9 はじめての高校生活
「はぁっ、はぁっ……ふ、はぁ……」
学校のトイレで、汗だくになりながら便器に座っている。
この時代に来てから僕こんなんばっか。
真白からのメッセージがなかったら今頃どうなっていただろうか。
やっぱ『草』とか使うやつはろくな人間じゃない。
アームホルダーが届くのを待って、急いで登校したらこのザマだ。
端末の睡眠導入を使った超熟睡。この反則技で7時間も眠ったのに、筋肉痛はほとんど治らなかった。
今は二時間目辺りかな……もういい?
《もう5分休憩》
はぁ……家を出る前に学校に連絡したのにこんな時間。先生、気が気じゃないだろうな。
♢
埼玉県立
登校前に『復讐帳』へ目を通し、所属クラスも確認した。集合写真から読み込んだらしき顔画像で、葉月にとって重要なクラスメイトはある程度顔と名前が一致している。
この時代の学校の様子も写真で目を通してきた。
準備は完璧、なのに緊張が止まらない。
高校に通うのは、前世も含めて初めてなんだ。
髪もバッサリ切ったばかり。もしかしたら「髪切った?」なんて話しかけられるかもしれない。もちろん答えは用意してある。
授業が終わった直後だろうか。
教室の空気はザワザワとした声が聞こえて、賑やかなクラスなのがすぐに分かった。
なにビってんだ僕は。楽しそうなクラスじゃん。
教室後方のドアに手をかける。
そのまま入口をくぐって──時が止まった。
それまで確かにあったはずの話し声が、誰かに音量を絞られたみたいに消えた。
教室中が僕を見る。
全員が驚いたように言葉を発せない。
「…………おお」
この時代の価値観を舐めていたわけじゃない。ちゃんとPCで予習もしてきた。
だけど価値観の本当の違いなんて、文字で分かるようなものじゃなかった。
葉月のしたことは、それほど重い選択だったのだと。
先生もすぐやってきて、やたら慎重な声で席まで案内してくれた。
女子の近くを通ると、ぶつかるわけもないのに大袈裟に避けられる。
それでも幸いなことに葉月の席は窓側の一番後ろで、座ってしまえば注目されることはない。
──そう思っていた。
「困ったことがあったら、すぐ言うんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言うと、先生は一瞬だけ驚いた顔をした。教室の何人かも、同じような反応をした気がする。
普通に生きることもできない……
この空気の中で、僕はどう過ごすべきか。
どう行動するべきか。
ふと目を向けた先にいたのは『復讐帳』に書かれた顔──『
なんでもクラスのリーダーのような立ち位置で、僕のように好きで一人でいるやつにも話しかけてくる。
こういう弱者を使って人気取りするやつが一番ウザい、だそうだ。
これだ。そんな弱者に優しいリーダー檜山くんなら、話しかけても──っ!
「……っ」
この小さな希望に笑顔を向けると、フイと顔を背けられる。
…………なるほど。
サッカー動画見よ。
やめやめ、友達とか高望みだったわ。
サッカーしかしてこなかったのに、この空気を変えられる話題もないしね。でも復讐帳の信憑性は、−1!
先生は僕の登校が突然だったことで、また職員室に戻るようだ。とりあえず席に着く。
「…………お、おはよう一ノ瀬くん」
スマホをポケットから取り出したところで、意を決したかのような声で、隣の席の女の子から声をかけられた。
「おはよう! なんだか盛り下げちゃってごめんね」
まさかこの空気で話しかけられるとは思わなかったけど、みんなへの謝罪も込めてなんとか笑顔で返す。
ただの挨拶だけで、クラス中が首ごとこっちへ向けて騒めいているんだもん……
「あ、あはっ……まあ、その、みんな驚いてるんだよ」
でも少し嫌味っぽくなっちゃったかな。女の子は歯切れが悪い。
茶色い髪のショートカット。間違いなく外見は可愛いだろうに、すごく無理した笑顔はおそらく僕のせい。
復讐帳には載っていなかった顔。だから名前も分からない。
「あ、次の先生来ちゃった。何か手伝えることあったら言ってね!」
「っ、ほんと! ありがとー!」
なんだ、味方になってくれる人もいるんだね。ならもっと学校の事とか聞きたかったな。
《本当に頼らないように》
(……なんで?)
カバンから数学の教科書を取り出して、適当なページを開いて机に立てかける。簡易擬装スマホ鑑賞セットだ。
《その子、流星の目を見ていない、固い表情、声の震え。多分相当無理してる》
(…………全然分からなかった、ありがとね)
端末もないのに上手く感情隠すなぁ……真白は結構ズケズケ言うから油断してた。
(でもそれ緊張してるだけとか。ほら。この子、
《あらゆる可能性を考えるAIとしてこれは言いたくないんだけど。100パーない》
(……あ、そう)
「さて。今日は昨日の続きからなー。34ページを開いてくれー」
みんな一斉にページをめくり、僕も一応そのページを開く。
因数分解、平方根、不等式。
なんだこれは、なんて読むのかも分からん。中卒だぞ僕は。
諦めてスマホを操作する。観るのは真白育成用に高校女子サッカーだ。
最初は女子がサッカーしてくれるなんてと驚いたもんだけど、他に見たいものが多過ぎて後回しにしていた。
《なんで音消すの? 聞こえないんだけど》
授業中だからだよ?
僕らにとって初めてのサッカー、端末も楽しみにしとるわ。
♢
(なるほど、ね……)
正直な話。運動能力に差がある女子は、競技性よりかわいい路線なのかなって思っちゃってた。
これだけ女子サッカーも人気があって、そんなわけないのに……
激しいボールの取り合いが少ないこと、スピードによる大味な展開も少なくて、選手の考えてることが分かりやすい。
テクニックだって凄く目立つ。細かいボールタッチから、男子顔負けの練習量を積んでることも分かってしまう。
男子と比べて環境が整っていない世界で、ここまで上手くなった彼女たちへの感情移入。伸びしろの多さ。
め……めちゃくちゃ面白い。戦術の勉強にもなって、腕に爆弾抱えた今の僕には男子サッカーは刺激が強くて。
あれ、女子の方が面白くないか?
《専門指導者の有無で、チーム間の完成度に差が出ている》
(……またそうやって。だからこうして日本でも、女子サッカーにテコ入れしてるじゃん)
2029年に試験導入された『女子ユース映像アーカイブ制度』
通称なでしこアーカイブ。
女子U-18年代の公式戦を運営が録画して、あとから見返せるようにした。かなりの試合が映像として残っている。
こんなの一生見てられるんだが。
《注目されるべき才能が拾われてない、育ってない》
いやだからさあ……
《一、二回戦レベルの動画では性別序列の確認、嘲笑、下品なコメントが大半。選手が気軽に視聴できない。伸びる環境じゃない》
……ああ。競技普及の邪魔するやつが許せないのね。競技者の少ない未来の感覚抜けないなー。
確かに気分悪いけど、こういうの注意するとさらに言葉が強くなるんだよ……
《もう動画サイトはこっちで作ろう。スポーツ発展の足を引っ張る奴は残らず追い出して──》
「
「うん! すぐ行くー!」
凄い気になる話をされていると、突然隣から響く声に思考が止まる。
周りも机をくっつけて、お弁当箱を取り出している。いつの間にか昼休みに入っていたみたい。
なにか……不自然なことが起きている。
隣の子はテンパっている僕を見て、戸惑っている。
「ど、どうしたの? 体調、まだ良くないの?」
「え、いやそうじゃなくて……昼休み前に四時間目はないのかなって……」
「……い、今終わったよ? ずっと数学の教科書開いたままスマホ見てて、古文の先生ピクピクしてたけど」
「…………うそぉ」
そういえば……倍速再生だったのに4試合は見てたかも。というかお尻が痛い! え、本当に二時間経っとる!
「えーと、あ、良かったら今までのノート貸そうか?」
「い、いや大丈夫大丈夫っ!」
注意深く見ると、確かに彼女の目線は僕の鼻のあたりだ。
頼るのはかわいそうってのもあるけど、なぜかまた周りがどよめいてるし。
「? じゃあわたしはご飯食べてくるね」
「うん、いってらっしゃい」
女の子は机からかわいらしいお弁当箱を取り出して、派手な見た目の友達三人のもとへと向かう。お友達はこっちをチラチラ、ごにょごにょしてる。
……このまま見てたら、もっとひどくなりそうだ。
少し状況把握がしたいと周りに目を向けると、他クラスらしき人たちが教室の入り口から僕を見にきている。
いくらなんでも異常な注目だ。出会う人の反応が一つも理解できない。
飛び降りがこの時代大変なことだとしたら、こんな僕を追い詰めるような行動をするものだろうか。
ヒソヒソヒソって、全くさー。
──僕の話なら、僕も混ぜてよ。
耳に入ったわずかな音を、端末が拾い上げ、整理して復元する。内緒話を聞くのはマナー違反。
だけど僕の目的は、学校で葉月が残した負債の確認だから、ごめんね?
端末が拾った声を、一つずつ脳内へ並べていく。
ふーん。はせくらさん可哀想って声が一番か。
さっきの子の名前は『
あとはクズ、髪型ダサ、見て、眉毛整えてる……なるほどね。
僕のせいで苦しんでる人は、いてもそんなに多くはなさそう、かな。
でも……はぁ。集団による陰口は本人が聞くものじゃないかも……
か、髪型は、絶対今の方がいいね‼︎
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何度も夢に見るほど興奮しました。この二章もお付き合い頂けると嬉しいです!