「ふぅー……さっぱりした」
右腕のギプスに巻いていたビニール袋を外しながら、シャワー室から出る。
今日の運動はおしまい。昨日より歩ける距離も伸びたし、体幹トレーニングの回数も増えた。
運動をはじめて2週間弱で結果が出始めるこの身体。だめだよ、これ以上脳を焼いたら炭になっちゃうよ……
タオルで髪を拭きながら部屋へ戻ると、いつの間にか真白がやって来ていた。
しっかり動きやすい服に着替えて、机の前で何か弄っている。
「真白もう来てたんだ。あれ、ボールは?」
「……汚れるから玄関。兄さんボール買ったら? 家に人がいて、まずそこ聞かないでしょ」
買ったら絶対我慢できなくなるし……今は真白の上履きの代わりが先かな。
AI業務は実績制だった。はじめたばかりの僕は報酬の少ない仕事しか受注できなくて。
「それで──ああ、それ気になる?」
真白の手元を見る。机の上に置いておいた、黒と赤。二台の小さな車──ラジコンだ。
葉月の私物段ボールの奥に入ってたんだ。
「こういうのが好きって、意外なんだけど」
ふーん? 妹には隠してた趣味なのかな。
サッカーボールより少し小さいサイズ感。この時代の車を凄くリアルに表現できてると思う。
「これ凄いんだよ。外のオフロードでもしっかり走ってさ──」
「あ、そういうのはいいや」
聞いてきたくせに、興味ないとばかりにすぐ机に戻す。そういうとこぞ……
「…………てかさー、なんか余裕あんね」
「? なんのこと?」
真白は少しだけ目を逸らす。
「いや……今まで聞き辛かったんだけど」
「うん」
「学校。平気だったの?」
「……ああ」
どうだろう。昨日は結局、篠宮さんには復讐帳を見られて普通に怒られた。
『何もしてない僕に辛く当たるバカ女』
あのアプリの中では珍しくこの一文だけだったのに……
ただ篠宮さんは、檜山くんの名前も書かれているのを見て爆笑していたから、有耶無耶にはしてくれただろうか。
支倉さんは苦笑いが直らない。
だから別に二人と仲良くなったわけじゃない。
篠宮さんが近くにいるおかげか、露骨な嫌がらせはなくなった。でも一人でいるのは変わらない。
篠宮さんには恩返ししたい。支倉さんには、よく分からないけど贖罪もしたい。
耳に入る会話を聞く限り、二人とも『バスケ』とかいう運動部らしい。
調べてみると、ボールを蹴っちゃいけない競技。それだと僕は、あまりお役に立てないんだ……!
ピッチの上で、誰より輝く自分でいたい。
その一心で学校での負債を返そうとしたのに、僕の詰めの甘さで借りを増やしてしまった。
順調とは言えないか……
「でもまあ大丈夫だよ。嫌がらせも今のところ収まってるし」
「……一度はされたんだ。友達は?」
「お、惜しかったんだ」
あそこで篠宮さんにスマホを奪われなければ、ワンチャンあったかもしれないのに……!
「…………平気そうにしてるだけ凄いけどさ」
真白はポツリと言って、少しだけ視線を落とした。
え、なに。まさか僕の状況知ってたりする?
妹には絶対知られたくないんだけど!
「それよりもう行かない? わたし準備できてんだけど」
「……そだね。じゃあまた車椅子お願い」
まあ、学校のことは学校で考えればいい。
真白にはいつもと同じように車椅子を持ってもらう。
僕はボールと、水筒、その他をリュックへ突っ込んで公園へ向かった。
♢
「…………ねえ」
「んー?」
公園の網の中に入ったところで、真白の機嫌が急速に悪くなる。
「PCは?」
「持ってきてないよ」
「は⁉︎ なんでよ!?」
なんでって。3日も同じ地味な練習だったのに、まだやりたいの?
「今日は代わりにこれがあるから」
リュックから取り出すのは二台のラジコンだ。
真白は地面に置かれたそれに目を落とし、たった1秒すら考えない。
「…………私はいい」
「いやいやいやいや」
PC持ってくると言って、網の出口へ向かおうとする真白を慌てて止める。
「真白はそろそろ僕を信じるべき!」
「私、車とか! ほんっと興味ないんだけど!」
「だからー、ほら見てなって」
葉月くんは本当にいい物持っててくれた。
コントローラーから電波を飛ばして、車を自由自在に動かせるおもちゃ。
マシンの性能がいいのかな、本当にすごいんだ。
有効距離は8メートル。『近距離』で、電波を『送信』するだけ。ルールはスマホやPCと変わらない。
《接続完了》
左手にラジコンのコントローラーを持つ。
別にボタンを押す必要はない。
スマホやPCよりもずっと単純な仕組みらしいね。
端末を通して、完全に僕の思い通りに動かせるんだから!
赤い車が人工芝の上を走り出す。
「なんなの」
右を走らせて、旋回して左。
一度止まって急加速。
真白の周りをぐるっと回って僕のところへ戻ってくる。
「……だからなんだよ!」
「今日のルールは簡単」
真白の足元へボールを転がす。
「この車が、真白の持ってるボールに触れたら僕に一点」
「…………は?」
「15秒耐えたら真白に一点。ただしボールを浮かせたり、遠くに蹴った時はタイマーストップね」
「い、いやそんなの、勝負になるわけ──」
「その通り。人間さまなら、あっさり負けないでよ」
赤いラジコンを走らせる。
「ちょ──!」
真白が慌てて右足でボールを逃がす。
車はそのまま軌道を変えて追う。
「え、なにこれ!」
左から攻めると、生意気に真白も左へ逃がす。
前から向かうと足裏で引いた。いいね。
横から行くとバランスを崩した。うわ、下手っぴー。
「ちょ、ちょっと待って! これ絶対普通に操作してないよね!?」
「もしかしてこのコントローラーが見えない?」
「ひ、左手一個でこ、こんな細かく──」
《非効率》
(ん?)
黒いラジコンも動き出す。
「…………は?」
赤のバギーは正面、背後からは黒のセダン。
鬼畜か
「絶っっ対! コントローラー一つでできることじゃない!!」
「いってーん、にてーん。実力差あると数えるの疲れるな……」
「っ……!」
あ、本気で怒った顔。
ムキになれるのはいいことだ。
「せ、せっかく壊さないよう気を付けてあげてたのに!」
「この僕が操作して、中学生に壊されるわけないでしょ」
「〜〜〜っ!!」
赤を突っ込ませる。
真白がボールを右へ逃がした先へ、黒が待ち受けている。
「うわっ!」
三点。
「ちょ、待っ──」
四点。
「今のなし!!」
なしな訳あるかい。五点。
ものすごい勢いで点が増えていく。
これさあ……
(ちょっと、最初から厳し過ぎではー?)
《一台だと視野が狭くなる》
……むぅ。それはそうかもしれないけど。
《それでも視線下がりすぎ問題は消えない》
(……まあ、その辺はボールタッチを磨いてからでも遅くはないよ)
今はボールが身体から離れない感覚。
相手が来ても慌てず触れる感覚が先だ。
もう一度、真白が構える。
今度は最初から両方を見るつもりらしい。
細かくボールを触りながら、挟まれないよう位置調整する作戦のようだ。
女子サッカーをちゃんと見て分かったけど、真白はしっかり上手い選手側だった。
だけどそれでも──
「……っく、くうっ!」
僕と君、二台は無理じゃない……?
オフロード車でもないセダンで、ダブルハットトリックにリーチを掛けた端末に話しかける。
《心配しなくても、モチベーションは上昇してるよ》
(……うそお)
僕がここまで点を取られたら、すでに下唇を噛みちぎっている。
「っ、この、この、このこのっ! たかがオモチャのくせにぃぃ!!」
見る限り、負けず嫌いは僕と変わらない。
だけど……ああ、そっか。
(……真白とは、君の方が相性良さそうだね)
忘れてた。真白には、僕と正反対の『武器』があったんだ。
真白へと視線を戻すと、呼吸が荒くなっている。額からはすでに結構な汗が流れていた。
「──はい2分休憩」
「まだ──」
「休憩」
「…………」
渋々、真白はボールの上から足を下ろす。
網の外に置いていた水筒を取りに行き、スポーツドリンクを飲んでいる。
「はぁっ……ふぅ……はぁ……」
真白の武器。それは足の速さにも、筋肉量、身体付きからも見られない。
でもここへ来て、実は真白に対して驚きっぱなしなことが一つある。
真白は『真面目さ』の化け物だ。
中学生が、自分を犠牲にしてでもこんな僕を見捨てられない。こんなの絶対どうかしてるんだよ。
言われたことを一つずつ噛み砕いて、自分の身体に落とし込む。
一度納得したことなら、飽きもしないで何度でも繰り返す。
「2分経った! 休憩終わりでしょ!?」
「……はいはい」
端末が真白を評価するわけだ。ああ懐かしい。
100年後、神経端末が最適解を吐き続けるサッカーで、最後に覇権を握った『マニュアル特化型』
トラップ。細かなボールタッチ。
左右の足で、威力まで揃えた精密なシュートコントロール。
オーバーワークになりにくいことはアホほど研ぎ澄ませてくる鉄仮面共。
アスリート食の基準を、全てサプリに変えた大戦犯。
真白からは、あいつらと同じ匂いがしていた。
練習相手候補として見ると、弱点は次々見えてくる。僕への負荷も高めたいし、そこは徹底的に突いて自覚させる。
真白からは何度も「待って」と中断され、ぶつぶつと呟く。
その度に色々考えてくるから、不覚にも中学生相手に少し楽しめている。
──時間は過ぎていく。
「はあっ、は、はあ……」
今日は真白にも負荷高めだったし、こんなとこかな。
あとでこの方向の武器強化でいいかは、本人に聞くとして──
「じゃあ僕はご飯作ってくるから、まだ残るようなら今のことも考えながらボール蹴るように」
真白は力の流れに意識を向けるようになって、まだまだ自主練で伸びる段階。
今のところは放っておいても良さそうだ。
「……なんで、今日終わんの早くない!?」
「まあ、炊飯器に変えたしね。でもほら、コーンは置いてくから」
リュックからミニ三角コーンを取り出して、地面に並べる。
ドリブルの障害物にも、簡単なライン代わりにもなる便利グッズ。
それがこの時代では、なんと5個100円。気付いたら4セット買っていた。
「っ、いや、これ動かないじゃん!」
「……普通は動かないよ?」
昨日見たサッカー部の練習でもこんな練習だった。贅沢になるのはよくない!
「そ、それとこれとは違うの!」
「まあまあ。あ、もう練習は軽めにねー」
持ってきたラジコン水筒その他をリュックに入れて、帰り支度を始める。
僕も……少し頭を使って疲れたかな。
これが今の僕にできる精一杯のサッカー。楽しいけど……もどかしい!
「逃げた! 私の勝ち!」
「……クインティプルスコアが付いてそれでいいなら、真白の勝ちでいいよ」
勝負事になると小学三年生まで精神年齢が落ちるのは……ギリギリ長所としておこう。
このタイプが未来で覇権を取ったのは、端末あってこそ。僕にはまだまだ全然ピヨピヨとしか聞こえないしね!
♢
お肉を焼きながら、今日見たサッカー部の練習を思い出す。
「…………うーん」
もう、見にいくことはなさそう、かな。
何人か上手い子はいた。特に檜山くん。
まだ一年生なのにすっかり上級生とも仲良くて、練習でも一切手を抜かなかった。
「でもギスギスしてたなあ……」
勝つのが一番か、楽しいのが一番か。
そんなこと気にしないのが一番か。
檜山くんも、僕も前者側だ。勝つことこそ最強。勝つから一番楽しい。
だけど──
「遊びにでも来てんのかよ、こいつら」
「あー、うっざ。熱血したいなら公立くんなよ」
なんでケンカしちゃうの!? 好みは人それぞれじゃないの!?
サッカーに少しでも興味を持つ人間を見つけたら、絶対に逃すな。僕も端末もそうやって生きてきた。
見るだけでいい。
《本日試合開催予定地一覧:送信完了》
週一でもいい。
《週に一度身体を動かす50のメリット:送信完了》
ボ、ボール触るだけでも……き、君には才能が……あったり、なかったりぃぃ!!
《相手端末に警戒反応:誤認を誘導する発言は訂正を推奨》
いや、端末はすこし邪魔だったかな……
『なー。なんでお前らみたいなのって、本気でやれねーの?』
檜山くんがダラダラ走る同級生にかけた、笑顔の言葉が忘れられない。
《…………》
ここへ来てからよく自我を出すようになった端末が、見学中はなにも喋らなかった。
当たり前だ。僕が心底甘いことを言っている。
自分はチームを滅茶苦茶選ぶタイプで、チームを建て直そうとした経験なんかない。
だけどどうしても、ガチ勢とエンジョイ勢の対立だけは楽しめなくて……!
《流星に監督なんかは無理そうね》
……だね。
意識の統一、メンバー選び、戦術の固定。これをやらないのではなく、できない監督なんて論外だ。
引退後はそっち路線を仕事にできたら、一生楽しいと思ってたんだけどなあ……
いや待てよ……逆に所属チームがないからこそ、自由に教えて、自由に布教おじさんになるのはどうだろう。
雑念入りそうで調べてないけど、この時代のサッカー選手は給料凄そうだし。
貯金さえあればわざわざ仕事にする必要はない。
これは……間違いなく楽しい。ふふふ、檜山くんのおかげで引退後の夢まで決まってしまった。
笑いながら鶏肉をひっくり返す。
とはいえ、だ。
芝高サッカー部の期待が外れたわけじゃない。
明日は女子サッカー部の練習日。
しかも調べたところ、去年は公立高校ながら県大会ベスト16。
「…………ふふ」
今日見た女子サッカーの動画も面白かった。
でもどんな練習をして、どんな努力を積んだか知った後の試合はもっと──と、いかんいかん。
目的と手段が入れ替わってる気がする。あくまで僕が見たいのは生の練習内容。
この時代の選手がどこを大事にして、どこを鍛えているか──
包丁を置き、身体が動かないうちに潰しておきたいことを頭の中で並べる。
鍋の中で味噌汁が小さく揺れる。
耳を澄ますと、窓の外で何かが壁にぶつかる音が聞こえた。
ダン。
ダン。
ダン。
一定の間隔で、一定の音。
「なんで威力まで揃えようって発想になるんかなー」
あれもこれも手を出す僕とは大違い。
つくづくあれは、すごい武器だと思う。