100年後のサッカーを、君に。   作:peko34

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一章 再起編
1 右足


 目が覚めて、最初に感じたのは鼻を刺す薬品臭だった。

 

 横に見える心電モニターから電子音が聞こえる。音質が悪く、妙に安っぽい。

 天井には古い蛍光灯。

 見た目は病室。なのに壁には汚れが浮いて、ナノ衛生コーティングもされていない。

 

「……ここ、どこだ」

 

 声は出たがひどく掠れていた。

 

「なんで俺、まだ生きて……」

 

 呼吸をしている。身体に力が入る。節々が痛い。

 何故か……右腕が白い固定具と、包帯で固められていた。

 

 右腕は怪我した覚えなんかない。記憶が、不自然に飛んでいる。

 ——まさか。

 今までのことは全部、夢だったんじゃないか!?

 

「……なんて」

 

 目が覚めるたびにこんな逃避して、心底自分が嫌になる。

 現実を疑えば、余計に息が苦しくなるだけなのに。

 

「…………苦しい?」

 

 悲哀感情は真っ先に切ったはず。なのに、なんでだよ。

 

 神経端末(端末)を確認すると、以前の感情設定が全てデフォルトに戻っている。

 理由なんてどうでもいい。

 改めて悲しみだけでも消そうとしたところ──病室の扉が開いた。

 

「──あっ」

 

 入ってきたのは若い女性の看護師だった。俺と目が合った瞬間、分かりやすく固まっている。

 

「せ、先生! 403号室の一ノ瀬さん、意識戻りました!」

 

 廊下へ向かって叫ぶ声を聞く。

 

「……いつの病院だよ」

 

 医療従事者が、『驚き』を切っていない。

 ベッドサイドには物理ボタン式のナースコール、医療ドローンも見当たらない。

 死んだと勘違いするほど『無』だったうちに、どこか古い病院に移された、とか……

 

「はっ、それだわ」

 

 誰からの言葉にも適当に返していたから、普通にあり得てしまう。

 不可解な状況に仮の答えを置くと、消したはずの感情が壊れた蛇口みたいに戻ってくる。

 困惑。不安。恐怖。悲しみ。

 

 頭を押さえようと左手を上げて──そこで止まった。

 

「誰の手だ……?」

 

 指が太い。掌が柔らかい。それは腕全体の太さもそうで。

 

「な、なんだよ……」

 

 手首の入院患者識別用リストバンドがはち切れんばかりだ。胸には余分な肉が乗り、腹は布団越しでも分かるほど膨らんでいる。

 

 震える手で自分の顔に触れると、頬が丸い。顎のラインがない。首元にも肉がある。

 

 誰だ。これは誰なんだ。

 いや現実を見ろ。俺は、自分の身体がここまで変わるほど長く眠って──

 

「一ノ瀬さん! 大丈夫です、ここは病院です‼」

 

 看護師と医者がいつの間にか目の前にいて、頭を掻きむしる左腕を抑えられる。誰だよ一ノ瀬って……

 

 そのままいくつか他愛のない質問をされた。名前を言うと医者の顔が少し険しくなる。

 相野蒼天翔流星(あいのそらかけるりゅうせい)

 同年代と比べたら確かに地味だけど、それは患者に向けていい顔じゃないだろう。

 

 医者は頭部外傷による混乱かもしれない。検査の準備をすると言って部屋を出ていった。

 何を言っているのかまるで理解できない。

 

「あの、検査なら端末でできるので──」

 

 言いかけて、気付いた。

 

「どうされました?」

「いえ……なんでもないです」

 

 もう俺は、自己診断なんてしたくないんだよ……

 現実を見る勇気があるなら、目が覚めた直後にやってるだろうが。

 

「? そうですか。では私も準備してきますね」

 

 俺の左手に付いている点滴の確認をして、看護師も出ていく。

 少しして病室の扉がもう一度開いた。

 

 入ってきたのは制服姿の少女。

 まるで見覚えがない。

 

 中学生くらいだろうか。黒髪は肩口で切り揃えられていて、乱れがない。制服のリボンもきっちり結ばれている。

 片手に鞄を持ち、顔立ちは整っているが表情は薄かった。

 少女はベッドの上の俺を見て、足を止めた。

 

「……ふーん、本当に生き返ったんだ」

 

 平坦な声からは分かりにくいが、目は少し見開いている。

 

「一度、本当に死んだんだよ。呼吸も心音も止まって」

「……やっぱり、そうなんだ」

 

 そこから、なんとか息を吹き返した、ね。

 でも……それがどうした。教えてもらっても、反応に困るだけだ。

 

 少女の眉がぴくりと跳ねた。薄かった表情にはっきり怒りが混じる。

 さっきから、どいつもこいつもなんなんだよ……

 

「それより俺は、面会は断ってるはずなんだけど」

「は? 聞いてない意味分かんない」

 

 その表情に嘘をついてる様子はない。

 引き継ぎ忘れか? くそ。知らない人と話すのは、もう疲れたのに。

 

「……なんで自殺なんかしたのよ」

「別に、しようと思ってしたわけじゃない」

 

 それは何もかもを失くした挙句、これまでの努力が無意味になるほど太ってしまった今も。

 なのに少女は歯を食いしばって、なにが気に入らないんだよ。

 

「っ、はあ!? ふざけんな! 周りにどれだけ迷惑掛けたと思ってんだ!」

「……なにそれ。悪いけど、心当たりがないよ」

 

 親しい人間なんていない。

 俺が死んだところで誰にも迷惑なんて…………あ。

 

「ごめんなさい、そこまで気を回してませんでした」

 

 『自己終了手続き』は指定の病院で、なんてあまりに当たり前の話で。俺の軽率な行動で、色んな人に多大な迷惑を掛けてしまっただろう。

 

「母さん凄いキレちゃって、入院費なんて絶対払わないって! 父さんも、ずっと頭抱えて……!」

「な、なるほど。君の、ご両親が……」

 

 全然想像も付かない状況だけど、彼女のこの責めるような目。俺が悪いのは本当だろう。

 何やってんだよ俺は。そのご両親にも正式に謝罪したいがその前に、これだけは聞かなくちゃいけない。

 

「それで、あの、結局貴方はどなたなんでしょうか」

「…………い、一ノ瀬真白(いちのせましろ)!」

 

 何気ない質問だったが、予想外に重い答えが返ってくる。彼女も顔を真っ赤にしている。

 

「……ごめん、嫌なこと聞いちゃったね」

「何が!?」

 

 たった三音の名前。その三音に思いは込めたかもしれないが、親には子供がどういう気持ちを抱くかも考えて欲しい。

 というか……『一ノ瀬』?

 

「まさかさ。記憶喪失の振りなんかで誤魔化すつもりじゃ──」

「鏡ある?」

 

 看護師さんも言っていた苗字。

 今更ながら、俺は人違いで怒られていたかもしれない。

 太り過ぎてその人とそっくりになったとか……分からない、とりあえず自分の姿が見たい。

 

「……っ」

「ありがと」

 

 彼女は歯軋りをしながらも、肩にかけていた学生カバンから鏡を渡してくれる。

 はあ。正直太った自分なんか見たくないんだけど────なにこれ。

 

 子どもらしい、プクッと膨らんだほっぺと手入れのされていない長髪。高校生くらいの男の子。

 

「…………なるほど」

 

 心臓が止まるかと思った。

 

 誰!? え…………誰!?

 思わず渡された鏡の解析を、端末にお願いしてしまう。

 

《細工の形跡無し》

 

 そんな訳がないだろ! だってこれは、太ったとかそういう次元じゃない!

 

 …………あーもう、っ、くそ!

 

『診断』

 

 歯を食いしばり、端末を起動して自己スキャンする。

 

 現実を見せるだけの診断なんていらない。こんな機能取り外せと、事故以来ずっと思っていた。

 

《NAME ■■■■──整合性破綻》

《AGE 1■/ ERROR──整合性破綻》

    ・

    ・

    ・

 

 名前も年齢もバグってる。端末も、これが俺だと自信を持てないらしい。

 

「……は、ははは」

「突然なんだよ」

 

 その通り。脳に映し出された人体図は間違いなく俺じゃない。

 

「あっはっは。あはははは‼」

「…………」

 

 だって一目瞭然なんだ。顔なんかより、ずっと分かりやすい違いがあるんだから‼

 俺は布団を勢いよくはがす。

 

「ひっ! な、なんなの!?」

 

 そこには、布団の下から確かに続く、見間違いようのない右足があった。

 

「…………ははっ」

 

 右足が……ある。

 太ももから下が、ある。なんだよ、何が起きたら、あってくれるんだよ……

 

 足の指を動かす。

 一本、二本。全部動く。くっそ痛い!

 

 って、この痛み──っ、症状は!?

 頭に浮かんだ人体図を叩くようにタップする。

 

《右橈骨(とうこつ)──……》

《右尺骨(しゃっこつ)──……》

《右手第四・第五中手骨(ちゅうしゅこつ)──……》

《頭部:外傷──……》

《全身:複数箇所に──……》

《打撲箇所:以下詳細──》

 

    ・

    ・

    ・

 

 ズラッと並ぶ症状に言葉を失う。

 右腕が大変ってことだけ理解して、流し読みさせてもらった。

 

《以前の診断結果は誤りでした。原因不明》

 

 端末が迷うなんて有り得ない事も、今はいい。

 だって最後の一文が強過ぎて、なんも頭に入ってこないんだ……!

 

《再評価:トップレベル復帰には適切なリハビリ、および徹底的な肉体改造が必要》

 

 

「…………ふふ」

 

 肉体改造……徹底的に、ね。

 端末がここまで強い言葉を使うなら、相当つらいんだろうな。

 

「はは、うははははは!」

 

 それがなんだよ! 復帰可能なら、いくらでもできるわそんなもん‼

 

「あーはっはっはっは!」

「……キモ。なんで泣いてんのよ」

「え、泣いてる? ほんとだ! でも泣くよそりゃあ‼」

 

 涙を拭って、改めて手首のリストバンドを見る。

 そうだよね、肌触りが違うと思ってはいたんだよ。よく見るとそこには、『一ノ瀬葉月(いちのせはづき)』と書いてある。

 

 一ノ瀬、一ノ瀬、ねー。

 

「妹よ!」

「…………」

 

 目の前の少女は眉間のシワを深めて応えない。

 思わず自分の勘違いを疑ってしまう。

 

 いや、全然理解できないけど別人になったんだ。今までの流れなら、これが一番しっくりくる関係だろ!

 

「……妹よ!!」

「〜〜っ、なんだよ! 過去一気持ち悪い‼」

 

 おっと、やはり正解。俺に妹とか、まるで現実味はないけど。ないからなんだよ。

 今はこれからどうするか、それだけだろ!

 

「退院したい」

「そんなイカれてんのに、できるかバカ!」

「正常だって」

「四階から飛び降りて、二日も寝込んでたんだよ!?」

 

 飛び降りー? なんでわざわざそんな痛くて怖い方法で。自殺なんて専門の病院に行けば──待って。

 

「手に持ってるの、可愛いね。確か……携帯電話」

「……恥ずかしいからスマホって言って」

「スマホ……スマートホン」

「フォ・ン!」

 

 思わず端末を確認する。

 

 『2131.1■.■■/ ERROR』

 

 年が進んでる。前の身体の俺はどれだけ寝ていて――ってそうじゃない。

 日付がバグってて、目の前にはスマホなんて化石を大事に持ってる推定中学生。まあ、一応、ね。

 

「それって時計も付いてるよね。見てもいい?」

「……17時23分」

「見せて」

「死ね」

「今年西暦何年?」

「…………」

 

 真白という少女は、片目をひくつかせて猛烈に怪しんでいる。

 だけど本当のことは言わない。悪いけど、さっき決めた。

 

 兄の身体を返せ! なんて言われても返せないし、この記憶も、意識に張り付いた端末も俺の物であって。

 本当のことを言うにしても、せめて返す方法が見つかってから…………って、やめやめ。

 なんか正当化しようとしちゃった。見苦しい。

 

 ──俺は返さない。

 

 例え取り立てられても、自ら手放したのに今更なんだと徹底抗戦してやる。

 それで地獄にでも堕ちたら……そこでは感情切って過ごそうかな。

 

「なんか頭フラフラしてさ、ね? 何年だっけ?」

「──!」

 

 しつこく迫ると彼女は怒ったように脇の机に手を伸ばし、置いてあった別のスマホを俺に投げてきた。

 咄嗟に左手でキャッチして、画面に指が当たる。

 

「こらこら。危ないでしょう……が…………え?」

「……なに、なんだよその顔は」

「ふふ。うはは。そっちがなんだよ」

 

 ウケる。

 

 いやウケない。もう自分の感情がどういうことになってるか分からない。

 スマホ画面に映る——『2030』の文字が、俺の小さな脳みそにはどうしても入ってこなかった。

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