真白は使った食器を洗って一息ついている。トゲトゲしさも減って、ようやく本題を切り出せそうだ。
「それでさ。その大会ってのはいつ始まるの?」
「は? 急になに」
「ほら、昨日真白が言ってたサッカーの大会だって」
「……八月の、中旬からだけど」
ふんふん。んー、今は五月のはじめ。予想よりは時間あるかな。
でも端末のない時代のサッカーなら、連携の練習時間は取りたいはず。最低でも八月に戻すとして……上達の即効性は必要、と。
「……やっぱサッカー教えるってのも、本気で言ってたんだ」
「もちろん。なんで?」
「戻りたいなんて言ってない! いや……上手くなるってのは、ちょっと興味あるけど……」
「ならよかった。よしよし任せてよ。ボールは僕が持つから、真白は公園までこれ持ってって」
立ち上がり、空の車椅子を真白に押してもらう。肘置きに固定したテーブルにはPC。横にはモバイルバッテリーとスポーツドリンクを乗せている。
スポーツやってる人に急成長って、場合によっては毒レベルの快感だから。
勝手にそんなものを浴びせるのはどうかと思ったけど、興味があったなら安心だ。
「ほら、早く! 色々持たせて悪いけど、今日はもう僕筋肉使えないんだから!」
「……テンション高。なんか答え間違えた気がしてきた」
♢
真白が押す空の車椅子が、網に囲まれた芝の上を進んでいく。
正面にはコンクリの壁。その中央に、雑に塗られた白いゴール枠。
車椅子を中央まで運んでもらい、そこに腰を下ろして真白と向き合った。
「てかサッカー教えるって、兄さんそもそも私のこと知ってんの? ポジションすら知らないよね」
「知らないけどいいの」
姿勢がいい。ピンと背筋が伸びて、努力の跡も見える。
ただ身体の使い方がばらばらで、武器らしいところも見えない。
「……よくないだろ。適当言うな」
ポジションなんて、なにが得意か分かってから選べばいいさ。
僕は車椅子の肘置きに固定したテーブルごと、PCの画面を真白の方へ向ける。
「なに」
「僕がすぐ嘘つくのは分かるよね。これからはお互い疲れるだけの質問は無しでいこうか」
もうカモフラージュとか、能力の秘匿とか、育成の邪魔になることはやめた。
端末を持つ僕が100年前の女子中学生に出し抜かれたなら、それはもう僕が悪い。
脳検査で端末の存在を検知できなかったこの世界。証拠を残さないことだけ徹底すればいい。
「……は?」
数秒遅れて、黒い画面が明るくなった。
映っているのは僕の視界。
正面に立つ真白と、人工芝。
その上に、いくつもの線が走っていた。
重心、足裏の圧。
思わずビクと動いた真白の身体から飛び出す、凄まじい数の矢印。初心者が混乱するだけの矢印は消して、と。
「これはPC画面に映してるだけだから、馬鹿なことは考えないようにね」
万が一にでもPCを持っていかれないよう、牽制だけはいれておく。
青、黄、赤。
矢印の色は、力の強弱。
短い線、長い線。
運動連鎖が上手くいくほど長くなる。
細い線、太い線。
複数の力が集まるほど太くなる。
「…………また、この気持ち悪いの」
真白の顔から表情が消えて、やがて目を見開いた。
「──待って。こ、これ、今の映像!? 今が映ってるの!?」
「三秒くらい時差出てるみたいだけど。でも色々修正しなきゃなんだから、逆にいいよね」
動きながら画面を見てたら、逆にフォームが崩れてしまうから。
「そう、じゃない! なにこれ!? なんでこんなの見えるんだよ!?」
「だからさ。その質問にまともに答えると思う?」
「……っ」
真白は一度僕を睨むけど、今はそんな場合じゃないと思ったんだろう。
画面に近づき、口を半開きにしたまま固まっている。
「はい、ボール」
抱えていたボールを足元へ落とし、右足で回転を掛けて真白の膝辺りに浮かせた。あえてトラップしづらい場所に。
「──ちょ!」
急に飛んできたボールに反応が遅れたのか、足に当たったボールは少し遠くに離れてしまう。
「…………矢印の反発が、大きくなった」
「大きくしちゃうのはマズイね」
分かりやすいよう難しいボールを渡したんだけどね。
小さな風の音しかしないこの公園に、ごくりと唾を飲み込む音がした。何故だか空気が重い。
《…………心拍異常。落ち着けアホ》
端末に指摘されて、自分の心臓が暴れていることに気づいた。唾を飲み込んだ音は僕から出たんかい。
(はあ、そだね。久しぶりに右足でボール蹴った気がしてさあ……)
《約束破って脳負荷上げたから、今日は録画再生禁止ね》
(……はーい)
あーあ、全然我慢できなかった。
妹の前で落ちる気かい何やっとんじゃ。
幸い真白は画面に夢中。深呼吸して、呼吸を整える。
「兄さんは、このまま私に付き合ってくれるってことで……いいんだね」
「そうだね。僕にとっても、真白にはもう少し上手くなってもらわないと練習にならないし」
「…………退屈だろうけど、こんなの見せられて遠慮なんてしないから」
「問題ないって。僕の視界を映すために見てはいるけど、別のこと考えてるし」
そう言うと、真白はすぐにボールを取ってきて──集中。目を閉じて、フォームを頭に描いているんだろうか。
「……よし」
一言出して、壁に向かってシュートを放つ。
ボールとインパクトした足の甲には、少し太くなった短めの線のみだ。
「──くっ」
PC画面に釘付けになっていた真白も悔しそうに声を出し、またボールをセットしている。
《ひどいフォーム。ねー、助言しないの》
合理主義者の端末が、たったワンプレーでもう黙っていられない! とばかりに聞いてくる。
この伸びるしかない練習環境じゃ必要ないから。むしろウザいだけだから。
《練習内容も非効率。彼女は筋出力、栄養、持久力が一番の課題。推奨は食事管理と基礎練習。映像フィードバックによる技術練習は後に回すべき》
(君はいつも合理的でいいねー)
ふふ。僕と一緒にこの時代に来たのが
(あのさ。僕の時代に君のような競技モデルを搭載できるのは、もともとが異常者だけなんだよ?)
真白はその前の段階。成長と自己実現で脳を焼くところから。
その後は基礎練のような辛い練習だって、大喜びでできるようになるんだから!
《人間は気持ち悪い。やはり感情は消すべき》
(僕がこの先この気持ち悪さで驚かせてあげるから、楽しみにしててよ)
真白はボールを軽く前に転がす。
蹴って壁に当たる。
返ってきたら足の甲で止めようとする。
「…………」
思い通りの動きじゃなかったのか、真白はすぐにPCを見る。
三秒遅れの画面の中で、返ってきたボールの矢印が甲で反発している。
せっかくオレンジにした線が膝で詰まり、ボールを蹴る前には薄い黄色に変わっていた。
まだまだ先は長そうだ。
三回。
四回。
五回。
時間が溶けていく。
いつの間にか公園には照明が点いていた。
『バン!!』
乾いた音が広い公園に響いて、ボーッと脳休憩していた僕の意識が目の前へと移る。
変な方向に修正しようとしてたら止めるつもりだった。
だけど真白は一つ一つの行動にしっかり考えている様子で、必要なさそうだったから。
「…………うそ」
自分でもこんな音が出せたのが信じられないのか、画面も見ずに呆然としている。
壁に跳ね返ったボールが、てん、てんと転がっていた。
いいシュートが打てたみたいだね。
とんでもない気持ちよさを味わっているのは想像できるけど、うん。ちょうど良かった。
端末の表示を見る。
19時27分。
気付けば一時間も経っていた。
「はい終了。ダウンしてー」
「──っ!? まだ、大丈夫」
「なにが? ダメだよ?」
「自転車で来てるから大丈夫」
「もっと栄養付けてから言ってくれます?」
「…………部活では21時上がりだった」
「中学生がそんなわけあるかい!」
「あと十回」
真白は既に意識する箇所を変え、関節の向きまで少しずつ修正し始めている。だけど、
「回数決めると焦っちゃうから駄目」
「い、一回一回ちゃんと時間とるし!」
「もっと駄目だよ。え、明日大事な試合でもあるの?」
「っ、今日はもうご飯のお替わり我慢した!」
「そういう制度ないから」
「〜〜〜! いいじゃんちょっとくらい過ぎてもさああっ!!」
「誰だ君は……」
いつもの無表情はどこへやら、もはや普通のくそガキに成り果てた女の子を見て思う。
「今日は兄さんが意味深なことばっかするから時間を無駄にした!!」
「今日は真白がツンツンしてるせいで、あまり練習時間が取れなかったなぁ……」
「──っ! ぐぅ、っ」
言い返せないんかい。大抵僕が悪かったのに、苦労しそうな性格だねえ。
「てか明日は僕も学校行くし、忙しいんだよね」
「…………は?」
真白の動きが止まった。
「え、なに言ってんの」
「? 学校に行くから忙しくて?」
まず髪を切る。荷物に入ってた資料から学校の場所を。復讐帳でクラスとクラスメイトの確認。学校への連絡。やることはたくさんあるんだ。
「もう行かなくていいでしょ!」
「いや、僕学生なんだが……」
「だって……!」
そこで言葉が途切れた。
……ここで切るのは無法過ぎない?
疑われるから僕は深く聞けないのに……
《理解不能。学習補助、基礎科目の解説は端末で対応可能。流星に学校へ行く合理的理由がない》
端末は端末で凄いこと言ってる。
綺麗事無し、倫理観無し。真っ直ぐにズレている。
確かに僕の夢を考えたら行く意味あんまりないんだけどさ。
納めてくれた学費は一年分。サッカー部に入っても、どうせ在学中に大会は出られそうもない。
だけどそうじゃないんだ。
「せっかく払ってくれた学費ももったいないしさ」
「…………助けてくれる友達なんて、いないのに」
「大丈夫。実はアームホルダーとか、必要なものはほとんど買ってあるんだ」
骨折した腕を吊る装備だけど、なんと小物が入れられるんだ。スマホ、お財布、できれば制汗スプレー。
学校生活、なにするものぞ。だよ。
届くのは明日の朝。楽しみで仕方ない!
「買ったって、ねえ。今日いくらお金使ったの……?」
(いくら?)
《締めて21,412円》
「2万円くらいかな」
「──馬鹿じゃないの!?」
また怒られた。真白は頭を掻きむしっている。
「ああああっもう! やっぱり兄さんにお金なんか持たせちゃ駄目だった……これから使う時は相談して!!」
「……はーい」
(そんなに駄目だった?)
《駄目:三つまでまとめ買いがお得だったのに、プロテインとシェイカーを買わなかったのは致命的》
ほら、少なくとも端末よりは自制心あるのに。
「学校に……何しに行くの」
「学生にそんな質問ある? もちろん勉強だよ」
「ぜっっったい嘘! 兄さん頭悪いじゃん!」
僕はその通りだけど、葉月もなんかい。
ほんとはサッカー部の練習が見たい。動画サイトや本に載せるようなお客様向けのものじゃなく、失敗と試行錯誤。そんな生の光景。
それと、もう一つ。
葉月が飛び降りたことで、迷惑を掛けた人が学校にもいるかもしれない。
心配した人。怒っている人。
面倒を押し付けられた人。全部返そうなんて思ってない。
だけど僕のせいで追い込まれていた真白を見て、せめて見に行かなくちゃダメだと思ったから。
「そういうわけで今日はおしまい」
「……明日、本当に行くの」
「行く。登校するだけで心配し過ぎじゃない?」
「…………」
真白はものすごく不満そうにアパートの前まで戻ると、そこには白い自転車が置いてあった。
真白が鍵を開け、乗る前にこっちへ振り向く。
「……学校、無理だと思ったらすぐ帰りなよ」
「ありがとね。でも本当に大丈夫だよ」
と、忘れるところだった。
真白に待っててと言って部屋に戻り、冷蔵庫に入れておいたタッパーを渡す。
「帰ったらすぐ食べていいから。ただし寝る二時間前までにね」
さっき作った晩ご飯の残り物。
身体を驚かせないよう時間は空けたけど、真白もお家で食べたほうが心休まるでしょう。
「……あんがと」
なんだか受け取るのに葛藤してたけど、まさかお礼を言われるとは思わなかった。
さて、こんな時間だ。「っ、お金!」と財布を取り出そうとする妹を適当にあしらって、とっとと帰ってもらう。
自転車に乗った背中が遠ざかる。
少し進んだところで、彼女は右足をペダルに乗せ直した。ほんの少しだけ、膝の向きが変わっている。
ペダルを押し込む線が、さっきより少しだけ太かった。
《一ノ瀬葉月:身体状態》
《身長:171.2cm》
《体重:102.4kg → 99.8kg》
《体脂肪率:40.1% → 39.9%》
《心肺機能:最低値》
《右腕・右手指:使用禁止》
《総合評価:論外》
《一ノ瀬真白:身体状態》
《推定回復指標:低下 → 微改善》
《推定摂取改善:エネルギー、鉄分、水分、糖質、塩分》
《たんぱく質:依然不足》
《推定不足傾向:継続》
《推定筋出力:変化なし》
《推定総合評価:全然駄目。但し、プレーからモチベーションの上昇を確認》