第三班の執務室に、端末を操作する音だけが続いていた。
ニムラは事故報告書を開き、サカキは工場から届いた報告を読んでいた。
「点検に三日。再接続と再調整まで含めて、最短で十日。正式な日程は、設備を開けてからだって」
「それでいい」
ニムラは報告へ追記した。
《操業再開までの期間 未確定》
イチノセの端末に通知が入る。
「追加資料、来てます」
「何の」
「前に行った部品加工工場です。作業日誌が追加で出てます」
サカキが顔を上げた。
「あそこ?」
親機を先回りして訪れた工場だった。信号は来たが、加工機には何も起きなかった。記録では《確認運転完了》となっていた設備だ。
イチノセが日誌を開く。
「これ、最後の増設分ですね」
作業記録を追う。
「……確認運転、してない?」
ニムラが顔を上げる。
「完了じゃなかったのか」
「完了はしてます」
「矛盾発生!」
「あ、いえ。その、完了したあとに増設してるので、結果的には未完了なんです」
「矛盾解決!」
「いや、解決していない。なんで戻らなかった?」
ニムラは当時の記録を開いた。
親機からの信号。
旧冷却供給器の応答。
安全接続の解除。
そこで手が止まる。
「戻らなかったんじゃないなこれ」
当時の設備図を出す。
「旧冷却供給器だけ、戻ってる」
イチノセも記録を見る。
「前回の確定状態と一致してます」
「でも加工機は止まらなかった」
「ああ。戻ったのが、ここだけだったんだ」
サカキが化学工場の記録を開いた。
「じゃあ、今回も?」
旧供給系統――復旧。
旧制御系統――復旧。
その一方で、現在の主要設備は残っている。
「古いのが本体だったところは、今の設備まで一緒に戻った」
サカキが画面を部品加工工場の図へ戻す。
「でも、古いのが脇に残ってるだけなら……戻るのは古い方だけ?」
ニムラも画面を見る。
「今回も、それなら合う」
サカキが追加された日誌を見る。
「これ、最初から出してりゃどうだった?」
「確認運転完了だから変化しない、とは見なかった」
「今回の工場が残るって分かった?」
「そこまでは無理だな」
「どこまで戻されるかまでは、記録だけでは分かりません」
サカキが椅子へもたれた。
「それでも、先に出してほしかったなあ」
誰も否定しなかった。
ニムラは事故報告へ戻る。
《事前提出資料に未記載の作業日誌あり》
《事故後、設備担当より追加提出》
《設備残存理由》
少し考えてから入力する。
《旧安全接続設備は前回確定状態へ復旧》
《現在主要設備への再構成は確認されず》
それ以上は書かなかった。
《現場における未確認者》
ニムラの指が止まった。
◇
非常灯の下で、男は小さな拍手を終えた。
小型魔物が金属板を拾い、背中へ括り直す。
続いて輪も回収した。
「待て」
男が振り返る。
「身元を確認する」
「ああ」
男が答えかけたところで、小型魔物が後ろから脚を押した。
「ちょっと、今話して――」
輪が再び広がり、その内側が歪む。
男が一歩よろけ、そのまま向こう側へ消えた。
小型魔物も続く。
輪が閉じた。
◇
ニムラは次の欄を開いた。
《最終安全確認への介入》
《中断入力なし》
《既定処理を継続》
《処理完了》
ニムラは最初の一行を見る。
承認入力へ近づいていった、自分の指先が浮かんだ。
何を考えて、手を動かしたのか。
そこだけが、うまくつながらない。
ニムラは報告欄へ戻った。
《中断入力なし》
そのまま入力した。
理由は書かなかった。
《現場指揮責任者 ニムラ》
内容を確認して提出する。
《事故報告 受付完了》
執務室に、また端末の音だけが残った。
◇
主任室の扉を二度叩く。
「ニムラです」
「どうぞ〜」
マミヤは提出された事故報告書を開いていた。
ニムラは向かいの椅子へ座る。
「工場の方は問題なーし。聞きたいのは、こっち」
《追加照会》
《接触者について指定対象との関連を確認中》
《接触時の現場判断について回答要請》
マミヤが一つ目を開く。
《魔物が使用した転移器具により、制御室へ侵入》
「これ、どゆこと?」
「小型魔物が転移器具を使いました」
「ええ、その場で指示されてたわけじゃなくて?」
「少なくとも、男が来る前から自分で操作していました」
「偶然触った可能性は?」
「複数の器具を使い分けています。起動後も操作を続けていました」
マミヤが少し黙る。
「え、じゃあさ。魔物が魔道具の操作方法を知っていて、その男を呼ぶために使ったってこと?」
「私には、そう見えました」
「うへえ、なんじゃそりゃあ」
《小型魔物が複数の器具を操作》
《操作方法を理解していた可能性あり》
「あ、そうだ。安全接続の可視化ってなに?」
「書いてある通りです。男は触れましたが、こちらでは計測できませんでした」
「ふーん。……あれ、安全接続かどうかは確認できた?」
「……いえ」
「ん、おっけー」
《未確認男性が光状経路を可視化》
《本人は安全接続と説明》
《経路方向は既知の安全接続と一致》
《性質は未確認》
「二つ目はね、これ」
《接続切断の提案について》
「なんで切らなかったの?」
「切断後の安全を確認できなかったためです」
「具体的にどうぞ」
「切断後の状態も、戻す方法も評価できませんでした」
「よろしい。ま、そりゃそうか」
マミヤは短く入力した。
《安全性を確認できないため、切断を許可せず》
「次行くよ」
《親機中断操作について》
《中断入力なし》
マミヤがニムラを見る。
「なんで入力しなかったの?」
「停止した場合、第二反応槽は安全停止基準に届いておらず、緊急排出の可能性が残っていました」
「それで?」
「既定処理なら人への危険は低い一方、設備損失の範囲は――」
マミヤは事故報告書を一度閉じた。
「うん、状況はもう知ってるよ」
ニムラは黙る。
「それで、ニムラくんは?」
少し間があった。
「……停止承認は未入力のまま、介入受付時間が終了しました」
マミヤはニムラを見る。
「そ。わかった」
それ以上は聞かなかった。
再び報告書を開く。
《停止時の人的危険と、既定処理継続時の設備損失を比較》
《介入受付終了まで中断入力なし》
《判断経緯は事故報告書および添付比較資料を参照》
「次が最後かな」
《接触者の脅威評価》
マミヤが椅子にもたれた。
「えっとね、さっきの男は敵だったの?」
「敵対行動は確認していません。協力者とも判断していません」
「親機が子設備を判定する過程を見に来た。これは本人申告ね」
「はい」
「もう一回来ると思う?」
「分かりません」
「だよねえ」
マミヤが入力する。
《敵対行動、確認なし》
《協力関係、確認なし》
《本人申告:親機による子設備判定過程の確認》
《申告目的および再接触可能性、不明》
「はーい。その男はもうしょうがないね」
最後に、現場からの離脱記録を開く。
「あ、身元確認しようとはしたんだ」
「はい」
「名乗る前に、魔物に押されて……消えたの?」
「その通りです」
「……変!」
マミヤは回答書を確認した。
「よし、これで返すよ。ご苦労さま」
《追加照会回答、送信》
「はい終わり」
「ありがとうございます」
ニムラは一礼する。
「では、失礼します」
扉へ向かう途中で、マミヤの端末から通知音が鳴った。
事故報告書に、新しい送付先が追加される。
《国家設備庁》
《安全保障管理部》
《特別指定対象対策室》
続けて、報告書の状態が切り替わった。
《処理完了》
表示が消える。
《上位審査中》
ニムラが首を傾げる。
「主任」
「うん?」
「追加の処理が必要ですか」
マミヤは送付先を確認する。
「今はないよ」
「では、何故審査が」
「設備事故を見てるんじゃないみたいだねえ」
接触者の欄には、男の氏名も所属も不明のままだった。
「何者だったんだろうね。この人」
◇
男は、親機が参照した条件から、途中で選んだ経路、旧構成へ戻った範囲と残った現在設備まで順番に追っていく。
「へー、そっちか」
記録を《再検証》へ移す。
その横には、《完成》《棄却》《保留》と分けられた別の資料が並んでいた。
設備の一部にはAとBを重ねた記章が残っている。
次の資料を開く。
机の端で、紙が擦れた。
小型の魔物が、床に広げた新聞を前脚で押さえている。
一枚めくる。
また一枚めくる。
男は見なかった。
新聞の一面には、大きな見出しが載っていた。
《魔王ノア、旧安全接続へ介入か》
◇
数日後、別の雑誌が店頭へ並んだ。
《魔王介入の陰で隠された旧設備問題》
記事の後半に、第三班の現場対応が載っている。
《魔王は、安全接続の切断を提案》
《現場指揮責任者は、切断後の安全性が確認できないとして拒否》
休憩所の机で、二人の作業員が雑誌を読んでいる。
「魔王がなんかやろうとして止めたんだって」
「いや、魔王関係なくこの問題起こってない?」
「でも、それで人も工場も助かったんだよ」
「ニムラって人が止めたらしい」
「魔王を?」
「へー。勇気あんなあ」
◇
数日後、新しい記事が配信された。
《第二の魔王の提案を拒絶した現場責任者》
反応が並ぶ。
《親機を信じて止めなかったらしい》
《この人がいなかったら工場ごとなくなってたんじゃない》
《魔王に会って普通に帰ってきたのか》
◇
男の研究室では、小型の魔物が新しい新聞を床へ広げていた。
その周囲には、読み終えた新聞と雑誌が積まれている。
男は椅子を動かそうとして、車輪に紙を巻き込んだ。
「もうー!」
新聞を引き抜く。
「こういうのは、読み終わったら捨ててって言ってるでしょ!」
小型の魔物は、別の紙面を前脚で押さえた。
男は取り上げる。
一面に、ニムラの所属と氏名が載っていた。
「ん? 勇者?」
《第二の魔王に抗った勇者》
「あはははは。なに、あいつ勇者だったの?」
小型の魔物が男を見上げる。
「じゃあ僕、倒されたりすんのかなあ」
◇
「お前、勇者になったぞ」
サカキが記事を送る。
ニムラがため息をつく。
《第二の魔王に抗った勇者》
隣で、イチノセも記事を開く。
「ついに勇者ですかあ。本部からも、接触者の確定通知が来てますよ」
《接触者照合結果》
《氏名、ノア》
《指定呼称、魔王》
《同一人物と確定》
サカキが言った。
「本当に魔王だったのか」
「国の照合では、そうなってるみたいですね」
イチノセが答える。
「それで、ニムラが勇者か」
サカキは別の記事を開いた。
「魔王の企みを看破。危険な切断を拒絶。親機の正常な安全処理を守り、工場と住民を救った」
ニムラは工場からの通信を見ている。
操業再開の日程が決まったという報告だった。
末尾に、第三班への謝辞が添えられている。
《現場対応により、従業員および周辺住民の安全が確保されました》
《設備の全損も回避されています》
《第三特務処理班の皆様に、改めて感謝いたします》
ニムラはその文面を三度ほど読む。
「いやー良かった良かった!」
サカキが後ろから言う。
「人的被害なし!全損回避!勇者ばんざい!」
「やめてください、たまたまですよ」
ニムラが言う。
「良いじゃないっすか。僕なんて名前も出てないんですよ。サカキさんはたまに出てるのに」
イチノセは少ししょぼくれた。
「関係ないだろ別に、こんなの面倒なだけだ」
ニムラがそう言うとサカキが笑った。
「ま、勇者手当でも増えたら儲けもんだな」
「出ませんよ、多分」
ニムラは、工場の再開日程を報告書へ転記した。
第三章 完