右の靴ひもを結び直す。
さっきよりきつい。力入りすぎなんじゃねえか?
店員に勧められるまま買ったオレンジのスパイク。
一月しか履かねえのに2万も出して、マジであたしはここで何をしてるんだろうな。
後ろでボールを蹴る音がした。
誰かの笑い声の中に御堂の声が混じっている。
結び目をほどいて、ゆっくり息を吐く。
「篠宮さん、今日もありがとね!」
顔を上げると、以前紅白戦の参加をお願いした先輩が立っていた。
「や、また参加させてくれて、ありがたいす」
「いやいや! 前回あれだけ走ってくれて、うちらまた来て欲しいって話してたんだよ?」
実はー、来てくれるって聞いて、こんなの用意してみたんだけど──
なんてごにょごにょ言いながら、入部届けらしきものが見えて慌てて
「これあざっす。じゃあ軽く身体伸ばしてくるんで」
「…………うん。じゃあ準備できたら、あっちに集まってくれる?」
「はい」
先輩が離れると、近くでボールを蹴っていた人にも手を振られた。
軽く頭を下げて、ビブスを膝に置く。
いいチームかよ。御堂が選んだだけあるってか?
……前回、あたしはあれだけやられたってのにな。
足の甲を押さえ、今度は締め過ぎないよう結び直す。
「うーす。今日もさんきゅな」
「おー」
見上げなくても、あたしにかかる影のデカさで花音だとすぐ分かる。
「そんで、今日はなんなわけ」
「……なにがなんだよ」
「お前さー。御堂にいらつくのは分かっけど、あんだけやられてリベンジくるかふつー」
「うっせえ、分かんじゃねえ」
なんでこいつにもバレてんだよ。逆恨みなんだからほっとけや。
「そんで一ノ瀬連れてきたと思ったらめちゃくちゃやつれてっし……まじで意味わかんねえんだけど」
「やつれー? ただ痩せただけだろ」
「一月であんな変わんねえーんだわ! 見るたびにビビらせてくんのなんなんだよ!!」
視線の先には、グラウンドの端の階段。
まだまだデブの一ノ瀬が真白と並んで座っていた。
まあ、久しぶりに見たならそう思うか。
あんだけ毎日無茶苦茶やってて、痩せねえわけねーんだけどな。
「てかベンチに座んねえの、あれアタシへの当てつけだよな!? そんなキレてんのかよ」
「……全く気にしてねえから、放っとけあいつは」
気にしいが、無理して悪ぶるからそうなんだよ。
実際あのテンションと悪評で女子見てるほうがわりーだろ。
「……すげえ代弁すんじゃん。え、一ノ瀬と付き合ってるって噂、あれマジなん?」
「ねえわ! 全身から情報量出してくんだよあいつは!」
「だ、だよな」
ビブスに首を通して立ち上がる。
裾を引っ張って整えても、花音はまだその場にいた。
「逆にお前がなんだよ。なに、お前もこういうつまんねえ話に興味持ち始めたわけ?」
「……あー、そうじゃなくてよ。ま、礼言ってなかったなって」
また階段へ目を向ける。
「一ノ瀬の言った通り、まじであのバカ生活削ってやがってさ」
「……」
「皆で御堂の負担減らそうって話して。効果出せてるかは知んねえけど」
「……出せてるってよ」
何が予定狂っちゃった、だ。
こんな思い立ったら即行動! みたいなやつに、弱点聞かせたてめえのせいじゃねえか!
二割くらいは、御堂のこと聞こうとしたあたしの責任として……
「どっちにしろ、あいつに礼もいらねえっての」
そいつ嬉しそうに御堂の弱点突こうとしてたんだから。
「いや、アタシもほら」
花音が青いビブスの胸をつまむ。
青い11番。
「……お、お前、はあ⁉︎ 前に一ノ瀬のせいでB落ちしたって騒いでたよな⁉︎」
「無責任なこと言いやがってな。でもよく考えたら、悪くねえ指摘もあって」
「……こっちは今日、お前が味方だと計算して──」
「うはは。逆に利き足の前にボール落としゃいいんだろってひたすら地味練してたら、最近すげー調子いいんだわ!」
~~っ、あたしらまじでグダグダじゃねえか!
「…………おめ」
「おう。じゃねーよ。今さら一ノ瀬に礼しに行っていいのかって聞いてんだよ」
こいつも……ムキになって逆足を使うんじゃなくて、上手く切り替えて成功してる。
なんであたしはいつも、御堂なんかにこだわって──
「つか敵なら話しかけてくんなや!」
「……いや、なんで紅白戦で、ただの人数合わせが一番ガチなんだよ」
「帰れ」
「へいへい。おーこわ。篠宮さんがまたヘラってますわぁ~」
笑いながら青い背中が離れていく。
……いや、いい。一ノ瀬は馬鹿だから試合に勝とうとしてっけど、あくまであたしの標的は御堂。やることは変わんねえ。
肩を一度回して、Bの集まる方へ向かった。
♢
「じゃあ篠宮さん、どうする? 基本自由に動いてもらっていいんだけど、人によっては指示が欲しい人もいて──」
輪に入ると、ビブスを渡してくれた先輩が聞いてきた。
しゃがんだ人が地面に指で線を引いて、何人かがその上を指している。
全員が一度こっちを向いて、返事を待ってくれた。
「なら今回も、御堂についていいすか」
地面をなぞっていた指が止まる。
「……えーと」
先輩は一度口を開けて、隣の人へ目を向けた。
「もしかして……誰かに頼まれた、とか?」
「ちょ! そういうありそうな説やめません!?」
隣で騒がしいやつには、見覚えがあった。
前回、あたしが御堂を見失ったところに詰めてくれて、一緒にぼろくそにされてたやつ。
確か隣のクラスの……『
「……ありそう言うな」
「だって! ぶっちゃけあいつにつきたいやつなんていないじゃないっすか!」
「A狙ってるなら……そういう本音は隠すように」
誰も否定しないで、笑ってる。
「ま、まあそんな感じであの子の相手はハズレ扱いだし、今日はもっと負担の少ないところでも──」
「いや、」
と、先輩の言葉を遮ってしまった。
まあ、これを言うならふてぶてしいくらいが丁度いいだろ。
「──今日はリベンジに来たんで」
て、やべ。この言い方じゃあ誤解されかねないか。
「あ、ファウルしようとかじゃないっす。そのへんのルールは覚えてきたんで」
「……る、ルールを、覚えて……」
誰もすぐには返さなかった。
「……あー篠宮」
そんな中、泉が言いづらそうに声を上げる。
「あそこの暇人ども。今日見学に来るっていう一ノ瀬を見に来たんだろうけど」
「ああ。ガクが一ノ瀬に一言いいに行くってやつ」
ガクと、その周りの女子をそっと指差している。
正直あんなんに突っかかるとか、あたしも見てえくらいだし来んのも分かる。
「ああいうやつらの前だし、大人しくしてたほうがよくね?」
「あー……」
気ぃ遣ってくれてんなー。タメにこれとか、前回あたしはどう見えてたんだ?
まあいいや。
「有識者曰く──あいつらはあたしの味方らしい」
「……は?」
「『どれだけ御堂さんが凄くても彼女らは分かんないだろうし、初心者に苦戦してたらきっと御堂さんのノイズになってくれる』ってさ」
「……誰だよそのカスみたいな有識者は!?」
泉の突っ込みに、周りも笑ってる。
そうだよ。気遣いなんていらねーんだ。
先輩があたしを見て、それから小さく息を吐いた。
「分かった。じゃあ御堂、お願いしようかな」
「でもきつくなったら言ってよー? したらまあ、誰かが代わっから……」
「了解す」
止まっていた指が、また地面を動き始める。
「なら、篠宮さんが抜かれた後ろは私が見るわ」
「フォローの声掛けはいるー?」
「あ、そだ。御堂舐めプすっから、今日どんな縛り入れてるのか読めたやつは共有を──」
そのまま、あたしが御堂につく前提で話が進んでいく。
チームの勝利より、自分のアピールがしたいとか、そんでAに上がりたいとか。
こういう人たちの方が好きなのは、どうなんだろうな。
「てか、全部あたしがやられる想定の話じゃないすか」
「……えへ。でも御堂楽させるとほんと好き放題するから。張り付く人がいてくれると助かるのはほんとだよ?」
今日もこの前の走り、期待してるから! と悪い笑顔で背中を叩かれる。
「……先輩たちも、見返してやりますから」
言ったものの、あとの作戦の話は分かんねえのばっか。
緩い態度ながらも本気な人たちを、ただ見つめていた。
輪がほどけて、それぞれの位置へ向かい始める。
あたしも青の7番へ、真っすぐ歩く。
「……ええー? また私のマーク真莉かよー」
あたしが近づくのを見て、御堂がうんざりした顔を向けてくる。
「あいつらいい加減にしろよマジで。私言ってきてやろうか」
「……なにをだよ」
「は? いや、せっかくのお客さんに失礼なことすんなって。真莉だって私のマークじゃ練習になんねーじゃん」
努力してきたんだから、実力示してえ気持ちは仕方ねえだろ。
そんでお前はやっぱり下の気持ちが分かんねえんだな。
「──真莉『だって』?」
「お、おお。ねちっこ。そりゃそうだよ、サッカー素人なんて私にはいないも同然だし」
「相変わらずムカつくやつで安心したわ。お前のマークを志願した甲斐があった」
「……え、マジ? 我日本代表ぞ?」
「素人になにイキってんだよ。それがどんだけのものかすら知らねーから」
普通の試合映像はあたしの参考にならないうえに、余計なこと考えそうだからと止められてんだ。
なんだよこの教育方針は……
「…………ま、いっか。プロになってからじゃ弱いものいじめなんて中々できないだろうしね」
「プロ、ねー。そいやあたしにサッカー教えたヤツが、御堂がプロで活躍すんのすげー楽しみにしてたわ」
「お、分かってんじゃん。てかなんで真莉がサッカー教わって──」
「プロになったとこ見てーけど、弱点だらけで無理そうだって。だから現実見せてこいってさ。仕方ねーから引き受けてやったわ」
まあ、こんな意味にも取れることは言ってた。知らんけど。
「……すっげー言いにくいんだけど、そいつただの逆張りマンだわ。ルール知ってるかも怪しいレベル」
「ま、あたしもそいつがどれだけのやつか知らんけど。少なくともお前は足元にも及ばないのは分かるわ」
「…………頭の中まで金に染めちゃったかー。分かった。私が5得点に絡んだら、そのカスから離れるように」
「はーん。ならあたしが勝ったら……くそ、負けるとすぐ泣くやつとか、条件出しづれー」
「っ、…………潰す」
『集合』の笛が鳴る。
これが、あたしにとって最後のサッカー。
……はっ。なんだかんだ名残惜しいんだな。
少し意識しただけで、一気にあたしの景色になったわ。