ローゼンヴァルトの館〜白薔薇に閉ざされた館を彷徨う、凍りついた涙の物語 作:TatshMusicCircle
R15相当の内容として掲載しておりますので、苦手な方や15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
ただし、切断・欠損・グロテスクな描写、過度な流血表現はありません。
三人を乗せたキャンピングカーは、細い山道を進んでいた。
舗装された道は、すでにところどころ崩れかけている。タイヤが小石を踏むたびに、車体が小さく揺れた。
その揺れに重なるように、イクスの心もかすかに揺れていた。この旅をどこまで続ければいいのか、まだ答えは見えない。
窓の外には、深い森が広がっていた。昼間にもかかわらず薄暗い。霧が地面を這い、木々は空を覆い隠している。
まるで、この森だけが外の世界から切り離されているようだった。
イクスは運転席でハンドルを握り、前方に続く荒れた道を見据えていた。
必要以上に速度は上げない。
少しでも操作を誤れば、ぬかるみにタイヤを取られるか、崩れた道端へ車体を寄せすぎてしまう。
イクスはハンドルを細かく調整しながら、慎重にキャンピングカーを進めていた。
助手席では、レイラが小型端末を操作している。視界の端で、端末の淡い光が彼女の横顔を照らしていた。画面に表示された反応を追うレイラの目は、いつものように鋭い。
イクスは一度、バックミラーへ視線を向けた。
後部座席では、エレノアナが窓の外を見つめている。
深い森を眺めるその横顔は静かだった。けれど、ただ景色に見入っているわけではない。霧に沈む木々の奥に、これから向かう館の気配を感じ取ろうとしているようにも見えた。
「……ずいぶん山奥まで来ましたね」
エレノアナが、静かに呟いた。
車の揺れに合わせて、長い緑髪が小さく揺れる。その頭には、小さなティアラが輝いていた。
まだ少女のあどけなさを残した輪郭。
けれど、その所作には、どこか凛とした高貴さが滲んでいる。
一見すると、争いや危険とは無縁に見える。だが、三人の中で最も躊躇なく危険へ飛び込むのは、彼女だった。
恐怖を知らないわけではない。
それでも、誰かを助けたいという想いだけで、前へ進んでしまう。
イクスやレイラですら止める暇がないほどに。
「地図上では、もう、だいぶ目的地に近づいているわね」
助手席で端末を操作しながら、レイラが答えた。赤いポニーテールが肩の上で揺れる。端末に表示された反応を確認する彼女の目は、いつものように鋭かった。
「反応も、かなり濃くなってきてるわ。この先にあるのが、ローゼンヴァルト伯爵の館で間違いなさそうね」
元・生命工学系の大企業に所属していた研究員。
そして、人間をマテリアルへ変えてしまう技術を発見した天才研究者、ホープの娘。
それが、レイラだった。
ホープが発見したその技術は、本来なら、決して世に出てはならない禁忌だった。
マテリアル。
それは、宝石のように美しく輝く特殊な結晶体。
だが、その正体はただの鉱物ではない。
かつては人間だったもの。
泣き、笑い、誰かを想いながら生きていた人間が、肉体も精神も結晶化され、宝石の姿に変えられてしまったものだった。
さらに厄介なことに、マテリアルは時として常識を超えた現象を引き起こす。
炎を生み出すもの。空間を歪めるもの。精神へ干渉するもの。願いを歪んだ形で叶えてしまうもの。
多くの場合、特別な力は宿らない。だが、美しさで人を惹きつけた女性や、揺るぎない信念を抱いた男性のように、生前の在り方が強く刻まれた者は、唯一無二の効果を発揮するマテリアルとなることがあった。
人を、価値ある宝石へ変える。
その危険すぎる技術は、やがてイクスとレイラがかつて所属していた生命工学系の大企業によって悪用された。
数々の人間がマテリアルへと変えられ、希少な芸術品として、あるいは危険な力を宿した道具として、裏社会へ流れていった。
だが、その本質を知る者は多くない。
多くの人間にとってマテリアルは、ただ美しく、希少で、高価な宝石にすぎない。その奥に、かつて人間だった誰かの心が閉じ込められていることも。
その感情が、現実に異変を起こすことも。
知る者は、ごくわずかだった。
ホープは、その真実を知っていた。
だからこそ、マテリアルを悪用しようとする者たちによって命を奪われた。
ホープは、人をマテリアルへ変える技術を発見してしまった。
だが同時に、その罪を償うかのように、マテリアルとなった人間を救い出す方法も遺していた。
彼が殺された後、レイラは父の遺した記録の中から、もう一つの装置の存在を知った。
キュア。
マテリアルへ変えられてしまった人間を、再び人の姿へ戻すための特殊装置。
そのキュアは今、イクスの腰に装着されている。
三人は、世界各地に散らばったマテリアルを探している。もしそれが人間から変えられたものだと分かれば、キュアを使い、再び人の姿へ戻す。
それが、三人の旅の目的だった。
「ローゼンヴァルト伯爵……でしたよね?」
エレノアナが、窓の向こうの森を見つめたまま言った。
「ええ」
レイラは端末の画面を指で滑らせた。
「昔から、世界中の酒を集めることで有名だったらしいわ。独自のワイン畑まで所有していて、自分の館で酒を造らせていた記録もある」
画面に表示された資料を、レイラはゆっくりと送っていく。
「ワイン、ウィスキー、ウォッカ。皇帝の滴という意味を持つゴッチェ・インペリアルに、エバークリア、スピリタス……酒と呼ばれるものなら、産地も種類も問わず集めていたみたいね」
「お酒、ですか……」
「ただのお酒じゃないわ。中には火がつくほど度数の高いものもある。エバークリアやスピリタスなんて、ほとんど飲み物というより、危険物に近いレベルよ」
「そんなものまで……」
「普通のコレクターってレベルじゃないわ。オークションや闇市場にまで手を出していたみたい」
レイラはそこで一度、画面へ視線を落とした。
「そして、その取引記録の中に、巨大な結晶の売買情報が混ざっていた」
イクスはハンドルを握ったまま、短く言った。
「マテリアルですね」
「ええ」
レイラの声が、少し低くなる。
「記録を見ても、単体のマテリアルとしてはあり得ないほど高額で取引されているわ。最終的に、この館の主へ渡った可能性が高いわね」
ローゼンヴァルト伯爵が、その結晶の本質を知ったうえで手に入れたのか。
それとも、ただ希少な宝石として購入しただけなのか。残された記録だけでは、そこまでは分からない。だが、端末が示す反応は明らかだった。
この館には、マテリアルがある。
そして、その力はすでに周囲へ漏れ出している。
「館全体から、マテリアル粒子が漏れているわ」
レイラが、端末を見つめたまま言った。
「正直、ここまで酷いのは久しぶりね。二年ぶりくらいかも」
「マテリアルなら、影響は館全体に及んでいてもおかしくありません」
「ええ。端末の反応も、ほとんど館全体から出てるわ」
イクスは速度を落とした。山道はますます荒れている。
左右の木々が道へ覆いかぶさり、前方の視界は霧に白く濁っていた。
「危険な場所、ということですよね……?」
エレノアナが小さく呟く。その声に恐怖がないわけではない。けれど、引き返そうとする響きもなかった。
「危険でしょうね」
イクスは静かに答えた。
「だからこそ、慎重に進むしかないな」
その直後だった。
車体が大きく揺れた。
がたん、と鈍い音が響く。
イクスはすぐにブレーキを踏んだ。
キャンピングカーは、森の中の細い道でゆっくりと停止する。
エンジン音だけが低く残り、やがてイクスがそれを切ると、周囲は一気に静まり返った。
前方の道は、倒木と土砂で完全に塞がれていた。地面は崩れ、ぬかるみの中に大きな石がいくつも転がっている。
これ以上、車で進むことはできそうになかった。
「車はここまでですね」
イクスはハンドルから手を離した。レイラが助手席から前方を覗き込み、軽く肩をすくめる。
「そうね。強引に進んだら、帰りにはタイヤが残ってないわ」
彼女は端末を操作し、館までの距離を確認した。
「でも、目的地までは近い。ここから歩けば、そう時間はかからないはずよ」
三人はキャンピングカーを降りた。
外の空気は冷たかった。
霧の湿気が肌にまとわりつき、森の匂いに混じって、かすかに甘い香りが漂っている。
薔薇の匂いだった。
イクスが顔を上げる。
森に囲まれた斜面の上に、石造りの館がそびえている。いくつもの尖塔が曇天へ伸び、縦長の窓にはかすかな灯りが揺れていた。廃墟ではない。けれど、重厚な佇まいには長い年月の影が染みついていて、まるで森そのものと共にそこへ根を下ろしてきた建造物のようだった。
「あれが……ローゼンヴァルト伯爵さんの館」
エレノアナが小さく呟いた。
その声に、森の静けさが重なる。
ホゥ――……。
どこかでフクロウが鳴いた。
レイラは端末を見ながら、館へ続く方向を指差した。
「この先に薔薇園があるわ。そこを抜けるのが一番近いみたい」
「薔薇園……ですか」
エレノアナが少しだけ表情を和らげた。
「こんな森の奥に、薔薇園があるんですね」
「伯爵の道楽でしょうね。珍しい酒に、巨大な館、それに薔薇園。お金の使い道に困った大富豪って感じだわ」
レイラがそう言いながら歩き出す。
イクスは周囲を警戒しながら、その後に続いた。
三人の前には、静かな庭園が広がっていた。
石畳の道は館へ向かってまっすぐ続き、その両側には低い鉄柵が並んでいる。
そして、その周囲を埋め尽くすように、白い薔薇がいくつも咲いていた。
赤ではない。
薄紅でもない。
ただ、白。
霧を吸い込んだような白い花弁が、薄暗い庭園の中で静かに揺れている。だが、その美しさには、どこか生きた花らしさがなかった。造花のように整いすぎていて、氷細工のような冷たさをまとっている。
「綺麗ですね……」
エレノアナが思わず足を止めた。
「こんな森の奥に、こんなにたくさんの薔薇が咲いているなんて」
「綺麗、ねぇ……」
レイラは少し眉をひそめる。
「あたしには、ちょっと不気味に見えるけど。そもそも、これだけ薔薇が咲いている時期じゃないはずよ。手入れされてるみたいなのに、人の気配もまるでないわ」
レイラが視線を落とした瞬間、白薔薇の蔓が彼女の足首へ絡みついた。
「ちょっと、なにこれ!」
細い蔓には、小さな白い棘がびっしりと並んでいた。
普通なら、肌に触れただけで傷がついてもおかしくない。
それなのに、棘はレイラの脚を裂くことなく、ぴたりと沿うように絡みついてくる。まるで、傷つけるつもりはないとでも言うように。あるいは、傷つけずに捕まえる方法を知っているかのように。
細い蔓は、まるで酔っ払った客が服の裾をつかむように、しつこくまとわりついてきた。
一本だけではない。
二本、三本。
白い花を揺らしながら、蔓がレイラのふくらはぎへ這い上がっていく。
「ちょっと待って、なにこの絡み方! 妙に馴れ馴れしいんだけど!」
レイラは顔をしかめ、足を振った。しかし蔓は離れない。痛みはない。だからこそ、余計に気味が悪かった。
むしろ、さらに別の蔓が伸びてきて、太もものあたりへまで絡みつこうとした。
「んもうっ、そこまで来るんじゃないわよ!」
レイラは片足を持ち上げると、絡みついてきた蔓を少し乱暴に踏みつけた。
ぐしゃ、と白い葉が石畳に潰れる。蔓は驚いたように震え、すぐに足元から離れた。
「レイラさん!」
エレノアナが慌てて声を上げる。
「花にも命があります。乱暴しないでください」
「いや、今のは向こうから絡んできたでしょ!」
レイラはまだ足元を警戒しながら言った。
「しかも足から太ももまで、妙に馴れ馴れしく! 完全に変な絡み方だったわよ!」
「でも、悪気があったとは限りません」
「悪気がなかったら余計にタチ悪いわよ……もう、最悪」
レイラがそう言う間にも、白薔薇の蔓は、今度はそろそろと距離を測るように揺れていた。
踏まれたせいで少し怯えたのか。
それとも、まだ隙を狙っているのか。
イクスはその場にしゃがみ込み、地面を這う白薔薇の蔓を見つめた。
「普通の植物は、自分の意思で人へ絡みついたりしません」
「そりゃ、そうでしょうね」
レイラが即答する。
「まともな薔薇なら、あんな馴れ馴れしい絡み方しないわ」
イクスはしばらく黙って、蔓の動きを見つめていた。
風もないのに、白い花弁がかすかに震えている。
「……この庭園全体が、マテリアルの影響を受けているのかもしれません」
イクスは静かに立ち上がった。
「館へ近づくほど、異変は強くなる可能性があります」
エレノアナは白い薔薇を見つめたまま、少しだけ寂しそうに言った。
「この薔薇たちも、苦しんでいるのでしょうか」
「可能性はあるかも。だけど、今は原因を確かめる方が先だと俺は思う。館へ向かおう」
そう言って、イクスは館へ続く石畳の道へ視線を向けた。
レイラは足元の蔓を睨みながら、太ももにかかった赤い腰布を軽く払った。
「まったく。館に入る前からこの調子って、嫌な予感しかしないわね」
「でも、あの中にマテリアルへ変えられてしまった人がいるなら……」
エレノアナが顔を上げる。
その瞳には、はっきりとした意志が宿っていた。
「助けないといけません」
柔らかな声だった。だが、その言葉に迷いはない。
「結晶のまま閉じ込められている人を、人の姿へ戻すこと。それが、私たちの使命ですから」
レイラが小さく肩を竦める。
「ほんと、エレノアナちゃんって、そういう時だけ異常に勇気あるわよね」
「え?」
「普通、そのタイプの館を前にしたら、一回は警戒して止まるの。でもエレノアナちゃん、毎回真っ先に突っ込むじゃない」
「そ、そんなことありません……!」
「ふふ、レイラさんの言うとおりだよ」
イクスは苦笑した。
エレノアナは慌てて否定しているが、本人には自覚がないだけだ。
実際に、三人の中で誰よりも行動力がある、危険な場所へ踏み込む覚悟も。誰かを救おうとする意志も。
そして、自分が傷つくことを恐れない勇気も。
イクスは、そんな彼女を尊敬していた。年下だということを時々忘れそうになるほどに。
その時。
『――あははっ』
少女の笑い声が聞こえた。
迷いのない、純粋な喜びの声だった。
だからこそ、不気味だった。
何を喜んでいるのか分からないまま、その幼い笑い声だけが霧の奥から響いてくる。
三人の動きが止まる。
一瞬だけ。
幻聴のように。
イクスは無意識に腰の銃へ手を添える。
「……今の、聞こえましたよね?」
エレノアナが小さく呟く。
「ええ。あたしにも聞こえたわ」
レイラが周囲を警戒しながら答えた。
「かなり危険なタイプかもしれないわね。場合によっては、一旦戻って装備を――」
「行きましょう」
即座にそう言ったのは、エレノアナだった。
二人が彼女を見る。
エレノアナは、まっすぐ館を見つめている。
「今の声は笑っていました。でも、なぜか……胸が苦しくなるような声でした」
エレノアナは、まっすぐ館を見つめる。
「もし、あの中に助けを必要としている人がいるなら……私は、見過ごしたくありません」
森の風が吹く。霧が静かに揺れた。白い薔薇の蔓が、三人の背後でかすかに蠢く。
まるで、招き入れるように。
イクスは、森の奥に佇む館を見上げた。
ローゼンヴァルト伯爵の館。
その奥で、一体何が待っているのか。
三人はゆっくりと、館へ向かって歩き始めた。
第1話「白薔薇に閉ざされた館」をお読みいただき、誠にありがとうございました。
『ローゼンヴァルトの館』は全14話。本日より10月24日まで、おおむね2〜3日に一度、19時に更新してまいります。
イクス、レイラ、エレノアナの三人が、この館で何を目にし、どのような結末へたどり着くのか。ぜひ、最後まで見届けていただけましたら幸いです。
また、本作の世界を映像と音楽で描いたアニメOP風MVも公開しております。物語とあわせて、ぜひご覧ください。
本作とイメージリンクする楽曲を収録した音楽CD『Frozen Tears』は、10月25日開催の秋M3にて頒布予定です。
第二展示場1F「あ01ab」
TatshMusicCircle
会場へお越しになれない方に向けて、BOOTH(https://tatshmusiccircle.booth.pm/)および各同人ショップでも事前予約を受け付けております。
物語と音楽、それぞれから広がっていく『ローゼンヴァルトの館』の世界を、どうぞお楽しみください。
Novel Production: TatshMusicCircle
STAFF
Planning & Production: Tatsh
Novel Production Support: kotobuki jugem, Takatano, Kisaichi
Beta Reading: BYAKUYA, Mikan Mika, Izumi Kigawa
Novel Chinese Translation: Lunasakura
CD Design: XTC
Video Production: KOYAMA
Assistant: Lik-K
Video Direction Advisors: chocobakki, OrbitVertex
Mixing & Mastering: GALILEO STUDIO, TatshMusicCircle STUDIO