振り返れば、一月なんてあっという間だった。
二人とも手は掛かるし、成長も早いし、何より誰かと一緒に高め合っていくというのは初めてで、楽しかった。
「はっ……はぁっ……おい、一ノ瀬……!」
篠宮さんが膝に手をついた。
背中が大きく上下する。額から落ちた汗が僕のすぐ横の地面に落ちていく。
「なんだよ、これ……っ。走るだけで、こんな疲れっこと、今まで……!」
使い慣れていない筋肉を使ってるからね。
今までと同じ速さで走っても、身体にとっては同じ運動じゃない。
疲れるのは当然だ。
「はぁ……っ、つーか、昨日から全身痛えんだけど。脚だけじゃねえぞ。腹も、背中も……っ」
篠宮さんが上体を起こして、顔をしかめている。
「サッカーって、ここまで上半身使う必要あんのかよ……!」
あるよ。それに元の走り方も綺麗だったわけじゃない。
そこを整えて、余っている筋肉に負荷を分散させているんだ。
筋肉痛も出ないわけない。
「ちっ、聞いてんのかよおい」
「あ、あの……真莉さん。ちょ、ちょっと……」
「あん? や、真白はそんだけ動いたんだから、まだゆっくりしてろよ」
「……いや、兄さんはさらに死にかけてるので、そのへんで……」
遅いけど……ありがとう。
最近真白は反抗期に突入したのかよそよそしくて、庇ってくれないのかと思っちゃった。
「……は!?」
視野が……驚異的に狭い……‼︎
篠宮さんが、芝の上に張り付いている僕をようやく見下ろしてくれる。
足は動かないし喋りたくもない。
話しかけてくるの、嫌がらせかと思ったよ!
「こいつ、チャリであたしらに付いてきただけじゃん!」
「一応、これでも成長してるんです……兄さん」
「……じゃあどうやってこいつ、あそこまで上手くなったんだよ!」
「あ、あはは。あんまり真面目に考えても疲れますって」
今はこうやって、真白からの詮索はほとんどなくなった。
少し寂しい気もするけど、最近僕は気を抜き過ぎていたから丁度いいのかもしれない。
篠宮さんはもう一度、僕を見る。
「……深呼吸すんだよ」
「は……っ、ふ……え?」
「大きく吸って、吐いて、酸素を全身に取り込む。そうすりゃちったあマシに──」
くっ……この僕に、なんて浅いアドバイス……!
こっちが喋れないのをいいことに……それで回復すんのはあんただけだわ!!
真白へ、目で助けを求める。
スッと逸らされる。
……今後は支倉さんみたいな気遣い人が必要になってくるのかもしれない。
試合まで──残り20日。
「もーむり。今日、家まで歩くのだりぃ……」
篠宮さんはウインドブレーカーを脱いで、Tシャツ一枚になっている。
珍しく地面に腰を下ろして、シュート練習に励む妹を眺めてもどかしそうだ。
「……練習量で負けたの初めてなんだけど」
「まあまあ。慣れてくれば無駄な力も抜けて、またすぐ追い抜けるから。成長は実感できてるよね?」
「ま、な」
それでも篠宮さんは釈然としない様子だ。
いつの間にかバスケ部も休んでサッカーと向き合って、御堂さんの観察も予想をはるかに超えて進めている。
熱心なのはいいんだけど──
「帰りとか、檜山あたりに送ってもらえたりしない?」
「は? 何言ってんの?」
「そんな格好で、そこまで疲弊したまま帰んの危ないって」
「や、だからってなんでガクだよ……あいつ、最近あたしが身体痛そうにしてんの見て、うっせえんだよ」
「心配してくれてるじゃん。見た感じ絶対引き受けてくれると思うけど」
「却下で」
……くっそ、せめて自転車買いなよって思うけど、スパイクとボールにお金使っちゃって余裕がないらしい。
それなら強く言えない……
「つーかあいつに、女子2人酷使しまくってるとこ見せんの? 一ノ瀬、ガクにめっちゃ嫌われてんのに?」
「っ、待って、僕檜山にはなにもしてなくない⁉︎」
「あいつん中で、あたしがバスケ部休んでる原因はお前らしいわ」
……どんな推理だよ。最近まで僕も知らなかったっての。
いや、実際ここに来てるんだし、僕のせいとも言えるのか……?
この葛藤が良くなかったんだと思う。
これで僕にも責任ありという流れに持っていかれた。
二人とも僕の部屋のシャワーで汗を流し、少し回復してから帰るようになった。
学校終わりに一回帰るのもだるいと、運動着への着替えも僕の部屋ですることになった。
別にそのくらいいいけどさ、片方がその間僕を見張る係なのが屈辱なんだよ!
否定すんのも怪しいと受け入れていたら、スパイクまで玄関に置かれるようになった。
僕の部屋は、めでたく部室へと進化したらしい。
──残り14日。
「その……あの配信者の動画って、他にないですか……?」
最近真白の言葉に、敬語が混ざることが増えてきた。
「あるにはあるけど……あれただの布教動画らしくて、ドリブルとかパスとか基本的なものしかなくて人数少ない今は役に立たないよ?」
「⁉︎ 大丈夫! 送って──下さい!」
マズったな……第二フォーム習得は繊細なものだから、最近は篠宮さんに付きっきりなことが多かった。
真白の成長だって順調だし、僕なんかよりよっぽどしっかりしてるからと甘く考えていた。
もっと気軽に頼ってくれていいと言うけど、そういうわけじゃないと否定される。
「……分かった。ただどうしても、今は篠宮さんから目が離せなくて……未編集でもいい?」
「全然いい! ありがとう‼︎ 兄さんはそっち集中してていいから!」
……? 怒ってるわけじゃないのか?
とにかく、以前のものはPCに移して容量は空けたとのことで、新しく2本送った。
「──な、な、な、なんてもの送ってくんのよ⁉︎」
その夜電話でこっ酷く叱られた。
そりゃあドリブル練習なんだから、僕の作ったDFマシンも映っちゃうよ。
今も端末はお仕事中だし、編集する時間ないんだって。
ならついでにと、特注していた上履きも渡してみた。
お説教は長くなったけど、元の遠慮しない真白に戻ってくれたなら良かった。
いや、買い物に続き、洗濯までしてくれるようになったのは少し……ここは要修正。
──残り10日。
いつもの僕の部屋。
せめて2日間くらいは身体を休ませたいし、今日が僕らの集まる最後の日だ。
練習も終わって、制服に着替え終わった二人が呑気に話している。
「今さー。あたしが部活休んでんのは、男ができたからって噂になってんだけど」
「へえー。真莉さんモテそうですもんね」
恋バナかー……居心地悪いな。なんで僕が近くにいんのにこんな話しすんだろ。
「その噂の相手が、一ノ瀬なんだけど」
「あはははははっ!!」
「っ、て、てめえがなんでここで笑えるんだよ! 元はと言えば、お前があんな人目につくとこでセクハラかますからだろうが!」
えー? そんなのいつの話よ。
あり得なさ過ぎて笑っちゃった。
否定しても、火のないところに煙は立たないとか言われるやつ。
ほんと恋愛系の噂話は、いつの時代もタチが悪い。
「兄さんが悪い」
「真白も篠宮さんの心臓の凄さは味わってるじゃん。興奮するのも分かるよね」
「…………まあ」
篠宮さんはいつも通りに見えたから、そのまま軽く話してた。
空元気だったのかもしれない。
「──っ、……最近夢に出んだよ。あたしが無様に負けて、お前らまで笑われてるやつ」
「えと、真莉さん……?」
「……やっぱさー。一ノ瀬は見に来ない方がいいんじゃね?」
篠宮さんは、なんでもないかのような顔で提案してくる。
それでも些細な声の震えや、身体に入る無駄な力を、試合前で注意深く見てくれてる端末が見逃すわけなかった。
試合が近付いてきて、色々考え始めちゃうか……
経験の無い競技、向こうは日本代表。
さすがの篠宮さんでも、ここまで仕上がってきても、弱ってしまうのは当然なのかもしれない。
とは言っても、勘違いは良くないよ。
「実はさ。せっかく篠宮さんのデビュー戦が、ただの紅白戦って微妙だなって内心思ってたんだ」
「……それ以外で戦えねーだろ。なんの話だよ」
「なんか注目されてるなら楽しみ! 真白も行くよね?」
「……っ、な、テメ! つか、妹まで巻き込むんじゃ──」
「行く」
「は⁉︎」
「芝高って申請すれば学校見学できるみたいで、実は元々行こうと思ってました」
「……ました。じゃねえんだよ! お前ならこういう噂の厄介さくらい分かんだろ。落ち目のやつは、周りまで笑われて──」
「私、兄さんのせいで散々笑い者になってきましたし、ふふ。この程度ならそよ風なんですけど」
こ……ここは黙秘。僕が謝っていいことじゃない。
でも妹を笑ったやつは、いつか作る僕の動画サイトのアクセス権は没収だ!
「そ、そもそも! こういう時って、普通あたしを励ますもんじゃねえの⁉︎」
「えー? 篠宮さんのプレイスタイルにそういう自信いらないし」
「っああ!?」
あんな小賢しい相手なら、むしろ自分を疑ってるくらいが丁度いい。
落ち着いて視野なんか広げなくていい。緊張によるスタミナ減少も、余ってるくらいだからいいんじゃね?
「…………真莉さんは、そうかも」
「そうそう。むしろそういう複雑な思い抱えててくれる方が、見てる側としては最高で──っと」
久しぶりに暴力使われた。
「当たらない蹴りは膝に良くないよ? 僕認定ではもうサッカー選手なんだから、もう少し自覚をさー」
「く、くそ兄妹が! 野次馬よりタチ悪いだろそれ!」
「わ、私はそこまで思ってないですよ! ただ私は御堂春のファンだし……初心者に負けてほしくもないなって……」
へえ、初めて知った。そう言えば真白は中学三年生。
同じ地区の一つ上に、あんなのいたら憧れちゃうか。
「〜〜〜っ、お前らの心配とか、2度としねえから!!」
──残り2日。
当日。篠宮さんはいつも通りの素っ気ない挨拶で、僕らを迎えてくれた。
緊張はしてるけど、顔色は悪くない。身体に疲労も溜まってない。
白線の引かれた土のグラウンド。端には使い込まれたゴールとベンチ、ボール籠が並んでいる。
見学用の別のベンチもあるけど、僕は出禁明けだ。近くの階段にでも座って見ようかな。
周りを見渡すと、檜山と、クラスでよく話してた女の子たちが一緒に見に来てる。
檜山は僕を睨んで、女子たちは僕らを指差してニヤニヤして、ホントに噂になってそうでウケる。
ここまでは文句なし。
一つ誤算だったのは──
「うおおおっ! 真莉今日も来てくれたんだ! やっぱサッカー部に入ってくれんの⁉︎」
「御堂は真莉に絡みに行くんじゃねえ! ややこしいことになんだよ!」
…………久しぶりに見た御堂さんの顔は血色が良くて、ほとんど疲労も溜まっていないこと……
この一月、なにもかも上手くいきすぎて、正直余裕かと思ってた。
ごめん篠宮さん。
やっぱり緊張だめ! スタミナ大事に!