、その、アマテラスの悪質な編集と申しますか……っ」
顔がカッと熱くなるのが自分でも分かった。
マリア女王はクスクスと鈴を転がすように笑いながら、私に視線を据える。
「キラには『職場ではあまり彼女を甘やかすな、初な反応しかできなくなるようなことはするな』と釘を刺しておいたのだけれど。……そうね、気が変わったわ」
女王の瞳が、悪戯を思いついた子供のように妖しく輝く。
「職場でも、夫であるキラのスパダリぶりに悶え、初な反応を隠せない貴女。そんな二人の睦まじい光景を、私も一度この目で観てみたいわね。……いいえ、職場の皆にも、ぜひ見せてあげるべきよ」
それは、私にとって死刑宣告に等しい命令だった。
職場で、部下たちの目の前で、キラの甘やかしに悶える姿を晒せというのだ。
威厳も、上司としてのプライドも、すべてが音を立てて崩れ去る未来が確定した瞬間だった。
マリア女王からの呼び出しを終え、開発局にある自身の執務室へと続く重い扉を押し開ける。
「はぁ……ようやく戻れたわね」
ため息と共につぶやきながら部屋に入ると、そこには私の側付きであり、最愛の夫であるキラ・ルース大佐の姿があった。
彼はデスクのパソコンに向かって熱心にキーボードを叩きつつ、山積みの書類を信じられない手際で分別しているところだった。
キラは私が戻った気配を察すると、すぐに作業を止めて周囲を見回した。
誰もいないことを確認するや否や、その優しい瞳を細めて私に歩み寄ってくる。
「おかえり、カテジナ。顔色が少し悪いよ。マリア女王への中間報告、そんなに大変だった?」
そう言って彼は、私の体を労るようにそっと肩を抱き寄せた。
現在、私のお腹の中には妊娠4ヶ月になる七女が宿っている。体調を考慮して、8ヶ月までは開発局の中将としての職務を全等する予定だった。
しかし、この妊娠が発覚してからのキラのスパダリぶりは、もはや周囲が呆れるほどに拍車が掛かっていたのだ。
ただでさえ普段から完璧で過保護なキラに対し、私はいつも少女のように初々しい反応を返しては悶える日々を送っている。
それが妊娠4ヶ月を迎え、今日のキラのスパダリぶりは限界突破と言える域に達していた。
それもそのはず。
今回のマリア女王への報告は、ただの業務連絡ではない。極秘裏に進められている、
私の義兄であるクロノクルと、捕虜であるルナマリアの結婚式の準備状況に関する報告だったのだ。
当人たちに絶対に知られてはならない極秘任務のストレスと疲れで、私は完全にキャパシティを越えかけていた。
「もう……キラ。そんなに心配しなくても大丈夫よ……っ」
顔を赤らめ、上目遣いで抗議する私。
そんな私の手を、キラは両手で優しく包み込み、そっと指先を絡めてくる。
「大丈夫じゃないよ。カテジナはいつも頑張りすぎるから。ほら、お腹の赤ちゃんも『ママ、無理しないで』って言ってる。今日はもう僕に全部甘えて?」
至近距離で囁かれる極上の甘い声と、熱い眼差し。
「ひゃ、ゃ、やま、キラ……っ! あ、甘えるって、そんな、ここで、は……っ」
完全に狼狽え、顔を真っ赤にして縮こまる私を見て、キラは愛おしそうに目を細め、さらに私を優しく抱きしめて頭を撫でる。
「いいんだよ。誰も見てないんだから。僕の前では、ただの可愛い僕のお姫様でいて」
「〜〜〜〜〜っっ!?」
あまりの破壊力に、私は胸の奥がキュンと鳴り、少女のように悶えるしかなかった。
しかし。私とキラは完全に失念していた。いや、知る由もなかったのだ。
本来、執務室と一般オフィスを遮るはずの頑丈な壁。
それがマリア女王の「ちょっとしたお戯れ(悪意)」命令により、中からは見えないが外からは丸見え、音声もスピーカーで筒抜けの「マジックミラー」に変えられていたという事実を。
その頃、壁の向こう側の開発局オフィスでは、未曾有の大パニックが発生していた。
「お、おい……嘘だろ? あの『烈女』と恐れられるカテジナ中将が……」
「なんだあの可愛い生き物は!? 二度見どころか三度見してもカテジナ中将だぞ!?」
「キラ大佐のスパダリっぷりもヤバいが、中将のあの初々しい反応は何なんだ! 尊すぎて心臓が痛い!」
開発局の部下たちが驚愕のあまり仕事の手を止め、マジックミラーに群がって大騒ぎし始める。
その騒ぎを察知した、開発局所属の女性テストパイロットたちも合流した。
「キャーーーッ! キラ大佐、カッコよすぎる!」
「カテジナ中将、顔真っ赤にして悶えてるわよ! 可愛い! 少女漫画のヒロインじゃん!」
「尊い! 尊死する! もっとやって!」
オフィス中に黄色い悲鳴が響き渡る。
あまりの騒がしさに、ようやく私とキラは異変に気付いた。私が視線を向けた先——いつもは何の変哲もない壁が、なぜか外側のオフィスと繋がっているように微かに光っている。
「え……? 嘘……壁が、マジックミラー……!?」
初めてその事実に気付いた瞬間、私の顔は限界を超えて真っ赤に染まった。
そこに、トドメの一撃が放たれる。
ガチャリ、と普段は使わない執務室の仮眠室のドアが開いた。
そこから優雅に現れたのは、あろうことかマリア女王ご本人だった。
「ふふ、ごちそうさま。実に素晴らしいものを見せてもらったわ、カテジナ、キラ大佐」
「マ、マリア女王……っ!?」
ついに脳の許容量(キャパオーバー)を迎えた私は、全身をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げ、そのまま白目を剥いて卒倒した。
「おっと。危ない、カテジナ!」
倒れる私を、キラが慣れた手つきで優しく、そしてお姫様抱きで完璧に受け止める。
その一連の美しい動作さえも、壁の向こうの女性職員や女性テストパイロットたち、そして目の前のマリア女王にとっては「格好のご馳走」でしかなかった。
「きゃあ! お姫様抱きよ!」
「キラ大佐、気絶した中将を見る目が優しすぎる……!」
「あらあら、本当に仲がよろしいこと」
数日後。
実は、あの場にいた女性テストパイロットの中に、趣味で少女漫画を描いている娘がいたらしい。
彼女はあの「マジックミラー事件」の衝撃と萌えをそのままに、私とキラをモデルにした少女漫画を執筆。
それが開発局の女性職員たちの間で爆発的に広まり、さらには我が家の娘たちの手にまで渡る大ヒット作となってしまったのだ。
そして、週末の休暇。
我が家に、お忍びでマリア女王が遊びにやってきた。
居間には、マリア女王と、何故かその少女漫画を嬉しそうに回し読んでいる我が家の娘たちの姿があった。
「ねえねえ、お母様。このページの『キラ、そんなに急に抱きしめられたら、私……っ』ってセリフ、本当に言ったの?」
「普段からお父様にベタ甘されて赤くなってるお母様、そのまんまだよね!」
「あはは! お母様、顔が漫画みたいに真っ赤になってる!」
娘たちからの容赦ない弄りに、私は言葉もない。
さらに、追い打ちをかけるようにマリア女王が上品に微笑む。
「ふふ、私もその漫画を献本してもらったけれど、本当によく書けているわ。カテジナのあの初々しい愛らしさが、実に見事に表現されているもの」
「う、うぅ……お、お止めください……皆様……」
私は顔を真っ赤にしながら、両手で顔を覆って俯くしかなかった。
隣でキラが「みんな、僕の可愛いカテジナをあまり虐めないで」と私を庇ってくれるが、そのスパダリ発言がまた娘たちの「キャーッ!」という悲鳴を呼び、火に油を注ぐ。
後日、私はさらに恐ろしい事実を知ることになる。
あの少女漫画を描いたテストパイロットが、その後も我が家の娘たちに「普段のお母様の初々しい様子」を綿密に取材し、なんとシリーズ本として続編を次々と出版したのだ。
なぜそんな勝手な出版が許されたのか。裏でそのテストパイロットの「パトロン(後援者)」となり、資金と権力を全面的に出資していたのが、他ならぬマリア女王その人であったという事実を突き止めた時、私は再び執務室で頭を抱えて悶絶するのだった。