ローゼンヴァルトの館〜白薔薇に閉ざされた館を彷徨う、凍りついた涙の物語 作:TatshMusicCircle
「館を調べましょう」
エレノアナが言った。
声は静かだったが、はっきりしていた。
「声の主が、マテリアルになってしまった子なのかもしれません。もしそうなら、きっと助けを待っているはずです」
「助けを待ってる相手にしては、随分な歓迎だけど」
レイラはそう言いながらも、エレノアナを否定しなかった。
「あの声は、子どもよね」
レイラは使えなくなった端末を見下ろし、悔しそうに息を吐いた。
「ガジェットが動けば、もう少し確認できたんだけど……館へ来る前に見た資料の中に、気になる記録があったのよ」
「気になる記録、ですか?」
「ローゼンヴァルト伯爵には娘がいたわ。たしか三十代の女性で、社交界でもかなり有名だったみたい。でも、その娘はある時期から行方不明になって、その後、正式には死亡したことにされていたはずよ」
エレノアナの表情が曇った。
「死亡したことに……」
「それと、その娘には幼い娘がいたという記録も残っていたわ」
イクスは黙って聞いていた。
胸の奥で、嫌な記憶がかすかに動いた。
生命工学系の大企業での研究記録には、美しい女性をマテリアル化した場合、通常では考えられないほど強い特殊能力を宿すことがあると記されていた。
だから彼らは、事故や失踪を装って女性を攫い、実験材料として扱っていた。
人間の美しさも、心も、命も、価値のある資源としてしか見ていない。
平然とそのようなことを行っていた冷たさを、イクスは今も忘れられない。
イクスは一瞬だけ、エレノアナへ視線を向けた。
彼女もまた、かつて人としての姿を奪われ、マテリアルへ変えられてしまった過去を持っている。
キュアによって人間の姿へ戻ることはできた。
だが、結晶の中へ閉じ込められていた時間が、何もなかったことになるわけではない。
だからこそ、イクスはこの館で起きていることを、ただの怪異として片づけることができなかった。
「つまり、あの声の主が……」
エレノアナが小さく呟く。
「まだ決めつけるには早いわ」
レイラはすぐに言った。
「でも、この館に子どもの声が響いていることと、記録に残っていた幼い娘の存在は、気にしておいたほうがいいと思う」
イクスは静かに頷いた。
「確かめる必要があります」
この館で何が起きたのかを知らなければ、マテリアルを見つけることも、救う方法を探すこともできない。
エレノアナは胸元で手を握った。
「はい。もし、その子がまだここにいるなら……私は、絶対に助けたいです」
イクスはホールを見渡した。
左の廊下。
右の廊下。
二階へ続く階段。
どこへ進んでも、戻れる保証はない。
だが、ここに立ち止まっていても状況は変わらない。
「進もう」
イクスは静かに言った。
「扉は開かない。窓も通じない。ガジェットも使えない。今の俺たちにできるのは、この館の中を調べることだけだ」
イクスはホールの奥を見据えた。
「あの声が俺たちを誘っているなら、その先に何かがある。罠だとしても、進まなければ確かめられない」
「了解」
レイラは使えなくなった端末をポーチへしまい、代わりに小型ライトを取り出した。
だが、それも点かない。
彼女は呆れたようにため息をつき、ライトを戻した。
「ほんと、徹底してるわね。仕方ない。館の灯りを信用するしかないか」
「大丈夫です」
エレノアナは二人を見た。
「三人一緒なら、きっと進めます」
その言葉に、イクスは小さく頷く。
レイラも肩を竦めながら笑った。
「そうね。ここで立ち止まってても、お茶も出てこなさそうだし」
レイラは軽く肩をすくめ、ホールの奥へ歩き出した。
その先の壁には、古びた大きな鏡が掛けられていた。
銀の縁取りはところどころ黒ずみ、鏡面も薄く曇っている。それでも、通り過ぎる三人の姿はぼんやりと映った。
イクスは、ふと足を止める。
暗い館の空気の中で、レイラの姿だけが妙に鮮やかだった。
露出度の高い衣装。探索に向いているのかと聞かれれば、たしかに違和感はある。けれど、鏡の中のレイラは少しも萎縮していなかった。
むしろ、その格好も含めて、彼女自身の輪郭をはっきり示しているように見えた。
エレノアナも同じことを思ったのか、遠慮がちに口を開いた。
「レイラさんって……こういう場所でも、いつも通りなんですね」
「なに? この格好のこと?」
レイラは鏡に映る自分を見て、ふっと笑った。
「露出度が高いのは自覚してるわよ。でも、私は自分に似合うものを着てるだけ」
その声には、照れも言い訳もなかった。
「危ない場所だからって、自分らしくない格好をする方が落ち着かないの。それに、このほうが動きやすいし、ちゃんと戦えるわ」
「……レイラさんらしいです。でも、その……そんな刺激的な格好をしていると、薔薇さんたちにも狙われそうな気がします」
「なにそれ。薔薇にまで好かれる趣味はないわよ」
レイラは不満げに眉を寄せた。
その時、ホールの奥で、カチリ、と何かが鳴った。
エレノアナが、小さく微笑んだ。
イクスも何も言わなかった。
この館の暗さに合わせて自分を隠すより、レイラはレイラのままでいる方が強い。
左側の廊下の奥。
そこに並んでいた扉のひとつが、わずかに開いた。
隙間から、淡い光が漏れている。
甘い香りが、微かに漂ってきた。
花の香り。
それとも、酒の香りだろうか。
「行きましょう」
短く告げて、イクスは腰の銃へ手を添える。
「俺が先頭を進みます。レイラさんは後方の警戒を。エレノアナは、無理に前へ出ないで」
落ち着いた声だった。
だが、その言葉には、二人を守ろうとする確かな意志があった。
レイラは一瞬だけイクスの横顔を見て、それから小さく頷いた。
「分かったわ。後ろは任せて」
エレノアナも、真剣な表情で頷く。
「はい。イクスさんも、無理はしないでくださいね」
「オーケー、大丈夫」
イクスは淡い光の漏れる扉を見据えた。
赤い絨毯の上を、ゆっくりと歩き出す。
先頭にイクス。
背後にエレノアナ。
最後尾にレイラ。
三人は、最初の扉へ向かって進んでいった。
出口を奪われた館の中で。