ローゼンヴァルトの館〜白薔薇に閉ざされた館を彷徨う、凍りついた涙の物語 作:TatshMusicCircle
「ループしてる」
レイラが言い切った。
「最悪ね。これじゃ、まるでループ系ホラーゲームじゃない。館そのものが、あたしたちを同じ場所に戻してるのよ」
その言葉が落ちた瞬間、廊下の空気がさらに重くなった気がした。
広いはずの空間が、急に狭くなる。
天井は高い。
廊下は長い。
左右の壁も近すぎるわけではない。
それなのに、逃げ場がない。
同じ場所を歩かされるだけの閉ざされた箱。
出口も、目的地も、距離の感覚すら失われていく。
「……もう一度、進みましょう」
イクスはそう言って、柱の傷から視線を外した。
立ち止まっていても、何も変わらない。
戻ることもできない。
ならば、歩くしかなかった。
三人は再び廊下を進み始めた。
赤い絨毯。
燭台の灯り。
凛として咲く白薔薇の花瓶。
曲がり角。
また赤い絨毯。
また燭台。
また白薔薇。
何度も同じ景色が現れた。
最初は、ひとつひとつ確認していた。
額縁の傷。
花瓶の位置。
絨毯の模様。
柱に刻んだレイラの目印。
だが、歩けば歩くほど、それらは意味を失っていった。
同じものが繰り返される。
同じ場所へ戻る。
見分けようとしても、館のほうが先に記憶を曖昧にしてくる。
「……何周目だと思う?」
レイラが低く呟いた。
その声にも、いつもの軽さはなかった。
「七回目……いえ、八回目でしょうか」
エレノアナが答える。
だが、その言葉にも自信はない。
イクスも数えていた。
最初の三周までは正確に覚えている。
四周目で、同じ顔のない肖像画の前を通った。
五周目で、レイラが別の柱にも傷をつけた。
六周目で、その傷が最初の柱の隣に増えていることに気づいた。
そして、それ以降は分からなくなった。
何十分歩いたのか。
あるいは、何時間歩いたのか。
腕時計は動かない。
端末も使えない。
窓の外の景色は白薔薇の庭のまま、昼にも夜にもならない。
時間を測るものが、何ひとつ残っていなかった。
疲労だけが、確かに積み重なっていく。
足が重くなる。
呼吸が浅くなる。
だが、その呼吸音すら廊下に吸い込まれていく。
自分たちが本当に歩いているのか。
それとも、館が同じ景色を目の前に流し続けているだけなのか。
その境目すら、分からなくなっていった。
「少し、休みますか?」
エレノアナが心配そうに言った。
イクスは首を横に振る。
「長く止まるのは危険です」
「でも、イクスさんも……」
「大丈夫です」
短く答えたものの、イクス自身も分かっていた。
集中力が削られている。
最初は壁の奥や扉の隙間に気を配っていた。
今は、同じ景色の繰り返しに意識を持っていかれそうになる。
レイラも無言で歩いていた。
ナイフを握る指先だけが、わずかに白くなっている。
彼女は時折、柱へ傷をつけた。
一本。
二本。
三本。
けれど、次に同じ場所へ戻った時、その傷が増えているのか、元からあったのか、判断がつかなくなっていく。
「……嫌な館ね」
レイラがぽつりと言った。
「出口を塞ぐだけじゃない。考える力まで削ってくる」
エレノアナは何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
慰めの言葉すら、この静けさの中では場違いに思えたのかもしれない。
三人は歩き続けた。
同じ廊下を。
同じ曲がり角を。
同じ白薔薇の前を。
何度も。
何度も。
やがて、足音のない歩行だけが続いた。
自分たちの存在まで、館の中に薄く溶けていくようだった。
広い廊下にいるはずなのに、空気は密閉されている。
壁も天井も遠い。
それなのに、胸のすぐ近くまで何かが迫っているような圧迫感があった。
レイラが立ち止まる。
イクスもすぐに足を止めた。
エレノアナも、息を詰める。
また同じ柱があった。
そこには、レイラがつけた傷が残っている。
いくつもの線が重なり、白い大理石の表面を乱していた。
だが、今度は誰も何も言わなかった。
驚きも、苛立ちも、もう薄れていた。
ただ、静けさだけがあった。
あまりにも長く続く静寂。
音のない廊下。
人のいない館。
灯りだけが揺れ、生活の痕跡だけが残り、そこにいるべき誰かだけが欠けている。
その異常が、ゆっくりと三人の心を締めつけていく。
静寂そのものが、こちらを見ているようだった。
イクスは息を殺す。
エレノアナも動きを止めた。
レイラの指が、ナイフの柄を握り直す。
その時。
コン……。
何かが鳴った。