100年後のサッカーを、君に。   作:peko34

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8 三秒前の世界

 真白は使った食器を洗って一息ついている。トゲトゲしさも減って、ようやく本題を切り出せそうだ。

 

「それでさ。その大会ってのはいつ始まるの?」

「は? 急になに」

「ほら、昨日真白が言ってたサッカーの大会だって」

「……八月の、中旬からだけど」

 

 ふんふん。んー、今は五月のはじめ。予想よりは時間あるかな。

 でも端末のない時代のサッカーなら、連携の練習時間は取りたいはず。最低でも八月に戻すとして……上達の即効性は必要、と。

 

「……やっぱサッカー教えるってのも、本気で言ってたんだ」

「もちろん。なんで?」

「戻りたいなんて言ってない! いや……上手くなるってのは、ちょっと興味あるけど……」

「ならよかった。よしよし任せてよ。ボールは僕が持つから、真白は公園までこれ持ってって」

 

 立ち上がり、空の車椅子を真白に押してもらう。肘置きに固定したテーブルにはPC。横にはモバイルバッテリーとスポーツドリンクを乗せている。

 

 スポーツやってる人に急成長って、場合によっては毒レベルの快感だから。

 勝手にそんなものを浴びせるのはどうかと思ったけど、興味があったなら安心だ。

 

「ほら、早く! 色々持たせて悪いけど、今日はもう僕筋肉使えないんだから!」

「……テンション高。なんか答え間違えた気がしてきた」

 

 

       ♢

 

 

 真白が押す空の車椅子が、網に囲まれた芝の上を進んでいく。

 

 正面にはコンクリの壁。その中央に、雑に塗られた白いゴール枠。

 車椅子を中央まで運んでもらい、そこに腰を下ろして真白と向き合った。

 

「てかサッカー教えるって、兄さんそもそも私のこと知ってんの? ポジションすら知らないよね」

「知らないけどいいの」

 

 姿勢がいい。ピンと背筋が伸びて、努力の跡も見える。

 ただ身体の使い方がばらばらで、武器らしいところも見えない。

 

「……よくないだろ。適当言うな」

 

 ポジションなんて、なにが得意か分かってから選べばいいさ。

 

 僕は車椅子の肘置きに固定したテーブルごと、PCの画面を真白の方へ向ける。

 

「なに」

「僕がすぐ嘘つくのは分かるよね。これからはお互い疲れるだけの質問は無しでいこうか」

 

 もうカモフラージュとか、能力の秘匿とか、育成の邪魔になることはやめた。

 

 端末を持つ僕が100年前の女子中学生に出し抜かれたなら、それはもう僕が悪い。

 脳検査で端末の存在を検知できなかったこの世界。証拠を残さないことだけ徹底すればいい。

 

「……は?」

 

 数秒遅れて、黒い画面が明るくなった。

 

 映っているのは僕の視界。

 正面に立つ真白と、人工芝。

 

 その上に、いくつもの線が走っていた。

 

 重心、足裏の圧。

 思わずビクと動いた真白の身体から飛び出す、凄まじい数の矢印。初心者が混乱するだけの矢印は消して、と。

 

「これはPC画面に映してるだけだから、馬鹿なことは考えないようにね」

 

 万が一にでもPCを持っていかれないよう、牽制だけはいれておく。

 

 青、黄、赤。

 矢印の色は、力の強弱。

 

 短い線、長い線。

 運動連鎖が上手くいくほど長くなる。

 

 細い線、太い線。

 複数の力が集まるほど太くなる。

 

「…………また、この気持ち悪いの」

 

 真白の顔から表情が消えて、やがて目を見開いた。

 

「──待って。こ、これ、今の映像!? 今が映ってるの!?」

「三秒くらい時差出てるみたいだけど。でも色々修正しなきゃなんだから、逆にいいよね」

 

 動きながら画面を見てたら、逆にフォームが崩れてしまうから。

 

「そう、じゃない! なにこれ!? なんでこんなの見えるんだよ!?」

「だからさ。その質問にまともに答えると思う?」

「……っ」

 

 真白は一度僕を睨むけど、今はそんな場合じゃないと思ったんだろう。

 画面に近づき、口を半開きにしたまま固まっている。

 

「はい、ボール」

 

 抱えていたボールを足元へ落とし、右足で回転を掛けて真白の膝辺りに浮かせた。あえてトラップしづらい場所に。

 

「──ちょ!」

 

 急に飛んできたボールに反応が遅れたのか、足に当たったボールは少し遠くに離れてしまう。

 

「…………矢印の反発が、大きくなった」

「大きくしちゃうのはマズイね」

 

 分かりやすいよう難しいボールを渡したんだけどね。

 小さな風の音しかしないこの公園に、ごくりと唾を飲み込む音がした。何故だか空気が重い。

 

《…………心拍異常。落ち着けアホ》

 

 端末に指摘されて、自分の心臓が暴れていることに気づいた。唾を飲み込んだ音は僕から出たんかい。

 

(はあ、そだね。久しぶりに右足でボール蹴った気がしてさあ……)

《約束破って脳負荷上げたから、今日は録画再生禁止ね》

(……はーい)

 

 あーあ、全然我慢できなかった。

 妹の前で落ちる気かい何やっとんじゃ。

 幸い真白は画面に夢中。深呼吸して、呼吸を整える。

 

「兄さんは、このまま私に付き合ってくれるってことで……いいんだね」

「そうだね。僕にとっても、真白にはもう少し上手くなってもらわないと練習にならないし」

「…………退屈だろうけど、こんなの見せられて遠慮なんてしないから」

「問題ないって。僕の視界を映すために見てはいるけど、別のこと考えてるし」

 

 そう言うと、真白はすぐにボールを取ってきて──集中。目を閉じて、フォームを頭に描いているんだろうか。

 

「……よし」

 

 一言出して、壁に向かってシュートを放つ。

 ボールとインパクトした足の甲には、少し太くなった短めの線のみだ。

 

「──くっ」

 

 PC画面に釘付けになっていた真白も悔しそうに声を出し、またボールをセットしている。

 

《ひどいフォーム。ねー、助言しないの》

 

 合理主義者の端末が、たったワンプレーでもう黙っていられない! とばかりに聞いてくる。

 この伸びるしかない練習環境じゃ必要ないから。むしろウザいだけだから。

 

《練習内容も非効率。彼女は筋出力、栄養、持久力が一番の課題。推奨は食事管理と基礎練習。映像フィードバックによる技術練習は後に回すべき》

(君はいつも合理的でいいねー)

 

 ふふ。僕と一緒にこの時代に来たのが競技特化型端末()で良かった。最初から感情を計算から弾いてる唯我独尊。話してて楽しいよ。

 

(あのさ。僕の時代に君のような競技モデルを搭載できるのは、もともとが異常者だけなんだよ?)

 

 真白はその前の段階。成長と自己実現で脳を焼くところから。

 その後は基礎練のような辛い練習だって、大喜びでできるようになるんだから!

 

《人間は気持ち悪い。やはり感情は消すべき》

(僕がこの先この気持ち悪さで驚かせてあげるから、楽しみにしててよ)

 

 真白はボールを軽く前に転がす。

 

 蹴って壁に当たる。

 返ってきたら足の甲で止めようとする。

 

「…………」

 

 思い通りの動きじゃなかったのか、真白はすぐにPCを見る。

 

 三秒遅れの画面の中で、返ってきたボールの矢印が甲で反発している。

 せっかくオレンジにした線が膝で詰まり、ボールを蹴る前には薄い黄色に変わっていた。

 まだまだ先は長そうだ。

 

 三回。

 四回。

 五回。

 

 

 

 

 

 

 時間が溶けていく。

 いつの間にか公園には照明が点いていた。

 

『バン!!』

 

 乾いた音が広い公園に響いて、ボーッと脳休憩していた僕の意識が目の前へと移る。

 

 変な方向に修正しようとしてたら止めるつもりだった。

 だけど真白は一つ一つの行動にしっかり考えている様子で、必要なさそうだったから。

 

「…………うそ」

 

 自分でもこんな音が出せたのが信じられないのか、画面も見ずに呆然としている。

 

 壁に跳ね返ったボールが、てん、てんと転がっていた。

 いいシュートが打てたみたいだね。

 とんでもない気持ちよさを味わっているのは想像できるけど、うん。ちょうど良かった。

 

 端末の表示を見る。

 

 19時27分。

 気付けば一時間も経っていた。

 

「はい終了。ダウンしてー」

「──っ!? まだ、大丈夫」

「なにが? ダメだよ?」

「自転車で来てるから大丈夫」

「もっと栄養付けてから言ってくれます?」

「…………部活では21時上がりだった」

「中学生がそんなわけあるかい!」

「あと十回」

 

 真白は既に意識する箇所を変え、関節の向きまで少しずつ修正し始めている。だけど、

 

「回数決めると焦っちゃうから駄目」

「い、一回一回ちゃんと時間とるし!」

「もっと駄目だよ。え、明日大事な試合でもあるの?」

「っ、今日はもうご飯のお替わり我慢した!」

「そういう制度ないから」

「〜〜〜! いいじゃんちょっとくらい過ぎてもさああっ!!」

「誰だ君は……」

 

 いつもの無表情はどこへやら、もはや普通のくそガキに成り果てた女の子を見て思う。

 

「今日は兄さんが意味深なことばっかするから時間を無駄にした!!」

「今日は真白がツンツンしてるせいで、あまり練習時間が取れなかったなぁ……」

「──っ! ぐぅ、っ」

 

 言い返せないんかい。大抵僕が悪かったのに、苦労しそうな性格だねえ。

 

「てか明日は僕も学校行くし、忙しいんだよね」

「…………は?」

 

 真白の動きが止まった。

 

「え、なに言ってんの」

「? 学校に行くから忙しくて?」

 

 まず髪を切る。荷物に入ってた資料から学校の場所を。復讐帳でクラスとクラスメイトの確認。学校への連絡。やることはたくさんあるんだ。

 

「もう行かなくていいでしょ!」

「いや、僕学生なんだが……」

「だって……!」

 

 そこで言葉が途切れた。

 ……ここで切るのは無法過ぎない?

 疑われるから僕は深く聞けないのに……

 

《理解不能。学習補助、基礎科目の解説は端末で対応可能。流星に学校へ行く合理的理由がない》

 

 端末は端末で凄いこと言ってる。

 綺麗事無し、倫理観無し。真っ直ぐにズレている。

 

 確かに僕の夢を考えたら行く意味あんまりないんだけどさ。

 納めてくれた学費は一年分。サッカー部に入っても、どうせ在学中に大会は出られそうもない。

 だけどそうじゃないんだ。

 

「せっかく払ってくれた学費ももったいないしさ」

「…………助けてくれる友達なんて、いないのに」

「大丈夫。実はアームホルダーとか、必要なものはほとんど買ってあるんだ」

 

 骨折した腕を吊る装備だけど、なんと小物が入れられるんだ。スマホ、お財布、できれば制汗スプレー。

 学校生活、なにするものぞ。だよ。

 届くのは明日の朝。楽しみで仕方ない!

 

「買ったって、ねえ。今日いくらお金使ったの……?」

 

(いくら?)

《締めて21,412円》

 

「2万円くらいかな」

「──馬鹿じゃないの!?」

 

 また怒られた。真白は頭を掻きむしっている。

 

「ああああっもう! やっぱり兄さんにお金なんか持たせちゃ駄目だった……これから使う時は相談して!!」

「……はーい」

 

(そんなに駄目だった?)

《駄目:三つまでまとめ買いがお得だったのに、プロテインとシェイカーを買わなかったのは致命的》

 

 ほら、少なくとも端末よりは自制心あるのに。

 

「学校に……何しに行くの」

「学生にそんな質問ある? もちろん勉強だよ」

「ぜっっったい嘘! 兄さん頭悪いじゃん!」

 

 僕はその通りだけど、葉月もなんかい。

 ほんとはサッカー部の練習が見たい。動画サイトや本に載せるようなお客様向けのものじゃなく、失敗と試行錯誤。そんな生の光景。

 

 それと、もう一つ。

 

 葉月が飛び降りたことで、迷惑を掛けた人が学校にもいるかもしれない。

 心配した人。怒っている人。

 面倒を押し付けられた人。全部返そうなんて思ってない。

 

 だけど僕のせいで追い込まれていた真白を見て、せめて見に行かなくちゃダメだと思ったから。

 

「そういうわけで今日はおしまい」

「……明日、本当に行くの」

「行く。登校するだけで心配し過ぎじゃない?」

「…………」

 

 真白はものすごく不満そうにアパートの前まで戻ると、そこには白い自転車が置いてあった。

 真白が鍵を開け、乗る前にこっちへ振り向く。

 

「……学校、無理だと思ったらすぐ帰りなよ」

「ありがとね。でも本当に大丈夫だよ」

 

 と、忘れるところだった。

 真白に待っててと言って部屋に戻り、冷蔵庫に入れておいたタッパーを渡す。

 

「帰ったらすぐ食べていいから。ただし寝る二時間前までにね」

 

 さっき作った晩ご飯の残り物。

 身体を驚かせないよう時間は空けたけど、真白もお家で食べたほうが心休まるでしょう。

 

「……あんがと」

 

 なんだか受け取るのに葛藤してたけど、まさかお礼を言われるとは思わなかった。

 さて、こんな時間だ。「っ、お金!」と財布を取り出そうとする妹を適当にあしらって、とっとと帰ってもらう。

 

 自転車に乗った背中が遠ざかる。

 

 少し進んだところで、彼女は右足をペダルに乗せ直した。ほんの少しだけ、膝の向きが変わっている。

 ペダルを押し込む線が、さっきより少しだけ太かった。

 

 

 

《一ノ瀬葉月:身体状態》

 

《身長:171.2cm》

《体重:102.4kg → 99.8kg》

《体脂肪率:40.1% → 39.9%》

 

《心肺機能:最低値》

《右腕・右手指:使用禁止》

 

《総合評価:論外》

 

 

 

《一ノ瀬真白:身体状態》

 

《推定回復指標:低下 → 微改善》

 

《推定摂取改善:エネルギー、鉄分、水分、糖質、塩分》

《たんぱく質:依然不足》

《推定不足傾向:継続》

《推定筋出力:変化なし》

 

《推定総合評価:全然駄目。但し、プレーからモチベーションの上昇を確認》

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