「十六分以内に、安全停止できる区切りがないか確認してください」
『途中で、ですか』
「完全停止前に、危険を下げられるところまで進められるか確認してください。残る危険も一緒に」
『分かりました。工程側で確認します』
サカキが主機室へ続く扉を見た。
「俺、下見てくる。別に切れるとこあるかもしれん」
「頼む」
「はいよ」
サカキは工具鞄を持って主機室へ向かった。
イチノセは工場との回線を残したまま、停止工程の表示を監視する。
ニムラは本部を呼び出した。
数回の呼出音のあと、マミヤが出た。
『どうしたの?』
「親機が予測より早く動きました。介入可能時間が十六分。工場の通常停止には十九分かかります」
『三分足りないか』
「はい。本部判断へ切り替えられますか」
『今確認してる。ちょっと待ってね。ただ、難しいかもね。いける?』
「はい、待てます」
『……ん、おっけー』
通信が保留になる。
親機の内部から、低い駆動音が続いていた。
《介入受付 残り15分》
端末が鳴り、設備主任の声が響く。
『十六分以内に完全停止できる区切りはありません』
「危険が一番低い時点はありますか」
『進められるならなるべくあとのほうが危険は少なくなります。ただ、反応物は残ります。緊急排出の可能性も消せません』
「外への影響は」
『残ります』
「停止はそのまま続けてください」
『了解です』
サカキから通信が入った。
『だめだ。下で切っても安全接続ごと落ちる。上から止めるのと変わらん』
「別系統はないか」
『ない。少なくとも使える状態では残ってない』
「分かった」
『もうちょい探す』
本部との回線が戻った。
『ニムラくん』
マミヤだった。
『判断移管はできる。ただ、承認を通すのに最短でも三十分』
《介入受付 残り13分》
「間に合いませんね」
『うん』
「最終判断は」
『現場指揮責任者。今はニムラくん』
マミヤの声はいつもと変わらなかった。
『避難準備はこっちで進める。そっちは、分かったことを全部送って』
操作盤には、親機の処理状況が流れ続けている。
《前回確定状態 参照》
《介入受付 残り12分》
その下に、停止操作が表示されていた。
《最終安全確認を中断》
さらに小さく、
《入力がない場合、既定処理を継続》
と書かれていた。
その時、床下で何かが擦れた。
ニムラとイチノセが同時に視線を向ける。
配線溝の蓋が、わずかに持ち上がった。
隙間から、小さな頭が覗く。
「魔物?」
イチノセが言った。
小型の魔物が、配線溝から這い出してくる。
背中には、薄い金属板と、腕輪ほどの大きさの輪が括りつけられていた。
ニムラは腰のホルダーへ手をかけた。
「サカキ、戻れ。こっちに魔物が出た」
『魔物? 了解』
ニムラは小型魔物へ向き直る。
「止まれ」
魔物は一度だけニムラを見た。
そのまま部屋の中央へ歩いていく。
背中の留め具を外し、金属板を床へ置く。
続いて、その横へ輪を置いた。
イチノセが目を細めた。
主機室の扉が開いた。
「何が出たって?」
魔物は金属板を前脚で動かしていた。
「……何してんだ、あれ」
その端へ脚を伸ばし、止まる。
今度は輪へ移った。
輪を少し回し、金属板へ顔を向ける。
「分かりません」
魔物が輪の一部を押した。
「今、使いました?」
「使ってんな」
サカキの声が少し低くなった。
魔物は輪から脚を離し、今度は別の箇所を押した。
輪が大きく広がり、その内側が歪んだ。
空気が揺れ、その向こうに別の部屋が現れた。
狭い室内。
机の端。積まれた紙。宙に止まった細い光。
その奥に、一人の男がいた。
男が顔を上げる。
『あ、ちょっと』
魔物が輪へ前脚をかける。
『だから、先にそっちだって』
男の姿が歪みの中へ引き込まれた。
伸ばされた腕が輪を越える。
次の瞬間、男は制御室に立っていた。
抱えていた紙が何枚か床へ落ちる。
「あーもう。これ。先にこれ!」
金属板を指す。
魔物はようやく輪から離れ、金属板を押した。
短い音が鳴った。
男の目の前に小さな光が浮かび、指先で触れると消えた。
「そう。それを先に使う」
男は周囲を見回す。
「……ねえ、何回目?」
魔物は金属板に前脚を載せたまま、男を見上げている。
「はあ。やっぱり直しとけばよかった」
ニムラは短い棒状の装備を抜いた。
「動くな」
男が三人へ視線を向けた。
「うん?」
その視線がニムラたちを通り越し、操作盤へ向く。
《介入受付 残り11分》
「あ」
もう一度、三人を見る。
「処理班の人かな?」
ニムラが装備を向けたまま言った。
「動くな」
「え」
男が止まる。
ニムラを見て、それから自分の足元を見る。
「いいけど」
「質問に答えろ。何をしに来た」
男は小型魔物を見た。
魔物は床に置かれた輪を元の大きさへ戻している。
男はそれから、親機へ目を向けた。
「これを見に来たんだ」
「どういうことだ」
「こいつがね、子設備をどうやって判定してるのか。過程が大事なんだよ」
男は操作盤の方へ一歩動いた。
「動くな!」
「ああ、うん」
男はまた止まった。
「設備に触れるな。操作もするな」
「触らないって」
その場に立ったまま、親機を見る。
表示板ではなかった。
古い操作盤の縁。
その下の床。
配線が通っている壁際。
何かを辿るように、視線だけがゆっくり動いていく。
サカキが扉の前へ位置を変えた。
小型魔物と男、主機室の両方が見える場所だった。
「何を見ている」
ニムラが聞く。
男は答えなかった。
中指で、こめかみを軽く叩き始める。
親機の低い駆動音が続く。
男の指が止まった。
「よかった、まだ始まってない」
男は操作盤の手前へしゃがんだ。
ニムラも距離を詰める。
「触るな」
「触ってないでしょ」
実際、男の手はどこにも触れていなかった。
指先だけが、何もない空間をゆっくり横切る。
「さすがに昔のだなあ。汚い」
サカキが眉を寄せる。
「何が?」
その時、親機の内部で切替音が続いた。
《子設備構成照合完了》
《参照状態確定》
《再構成経路算出中》
男が立ち上がった。
「あー、そこか」
「何がだ!」
「安全接続だよ。使う線が決まったみたい」
ニムラは操作盤を見る。
表示に、それらしいものはない。
「……何を言っている」
「見る?」
返事を待たず、何もない空間を指先でなぞった。
細い光が滲んだ。
一本ではなかった。
太さの違う線が、操作盤の周囲で幾重にも重なっている。
途中で途切れたもの。
別の線へ入り込んでいるもの。
操作盤の内部だけで薄く消えている分岐。
その中で一本だけ、他より強い光が床へ沈み、壁際を通って制御室の外へ伸びていた。
「なんだ、これ」
サカキが言った。
「これが安全接続。えっとね、今つながってるのはこれ」
男が、床へ伸びる強い光を指す。
ニムラは装備を向けたまま聞いた。
「親機に、何をした」
「何もしてないよ。見えるようにしただけ」
イチノセが旧系統図を開く。
光が壁へ消える位置と図面を見比べた。
「……多分、合ってます」
ニムラがイチノセを見る。
「この先は、中央安定器です」
男は途切れた線の方へ視線を移した。
サカキも光を追う。
「図面だと一本じゃなかったか?」
「図面上では単一の接続です」
「一本を途中で無理やり分けてるだけだからね」
男が途切れた光を指先で追う。
「これ、あいつのやり方だ。見えないからって、こう……美意識が足りない。汚いなあ」
親機の内部で、また小さな音がした。
光の線が脈打つ。
強く光っていた線の中で、細い流れが動き始めた。
ばらばらだった流れが、床下へ沈む直前の一点へ集まっていく。
男はその動きを追う。
中指で、またこめかみを叩き始めた。
《再構成経路算出中》
やがて、流れが一本へまとまった。
男の指が止まる。
「うん。分かった」
男はそれだけ言うと、壁際へ下がった。
設備主任から連絡が入った。
『再計算、出ました』
《介入受付 残り8分》
「お願いします」
『このまま進めれば、第一反応槽は受付終了までに安全域へ入ります』
「第二は」
『間に合いません。ただ、今より危険は下がります』
「人への危険は」
『ゼロにはできません』
「既定処理を続けた場合は?」
『反応は、旧手順どおりなら安全に止まります。ただ、再構成の範囲も操業再開の見込みも分かりません』
「……被害が小さいのは、どちらですか」
『人的な危険で比べるなら、既定処理です』
「工場の損失まで含めたら」
『……比較できません』