「ふ、ふふ。2030年、ねー」
タイムスリップなんてものを信じたわけじゃない。
ただ念のため、端末に2030年の医療技術で回復可能か問いかけただけ。
結果がこの表示。
《外部ネットワークに接続できません》
まさかこうくるとはね……
出生と同時に端末と生きてきた俺たち。「接続できません」で済ませていい問題じゃないだろ!
だけど分かった、もういいよ。
気がついたら古い病院で別人になっていて。
目の前には保存状態良好なスマホが二台。一つはこの身体、一ノ瀬葉月の物らしい。
その他もろもろ重なって、不思議な現象について考える段階はとっくに過ぎてるんだから。
ネットに繋げないなら、別方向からアプローチすればいい。
《端末内データベースを参照します》
保存されていたデータは問題なく使えるようだ。
カタカタと脳裏に文章が流れていく。
《該当データが見つかりました》
スマホを痛いほど握りしめ、上から順に一文字ずつ読んでいく。
《2030年医療水準:外科的固定を含め、日常生活復帰は十分可能》
《競技強度復帰:推定不能》
《トップレベル復帰は絶望的。ただし復帰不能とは判定されません》
「──う、うおおおおおおおっ! セ、セーフッ‼」
あ、あた、当たり前だよなあ! こんな奇跡が起きて、なんの意味もなかったなんて許されないよなあっ!?
「…………アウトだよ」
妹は、冷や汗塗れの俺から距離を取っている。
端末と話してるだけでこのリアクション。はあ、2030年。本気かもしれない……
一つ一つ整理していこう。まずは自分の身体データに目を通す。
《身長:171.2cm》
《体重:102.4kg》
《体脂肪率:40.1%》
おっと三桁。…………え、体重が?
……の、伸び代の、塊だ!
一からつける筋肉を選べるカスタムボディとも……言えなくもない!
現状が分かったなら、あとは環境が知りたい。
あらためて妹へと視線を戻す。
「あのさ。なに喜んでるか知んないけど……」
妹は右腕のギプスに目を落とし、言葉を選んでいる。
「な、なに、まだなにかあるの」
「……手。見た目よりずっと……重症だって。前みたいに動かせないかもって」
拳を握り、それでも最後まで言いきった。
声は少し震えている。
「いや、治療すればまた動くようになるって診断が──」
「っ、は、はあ!? 簡単に言わないでよ! 入院費だけで揉めてんのに、これ以上の治療なんかできるわけないじゃん!」
「……あ」
そうだ。俺にはもうプロの契約金も、事故による賠償金もなくて……端末Payを使うのは、多分犯罪だ。
待って。俺、知らない世界で無一文なの!?
「これからは、当分利き手なしの生活だよ。兄さんになにあったか知んないけど。私ら、子供だし仕方ないじゃん……」
「……言いづらいこと言わせてごめん。ありがとね」
そっかー……でもまあ、これからは葉月として生きていくんだ。葉月の負債だって当然俺の物で──
「全部返すから。そのうえで治療も、俺が稼いだ金でするから大丈夫」
どう稼ぐか何も考えていないけど、入院は間違いなく
「……あっそ。てかさ、さっきからなんなの。俺って」
「…………『僕』。ちょっとイキっちゃった」
「キモ。帰る」
一言言い残し、真白は持っていたスマホをポケットにしまって背を向けた。
「まーまー! ほら、全部返すって言ったじゃん。真白はなんで僕を嫌ってるの? それも含めて返させてよ」
「〜〜っ、帰る!!」
真白は俺……僕の言葉に足音を響かせて、帰ってしまった。
あの態度、恐らく僕が加害者かな。忘れてんならムカつくのも当然だ。
家族との関係修復も課題──じゃない、騙すことになるんだ。一方的な恩返しも課題かな。
「それにしても真白の身体、あんまりいい成長とは──」
「…………」
いつの間にかやってきていた看護師さんに、凄い目で見られている。
「…………一ノ瀬さん、検査の準備ができました」
「違いますからね?」
「あ、そうですか」
アスリート視点の話に決まってるでしょうが!
あの筋肉の付き方は間違いなくスポーツ競技者、なのにあんなにスラッとしてて──くそ、この体型で言うのはギャグ過ぎる!
「これに乗れますか? 腕、お辛いとは思いますが」
形状からして、押すタイプの車椅子。
頭も打ったみたいだし、念のためかな。
「……乗れ、ます」
「? では行きましょうか」
モーターもハンドルも、多分、自動操縦も付いていない……2030年、怪我にはこれまで以上に気をつけないといけないな。
♢
検査は思っていたよりずっと長かった。
血を抜かれ、瞳孔を見られ、反射を確認され、頭部の画像を撮るとかで何度も移動させられた。
もう自己診断で調べたのに──と考えたところで、急に恥ずかしくなった。
じゃあ僕は端末の補助無しでここまでの設備が作れるのかと。端末は僕が開発したものなのかと。
未来人マウントは、心の中でも極力しないようにしよう……
検査の最後に医者から説明を受けた。
脳に致命的な異常は見つからない。
右腕については、日常生活へ戻すための治療はできる。
「え、競技……復帰? なにかスポーツでも……サ、サッカー!?」
いや、それはお金も時間も別物で……という話だった。
「ご両親には連絡を入れました」
「あ、はい」
この身体の両親。葉月とどんな関係を築いていたかは知らないけど、
「ご両親は……一刻も早い退院を希望されています」
「⁉︎ の、望むところです!」
「……え? い、いや確定ではありません。状態を見て、退院後の生活環境も確認する必要があります。利き手の使えない生活になりますし、通院も──」
「できます」
「一ノ瀬さん」
「退院できます」
他人の僕が、両親にこれ以上負担を掛けたくない。借金は少ない方がいい。
自分の現状を知らなくちゃ、どう動いていいかも分からない!
「気持ちは分かりましたが、その判断が一ノ瀬さんには……いや、ご本人と保護者の意向ですので、前向きに検討はしますが……」
「ありがとうございます!」
僕のハジける笑顔に疲れた顔の先生。
とりあえず今日は部屋に戻って休みなさいとのことだ。
看護師さんに部屋へ送られている間に、これからの行動順を頭に描いていく。
退院、お金を稼ぐ、借金返済、家族への恩返し。その過程での減量。今のとこ、これくらいかな。
サッカーのためにサッカーはひとまず我慢。
端末に箇条書きでメモしていく。
と、そうだ。この端末、インターネットに繋げないんだ。
スマホの使い方も覚えないと、お家に帰る方法すら分からない。
「──せさん、い、一ノ瀬さん!」
考え事をしていたら、看護師さんに慌てたように声を掛けられていた。
「あ、すみません、ボーッとしてました」
「……もう。お部屋に着きましたよ」
「ありがとうございます。そうだ、このスマホってどう使うんでしょうか?」
「…………もう一回先生のとこ行きます?」
軽い口調。だけど少し声が硬い。
いかんいかん。僕はこれから2030年育ちとして生きていくんだ。気を抜くんじゃない。
「ふふ、記憶喪失ジョークです」
「笑えない……」
「あ、今日の晩御飯はプロテインがいいんですが」
「……さ、下ろしますよー」
もう相手にもされない。迂闊に常識が聞けないとなると、端末から教わっていくしかないか。
♢
「スマホの使い方教えて」
《対応データがありません》
「…………一ノ瀬葉月ってどんな人?」
《データが存在しません》
「2030年のサッカー動画が見たいんだけど」
《データが存在しません》
「……お金を稼ぎたい」
《推奨:競技特化型身体提供契約》
「僕のこの、たわわな肉体を……?」
《推奨:競技特化型端末の売却》
《推奨:脳内広告受信枠販売》
《推奨:睡眠時間レンタル契約》
「ふぅー、なるほど。君はこれからギャル口調で喋るように」
その頭良さそうな喋り方でポンコツなの、頭くるわ!
深呼吸を挟む。やることが多すぎて、やることが分からない。
多分、焦って効率を気にしているからだと思う。
あほらしい、悩む時間こそ効率悪いわ。ひとつずつ片付けていけばいいんだよ。
まずは筋トレ。試合が控えてるわけでもないのに、どの部位も筋疲労していないのは許されていいことじゃない。
《だめに決まってんだろ》
「え、でも右腕以外大した怪我してないんでしょ? あともう少し弱めのギャルにして」
《その前に太った身体と、右腕庇う動きに慣れてからでしょ》
「……あ、はーい」
そっか。問題は右腕だけかと思ってたけど、むぅ……ちょっと僕の自覚が足りないな。端末には身体保護の裁量を増やしておこう。
♢
「はぁっ、はぁっ……ふ……ひゅ……」
黙々と、頭に浮かべてもらった動きをなぞっていく。
ベッドから体を起こす。寝返りを打つ。疲れない姿勢までひとつずつ。
それでも息はすぐ切れて、身体中が痛い。
「ね、ねえ、本当にこれであってる……? ぜ、全然しっくりこなくて」
《……悪いけど今忙しい》
「忙しいわけあるかい。全く、君は世界一を目指す僕の相棒としての自覚が──」
《いや本当に。なんでか過去のデータと全然一致しなくて》
あ、そういうこと。AIは融通が利かないなあ。
超常現象のことまで真面目に考えても仕方ないのに。
「えーと、これなんて言うんだっけ。り、輪廻……そんな感じのやつだから」
《…………脳疲労を検知:ごめん負荷計算ミスった。落とすわ》
「ふふ。なにそれ。君がミスなんかするわけ──」
《楽な姿勢取ってー。はい、五、四、三──》
「え、ちょ、落とすってなにを──」
第二の人生初日。
「──あっ」
僕の意識はほんの少しの抵抗も許されず、真っ暗闇へと落ちていった。