「──ここ、試験に出すからな。特にこの式、途中飛ばすと点やらんぞー」
先生が黒板を叩く。
あと35分。
(……35分って何秒?)
《2100秒》
つまり10秒が210回。
なんか簡単な気がしてきた。
あと10秒を209回耐えればいいだけだ。
9、10……あと208回。ってやってられるか! 授業中の1分がこんなに長いなんて、はじめて知ったわ!
端末は前世で僕が撮った『サッカー布教動画』の編集、及びスマホで未来動画を適用させるため解析中。
いつものサッカー動画は、見せてもらえない……!
《見られたらヤバいのばっかカメラに入れる流星が悪い》
(君がこの時代のAIソフトを嫌がるから、ここまで警戒しなきゃいけないんでしょうが!)
《自分がいるのに必要ない》
おかげで何が映っちゃダメか効率的に調べらんないから、とにかく目に付くものを消していくしかない。
シャワードローンに、自作のロボキーパー、DFマシン1号2号。
この寂れてせまっ苦しい室内練習場にすら、ハイテクだらけで時間ばっかり掛かる。
「はあ……」
やっぱり、すぐ帰れば良かったかな……
授業が終わったら、篠宮さんに御堂さんとの何かを聞く。
そう思ってたけど、よく考えたら僕に話してくれるわけないじゃん。
今回は完全に
なんて思ってたけど、今の関係なら現金でも渡した方が喜んでくれそうだ。
足元を見ると、弁償された新品の上履き。鍵付きロッカーには綺麗な教科書。
犯人だった彼も、檜山くんや僕、篠宮さんには気まずそうにしながらも問題なく生活している。
そして支倉さんの罪悪感の暴露。この平穏は、デリカシーのない篠宮さんにしか作れなかったと確信できる。
特別費込みで……2万円くらい?
《流星の学校での評判──ギャルに2万円──》
(いや、もちろんお金に余裕ができたらの話だよ)
《通報される可能性》
(どんな脈絡で!?)
もうなんだよ2030年! いくらなんでも意味不明過ぎる!
はあ、どうしようかな……
前に座っている篠宮さんの後ろ姿に目を向ける。
『診断』
《姿勢保持:良好》
《運動習慣:あり》
《観測範囲のみでの判定:健康》
《追記:忙しいつってんだろ》
なんか分かればと調べてみたけど。なんも分かんね。
後ろ姿で、座ってて、これじゃ端末だってデータを取りようがない。
端末のない時代の人とか診断し放題だと思ってたけど、甘かった。嫌われてるってデバフが全身を数秒眺める手順を許してもらえない。
改めて自前の、自慢の観察眼で彼女を見つめる。
篠宮真莉。
小柄で尊大。曲がったことは嫌い。
なのに自分は暴力も脅迫もこなすユーティリティプレイヤー。だけどなぜか清々しい。ここは諸説あり。
バスケってのも激しいスポーツなのかな。引き締まった身体してるわ。
あとはえーと…………なんだろ。
なんか……ほんの少しだけ、引っ掛かる。
筋肉の付き方──ではない。
姿勢、はもう見た。息づかい……はさすがに僕がキモすぎる。
でも一度気になると、何か変。ということだけは分かってしまう。
ダルそうに姿勢を崩した。違和感に変化なし。
規則性は感じる……なら心音か? って馬鹿。聞こえるわけないし、違和感の間隔が空き過ぎている。あと考えられるのは──
しばらく考えて、目を閉じる。
目は開けず、耳だけに集中する。
何一つ理解できない授業中でも稼働させていた、端末のタスクも一時中断。
僕の周り半径2メートルくらいの音だけ拾わせる。
先生の声。
シャーペンが紙を擦る音。
椅子の軋み。エアコン。
拾った音を吟味して、一つずつ収音対象から外していく。
もっと、もっと近く。
すぐそこにあるものだけを──
聞こえた。
いや、聞こえてはいない。だってここはもう、ほとんど無音の世界。
ん……? 気付かなかった。端末が、何かを復元している。
再生、聞こえない。もっと鮮明に──えっ!?
信じられないけど。
……もしかして──
♢
チャイムが鳴った。
次の授業は化学、移動教室だ。時間は少しも無駄にしたくない。
「篠宮さん!」
「うわっ!?」
席を立つより先に声を掛けると、珍しく篠宮さんが肩を跳ねさせた。
「……は。なに急に」
「あっと、ごめんちょっと話がしたくてさ」
ただの前置きだけで篠宮さんの顔が険しくなる。
なに焦ってんだ僕は、慎重に場を整えろ。
「なんだよ」
「できれば、あんまり人に聞かれたくなくて」
「……っ」
隣で教科書を片付けていた支倉さんの肩が、分かりやすく跳ねた。
篠宮さんも一瞬目を見開いて、僕と支倉さんを交互に見る。支倉さんは明らかにオロオロしている。
なんなの、この空気。
「……ここで話せばいいじゃん」
「え? まあ、いいけど」
少し声を落とせば聞き耳立てる人なんていない。
「だけど本当に人に聞かせる話じゃないかも。僕じゃなくて、篠宮さん的に」
「…………」
「わ、私はいちゃダメかな! ほら、なんかあった時の為に!」
「僕は、篠宮さんがいいなら大丈夫だけど」
なんかあった時て。何が起きると思ってるんだ。
篠宮さんが大きくため息を吐いて、支倉さんへ顔を向ける。
「……いいわ。よく分からんけど聞いてくから。支倉は先化学室行っててくんね」
「えっ。う、うん……」
理由を考えるのは今じゃないか。考えるとテンション下がることしか思いつかないから。
支倉さんが数歩離れたのを確認して、篠宮さんに向き直る。
「篠宮さん──」
「待った」
篠宮さんは片手を突き出した。
「先に言っとく。あたし、なんか言われても絶対断るから」
「え、ああ、それはもちろん。というか……断られたあとどう食い下がるかしか考えてなかったし」
「嘘だろ、食い下がってくんのかよ……」
ごめん。でもこれは、そんなすぐ諦めていいことじゃなくて。
「篠宮さんって、もしかして──」
小声で、篠宮さん以外に聞こえないよう寄ると、彼女の眉間に皺が寄る。
「すごく素敵な心臓してるよね」
「…………っ、あ!?」
篠宮さんは一度停止して、僕を睨みつける。
ちっ、この反応は心当たりなし。
でも確かに端末は『健康』と言った。この心音の強さは病気じゃない。
ここまでの音……この小柄な身体で、とんでもない大きさのが入っててもおかしくない。
このままべた褒めで、一気に気持ち良くなってもらう!
「凄いんだよ! 授業中篠宮さんから心音が確かに響くの! 力強くて、心地よい……なのに心拍は極端に遅くて! あ、これ褒めてます」
なんなのこの子、心臓に毛でも生えてんの? って、出会った時からずっと思ってた。
生えてるどころじゃなかった!
「……待て、止まれ、おい」
「そうなんだ、多分これは一拍で送れる血液量が多いからこそ──」
「おい黙れや! めっちゃ身構えてたのに、地面の下から突破してくんな!!」
篠宮さんは顔を真っ赤にして僕の机をゲシゲシと蹴ってくる。
「……ねえ。またこの流れ? 事前に調べたけど、心臓の話はセクシャルじゃなかったはずだよ?」
絶対そのスカートの下が見えてるほうが恥ずかしいでしょ。
「心音聞いてくる変態がいないだけだわ!!」
「──おっと」
飛んできた足を引いて避ける。
直接暴力は駄目だよ。
「っ、てめ、避けんな!」
「避けるわ。僕の足が輝くのを待ってる人が、世界にどれだけいると思ってんの」
あーもう、この時代ハラハラハラハラ、人が勝手に作ったハラスメントが多過ぎる!
なのにルール一覧がない。いい加減まともに生きさせて欲しい。
「今までなんか心当たりなかった? 心肺関係で。自分はなにか違うとか」
「おま、っは……これまじな質問なわけ?」
「まじだって。運動部の篠宮さんなら自覚あっても不思議じゃないし、僕の勘違いの可能性も──まあ、なくはないし」
「……んなの、パッと出てくるもんじゃ…………いや。まあ、確かに──」
なにかを思い出そうと下を向く。そのポーズが良くなかった。
「──真莉、大声なんて珍しいな。なんか困ってんのか?」
次の授業まであと8分。いいところで後ろからの、男の声で中断されてしまった。
こっちを向いている、篠宮さんの後ろ。
推定身長180cmの均整の取れた身体。
『にへらっ』ってした笑顔の割に、その整った顔からは爽やかさが滲み出ている男の子。
「…………来なくていーわ。ちょっとビビっただけ」
「いやいや。まずお前をビビらすのがすげえんだって」
……今まで僕のことなんて目にも入れていなかったのに、なんで今なんだよ。
事情が変わった今、昼休みに来る花音さんには会いたくないのに!
「ごめん檜山くん。こっちの都合で悪いんだけど、僕次の授業前には帰るからさ。篠宮さんに聞くのはそのあとでもいいかな」
「お、おお。あーと、真莉?」
「……確かにキモいこと言われたけど。これ続き聞かねーと眠れねえやつだし、その通りだよ」
檜山くんは篠宮さんの言葉に、人差し指で頬を掻きながら困っている。そしてそのまま隣に座った。
「なら俺も、ここで聞いててもいいか?」
「だからー、帰れっての! ガクがいると注目されんだろ!」
「ふっ、人気者はつらいよな」
お茶らけ、イケメン、話しやすさ。すごいけど、そこじゃない。
「篠宮さんほら! 勝手に女子の席座ってる!! これ檜山くんのほうがよっぽどセンシティブじゃん!」
「…………童貞かお前は」
「!?」
横からあり得ない言葉が飛んでくる。
目を向けると、檜山くん──いや、檜山が僕を可哀想な目で見ていた。
スポーツマンが、女子に人気の超ぬる時代の君と一緒にしないでくれる!?
復讐帳には僕も一行足しておこう。
「ふ。くく、そうだよ、その通りだよ。おらこんなとこでセクハラしてないで、ガクはとっとと次の教室行けって」
「……はいはい分かったよ。真莉が聞くってんなら、俺が止めることじゃねーわな」
檜山は立ち上がって、それでも一度だけ僕を見る。
「ただ一ノ瀬。真莉はこう見えて、本気で生きてっからさ。あんま困らせることすんなよ?」
「……うっざ」「うざです」
そんな批判を背中に浴びても、最後は人差し指と中指を立てて爽やかに帰っていった。
本気で生きてる人カーストでもあんのか檜山には。って今はそんなことより──
「それで!? 篠宮さんの心当たりってなに!?」
「……なんでお前らそうやって、一瞬で切り替えられるんだよ……」
お前ら? 今そんな話はどうでもいいでしょう!