ローゼンヴァルトの館〜白薔薇に閉ざされた館を彷徨う、凍りついた涙の物語   作:TatshMusicCircle

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12話 白銀のワルツ

 透明度の高い、美しい白い飲み物が、静かに揺れていた。

 

 イクスは、そのグラスから目を離せなかった。

 

 飲んではいけない。

 

 そう分かっている。

 

 レイラも、エレノアナも、あれを飲んだ。

 

 苦しみから解放されたような顔で。

 

 痛みを忘れてしまったような顔で。

 

 けれど、それは救いではない。

 

 違う。

 

 絶対に違う。

 

 イクスはそう思おうとした。

 

 だが、頭の奥に広がる白い霧が、その確信さえ少しずつ鈍らせていく。

 

 足元では白薔薇が揺れている。

 

 レイラは白い花弁の上に横たえられたまま、白薔薇に支えられたグラスから、少しずつ白い飲み物を飲み下していた。

 

 赤い髪が雪のような花の上に広がり、頬には涙の跡だけが残っている。

 

 もう抵抗する力はない。

 

 喉が小さく動くたび、瞳の奥から怒りも悲しみも薄れていく。

 

 エレノアナも、その少し離れた場所で全身を白薔薇に抱かれていた。

 

 長い緑髪が柔らかく広がり、髪から外れたティアラが、主を失ったように白薔薇の上で光っている。

 

 彼女もまた、傾けられたグラスから白い飲み物を飲み続けていた。

 

「ほら、緑のお姉ちゃんも、もっと飲んで」

 

 少女は、楽しそうに首を傾げた。

 

「まだ足りないでしょう?お胸の大きなお姉ちゃんは、上手に飲めてるよ。きれいなお客様は、みんなに喜ばれるの」

 

 その無邪気な言葉に、イクスの背筋が冷えた。

 

 褒めているつもりなのだろう。

 

 もてなしているつもりなのだろう。

 

 けれど、白薔薇に支えられた二人が、少しずつ白い飲み物を飲まされ続けている光景は、あまりにも歪んでいた。

 

 それなのに。

 

 二人はもう苦しんでいない。

 

 レイラの頬には涙の跡だけが残り、エレノアナの瞳からも迷いの色が薄れていく。

 

 痛みも、恐怖も、後悔も届かない場所へ、二人だけが先に沈んでいく。

 

 その事実が、イクスの胸を締めつけた。

 

「最後は、あなた」

 

 少女が言った。

 

 静かな声だった。

 

 その瞬間、白薔薇がざわりと揺れる。

 

 床に倒れていたレイラの指が、ぴくりと動いた。

 

「……レイラさん?」

 

 イクスの声は、かすれていた。

 

 答えたのは、レイラだった。

 

 けれど、その声には、いつもの熱がなかった。

 

 余裕を含んだ明るさも、からかうような甘さもない。

 

 白い糸で喉の奥を引かれているような、空っぽの声だった。

 

「救っても、救っても、終わらない。誰かを助けても、また誰かが苦しむ。マテリアルはなくならない。傷ついた人も、消えた人も、戻らない。この旅はいつ終わるの? もう六年よ」

 

 イクスの胸が、冷たく沈んだ。

 

 その言葉は、レイラの声で言われていた。

 

 レイラの唇が動いていた。

 

 だが、レイラの言葉ではない。

 

 そう分かっているのに、否定しきれなかった。

 

 六年。

 

 その響きだけが、白い部屋の中で重く落ちる。

 

 助けても、助けても、終わらない。

 

 救えなかった人間の顔が、記憶の奥でいくつも浮かんだ。

 

「……やめろ、レイラさんの言葉じゃない」

 

 白薔薇の蔓が、腕を締めつける。

 

 銃に伸ばそうとした指は、もう動かない。

 

 すると、今度はエレノアナがゆっくりと顔を上げた。

 

 緑の瞳は開いている。

 

 だが、その焦点はイクスを見ていなかった。

 

 エレノアナの唇が動く。

 

「イクスさん……もう、頑張らなくていいんです」

 

「エレノアナ……」

 

「ずっと、苦しそうでした。戦って、傷ついて、それでも前に進んで……でも、そんな顔をしてまで、続けなくてもいいんです」

 

 優しい声だった。

 

 優しすぎる声だった。

 

 イクスを責めていない。

 

 逃げてもいいと、休んでもいいと、ただ包み込むように告げてくる。

 

 だからこそ、残酷だった。

 

「だって、苦しい顔をしているイクスさんを、放っておけませんから」

 

 その言葉に、イクスの呼吸が止まりかけた。

 

 エレノアナなら、言う。

 

 本物のエレノアナでも、きっと言う。

 

 目の前で苦しむ人間を見捨てられない。

 

 たとえその救いが間違っていても、手を伸ばそうとしてしまう。

 

 だから、イクスは歯を食いしばった。

 

 違う。

 

 これは違う。

 

 彼女たちの優しさを、白い何かがなぞっているだけだ。

 

 分かっている。

 

 分かっているのに。

 

「んもぅ、仕方ないわね。わたしがお兄ちゃんに飲ませてあげる」

 

 少女が、近づいてきた。

 

 白薔薇が道を開ける。

 

 イクスは目を見開いた。

 

 少女がその白い液体を飲むのだと思った。

 

 だが、違った。

 

 グラスの縁からこぼれた白い液体を、少女は静かに口へ含んだ。

 

 そして、ためらいもなくイクスへ顔を近づける。

 

「……っ」

 

 逃れようとしても、白薔薇の蔓が体を押さえつけていた。

 

 次の瞬間、少女の唇がイクスの口を塞ぐ。

 

 冷たい感触。

 

 甘い香り。

 

 白い液体が、少女の口からイクスの口へと流し込まれていく。

 

 イクスは喉を閉ざそうとした。

 

 だが、抗おうとするほど、白い液体は唇の隙間からじわりと入り込み、舌の奥へ、喉の奥へと落ちていく。

 

「……ん、っ……!」

 

 声にならない息が漏れた。

 

 飲みたくない。

 

 そう思ったはずなのに。

 

 冷たく甘いその液体は、拒絶する意思ごと、ゆっくりとイクスの内側へ染み込んでいった。

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