「……ほんと疲れる。もう帰るから」
真白は不機嫌そうに鞄からビニールに包まれたおにぎり二つ取り出して、冷蔵庫に入れて帰ろうとする。
「うわ、ありがとー。お金は次でも平気?」
「別に。今回は私が勝手に買ってきただけだし──」
「なるほど。なら以前の家のポストに入れておく。いくら?」
「っ、スマホで送って! 300円ね!」
へー。スマホもまだまだ知らない機能が沢山あるんだな。でも安く申告してそうだし、値段は調べておこう。
それより今は──端末を見ると現在16時。推定中学生とはいえ時間はまだ平気だろう。
「おにぎり大好き。一つ投げてもらっていい?」
嫌われながらもここまで世話されて、僕だってただ帰すわけにはいかないんだよ!
「……ち。言っとくけど、家事を手伝うってだけで、甘やかすつもりはないからね!」
真白はおにぎりを振り上げて──やっぱり下から投げる。甘やかし過ぎでは?
見映え的にはそのまま上から投げて欲しかった。
「──おっと」
投げられたおにぎりを前に一歩引いて、ちょうどいい場所で待ち受ける。
左足をわずかに引く。
甲に触れた瞬間、落下の勢いを殺すように膝を抜き、靴下越しにぴたりと乗せた。
「……!」
やっぱり。いや、思った以上に映えなかった。
僕は足の甲からおにぎりをそっと机の上に置き、段ボールの中からもっと分かりやすい物を探す。
「え。い、いま何を──」
「ふふ、真白はさ。四階から飛び降りて、この程度の怪我で済むなんておかしいと思わなかった?」
「木に引っ掛かって、速度が落ちたって聞いたけど」
「……ああそう」
僕が乗り移ったことで息を吹き返したとかじゃないんだ……
くそ、もう匂わせちゃったし強引に進むしかない!
「死の淵で、力に目覚めたんだ。さっきの瞬間記憶だってそう。だから無事でいられたんだよ」
「……もう疲れたって言ってんの」
全然相手にされないけど、それでも止まれない。
今の僕の信頼度でサッカーを教えるなら、このくらいは明かさないと話にならないんだから。
手は段ボールを探りながら、得意気な視線は真白から逸らさない。
「自殺で覚醒するような奴が、そんな堂々生きてるわけない」
「……偏見だから。尊い理由の時しか覚醒しちゃいけないルールはないから」
そのおかげか、一応話には付き合ってくれるようだ。
「ただの偶然でいちいち調子ノんないで」
「はーん。ならもう一回見せようかな。この僕の──『力の流れを感じる能力』を!」
丁度いいのが見つかった。真白がまだ玄関で冷めてるのを確認してから上へと放り投げる。
天井近くでグルグルと回っているのは、安っぽい『ガラスのコップ』だ。
「は? え、ちょ! 何をして──」
落ちるコースは僕の目の前で、普通ならもう床で割れるしかないそれが──
「っ!?」
僕の左足の甲で跳ねもせず、音もなく止まっている。
「──嘘、でしょ……」
結局僕ら競技者は、言葉より目で見たものを信じるんだ。これがどれだけ難しいことかなんて自分の身体が一番知ってるんだから。
「どれだけ回転していようとも、力の強さと流れをなぞるように受け流す。ふふ、どうよ」
目を見開いた妹の反応が、実に気持ちいい。そのまま左足を持ち上げコップを手に取って、段ボールへと戻す。
真白は玄関からズカズカと部屋に入ってきて、コップに何か細工されていないか確認している。
僕の視界を端末が解析、脳に補助映像として重ねることで力の流れや強弱が見えるんだ。少し時間を掛ければもっと詳しくね。
ここへ来て色んな動画を見たけど、この時代に機材無しでここまで見る技術は絶対ない。
いくら探しても原因なんて「僕が凄い」以外に考えられない。事実僕も凄いけどね!
「…………っ」
なのに真白は絶対信じない! とばかりに鞄に手を入れて、何か手のひらほどの白いチューブをこっちへ投げてくる。
「──コ、コントロールはちゃんとして欲しい……!」
反応が遅れるこの身体で、なんとか落下点へと向かって右足でキャッチする。
「…………」
「ふひゅん、ふふ、ひゅー……」
口を開けたまま呆然とする妹に、得意気に笑おうとして酸素が足りないことに気付く。
ねえ嘘でしょ僕の身体さあ!
「……ごめ、今回は……はぁっ、閉店ね、ふぅ」
「な、納得できない! そんなバカな話を信じたとしても、それができる理由にならない!」
「いや……ちょ、はぁ、待って、って……」
この流れる汗が見えないの? もう説明できる状態じゃないでしょ僕は!
いやいい、こんなこともあろうかと、コップを投げる際に僕の視界情報を録画しておいたから。
数日いじったおかげでスマホの通信規格は解析済み。
『近距離』で、そのうえで端末データの『送信』のみなら容量次第で可能みたい。
ローカル通信というやつらしい。
「……なによ」
画面に映るのは僕の視界。力の矢印と、強弱を示す色分けまでそのままだ。
初心者向けに、矢印の表示は分かりやすいものだけ。
指でこっちへ来るよう合図して、それを見せてあげる。
「──な!? これ、本当、なの?」
画面の中で、落ちてきたコップの矢印が僕の足に触れる。けれど反発して跳ね返らない。足首から膝の方へ細く流れて消えていた。
もう一度見ようとしたのか手をスマホへと伸ばされる。なんとか躱してそのままデータを消す。
「わ、分かるでしょ? しょ……ふぅ、証拠は残したくないの」
「……私に見せたじゃん」
「そんなの誰かに話しても、僕は可哀想な目で真白を見るだけだし」
「…………っ、く」
そんな状況を想像したのだろう。
悔しそうに、続く言葉を飲み込んでいる。兄に反論できないのがそんなに屈辱かい?
「……こんな特技を本当に持ってるなら、私に構ってるわけない」
「んー?」
「メリットがないじゃん! こんなの他所へ持ってけばいくらでもお金稼げ──」
「なんでだよあるよ!」
それはもう、たんまりと!
僕は競技復帰まで、どれだけ掛かるんだ? 端末を駆使しても、お金の都合で治療が遅くなる。
トレーニング設備だって買わなきゃいけない。
とにかくお金。お金が無いと予想もつかない。
その間この僕と、誰がサッカーの練習に付き合ってくれるんだあ?
僕の特異性を明かせば誰でも付き合ってくれる?
多分女子相手だと警戒されて、明かすところまでいけないね。
男は論外だ。ライバル増やしちゃうだろ!
「僕のプロサッカー選手計画の障害にならない女子選手。しかもサッカー経験者なのに休部中──」
「さ、最低最低最低!」
そのうえ恩も借りも罪悪感すら清算できる最強の一手。
プロを目指す連中とは、絶望的な環境差があるんだ。多少の情報漏洩リスクくらい、喜んで取るわ!
「…………もう一回見せて」
(もう一回見せていい?)
《脳疲労、歩行による筋肉使用量が安全域を超過。結論:だめー》
「続きはまた今度」
「詐欺師!」
「次来る時は晩御飯用意しとくから、いらないってお母さんに伝えてきてね!」
「ねえなんでいつも会話が成立しないの!?」
僕が受けてきたヤジとSNSの書き込みで学んだんだ。
結果で黙らせた方が気持ちいいし、早くない? って。
「詐欺師みたいにすぐ決断を迫ったりしないよ。じっくり考えていいからね」
「…………」
そう、じっくりと考えればいいさ。
「もし来るなら、動きやすい服と靴、もし何かボールでもあればそれもね!」
「…………も、もう来ないから」
じっくり考えちゃったら、無理だと思うから。
「あ、これ合鍵ね。僕がいなかったら入ってていいから」
「〜〜〜、なんかあった時のために、一応ね!!」
当然のように神業トラップをこなした時の、周囲の反応を想像する。
前世で僕の脳を散々焼いてくれた、津波みたいなカタルシス。はたしてこの年頃の子に耐えられるのかなー。