ローゼンヴァルトの館〜白薔薇に閉ざされた館を彷徨う、凍りついた涙の物語   作:TatshMusicCircle

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5話 静寂の回廊

「ループしてる」

 

 レイラが言い切った。

 

「最悪ね。これじゃ、まるでループ系ホラーゲームじゃない。館そのものが、あたしたちを同じ場所に戻してるのよ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、廊下の空気がさらに重くなった気がした。

 

 広いはずの空間が、急に狭くなる。

 

 天井は高い。

 

 廊下は長い。

 

 左右の壁も近すぎるわけではない。

 

 それなのに、逃げ場がない。

 

 同じ場所を歩かされるだけの閉ざされた箱。

 

 出口も、目的地も、距離の感覚すら失われていく。

 

「……もう一度、進みましょう」

 

 イクスはそう言って、柱の傷から視線を外した。

 

 立ち止まっていても、何も変わらない。

 

 戻ることもできない。

 

 ならば、歩くしかなかった。

 

 三人は再び廊下を進み始めた。

 

 赤い絨毯。

 

 燭台の灯り。

 

 凛として咲く白薔薇の花瓶。

 

 曲がり角。

 

 また赤い絨毯。

 

 また燭台。

 

 また白薔薇。

 

 何度も同じ景色が現れた。

 

 最初は、ひとつひとつ確認していた。

 

 額縁の傷。

 

 花瓶の位置。

 

 絨毯の模様。

 

 柱に刻んだレイラの目印。

 

 だが、歩けば歩くほど、それらは意味を失っていった。

 

 同じものが繰り返される。

 

 同じ場所へ戻る。

 

 見分けようとしても、館のほうが先に記憶を曖昧にしてくる。

 

「……何周目だと思う?」

 

 レイラが低く呟いた。

 

 その声にも、いつもの軽さはなかった。

 

「七回目……いえ、八回目でしょうか」

 

 エレノアナが答える。

 

 だが、その言葉にも自信はない。

 

 イクスも数えていた。

 

 最初の三周までは正確に覚えている。

 

 四周目で、同じ顔のない肖像画の前を通った。

 

 五周目で、レイラが別の柱にも傷をつけた。

 

 六周目で、その傷が最初の柱の隣に増えていることに気づいた。

 

 そして、それ以降は分からなくなった。

 

 何十分歩いたのか。

 

 あるいは、何時間歩いたのか。

 

 腕時計は動かない。

 

 端末も使えない。

 

 窓の外の景色は白薔薇の庭のまま、昼にも夜にもならない。

 

 時間を測るものが、何ひとつ残っていなかった。

 

 疲労だけが、確かに積み重なっていく。

 

 足が重くなる。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 だが、その呼吸音すら廊下に吸い込まれていく。

 

 自分たちが本当に歩いているのか。

 

 それとも、館が同じ景色を目の前に流し続けているだけなのか。

 

 その境目すら、分からなくなっていった。

 

「少し、休みますか?」

 

 エレノアナが心配そうに言った。

 

 イクスは首を横に振る。

 

「長く止まるのは危険です」

 

「でも、イクスさんも……」

 

「大丈夫です」

 

 短く答えたものの、イクス自身も分かっていた。

 

 集中力が削られている。

 

 最初は壁の奥や扉の隙間に気を配っていた。

 

 今は、同じ景色の繰り返しに意識を持っていかれそうになる。

 

 レイラも無言で歩いていた。

 

 ナイフを握る指先だけが、わずかに白くなっている。

 

 彼女は時折、柱へ傷をつけた。

 

 一本。

 

 二本。

 

 三本。

 

 けれど、次に同じ場所へ戻った時、その傷が増えているのか、元からあったのか、判断がつかなくなっていく。

 

「……嫌な館ね」

 

 レイラがぽつりと言った。

 

「出口を塞ぐだけじゃない。考える力まで削ってくる」

 

 エレノアナは何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 

 慰めの言葉すら、この静けさの中では場違いに思えたのかもしれない。

 

 三人は歩き続けた。

 

 同じ廊下を。

 

 同じ曲がり角を。

 

 同じ白薔薇の前を。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 やがて、足音のない歩行だけが続いた。

 

 自分たちの存在まで、館の中に薄く溶けていくようだった。

 

 広い廊下にいるはずなのに、空気は密閉されている。

 

 壁も天井も遠い。

 

 それなのに、胸のすぐ近くまで何かが迫っているような圧迫感があった。

 

 レイラが立ち止まる。

 

 イクスもすぐに足を止めた。

 

 エレノアナも、息を詰める。

 

 また同じ柱があった。

 

 そこには、レイラがつけた傷が残っている。

 

 いくつもの線が重なり、白い大理石の表面を乱していた。

 

 だが、今度は誰も何も言わなかった。

 

 驚きも、苛立ちも、もう薄れていた。

 

 ただ、静けさだけがあった。

 

 あまりにも長く続く静寂。

 

 音のない廊下。

 

 人のいない館。

 

 灯りだけが揺れ、生活の痕跡だけが残り、そこにいるべき誰かだけが欠けている。

 

 その異常が、ゆっくりと三人の心を締めつけていく。

 

 静寂そのものが、こちらを見ているようだった。

 

 イクスは息を殺す。

 

 エレノアナも動きを止めた。

 

 レイラの指が、ナイフの柄を握り直す。

 

 その時。

 

 コン……。

 

 何かが鳴った。

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